28 コーウェン家の日常
翌朝、メイとクレアと玄関ホールへ出ると、別邸からお義父様とお義母様がいらっしゃっていた。
お仕事に出かけるノア様とメイ、それに私をお見送りに来てくださったそうだ。
私がメイと同じくアンダーソンドレス工房で働いていることはおふたりもすでにご存知だ。
「おじいさま、おばあさま、おはよ」
私たちに続いてご挨拶したクレアを、今日もお義父様が抱き上げてくださった。
「おはよう。クレアも一緒に行くんだっけ。いいね、ドレス作るところを見られるなんて。よく見てきて、後でお話聞かせてくれる?」
「うん、いいよ」
お義父様は工房に見学にいらしたりしないのだろうか。
私がそんな疑問を口にする前に、お義父様はいつもどおりお仕事用のシンプルなドレスを纏った私を見て目を細められた。
「懐かしい」
「本当ね」
お義母様もにっこりと笑われた。
「ねえ、クレア、今度久しぶりにふたりだけでデートしよう」
「もちろんいいけれど、あなたは誰かに『一緒に行きたい』と言われて、連れて行かずにいられるのかしら?」
「う、それは……」
私はおふたりの会話を聞いて、恐る恐るメイを見上げた。
「まさか、これ、お義母様のドレスなのですか?」
「うん。昔、父上とのお忍びデートで着てたんだって。母上のって言ったらパティは着るの躊躇しそうだから黙ってた」
メイは悪びれる様子もなく言った。
確かにメイの言うとおりかもしれないけれど、おふたりの思い出のドレスを勝手に直してお仕事服にしていたなんて。
「申し訳ありません」
「別に構わないのよ。ドレスはやはり誰かが着てこそですもの」
お義母様がそう仰ってくださり、お義父様も頷かれた。
「パティもなかなか似合ってるよ。でも、もっと似合うのがよければ僕が選んであげるけど。クレアのドレスを買いに行く時にでも一緒に」
私は咄嗟に「いいえ」と首を振った。
お仕事用のドレスをわざわざお義父様に選んでいただくなんて畏れ多い。
「こちらを大切に着させていただきます」
「そう? 遠慮しなくていいんだよ?」
その時、ノア様方も玄関ホールにいらっしゃった。
ご両親と朝の挨拶を交わされたノア様に、メイが手にしていた書類を差し出した。
「これ、よろしくお願いします」
私もノア様に「お願いいたします」と頭を下げた。
「何、それ?」
お義父様がノア様の受け取った書類を見て首を傾げられた。
「婚約の届です」
「え、まだ出してなかったの? 何で?」
「パティが父上と母上に挨拶してからと言うので」
「そんなのいいのに。メイのお嫁さんも良い娘だな」
私は当然のことだと思っていたのに、お義父様はホロリとした表情をなさった。
「あ、だったら僕が陛下に渡してきてあげるよ。どうせ今日、帰国の報告に行くし」
「それなら、お願いします」
婚約届がノア様からお義父様の手に移り、私は改めて頭を下げた。
その日の夕方に帰宅した時にも、クレアとともにお義父様とお義母様が迎えてくださった。
別邸で暮らしていらっしゃるものの、本邸で過ごされることも多いようだ。
おふたりは陛下に婚約届をお渡しくださっただけでなく、王宮からの帰りに教会の予約までしていらっしゃって、メイと私は秋の初めに結婚式を挙げることが決まった。
2日後、お義父様とお義母様はクレアを含む孫4人を連れて街へお買い物に出られた。
おふたりは昼前にクレアを工房の近くまで迎えに来てくださった。
ほんの目と鼻の先までいらっしゃったのになぜ工房には寄らないのかと思っていると、休憩中にメイが教えてくれた。
「父上がここに来たら、買い物する時間がなくなりかねないんだよ」
お義父様はやはり工房に見学に来られたことがあって、かなり時間をかけて熱心にドレス作りの様子を眺めていらっしゃったのだという。
「多分、1年に1度くらいは来てるんじゃないかな。それでも遠慮していて、本当ならもっと頻繁に来たいんだと思う」
その日、工房から帰宅した私は山と積まれた購入品に怖れをなした。
でも、クレアのためにお義父様が選んでくださったドレスはどれもとても可愛らしいものだった。
