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29 事前の準備と練習

 長期休暇が近づくにつれ、メイと私は俄かに忙しくなった。


 以前聞いたとおり、アンダーソンドレス工房には次シーズンに向けた新しいドレスの注文がたくさん入ってきている。

 その中には秋以降に結婚式を挙げる方々のウェディングドレスの注文もいくつかあった。


 メイはクレア用の赤いドレスを作り上げると、休む間もなく私のウェディングドレスを作りはじめた。

 一応このドレスもコーウェン家から工房に注文した形になっていて、一部の作業は工房で行われるが、ほとんどはメイが作るつもりだという。


 もちろん、私もできるだけ手伝いたい。

 私自身が身に纏うドレスなのに手伝うというのも可笑しな話だけど。




 メイと私はドレス作りばかりに集中してもいられなかった。


 メイが結婚と同時にノア様が持つバリー子爵位を譲られることになったのだ。

 そのため、メイと私は夜や休日には領地経営についてノア様やお義母様から教えていただいていた。


 同じ領地経営でもコーウェン家とローガン家ではやり方が違うし、領地によってそれぞれに特色があるので改めて学ぶことばかりだった。

 特にバリー領はごく最近コーウェン家の領地になったということで、ノア様もまだ調査中のようだ。


 ドレス作りに比べてメイも苦労していたが、さすがに公爵弟だけあって領主として責任を背負う覚悟は決めていて、ノア様やお義母様の指導に必死にかじりついていた。


「僕ももちろん精一杯頑張るけど、パティのこと頼りにしてるから」


「はい。一緒に頑張りましょう」


 ノア様をはじめ私たちを助けてくださる方はたくさんいるし、メイと一緒にやっていくのだからきっと大丈夫だと、私はわりと楽観的だ。


 バリー領は元はセアラ様の本来のご実家の領地だったそうだ。


「ふたりに任せてしまって申し訳ないけれど、領地と領民をよろしくお願いします」


 そう言って私たちに頭を下げられたセアラ様の複雑な気持ちは、私にもわかる気がした。

 ローガン元侯爵夫妻や子息とは2度と関わりたくないし、ローガン伯爵にクレアを跡継ぎにしたいと言われてきっぱり断ったけれど、ローガン領や領民がどうなっても構わないとはまったく思わない。

 私は書類上ではあっても4年半ほどあの地の経営に関わったのだ。

 今はただ、伯爵とラルフが上手く治めていってくれることを願う。


「セアラはコーウェン領主夫人としてしっかりやってくれてるんだから、こっちは僕たちに任せて」


 セアラ様に胸を張ってみせたメイに合わせて、私も笑って頷いた。多少の虚勢はある。

 それでも、ふたりでバリー領をしっかり治めていくことで少しでも恩返しをしたい。




 さらに私たちはダンスの練習もしなければならなくなった。

 社交シーズンが終わる前に、ふたりで夜会に参加することにしたのだ。

 私たちの1番の目的は花びらのドレスを着ることだけれど、婚約を公にするために「ふたりで何曲か踊ってこい」とノア様から指示された。


 実際にメイと一緒に踊ってみると、練習が必要なのは私だけだということが明らかになった。

 ダンスをするのが5年振りの私は、昔は踏めたはずのステップが上手く踏めなくて悪戦苦闘してばかり。

 対してメイはダンスがとても上手だった。きっと夜会のたびにたくさんの令嬢たちと踊ってきたのだろう。

 何となく悔しくてできないところを繰り返していると、疲れてますます足が動かなくなる悪循環。それなのにメイは余裕の顔だ。


 そうしていると、いつの間にか私たちの練習を見に来ていたクレアとエルマー、ルーカスが、手を繋いで踊りはじめた。

 もちろんステップも何もない滅茶苦茶なダンスだけど、本人たちはとても楽しそうに笑っていて、私もメイと一緒に笑ってしまった。


「やっぱりダンスはあんな風に楽しまないと」


「はい。でも、本番までもう少し練習します」


 それからも私は時間の空いた時にはダンスの練習をした。

 毎回、メイも付き合ってくれた。彼にとっては、頭を使うことが増えたので良い気分転換になるのだとか。




 夜会を2日後に控えた夜、ノア様に呼ばれてメイとふたりで談話室に向かった。


 ノア様は今回の夜会には行かれないので、てっきり会場でお会いしたらご挨拶すべき方や注意事項を教えてくださるのだろうと思っていた。

 しかしノア様が私たちを前に話しはじめたのは、駆け落ち騒動について今の社交界でどんな噂が流れているのかだった。


 ローガン元侯爵子息とシェリル様が別離する結末になったことだけを取り出して同情する方は一握り。

 大多数の方々は、ローガン家の側だけが罰せられローガン元侯爵子息がすべてを失ったこと、さらにハミルトン家も処罰を受けたことで、駆け落ちではなかったのではと真相に近い推測をしているらしい。

