挿話2
ウォルフォード家の夜会以来、ふとした時にあの毒花のようなドレスを着ていた女性のことを思い出した。
特に新しいドレスのデザインを考えている時。
彼女の体型は紙の上でドレスを着せる女性像みたいだったなって気づいたら、もうどんなドレスなら彼女に似合うかってことばかり考えてしまう。
僕なら彼女にとびきり似合うドレスを作ってあげられるのに。
もちろん、実際に作ったところで彼女に着てもらえる可能性は多分ない。万が一再会できたとしても、受け取ってもらえるわけがない。
どんなにドレスの趣味が悪かろうとあの女性には夫がいるはずで、彼女なら相手と良好な関係を築いているに違いない。
月に1度くらいしか出ていなかった夜会やパーティーに何度か行ってみた。彼女に会えるのではというわずかな期待を抱いて。
もちろん会えなかった。
会場で会った知人にそれとなく尋ねても、誰も心当たりがないようだった。
ウォルフォード家の夜会に出ていた人に「こんなドレスを着ていた」と説明しても、見ていないという答え。
誰がどんなドレスを着ていたかなんて、知り合いか、余程自分の好みのドレスだったりでないと記憶に残らないものらしい。
貴族社会なんて大して広くないはずだけど、社交の場はいくらでもある。
彼女の姿を求めて片っ端から参加するのは不可能だ。でも適当に選んで行った場所で再会できるとも思えなかった。
どうして名前も知らない女性のことがこれほど引っかかっているのだろう。そもそも僕は彼女に会って何がしたいんだろう。自分でもよくわからない。
だけど、気を抜くと頭の中で彼女の面影がちらつく。
顔は小さくて、目鼻立ちも控えめだった。
最初見た時はドレスに合わせた化粧をすれば良いのにと思ったし、化粧映えしそうだけど、飽かず眺めていられるのはきっと素顔のほうだ。
ふいにすぐ近くから媚びるような声で名前を呼ばれて我に返った。
どうせ駄目だとわかっていながらまた夜会に来てしまい、でもやっぱり彼女には会えず、いつものように雰囲気を楽しむ気にもなれないのでさっさと帰りたいのに、気づけば数人の令嬢方に囲まれていたのだった。
「私の話、聞いていらっしゃいますか?」
「申し訳ありません。何でしたか?」
「ですから、ローガン次期侯爵が幼馴染と駆け落ちなさったそうなんです」
「駆け落ちですか。それはまた思い切ったことをしましたね」
令嬢方の流れるような会話に耳を傾けた。正直あまり興味はないけれど、聞ける話は全部聞いておけとノアに言われている。
情報は武器になる。でもどんな情報がどこで役に立つかはわからないから、できるだけたくさん集めておけ、と。
右から左へ耳を素通りしそうになる令嬢方の会話をどうにか頭の中に留めようとしていると、ふいに覚えのある名前が出てきた。
次期侯爵の駆け落ち相手はガードナーさんの奥さんなのか。
ちょっとだけ興味が出てきて話を聞くことに身が入るようになった。
続けて出てきたのはローガン次期侯爵夫人。パトリシアという名前らしい彼女は、とんでもない悪妻なのだとか。
基本、そういう噂は信じない。社交界で僕の母上が何と言われているか知った時から。
だいたい、悪妻だろうと何だろうと夫人がいるのに他の女性と駆け落ちしたような人間を称賛するなんておかしい。
それが本当に許されるなら僕だって……って、僕は何を考えているんだろう。
適当なところで夜会を抜け出して帰宅した。
このままあの女性に会えなかったら、いつか彼女のことなんか忘れられるのだろうか。
そうなったほうが楽なはずなのに、とても怖いことのように感じた。
ある夜、ノアの部屋に呼ばれた。
「最近どうしたんだ?」
ノアがわざわざそう訊いてくるのは、僕はいつもどおりを装っていたつもりで全然装えてなくて、心配されていたってことだ。
ノアに誤魔化しは通用しない。
「ちょっと、気になる人がいて」
そう打ち明けると、ノアはサラッと言った。
「恋の病か」
どうして気になっているのが女性だとも言ってないのに、そこまで飛躍させるんだ。
「違うよ。ちょっと気になってるだけだってば」
「相手はどこの誰だ?」
「……わからない」
ノアが呆れた顔をした。
「どうして名前くらい聞いてないんだ」
「だって、あの時は後でこんなに気になるなんて思わなかったから。結婚してそうだったし」
