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32 新たなはじまり

 長期休暇の間にアンダーソンドレス工房を埋め尽くしたドレスがそれぞれのお客様のもとに届けられると、ドレス作りは一段落という感じだった。

 都に戻られた方々から新たなドレスの注文も入ってはいたが、工房はしばらくの間、土曜日もお休みとなった。




 私たちの結婚準備は着々と進んでいた。


 メイと私は本当に呼びたい人だけを呼んてこぢんまりとした式を挙げるのが理想だったがノア様に却下され、聖堂の席がすっかり埋まるほどの参列者を招くことになった。

 式の招待客の中には王太子殿下やアンダーソンドレス工房の皆さん、シェリルさんとガードナーさんもいらっしゃる。


 式の後にコーウェン家のお屋敷で開かれるパーティーは、さらに盛大なものになりそうだ。

 パーティーはメイと私の結婚だけでなく、メイがバリー子爵家を興すことをお披露目する場にもなるのだからそれも当然だった。

 でもノア様によれば、コーウェン家が私とクレアを新しい家族として歓迎していると示すことが最大の目的だという。

 パーティーのほうにはローガン伯爵兄妹もお招きした。


 メイは私が結婚式で着る純白のウェディングドレスのほか、空色のパーティードレス、そしてクレア用には白と空色を重ねたドレスを作ってくれた。




 クレアに関しては、長期休暇が明けて間もなく愕然とする事実を知った。


 メイと一緒に出た夜会で謝罪を受けた元同級生から実家に招待状が届いて、同年代の女性が集まるお茶会に参加した時のこと。

 出席者が既婚者ばかりだったので話題は自然とそれぞれの夫のことになり、私もメイとの馴れ初めなどを尋ねられて差し障りのない範囲で答えた。

 そして次にはひとりの方が子どもの話題を口にしたのだが、なぜか他の方々が気遣うような表情で私のほうを窺った。

 理由がわからずに首を傾げつつ私もクレアのことを話すと、今度は皆様が驚いた顔になった。


「パトリシア様、お子様がいらっしゃったのですか?」


 そう言われて、クレアの存在は世間にはほとんど知られていなかったのだと私はようやく気がついた。


 確かにクレアが生まれた時、ローガン家ではお披露目のようなことは一切されなかった。

 元侯爵子息が周囲に何も話さなかっただろうことは想像に難くない。元侯爵はあまり私的なことを口にする人ではないだろう。

 元侯爵夫人は私が娘を産んだことよりも、息子を産まなかったことを強調して、駄目な嫁だと貶していたかもしれない。

 結果、私と元侯爵子息が離婚に至った原因の1つは子どもができなかったことだと勘違いしている人も少なくなかったようだ。


 ちなみに、離縁の手続きをするにあたってノア様が確認したところ、宮廷に保管されている貴族籍簿にはクレアの名前がきちんと記載されていたそうだ。

 宮廷にクレアの出生を届けたのは元侯爵なのだろうか。


 私は結婚式やパーティーでクレアの存在を公のものにしようとしてくださっているノア様の意図を理解した一方、あの人たちに対しては今さら腹を立てる気にもならず、メイがクレアをとても可愛がってくれ、クレアもメイによく懐いていると笑顔で話したのだった。




 そんな中、タズルナのシャーロット様とメルヴィス様から結婚祝いの品々が届いた。

 同封されていたシャーロット様のお手紙には、結婚式に参列できなくて残念だということや、私やクレアに会うのを楽しみにしているということなどが書かれていて、温かい気持ちになった。


 荷物の中にはクレアのための人形や絵本などもあった。

 クレアはさっそく「読んで」と絵本を差し出してきたが、当然のことながら頁を開くとタズルナ語が並んでいた。

 この国の貴族にとってタズルナ語は身につけるべき教養の1つであり、学園でも必修科目だったが、学園を卒業してから私がそれを使う機会は1度もなかったので、あまり自信がなかった。


