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おまけ3 記念日

 今年もウォルフォード家の夜会に出ることにした。

 ただの公爵弟だった昨年までとは違い、子爵になった今シーズンはできるだけ社交の場に赴いているけど、アシュリー・ウォルフォード侯爵は従兄だから他の家に行くよりはずっと気楽。


 それに、ウォルフォード家の夜会は今の僕にとって特別な意味を持つ。

 ちょうど1年前、そこでパティと出会った。

 もちろん、今年は妻になった彼女をエスコートして行く。




 ひとりだった時は夜会の日もギリギリの時間まで工房で仕事をして、急いで帰宅して着替えたものだった。

 パティが一緒の今は、彼女が余裕を持って身支度できるよう早めに帰らせてもらうようになった。


 ちなみに最近、僕に弟弟子ができた。

 作業開始前の工房の清掃や、終業後の片付けが彼の役割になったので、僕は少し楽になった。

 でも、ずっと僕の仕事だったから寂しい気もする。


 結婚してからパティのために何着か夜会ドレスを作ったけれど、この日の彼女が纏ったのは彼女命名「花びらのドレス」だ。

 僕が花びらのドレスに込めた想いは彼女も知っているから、僕たちが初めて出会った場所にそれを着て行くと彼女が決めたことは、改めてその気持ちをしっかり受け取ってもらえたように感じられて嬉しかった。




