挿話14
予想どおり父上と母上もパティとクレアを家族として受け入れてくれた。
母上と一緒にいると、パティが嬉しいのを懸命に隠して普段と変わらない態度を取っているのが可愛い。
でも、僕が隣にいるのに母上にばかりキラキラした目を向けられるとちょっと面白くない。まさか僕が母上に嫉妬する日が来るなんて。
クレアもあっという間に父上や母上に懐いてしまった。
ルーカスが帰ってきて遊び相手が増えたこともあってか、先日は「クレア、おうちにいる」と初めて自分の意思で僕たちと一緒に工房に行かなかった。
父上の腕に抱かれたクレアにニコニコしながら「いてらっしゃい」と手を振られて、ちょっと寂しかった。
それから、気になることがもう1つ……。
「この前頼まれた、おまえの使い途だが」
ある夜、ノアに呼ばれて部屋に行くと、そう切り出された。
「ああ、うん。何をすればいいの?」
「母上にも相談して、とりあえず爵位を持たせることにした」
「ええ、何で? 爵位はいらないって言ったのに」
ノアが父上からコーウェン公爵位を継ぐことになった時にも、そういう話は出た。
うちには功績を挙げたご先祖様方がいただいた爵位がいくつかあって、公爵位とともに当主が受け継いできた。
といっても、領地も伴うようなものは嫡男以外の子に譲られたりして、残っているのはどれも名ばかりの爵位だ。
その中で僕にという話になったのは、外交官だったお祖父様が周辺国との友好関係を強化したことに対して先々代の陛下から賜った爵位。
お祖父様の子は父上だけだから、その爵位を僕がもらっても何の不都合もないわけだ。
でも、僕自身はドレス職人に爵位は不要だと思ったから断ったのだけど。
「あの時と今とでは状況が変わっただろ。おまえひとりだけなら、いや、パティとふたりでもただの公爵弟のままでいいかもしれない。だが、クレアのことまで考えれば、どうだ?」
パティと結婚すれば、僕はコーウェン家の籍を抜けることになる。
それでも僕がコーウェン公爵弟であることには変わりないけど、公式には「コーウェン」を名乗れなくなり、ただの「メイナード」となる。
確かにクレアの将来を考えれば、爵位を持ったほうがいいのかもしれない。せっかく貰えるものがあるんだし。
何だかんだ言って、公爵家に生まれた僕は平民の暮らしを間接的にしか知らないのだから。
「ノアの言うとおりだね。でも、答えを出す前に1つ訊きたいんだけど」
「何だ?」
「どうしてノアまで『パティ』って呼ぶの?」
ノアが眉を顰めた。
「それ、ここで訊くことか?」
「このところずっと気になってたんだもん」
帰国した父上や母上、それに姉上たちが僕に倣って「パティ」と呼びはじめたのは、まあ仕方ないと思う。
だけど、いつの間にかノアやセアラまで「パティ」と呼んでいて、ソフィアたちも「パティ叔母様」になった。
叔父上たち親戚も「パティ」。うちの使用人たちも「パティ様」。さらに、最近は工房の皆まで「パティ」だ。
「パティ」は僕だけの呼び方だったはずなのに。
「僕が『パトリシアさん』で我慢していた横でさっさと『パット』呼びしてたくせに」
「おまえが勝手に我慢して、しかも無駄に終わったんだろ。もともと『パット』より『パティ』のほうがうちの家族らしい響きだと思っていたが、本人が慣れている呼び方をしていたのに、おまえに加えて父上たちまで『パティ』と呼びはじめたからだ」
「ふうん。まあ、いいけどさ」
僕も同じようなことを思って「パティ」を選んだのだ。
「それなら話を戻すが、爵位の件はもう陛下の了承も得ているからな」
僕に拒否権はなかったようだ。
「わかりました、兄上。ええと、バリー子爵、だよね?」
「そうだ」
ノアは立ち上がると、机の上から巻かれた大きな紙を持ってきて僕の前に広げた。エルウェズの地図だ。
その上に描かれた都からコーウェン領へと向かう街道をやや外れたあたりをノアが指差した。
「領地はこのあたりだ」