 ところが、たじろいだ私の手から絵本を受け取ったメイは、スラスラとそれを読んでみせた。

 ただ、彼の膝の上にいるクレアはタズルナ語が理解できずに目をパチクリさせていた。

 するとメイはエルウェズ語に訳してもう1度読んでくれた。


「メイもタズルナ語ができるんですね」


「うん。話すのと読むのだけで、書くのは苦手だけど。昔、父上に習ったんだ」


 家族が留学したり嫁いだりするくらいだから、メイにとってタズルナは身近な国だということか。


「クレアも父上に習うといいかもね。タズルナにも従姉妹がいるわけだし。まあ、向こうもエルウェズ語を教わるだろうけど」


 お手紙にもふたりのご令嬢のことが書かれていた。

 きっと会える日はそう遠くないだろう。


「できたら私も一緒に教えていただきたいです」


「それはいいけど、あまり無理しないでね。パティは他にもたくさん勉強中なんだから」


 メイはわずかに眉を寄せてそう言った。




 いよいよ結婚式当日がやって来た。


 夜会の時と同じくネリーともうひとりのメイドの手によって、私は花嫁として隙なく仕上げられた。

 メイとお義父様の話し合いでデザインが決められ、メイが中心となってアンダーソンドレス工房で作られたウェディングドレスは本当に素晴らしいものだった。

 アリス様が施してくださった刺繍はとても細やかで華やかで、初めて目にした時には鳥肌が立ったほどだ。


「おかあさま、きょうもおひめさまね」


 そう言って褒めてくれたクレアも、白と空色のドレスを着てすっかりおめかししていてご機嫌だった。


「ありがとう。クレアも可愛らしくしてもらったわね」


「うん」


 少し離れたところからクレアと私の姿を目を細めて見つめていたメイが、満足そうな顔で近寄ってきた。

 もちろん、メイも花婿の正装姿。相変わらず素敵な貴公子振りだ。


「クレア、今日は何があるんだっけ?」


「おかあさまとおとうさまのけっこんしき」


「正解。今日のお母様は花嫁とも言うんだよ」


「はなよめ?」


「お父様は花婿よ」


「はなむこ」


「結婚式は、花嫁が花婿だけの特別なお姫様だって神様や皆に知ってもらうためにするんだ」


 メイがいたって真面目な顔でそんなことを言うので私は面映くなったが、クレアは納得したような表情で頷いた。


「じゃあクレアは?」


「クレアは、お父様とお母様の大切な大切なお姫様だよ」


 メイに勢いよく抱き上げられて、クレアが歓声をあげた。


「そろそろ行こうか。きっと皆、花嫁を待ちわびてる」


 メイの言葉どおり、玄関ホールに出るとすでに皆様が揃っていた。

 お義父様とお義母様、ノア様とセアラ様、アリス様と今日は家族として式に参列してくれるコリン、ソフィアとエルマー、ルーカス。お留守番になるミリアムは乳母に抱かれて眠っていた。