さらにお義父様は私のためにも外出用と普段用と2着のドレスを買ってきてくださったのだが、私はその場にいなかったのにも関わらず、どちらも色もデザインもサイズもピッタリだった。
メイが「僕にもこれは真似できないんだよね」と口惜しそうに溢した。
私たちの新しいドレスは、ちょうど改装の終わった私たちそれぞれの部屋に運ばれた。
部屋には客間にあったものも移され、すっかり整えられていた。
クレアの部屋には本人が欲しがったチェストのほかに机や本棚などもやはり私が使っていたものが並んだ。
メイが私の実家から引き取ってから修繕に出してくれたので、どれも新品同様だ。
お義父様やお義母様が買ってくださった小物やおもちゃ、絵本なども置かれて、とても可愛らしい部屋になった。
クレアは初めて持つ私室に興奮気味で、部屋の中をぐるぐる回りながら、「これもクレアの」と様々なものに触れていた。
さらに子ども用のベッドを見つけると、「クレア、ここでねる」と宣言した。
私の部屋は可愛らしさもありながら落ち着いた雰囲気に纏められていた。
こちらにもベッドは置かれていたが、3人で寝ても余裕のあるメイの部屋のものよりずいぶん小さくて補助ベッドという感じだった。
「いらないかとも思ったんだけど。昼寝にでも使って」
このお屋敷に来てから私がお昼寝をしたのなんて最初の日だけだ、と口にするのはやめておいた。
私も今さらメイと別のベッドを使おうとは思わなかった。
その夜も、これまでと同じように3人でメイの部屋で過ごし、やはり3人でメイのベッドで眠ったのだった。
そして、週末。
「全体的には良いと思うんだけど、ここはもっとこんな感じにしたほうがパティには似合うんじゃないかな?」
「でも、そうするとこっちとのバランスが崩れてしまいます」
「ううん、確かに」
先ほどからテーブルのあちら側に並んで座ったお義父様とメイが、真剣な顔でああでもないこうでもないと意見を出し合っているのは私のウェディングドレスについてだ。
すでにメイは何通りかの案を描いていたようで、おふたりの前には数枚のデザイン画が並んでいた。
私の実家では同じようなことをイザベルとお母様、そこに時おりダイアナやイザベルのお母様が加わって話し合っているようだが、コーウェン家では完全に男性方の領分になっていた。
「パティ、いいの? 黙っていたらセディとメイがすべて決めてしまうわよ」
私の隣に座っていらっしゃるお義母様が優雅に紅茶を飲みながら仰った。
「いいのです。ドレスに関してはおふたりの目と腕を無条件に信頼することにしたので」
「そうね。私たちの時は私がまったく知らないうちに用意されていたのだけど、これ以上私に合うウェディングドレスはできないだろうと思うほど素晴らしかったわ。セディの意見を踏まえたうえで、アンダーソンドレス工房の先代がデザインしてくださったらしいのだけど」
お義母様が懐かしそうに仰った。
「もしかして、そのドレスもまだ残っているのでしょうか?」
「もちろんよ。あとで見せてあげるわ」
「是非お願いいたします」
私にとっては、こうしてお義母様と一緒にお茶をいただきながらお喋りできる時間がまだ夢のようで、ふわふわした気分だった。
ちなみに、紅茶と一緒に出されているのはやはりお義父様が買っていらっしゃったあのクッキーだ。
お義父様はクレアだけでなく私にも好きなものはあるかと訊いてくださった。主に色やお菓子など。
すぐには応えられずにいると、「思いついたら教えて」と優しく笑われた。
「それにしても、帰国したらメイが毎日早く家に帰るようになっていて、さらにドレスを選んであげられる家族がふたりも増えたのだから、本当にセディは嬉しそうだわ」
そう仰ってフフっと笑うお義母様も嬉しそうに見えて、私まで嬉しい気分になった。
「メイは昔は親にべったりだったから、ドレス職人になるって言った時にはセディは今みたいにメイとドレス談義をできると期待していたのだけど、実際にはメイはさっさと親離れしてしまったのでがっかりしていたのよ」