 そして、メイと私が早々に婚約したことから若い令嬢方を中心に広まっているのが、より良い夫に鞍替えするために悪女パトリシアがすべてを仕組んだという説なのだとか。


 ほんの数か月前に自分が悪女だ鬼嫁だと噂されているのを耳にしたときには堪らない気持ちになったのに、今は感情を大きく揺さぶられることはなかった。

 隣にいたメイが、笑い飛ばしてくれたからかもしれない。


「僕はパティに誑かされたと思われてるってこと? だったら明後日はパティに夢中だって演技して、パティが他の男に目移りしないよう張り付いてたほうがいいのかな?」


「演技ではなく、そうしたいだけだろ。でも、とりあえずパティをひとりにはしないよう気をつけておけ」


「うん、そうする」


 どうやらノア様は私のことを心配して噂について教えてくださったのだとわかり、お礼を述べた。


 それにしても、若い令嬢方の噂話まで把握されているなんて、ノア様の情報網はどうなっているのだろうか。




 夜会当日は、メイと少し早めに工房の仕事を上がらせてもらった。

 急いでお屋敷に帰ると、私の部屋でネリーともうひとりのメイドが準備を整えて待ち構えていた。


 いざ花びらのドレスを前にすると心配になった。

 私は本当にこんなに素敵なドレスを着こなせるのだろうか。


 でも、グズグズしている暇などなかった。

 ネリーたちは手早く私にドレスを纏わせ、髪を結い上げ、化粧を施してくれた。

 諸々の思いを差し引いて考えても、ローガン家で働いていたメイドたちに比べて格段に手際がいい。


「よくお似合いです」


「さすがメイ坊ちゃまですね」


 私はふたりの言葉に励まされて恐る恐る姿見の前に立ち、目を瞠った。

 鏡の中に映っていたのは、まるで別人のように雰囲気の変わった私だった。

 普段より濃いめの化粧と華やかな髪型のおかげで、花びらのドレスは驚くほど私にしっくりと合っていた。

 コーウェン家のメイドは腕もいいのだと、改めて感心した。


 そこに身支度を済ませたメイがクレアを連れてやって来た。

 メイは扉を入ったところで足を止め、しばらくの間、目を細めて私を見つめた。


「いかがですか?」


 ネリーが焦れたように尋ねた。


「想像以上」


 メイは溜息混じりに答えると、私の前まで歩いてきた。


「ありがとう、パティ、このドレスを着てくれて」


「お礼を言うのは私です。本当にありがとうございます」


 メイドたちが最後の仕上げにアクセサリーを付けてくれた。

 セアラ様にお借りしたものだが、メイが見立ててくれたのでこれもドレスによく合っていた。


 ふと、いつもなら真っ先に褒めてくれるクレアが黙ったままなのに気づいてそちらを見ると、何だかポカンとした表情で私を見つめていた。


「クレア、どうしたの?」


「おかあさま?」


「うん?」


「お母様がいつもと違うから吃驚しちゃった?」


 メイに訊かれてクレアはコクリと頷いた。


「おかあさま、おひめさまみたい」


 おそらくクレアにとっては最上級の褒め言葉に、自然と顔が緩んだ。


「ありがとう」


「おとうさまはおうじさまね」


 いつもの調子を取り戻してきたクレアに、メイも顔を綻ばせた。


 正装姿のメイは、どこからどう見ても立派な貴公子だった。

 初めて出会った時以上に格好良く見えるのは、彼の中身も知ったからだろうか。


 貴公子はコホンと咳払いをすると、私に手を差し出した。


「では、そろそろ参りましょうか、姫」


 真面目そうな顔をしているけれど、目は笑っていた。


「はい、王子」


 私も精一杯表情を取り繕って、メイに自分の手を預けた。




 玄関ホールで皆様が見送ってくださった。

 今日はお義母様に抱かれたクレアも、駄々をこねることなく手を振ってくれた。


 近頃、クレアは工房に行かずに丸1日お屋敷で過ごす日もあるし、従兄姉たちと一緒に寝ることも増えた。

 先日などは、子どもたちが揃って別邸に泊まりに行った。

 さすがにお義父様やお義母様にご迷惑をおかけするのではないかと心配だったけれど、「孫のすることを迷惑だなんて思わないし、たまには孫の世話を焼きたいのだ」と仰っていただいて、お願いした。

 特に何事も起こらず迎えた翌朝、朝食までいただいて本邸に戻ってきたクレアは、「おばあさまがほんをよんでくれたの」とか「おじいさまはねたままごはんたべるの」などと笑顔で話してくれた。


 クレアは今夜もソフィアたちと一緒に寝ることになっていて、私は心置きなくお屋敷を出て馬車に乗り込めた。

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