6 ドレス職人の正体
アンダーソンドレス工房の裏に停められていた馬車は覆いのついた小さめの荷馬車だった。きっと普段はドレスを運ぶのに使われているものなのだろう。
メイ様は馬車に馬を繋ぐとまずクレアを、次に私を御者台に座らせ、ご自分も反対側からそこに乗った。メイ様と私でクレアを挟む形だ。
馬車は裏道から大通りに出て、軽快に走り出した。
当然、馬車に乗るのも初めてのクレアは最初のうちは私にしがみついていたが、やがて歓声をあげた。
私も御者台に乗るのは初めてだったのでいつもと違う景色をぼんやり眺めていたが、しばらくして、少し前に私が足を引き摺るようにして歩いてきたのと同じ道を馬車が逆に辿っていることに気づいた。
メイ様が私とクレアをローガン家の屋敷に戻すおつもりだとは思わないが、あんなに苦労して離れた距離が何倍もの速さでまた縮まっていくのが不安で堪らなくなった。
まだメイ様にきちんと聞いていなかったけれど、この方はどこに住んでいらっしゃるのだろう。
歩いている途中で見かけたような共同住宅にお部屋を借りていて、そこの空き部屋を紹介してくださるのだろうか。
しかし、馬車はあっという間に共同住宅の前も駆け抜けてしまった。
「メイ様はどちらにお住まいなのでしょうか?」
そう尋ねると、メイ様は何とも言えない微妙な顔で私を見た。
訊いてはいけなかったのだろうか。でも、これから私たちも住む場所なのに。
しかし、視線を前に戻したメイ様は別のことを口にした。
「そんなに畏まらないで、『メイ』と呼んでください」
「え……」
まだ知り合ったばかりの方からそんなことを言われて戸惑ってしまった。
「工房で『様』をつけて呼ぶなんてお客様に対してだけです」
「では、『メイさん』、と」
「ううん、まあいいでしょう。あなたのことは『パトリシアさん』でいいですか?」
「はい、そうしてください」
もう「ローガン次期侯爵夫人」なんて呼ばれたくはない。
「住んでいるのはもう少し先です」
「お金が、ふたりで乗合馬車に乗る分くらいしかないのですが」
「家賃なら心配しなくて大丈夫です。僕も払っていないし」
「え?」
そんな話をしているうちに馬車は通りを折れてローガン家とは異なる方向に向かい出し、私は胸を撫で下ろした。
が、それから少しして馬車が速度を緩め、メイさんに「着きました」と言われた時、門の向こうのお屋敷を見て私は固まった。
私の記憶に間違いがなければ、この大きくて立派なお屋敷には結婚前に2度、夜会のために訪れたことがある。
門は閉ざされていたものの、馬車に気づいた門番によってすぐに開けられ、私たちは呆気なく敷地の中に入ってしまった。
門番はメイさんに向かって礼をしていて、顔見知りという感じだった。
「こちらは、コーウェン公爵邸ですよね?」
恐る恐る訊いてみると、メイさんがニッと笑った。
「さすがに知っていましたか」
「何か、工房のご用があったのですか? 私たちまで来てしまってよろしかったのでしょうか?」
「確かにコーウェン家はアンダーソンドレス工房最大の得意先ですが、仕事で来たわけではありません」
馬車は門から正面に見えていたお屋敷には向かわず塀に沿って進んでいった。
門からは見えない位置に建っていた小さいが瀟洒なもう1軒のお屋敷が前方に現れた。別邸だろう。
メイさんは馬車を別邸の玄関の前に横付けし、クレアを抱き上げて馬車から降り、クレアを玄関前の階段に下ろしてから、やはり私が降りるのに手を貸してくださった。
「ちょっと待っててください」
メイさんはそう言って玄関の前に立つと、呼び鈴を鳴らした。
すぐに扉が開き、侍従らしき使用人が姿を見せた。
「おや、坊ちゃま、遅かったですね。皆様とっくにお発ちになられましたよ」
「へ……? あ、タズルナに行くのって今日だったっけ。しまった、すっかり忘れてた。母上たち、何か言ってた?」
「大奥様は『仕方ないわね』と呆れていらっしゃいました。大旦那様はそれはそれは哀しそうなお顔をなさって……」
「うん、目に浮かぶよ」
「何か伝言があれば定期連絡の折に一緒にお送りしますが」
「お詫びの手紙を書いて明日にでも持ってくる」
「お待ちしております」
玄関の扉が閉まり、メイさんが肩を落としながらこちらへと戻ってきた。私は今耳にしたばかりの会話のせいでさらに混乱しながらそれを迎えた。
「すみません。何も言わずに会わせて驚いてもらおうと思っていたんですけど、今日タズルナに出発すると言われていたのをすっかり忘れていました」
どなたに会わせてくださるおつもりだったのか、何となく答えがわかってしまって逆に訊けなかった。
「姉に会いに行ったんです。以前はずっと忙しかったので長期休暇でないと遠出はできなかったんですけど、引退して余裕ができたのでこの時期にって」
私は恐る恐る確認する。