「ですが、メイが今でもご両親を大好きなことは私にもすぐにわかりました」
「今は私たちよりパティとクレアを優先でしょう」
「それは、申し訳ありません」
「どうして謝るの。それが当然よ」
「ああ、それ良いですね」
「でしょう?」
「やっぱり父上の意見を聞いてよかった」
おふたりの間で意見がまとまったらしく、メイがデザイン画の1枚に何かを描き加えはじめた。
それをしばらく見守っていたお義父様が満足そうなお顔でこちらを見つめた。
「完璧なウェディングドレスができそうね」
「うん、楽しみにしてて」
お義母様と言葉を交わしながらも、お義父様は私にチラチラと視線を送ってこられた。
気になることがあるご様子だが、私にはそれが何かわからずに隣を窺えば、お義母様は苦笑を浮かべていた。
デザイン画から顔を上げたメイも気づいたようだった。
彼は可笑しそうな表情で、首を傾げていた私に手招きした。
「パティ、ちょっとこっちに来て」
私はソファから立ち上がってメイの傍に行った。
それを見て、お義父様もさっと立ち上がられた。
「パティ、ここに座って」
私に断る隙を与えず、お義父様は足早に移動して今まで私が座っていたお義母様の隣に腰を下ろされた。
そういうことかとようやく理解してお義父様にお礼を言い、私もメイの隣に座った。
指定席に落ち着いて、お義父様はさらに満足そうだった。
「ほら、どう?」
メイがウェディングドレスのデザイン画を見せてくれた。
「伝統的な形だけど、少しドレープを少なめにしてスッキリさせたんだ。その分、このあたりの刺繍を華やかにするつもり。アリスが張り切ってた」
「綺麗」
思わず溜息混じりに呟いた。
「気に入った? これに決めていい?」
「はい、お願いします」
「私にも見せてちょうだい」
メイはお義母様のほうへデザイン画を差し出した。
「本当に綺麗ね」
お義母様も感嘆したご様子だった。
「そういえばパティ、あなたのご実家に挨拶に伺いたいからご都合を聞いておいてもらえるかしら」
「はい」
「母上、実はまだパティの家族にうちに来ていただいていないので、近いうちにお招きしようと思っているんですが」
「それなら、お茶会にご招待しましょうか」
「そ、そうだね」
なぜかお義父様のお顔は強張っていた。
「パティの家族なら大丈夫だよね」
「大丈夫よ。オーティス伯爵は私たちも何度かお会いしているわ。それに確かルパートの友人だったわよね?」
「ルパートの?」
「ええ。そうだ、お茶会には姉上たちも招きましょうか?」
「顔見知りが多いほうがいいかもしれないわね」
それは私の両親に対してと同時に、お義父様に対する気遣いでもあるようだった。
そうして、翌週の日曜日に私のお父様とお母様、スコットとダイアナがコーウェン家にやって来た。
それから、マクニール侯爵夫妻とご子息のヴィンセント様、ジョシュア様も。
私の家族は夜会でコーウェン邸を訪れたことはあったもののこんな個人的な訪問はもちろん初めてで、とても緊張した様子だった。
それでも、先に到着なさっていたよく知る間柄のルパートお義兄様の姿を見て、お父様は少しホッとした顔になった。
だけど、私の家族以上に普段と様子が違ったのがお義父様だった。
笑顔は浮かべておられたけれど、かなり引きつっていた。
お茶会のためのお菓子の半分以上をお義父様が自らご用意してくださったと聞いていたので、私の家族を歓迎してくださっているのは間違いないはずだ。
「父上のあれはいつものことだし、少しすれば大丈夫だと思うから」
メイが私にそう囁いた。
実際、ルパートお義兄様を間に会話を交わすうち、お義父様とお父様の表情は徐々に柔らかくなっていった。
お義母様とお母様のほうもずいぶん打ち解けた雰囲気になった。
さらにダイアナもヴィンセント様と何か話をしていた。
あのふたりは学園の同級生だが、おそらく教室でそんな風に言葉を交わす機会はこれまでほぼなかっただろう。
ダイアナはとても楽しそうで、でも家族の前で見せるより淑やかに笑っていた。