 そうしてクレアや父上、母上たちに見送られ、パティと僕はジョナスの御す馬車でウォルフォード家の屋敷に向かった。


 会場の大広間に入る手前でパティに視線を向けると彼女も僕を見ていて、同じことを考えていたのだとわかった。

 倒れそうになっていた彼女を抱きとめ、初めて言葉を交わしたのがまさにこのあたりだった。


「感慨深いです。あれから1年たって、今度はあなたと一緒にここに来られるなんて」


 パティの表情は穏やかだけど、その目は少し潤んでいた。

 僕は左腕に添えられていたパティの右手を右手で握ると、腕を彼女の腰に回した。


「パトリシア、僕はずっとこうして君の隣にいるから、気分が悪くなったらすぐに言うんだよ」


 戯け気味に言うと、パティがクスリと笑った。


「メイナード様のドレスを着ていて気分が悪くなったことなどありませんが?」


「ダンスで疲れたとか、デザートが美味しくて食べすぎたとかでもいいよ」


「わかりました。私の旦那様は過保護ですね」


「奥様を大切にするのはうちの家系だからね」


 そのまま大広間に入り、一足先に到着していたノアたちと合流してアシュリー夫婦のところに挨拶に行った。

 今年はセアラがいるから、ノアの機嫌もかなり良かった。




 パティとダンスをし、親戚や友人知人と挨拶を交わしてからさらにもう1曲踊り、会場を華やかに彩るたくさんのドレスを眺めながら食事をいただいた。


「ようやく『バリー子爵夫人』と呼ばれることに慣れてきました」


 デザートのケーキまで食べ終えると、パティは嬉しそうに言った。


「僕はまだちょっと違和感があるかな。パトリシアを『僕の妻』って呼ぶのはすごく自然なんだけど」


 やや恥じらいつつも幸せそうに微笑んだパティに、僕は心の中で溜息を吐きながらさりげなく彼女との距離を詰めた。彼女の姿を隠すように。


 僕は呼ばれることには慣れなくてもバリー子爵になった自覚はある。

 でもパティは、今の自分が他の人からどんな風に見られているかまったく自覚してない。


 初対面の時に思ったとおりパティの顔は化粧映えするのに普段は薄化粧しかしないものだから、ネリーたちがここぞとばかりに腕を振るいたくなるのは理解できる。

 だけど、化粧と髪型を整えたパティは魅惑的すぎて、僕だけでなくたくさんの人間の視線を集めてしまう。


 1度ネリーに「もう少し控えめに」と頼んだら、「私たちはメイ坊ちゃまの作られたドレスに合わせているだけです」と言われてしまい、引き下がるしかなかった。

 他の男たちの目を惹きたくないからパティに適当なドレスを着せるなんて、ドレス職人としても夫としてもありえない。

 そんなわけで、僕という夫が常にべったり張り付いているのだから他の男は近づけないとか、パティの素顔は僕しか見られないのだと、社交に出るたび自分を宥めている。


 そういえば、相変わらず工房に入るドレスの注文が多いので、師匠は縫製係も新たにふたり雇った。

 今は「幸せのドレス」の噂は下火になった代わりに、「あのバリー子爵夫人が着ているドレス」として注目を浴びているせいだ。


「メイナード様、ちょっと近すぎます。大勢の方がいらっしゃるのですから」


 僕の葛藤に気づいてくれないパティは困ったように僕を見つめた。


「大勢の方にこれ以上パティを見せたくない」


 愛称呼びをして本音を晒すと、彼女は眉を寄せた。


「見られているのはメイナード様のほうではありませんか。ここに来てから私がどれだけ令嬢方に睨まれたか、わかりますか?」


「パティしか見てないからわからない」


 僕が結婚すれば粉をかけていた令嬢たちも波が引くようにいなくなるだろうと思っていたのに、減りはしたけど皆無にはならなかった。

 僕はもうパティにしか興味がないのに。


 先日には、工房見学に来た令嬢もいたそうだ。ちょうど僕は不在だったけど。

 その令嬢は夜会でパティに会っていたにも関わらず、工房に彼女がいることには気づかなかったらしい。

 令嬢に限らず、僕がドレス職人だということは社交界でだいぶ知られていても、パティも同じ工房で働いていることはまだほとんど知られていないのだ。

 例のハミルトン嬢はあれから社交界に姿を見せていないようだし、色々考えればこのままの状態を維持したほうがいいということで、ノアと僕の意見は一致している。


 とにかく、令嬢方のことは今はどうでもいい。


「もう限界。そろそろパティをひとり占めさせて」


 いつもならクレアがベッドで眠りについて、僕はソファでパティを腕の中に閉じ込めている頃だ。

 僕の訴えでパティもそれに気づいたのか、頬がわずかに赤らんだ。

 今だにこの反応。僕の奥様、可愛い。


「それに今夜は、パティとふたりきりで行きたいところがあるんだ」


 耳元で囁くとパティの肩がピクッと跳ねて、耳朶まで赤くなった。

 以前、「パティは耳が弱いよね」と言ったら、「メイの声に弱いんです」なんて返されたことがある。


 少しだけ離れてパティを見下ろすと、彼女は小さく頷いてくれた。




 パティをエスコートして大広間を出た。

 彼女に戸惑う様子はないから、行き先に見当はついているのだろう。


「あ、せっかくだし、抱っこして行こうか?」


「結構です」


 目的地はすぐに見えてきた。

 そこにいたおそらく昨年と同じメイドが、僕たちを見て昨年と同じ客間の扉を開けてくれた。


 中に入ると、パティはぐるりと部屋を見回した。


「変わってない」


「部屋は、ね」


 後ろからパティをぎゅっと抱きしめると、僕の腕に彼女の手が重ねられた。


「この部屋が空いていてよかったですね」


「実は、アシュリーに頼んで空けておいてもらったんだ」


「なるほど。さすが、抜け目がないですね」


 どういう意味の「さすが」なのかが気になるところだけど、とりあえず良い意味だと思っておこう。


 しばらく目を閉じて、パティの匂いや布越しに感じる体温を堪能する。でも、これだけじゃ足りない。


「ねえ、パティ」


「はい?」


「不埒なことしよっか?」


「駄目です」


 間髪入れずに返された。


「どうして? 僕はドレスをきれいに脱がせて元どおりに着せてあげられるよ」


「ドレスはできても、髪や化粧は戻せませんよね?」


「……はい」


「それに、私たちがあまり長く姿を消していたらノア様たちが心配します」


 ああ、去年は叱言をもらったっけ。


「大丈夫だよ、今年は機嫌良いから。セアラの体のことを考えて早めに帰るだろうし」


 とはいえ、パティの髪や化粧が崩れないような形で手早く済ませるなんてことしたくないし、そもそも1度始めてしまえばそんな中途半端なことで僕が満足できるとも思えないから、やっぱり駄目だな。

