おまけ2 工房見学
「今日の午後は大切なお客様が見学にいらっしゃるから、そのつもりで頼むよ」
始業前、アンダーソンさんからそんなお話があった。
お客様が見学なさることは時おりあるので、皆、特に表情を変えることなく「はい」と答え、それぞれの作業に取りかかった。
だが、しばらくしてアンダーソンさん、イーサンさん、メイが外に出ていくと、工房に残った縫製係の女性たちのお喋りはそれが話題になった。
「今日いらっしゃるお客様って、あの方々かな?」
「そろそろそんな時期ね」
「楽しみだわ」
意味ありげに笑い合う皆さんを見て、私は不思議に思った。
お客様が見学なさる時はご挨拶のために作業が中断されたり、お喋りできなかったりするので、いつもなら「楽しみ」などという言葉は出てこないのだ。
「あの方々、というのは?」
「毎年このくらいの時期に見学にいらっしゃるご夫婦だよ」
「何回もいらしてるのに、毎回すごく熱心に見てるよね。特に旦那様が」
「奥様は作業の邪魔をしないように気を使ってくださって」
「それで、必ず美味しいお菓子を差し入れてくださるの」
皆さんの説明を聞きながら、私は心の中で頷いた。
はい、今日見学にいらっしゃるのはそのご夫婦です。
実はすでに数日前、私は当のお客様ご本人ーーお義父様から見学にいらっしゃることを聞いていたのだ。
お義父様はかなりソワソワしたご様子だった。
おふたりがメイのご両親であることはアンダーソンさんご一家はもちろんご存知だが、縫製係の皆さんには話していないそうなので、心苦しいが私も黙っておいた。
昼過ぎ、お義父様とお義母様が工房にやっていらっしゃった。
お義父様のお顔は、数日前から今日の見学を楽しみにしていたとはとても思えないようなまったくの無表情。
でも、あのお顔は人見知りで特に女性が苦手なお義父様がそれでも社交から逃げなかった結果なのだと、今では私も知っている。
おふたりがしっかり手を繋いでいらっしゃるのも、お義父様の緊張を少しでも和らげるため。
何も知らない人がそれを見て、仲睦まじいご夫婦だと思ったとしても間違いではないけれど。
私たちはいつものように立ち上がり、頭を下げておふたりをお迎えした。
「お邪魔して申し訳ありません。どうぞお仕事を続けてください」
柔和な笑みを浮かべたお義母様の言葉を受けて、皆さんと同じように椅子に座り直して作業を再開しつつ、私はそっとおふたりのほうを窺った。
お義父様のお顔にわずかながらガッカリしたような寂しそうな表情が浮かんでいた。
工房にメイがいないからだ。
メイはおふたりがいらっしゃる少し前に外に出てしまった。
お義母様のほうは「仕方ない」というような諦めが感じられるので、これも毎回のことらしい。
そんなことを考えているうちに、お義父様と目が合った。
お義父様は微かに笑われてから、お義母様を振り向き何かを囁いている様子だった。
お義母様も私を見て目を細め、それからアンダーソンさんのほうに向いた。
お義父様は本当に熱心にドレス作りの見学をなさった。
工房で行われているドレス作りの手順を1つ1つ確認していくように、ひとりひとりの作業を追っていく。
ほぼ女性が占める空間にいらっしゃることも忘れているのか、興味津々の表情で前のめりに針が動く様を見つめる。
他のお客様なら縫製係の仕事は熟練の数人を見るくらいで私は素通りされるのに、お義父様はしばらくご覧になっていた。
視線は私の手元に固定されていたので、それが私であると気づいていらっしゃらなかったかもしれない。
お義父様が見学に集中されている間、お義母様はお義父様の手を握ったまま1歩後ろに立って作業を眺めていらっしゃった。
そのお姿に、私自身が外出先で何かに好奇心を刺激されたクレアが突然駆け出したりしないようしっかり手を握っておくのを思い出し、失礼ながら微笑ましくなった。
他の方の5倍は時間をかけた見学を終えてお義父様とお義母様が工房を後になさると、私たちは休憩しておふたりの差し入れであるナッツクッキーをいただいた。
このクッキーは少し前にお義父様が買ってきてくださり、とても美味しかったのでまた食べたいと密かに思っていたものだ。
お義父様はそれに気づいていて差し入れに選んでくださったのかもしれない。
皆さんにも「美味しい」と好評だった。
嬉しい気分で2枚めに手を伸ばそうとした時、「ねえ、パティ」と声をかけられて振り向いた。
工房からの帰り道、荷馬車の御者台でメイに尋ねた。
「どうしてお義父様とお義母様にお仕事しているところを見ていただかないんですか?」
メイの横顔に気まずそうな色が浮かび、少しの間の後、彼は質問を返してきた。
「父上と母上、どんな様子だった?」
「お義父様は寂しそうに見えました。お義母様は仕方ないという感じでした」
「そっか」
言葉を交わしながら、メイが以前にも誰かと似たようなやり取りをしていたのを思い出した。
彼は決してご両親のことが疎ましくて軽んじているわけではないし、きっとお義父様とお義母様もそれを理解していらっしゃるだろう。
だから、私がこんなことを言うのは余計なお節介なのかもしれない。
「おふたりともとても熱心に見学なさっていましたが、作業の妨げにはなりたくないというお気持ちも伝わってきました。工房にメイがいてもそれは変わらなかったと思いますが」
「うん。……だからこそ、かな」
メイは首を傾げた私のほうをチラリと見て、再び視線を道の先に戻した。
「僕はドレス職人を自分の天職だと思っているし、この仕事に誇りを持ってる。でも、工房では身分や家のことを曖昧にしているから、父上と母上の息子だって堂々と名乗れない。それが申し訳なくて」
ああ、やはりメイはご両親が大好きで、だから心を痛めているのだ。
「メイはご自分がドレスを作っている時にどんな顔をしているか知っていますか?」
「え? どんな顔?」
戸惑ったらしいメイに、私はにっこり笑って言った。
「とっても良い顔です。すごく真剣なのにどこか楽しそうで、目が輝いています。おふたりが本当にご覧になりたいのはメイのその顔だと思います。私は、いつかクレアにもそういうものを見つけてほしいです。そして、その時はきっと、私もおふたりと同じことをします」
メイがフッと笑った。
「そうだね。僕もクレアのそんな顔、見たいな。例え、陰からこっそりとでも」
私の言いたかったことがメイにきちんと伝わったようで、ホッとした。
「それから……」
「何?」
「皆さん、おふたりがメイのご両親だと気づいていました」
「え、そうなの?」
「おふたりが帰られた後に訊かれて、私が咄嗟に言葉に詰まってしまったせいで確信になったようで。ごめんなさい」
「いや、否定しないでくれて良かった。それにしても、鋭いね。まあ、長い人だと10年近い付き合いだしな」
「メイはお義父様によく似てますから。顔立ちではなくて、雰囲気が。皆さんもそう言っていました」
メイが照れたように笑った。同じ話をお聞きになれば、きっとお義父様もこんな表情をされるだろう。
さらに、おふたりが見学にいらっしゃるたびメイが工房にいなかったのも皆さんに怪しまれた理由のようだが、メイには敢えて言わずにおく。
私たちの結婚式でメイのご両親を確認しようとしたが、当日はそんな余裕がなかったとも言っていた。
「それなら、もう次は観念するか」
メイが呟いた声は自嘲するようでありながら安堵も窺えた。