「どんな女性だったの?」
そう尋ねてきたのは、ノアの隣にいたセアラ。
「毒花みたいなドレスを着てた」
「毒花?」
ノアが怪訝そうな顔をした。
「でもそれが全然似合ってなくて、何て言うか、清廉な感じで。ドレスのサイズが小さいせいで具合が悪くなってたから、ちょっと直してあげたんだ」
僕が話すうちに、なぜかセアラの表情が曇った。セアラと視線を合わせたノアも眉を寄せていた。
「嫌な感じだな」
ノアがポツリと言った。
「何が?」
「デザインだけでなくサイズも合わないドレスを着ていたことだ。いや、着せられていた、か」
それについて僕は腹立たしく思っていたけれど、ノアとセアラは少し違う様子だった。
「私と初めて会った時のこと、覚えている?」
セアラが突然そんなことを言った。もちろん、昔話を始めたわけではなく、今の話に関係があるのだろう。
「覚えてるよ。夜会中なのに皆が大広間から戻ってきて、ノアの婚約者が決まったって聞いて、姉上のドレスに着替えたセアラが……」
そこまで口にして、僕も違和感に気づいた。
「なんであの時セアラはドレスを着替えてたの?」
「デザインもサイズも合わないドレスを着せられていたからよ。私の場合、サイズは大きかったのだけど」
セアラの言葉で一気に肝が冷えた。
初めてセアラと会った頃の僕はまだ子どもで、突然ノアの婚約者になったセアラがその日から僕たちと一緒に暮らしはじめた理由もわかっていなかった。
でも、今はわかってる。セアラが実家で虐待されていたからだと。
「僕、間違えた?」
あの女性にきちんと名乗って、名前を尋ねて、引き留めて話をして、拐ってでも連れて帰るべきだった?
彼女は支えがほしくても誰の手も借りられない状況にいる?
「そんな顔するな。あくまで私たちの想像だ」
ノアが慰めるように言ったけれど、僕は首を振った。
「急遽ドレスを買うなら普通は大きめを選ぶよね。ましてや彼女は細身だったから、具合が悪くなるほどきついものを探すほうが大変だと思う」
ノアが小さく溜息を吐いた。
「とにかく、あまり思い詰めるな。私も気にしておく」
「……お願いします」
縋る気持ちで頭を下げた。
勘違いならいい。だけど、ノアの勘が人一倍鋭いことを僕は知っていた。
社交に行くのはやめて、ドレスを作ることにした。彼女のためのドレスを。
願掛けのようなものだ。またあの女性に会えるように。
名目上は店舗で売るためのドレスとして師匠に許可をもらったけれど、出来あがったら買い取るつもりだ。
この頃、ドレスの注文が増えていたので、工房では当然そちらが優先される。
仕事を終えてから、あるいは始まる前に、ひとりでコツコツと作っていった。
彼女の体の細かい寸法がわからないので、やや大きめに。
不思議とドレスを作っている時は不安や焦りを忘れられて、彼女が僕のドレスを着て笑っている姿を思い描いた。
すぐに家に帰る時間が惜しくなり、工房で寝泊りすることが増えた。
その朝も、僕は日の出とともに起き出してドレス作りを進めた。
何となく普段より早めの時間に切り上げたので、近所で買ってきたパンを食べてから工房の掃除と開店準備をこなしても、他の人たちがやって来るまでにはまだ間があった。
工房の表に出ることにしたのも何となくだった。
扉を開けると、窓から店の中を覗いている女性がいた。
着ているのは色こそ鮮やかな青だが装飾の類のまったくついていないワンピースのようなドレス。足元は擦り切れた室内履。
そして、背中に小さな女の子を背負っていた。
うちのドレスを買えるようには見えないけれど、まだ開店までには時間があるのだから少しだけ店の中を見てもらうくらい構わないだろうと声をかけた。
振り向いた女性の顔を見て、思わず「あ」と声をあげていた。彼女も僕を見て目を丸くした。
毒花ドレスの女性だった。
彼女はどう見ても訳ありだった。
やや乱れた髪に、化粧っ気のない顔。
子どもを背負うために使っているのは、どうやら毒花ドレスを直すのに使った黒いストールとリボンのようだった。他に荷物や連れは見当たらない。
女性の肩越しに彼女とよく似た瞳にジッと見つめられて理解した。
もし僕があの夜会の日に彼女を拐おうとしても、きっと無理だった。
僕が彼女を支えたいなら、あの娘ごとでないと駄目なのだ。