 そしてほとんどの使用人たちの顔も見えた。


 皆様の視線が一斉にこちらに向けられ、感嘆の声があがった。


「パティ、とても綺麗だね。こんなドレスを作れるなんて、やっぱりメイはすごいな」


 お義父様は心なしか涙ぐんでいらっしゃった。


「父上や工房の皆のおかげです。それにアリスも、ありがとう」


 メイが頭を下げるのに私も倣った。

 アリス様は「どういたしまして」と微笑んだ。




 お義父様とお義母様、ノア様とセアラ様も結婚式を挙げたという教会に到着すると、一旦メイとは分かれてそれぞれの控室に入った。


 しばらくするとお父様とお母様、スコット、ダイアナ、そしてイザベルが顔を見せてくれた。

 といっても、家族が領地に帰っていた長期休暇中を除けばほぼ毎週のように行き来していたので、5人に会うのは数日ぶりだった。


 イザベルとダイアナは、部屋に入るなり目をキラキラさせた。


「パットお姉様、とても素敵です」


「本当。それにクレアも可愛いわ」


 緊張を感じはじめていた私は、家族の姿に少しホッとした。


「ありがとう。次はイザベルとスコットの番ね」


 イザベルは長期休暇前に正式にスコットの婚約者になっていた。結婚式は半年後の予定だ。

 ダイアナもマクニール家のヴィンス様ともうすぐ婚約を結ぶ。


「それにしても、パットはとっくにメイに嫁いだような気分になっていたが、そんな姿を見ると改めて実感するな」


 お父様が言うと、お母様も「そうね」と頷いた。


「長い間、心配かけて申し訳ありませんでした」


 私は両親に向かって頭を下げた。


「でも、今はとても幸せだから、安心してください」


「ああ、わかっているよ」


「私たちもメイを信頼しているわ」


 私と順に抱き合って、5人は控室を出ていった。




 家族の次には、アンダーソンドレス工房の縫製係の皆さんが控室に来てくれた。

 私の姿を見て、皆さんは目を丸くした。


「パティ、だよね? 何だか別人みたいだけど」


「でも、ほら、あのドレス」


「ああ、うちの工房で作ったドレスだ」


「クレアもいるし、間違いないね」


 そんな言葉を交わしながら近づいて来た皆さんに、私は思わずクスリと笑ってしまった。


「皆さん、今日は来てくださってありがとうございます」


「おめでとう、パティ。だけど、本当に私たちが来てよかったの?」


「もちろんです」


「アンダーソンさんたちはメイのほうに行ったんだけど、偉そうな人たちがたくさん集まってるから私たちには近づきにくくてさ」


「メイって、思ってた以上に良い家の息子なんだね」


「でもさ、毎日ドレスを縫ってるのに、こうしてそれが着られているところをしっかり見るのは初めてかも」


「確かにそうだ。結構嬉しいものだね」


「パティ、よく似合ってるよ」


 しばらくの間、普段のお仕事中とあまり変わらぬ雰囲気でお喋りが続いた。




 式の開始時間が迫るとメイが迎えに来てくれて、一緒に聖堂の入り口に向かった。

 メイと私の間には、いつものようにクレアがいた。

 花嫁はお父様にエスコートされて花婿のもとまで行くのが本来の形だろうが、私はクレアと手を繋いで歩くことにしたのだ。


 やがてゆっくりと扉が開かれ、その向こうに参列席を埋め尽くす方々が垣間見えた。


「じゃあ、先に行って待ってるね」


 そう言って、一足早くメイが歩き出した。

 緊張した様子の欠片も見えない堂々とした姿はさすがだった。


 1度閉じられた扉が再び開いた。今度は私たちだ。

 たくさんの視線と密やかな騒めきを感じつつ、祭壇の手前で真っ直ぐに私たちを見て立っているメイだけを見つめた。

 クレアの手をしっかり握りなおし、「行きましょう」と声をかけて足を踏み出す。

 が、クレアがその場に足を踏ん張って動かなかった。


「クレア?」


「いかない」


 クレアは隠れるように私の後ろに入ってしまった。

 たくさんの知らない方々に一斉に見つめられて、怖気づいてしまったようだ。

 その気持ちはよくわかるが、こうしているわけにはいかない。


「大丈夫よ。向こうまで行けばお父様たちがいるから」


「いや」


 クレアがドレスを掴んでいるようなので私は下手に振り返ることもできなかった。


 歩き出そうとしない私たちに、先ほどとは違う騒めきが聞こえはじめた。

 扉に近い席にいたアンダーソンドレス工房の皆さんはクレアに身振り手振りで声援を送ってくれているが、クレアには見えていないだろう。


 その時、メイがこちらへと歩いてくるのが見えた。

 メイは私たちの傍まで戻ってくると、屈んでクレアを覗き込んだ。


「クレア、おいで。一緒に行こう」


 メイが戻ってきたことに気づいたクレアは、私のドレスの陰からおずおずと顔を出した。


「だっこ」


「うん、抱っこするよ」


 メイが両手を伸ばすと、クレアはそこに飛び込んでいき、メイの首にしがみついた。

 クレアをしっかりと片手で抱き上げたメイは、もう一方の手を私に差し出した。

 私は迷わずその手に自分の手を重ねるとメイと微笑み合い、彼と並んで改めて歩き出した。

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