 アシュリーには部屋を朝まで使っていいとも言われたし、クレアは別邸で預かってもらっているとはいえ、僕たちに朝帰りという選択肢はない。


 それにしても、パティの髪型を崩さないようにと思うと頭に頬擦りするにも気を使うし、紅が落ちるから口づけさえままならない。

 さっきパティには抜け目がないと褒められたばかりだけど、せっかく思い出の場所でふたりきりになれても完全に準備不足じゃないか。

 僕もコリンみたいに妻の髪を結ったり化粧をしたりもできるようにしておけばよかった。


 仕方ないので「屋敷に帰ろう」と口にしかけて、ふと1年前のことが頭に浮かんだ。

 毒花のドレスの鈕を外すためにパティの背後に立った時、その頸に触りたくて堪らなくなったこと。


 でも、今なら触れる。

 いや、実質的な夫婦になってからはふたりの時間に好きなだけ触ってきたから、もう何度触れたかなんて覚えていないほどなんだけど。


「え、メイ?」


 僕が徐にドレスの背中の鈕を外しはじめたので、パティが慌てた声をあげた。


「少しだけだから」


 この花びらのドレスは首まで覆う形になっている。つまり、パティの頸を他の人に見せない形だ。

 まだ名前も知らないうちから作っていたというのに彼女に対する独占欲丸出しのデザインなわけだが、幸いそのことにはノアさえ気づいていない。


 頸を露わにしたところで僕が手を止めたので、パティもそれ以上は抗議してこなかった。

 僕は指先で白く滑らかな頸をそっと撫でた。

 次には口づけを落とし、舌でペロリと舐めると、パティの体が小さく震えた。

 それに気を良くした僕がしつこく味わっていると、普段より艶めかしい声で「メイ、そろそろやめて」と言われた。


「あとちょっとだけ」


 僕はパティの肌に唇を寄せたまま応えると、素早くさらにいくつかの鈕を外し、背中の一番上、パティが普段着ているドレスでも隠れる場所にきつく吸いついた。パティの口から小さな悲鳴が漏れる。

 少し離れてそこが色づいたのを確認すると、もう1度だけ口づけてから手早く鈕をはめ、パティを体ごと振り向かせた。

 彼女は「もう」と怒ったように僕を見上げたけれど、このくらいのことで今さら僕に腹を立てたりしないだろうから、おそらく照れ隠しだ。


「ごめん。でも、初めて会った時も本当はパティにこうしたかったんだ」


「私はあんな酷い格好をしていたのに?」


「うん。酷い格好をさせられて、ひとりきりで、それでも自分の足でしっかり立とうとする健気さに惹かれたんだと思う」


 パティの頬に右手を添えて、短く口づけた。

 右手にパティの手が重なった。


「私は多分、この手です。倒れそうになっていた私を抱きとめてこの部屋まで運んでくれたかと思えば、次には針を取ってあっという間にドレスを直して。再会した時も、クレアを背負っていた私を迷わず支えてくれた。力強くて優しくて、美しいものを作り出すあなたの手に惹かれました」


 目を閉じて僕の手のひらに甘えるように頬擦りするパティが可愛いくて、もう一方の手で強く抱き寄せた。

 このまま視界の端に映るベッドに運んでいけないのが辛い。


「今夜は僕たちも早めに帰ろう」


 パティの耳に直接吹き込むように言うと、今度も彼女はコクリと頷いてくれた。

お読みいただきありがとうございます。

コーウェン公爵家シリーズもこれにて終了、のつもりだったのですが、いつか孫世代のお話も書くかもしれません。

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