「……領地? 名前だけの爵位じゃないの?」
「つい先日までは名前だけだったが、少々事情があって領地がつくことになった。まあ、コーウェン領に比べれば小さなものだ」
小さくても領主になったら大きな責任が伴うじゃないか。
「事情って?」
「スウィニー家だ」
「スウィニーって、セアラの……?」
ノアが頷いた。
「あの家に借金があったことは知っているか?」
「いや」
「もともと事業が赤字続きでその穴埋めのために先々代のスウィニー伯爵が裕福なキャンベル家の娘を息子の妻に迎えた。しかし代替わりすると息子はキャンベル家からの援助を愛人のために使い、妻は蔑ろにした。妻の死後、その兄である男爵は援助金の返済を求めた」
僕は思わず「自業自得」と呟いた。
亡くなった妻というのがセアラの母上のはずだ。セアラの伯父上にあたるキャンベル男爵とうちとは交流がある。
ノアがスウィニー前伯爵を義父とも思わないのは当然のことだろう。
「婿入りした現伯爵が爵位を継いですぐに事業と都の屋敷を処分して借金の返済に充てたが、完済はできなかったらしい。それなのに贅沢に慣れた愛人母娘を諫めることもできず再び借金が膨らみ、夜逃げを考えるような状況にまで来ていた。それを知った分家筋が恥を忍んで陛下に泣きつき、キャンベル家に債務をすべて肩代わりしてもらう代わりに領地を譲り、さらに名ばかりの男爵に降格されることでスウィニーの名は残ることになった」
「伯爵が領地を捨てて夜逃げって、本当に恥だね」
「そのあたりは当主の資質のなさというか、やる気のなさもあるだろうが……。で、キャンベルの伯父上はスウィニー領は本来セアラが継ぐはずだったのだからセアラに譲りたいという希望だったんだが、セアラにはその意思がない。だから半分は伯父上の次男が治めて、もう半分はとりあえず私に譲る、と」
「キャンベル男爵としたら、セアラが駄目ならその子にってことなんじゃないの? 僕でいいの?」
「本音はそうだろうが、こちらの好きにして構わないということだから、おまえが治めろ」
「それにしても、せっかく手に入れた領地の半分をただで譲るなんて、キャンベル男爵はずいぶん豪快だね」
「ただではない。今後50年はバリー領で収穫される小麦のうち一定量を優先的にターラント商会に卸すことになる」
ターラント商会というのは、キャンベル男爵が経営している国内屈指の大商会だ。
「なるほど。さすが商人」
「スウィニー領は良質な小麦の産地だ。事業など起こさずに手堅い領地経営だけをしていればこんなことにはならなかったはずだ」
「ターラント商会との契約は、こちらとしても悪い話じゃないってことか」
「むしろ、それがあるからこそおまえに任せられるな。もちろん信用できる人間を領地に置くし、ジョナスは補佐役ができる程度には仕込んである。何より、パティを使わないのはもったいない」
ノアが使いたいのは僕よりパティということか。
工房の帳簿付けに関しては、イーサンさんも似たような評価だったっけ。
パティもそういう仕事が嫌いじゃなさそうだからいいけど。
ドレス職人と領主を兼ねるなんてものすごく大変だろうだけど、こうなったらやるしかない。
「僕のことも仕込んでくれるんだよね?」
「ああ、今年は長期休暇も都に留まるからな。母上も協力してくださる」
結婚準備もあるし、忙しい夏になりそうだ。
「そう言えば、領地を失ったスウィニー男爵たちは今どうしてるの? まさか、都に戻ってないよね?」
僕の問いを、ノアは鼻で笑った。
「まさか。分家筋の領地にでも行ったんじゃないか。いずれはスウィニーの名も分家が名乗るかもな」
言葉尻だけならあくまで推測を語っているはずなのに、断定に聞こえた。
ノアの笑顔がちょっと黒く見えることも考え合わせるに、裏で何かしら手を回したのかもしれない。愛する妻のためならそのくらいやる人だ。
もちろん僕も、大切な姉の平穏が脅かされないことを願うよ。