「先ほど、『坊ちゃま』と呼ばれていらっしゃるように聞こえたのですが。それに、『母上』が『大奥様』だと」
「本邸に向かいながら説明します」
そうして再び馬車に乗り込むと、メイさんがゆっくり話し出した。
「さっきの自己紹介には続きがありまして、あなたが言ったとおり僕は貴族の家の人間です。幸い優秀な兄がいるので好きなことを仕事にできましたが、兄が爵位を継いだ今も貴族籍に入ったまま、実家に住んでいます。最近は仕事にかまけて工房で寝泊りすることも多かったんですけど」
「つまり、あなたは……?」
「この屋敷の主ノア・コーウェン公爵の弟メイナード・コーウェンです。……さっきあなたが熱く語ってくれたクレア・コーウェン前公爵夫人の息子って言ったほうがいいかな?」
ああ、やはりそうなのか。
「申し訳ありませんでした。存じ上げなかったとはいえ、ご子息の前で失礼なことを。いえ、そもそも存じ上げなかったことが失礼でした」
コーウェン前公爵夫妻のお子様は5人いらっしゃる。
長女のマクニール侯爵夫人アメリア様と長男で現公爵のノア様は結婚する前に夜会などでお姿を見たことがあった。
一方、次女のシャーロット様と三女のアリス様は私が社交界でお姿を見る機会はなかった。
シャーロット様は隣国タズルナの王子殿下に嫁がれたためだ。
隣国へ向かう花嫁を乗せた華やかな馬車行列をお見送りした時、馬車の窓からお顔を覗かせ手を振ってくださっていたことはよく覚えている。
先ほどメイさんが仰った「姉」はこのシャーロット様のことだろう。
アリス様が社交界に出られなくなったのも同じ頃かららしいが、理由はよくわからなかった。
そして、クレア夫人の次男がメイナード様というお名前であることはもちろん知っていたけれど、お顔までは知らなかった。
メイナード様は私と同じ歳のはずだが学園に入学してこられなかったし、社交界デビューも私の結婚前にはなさらなかったのだ。
「自慢の母のことをあんな風に言ってもらって嬉しかったです。だから、母や父にも会わせたかったんですけど」
私は思わず首を振った。
「心構えをしてからお会いしても緊張してどんなことを話したか覚えていないのに、突然お会いしていたらどうなっていたか」
メイさんはハハっと笑った。
「帰ってきたら会ってもらいますから、しっかり心構えしておいてください」
「はい」
私は頷いてから、不思議そうにメイさんと私の顔を見比べいたクレアに教えてあげた。
「クレア夫人はメイさんのお母様なんだって」
「そうなの? メイ、すごい」
「こら、クレア、『メイさん』よ」
いや、「コーウェン公爵弟」か、せめて「メイナード様」とお呼びすべきか。
「『メイ』でいいですよ。ね、クレア」
「ねえ」
ニコニコと笑い合うメイさんとクレアを見つめながら、やはり娘にこの名を付けたのは畏れ多かったなと思った。
もちろん、クレア夫人にまたお会いできることや、クレアをクレア夫人に会わせてあげられることはとても嬉しいのだけど、クレア夫人に「娘のクレアです」と紹介しなければならない日が来るなんて。
馬車は一旦門まで戻り、そこから改めて本邸に向かった。
メイさんがここに住んでいらっしゃるということは、私とクレアが今日からお世話になるのもこのお屋敷ということだろう。これだけ大きいのだから、それは部屋も空いているはずだ。
そうして、私たちは玄関の前で再び馬車を降りた。
メイさんは今度はクレアを抱き、私を支えたまま呼び鈴を鳴らした。
出てきた執事は、メイさんを見て顔を顰めた。
「坊ちゃま、大旦那様と大奥様は……」
「あ、その先は別邸で言われてもう反省してるから。後でお詫びの手紙も書くから。それよりも今はセアラに頼みたいことがあるんだけど、いる?」
「いらっしゃいますが」
そこで執事は素早く私とクレアに視線を走らせてから、またメイさんを見た。
「いつの間にご結婚してお嬢様までもうけていらっしゃったのですか?」
「うん、ついさっき」
メイさんと執事のやりとりに私はギョッとした。
「ご冗談はおやめください」
「先に言ったのコリンでしょ」
冗談だったのか。コリンと呼ばれた執事は生真面目そうな顔をしているので、かなりわかりにくかった。
「奥様をお呼びして参りますので、少しお待ちください」
「ふたりを休ませてあげたいから、居間にいるね」
「承知いたしました」
メイさんはそのまま玄関ホールを通り抜け、廊下を進んでいった。何の迷いもなくて、この方は本当にこのお屋敷で暮らしているのだと実感した。
居間らしき部屋の前に着くとメイさんは扉を開けて中に入り、また私たちをソファに座らせてから、馬車と同じようにクレアの隣に腰を下ろした。
「ここどこ?」
キョロキョロするクレアに、メイさんが答えた。
「メイのお家だよ。クレアも今日からここに住むんだ」
「おかあさまも?」
「もちろん、お母様も」
クレアは安堵した笑顔をメイさんに向けた。