27 お出迎え
お散歩を終えて応接間に戻りしばらく、間もなく到着なさるという先触れが届き、私たちはお屋敷の玄関前に出た。
使用人たちも別邸で働く人たちまでほとんど顔を揃えていた。
やがて、門が開いて2台の馬車が入ってきた。馬車は徐々に速度を落とし、私たちの前で停まった。
コリンが歩み寄って1台の馬車の扉を開くやいなや、エルマーより少し大きな男の子が飛び出してきて迷わずコリンに抱きついた。
コリンは彼には珍しい笑顔で男の子を抱きとめつつ、馬車へと手を差し出した。
その手を取って微笑みながら降りてきたのは、思わず目を瞠るほど美しい女性だった。
「アリス伯母様とルーカスだよ」
メイがその腕に抱き上げていたクレアに教える。
「アリスおばさまとルーカス」
扉を押さえる役目がコリンから別邸の侍従に替わり、次にはマクニール侯爵が進み出ていかれた。
侯爵の手を借りて降りてこられたアメリア様も、以前お会いした時のまま美しかった。
「あれはメリー伯母様」
「メリーおばさま」
マクニール侯爵、それにご子息たちに迎えられて、アメリア様も輝くような笑みを浮かべられた。
そして、3番目に姿を現されたのがコーウェン前公爵だ。
お話の中で「美しい」と形容されていたご容姿は今も変わりなく、事前に聞いていなければアンダーソンさんと同年代だとは思えなかった。
前公爵は地に降り立つと振り返り、手を差し出された。
そのエスコートで馬車を降りてこられたのは、もちろん前公爵夫人だ。
「あれがセドリックとクレア夫人だよ」
「おじいさまとおばあさま?」
「そう」
この時ばかりは私も不安を忘れ、憧れの方のお姿をまた拝見できた感激で胸がいっぱいになった。
前公爵夫人は柔らかい表情でそこに居並んだ人々を見つめられた。
気のせいか、メイと並ぶ私にも笑みを向けてくださったように見えた。
前公爵もぐるりと周囲を見回された。
そのお顔はメイから何度も聞いた家族を愛する優しいお父様らしいものに見えて安堵を覚えた。
が、その目が私を捉えたと思った瞬間、前公爵は明らかに表情を強張らせて視線を逸らしてしまった。
やはりご家族とご親戚でお迎えする場に私とクレアがいるのは図々しいと思われたのだろうか。
しかもクレアをメイに任せてしまっている。
前公爵は夫人の意識も私から逸らそうとするようにその手を強く引いて、ノア様とセアラ様、ソフィアとエルマーのいるほうへ足を進められた。
おふたりが皆様と順に言葉を交わしていく様子を眺めながら、私はこのままここにいていいのかと悩んだ。
でも、私を選んでここに連れて来てくれたメイのためにも逃げ出すわけにはいかないと心を決めた。
いよいよ前公爵夫妻がメイとクレアと私の前にやって来られた。
前公爵のお顔からは完全に表情がなくなっていて、私とクレアを訝しむように見つめていた。
だけどメイはクレアを腕から下ろすと、前公爵の様子にまるで気づいていないかのように明るい声で言った。
「父上、母上、お帰りなさい」
「ただいま」
前公爵の声は硬かったが、続いた夫人はにっこりと微笑まれた。
「ただいま、メイ。今日はあなたもいてくれて嬉しいわ」
メイは少しだけ気まずそうな顔をした。
「ええと、お見送りの時はすっかり忘れてしまって申し訳ありませんでした。でも、あの日工房にいたおかげで彼女たちに会えました」
「あら、それではあまり叱言も言えないわね」
「紹介します。僕の妻になるパトリシアです」
いきなり「妻」という言葉を使って紹介されたことに怯みそうになりながら、おふたりに淑女らしく礼をした。
「パトリシア・オーティスと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
声が震えてしまったのは、もう仕方ない。
「よろしく」
内心で何をお考えなのかはわからないが、前公爵からお言葉をいただけたことに驚いた。
「こちらこそよろしく、パトリシア。オーティス伯爵のご令嬢なら、以前にも会ったことがあるかしら?」
「はい。社交界デビューした時にご挨拶させていただきました」
「そう。記憶が曖昧でごめんなさいね」
「いえ、とんでもないことにございます」
もう6年半も前のこと、しかも当時は公爵夫妻だったおふたりは大勢の方々から挨拶を受けられていたはずで、曖昧にでも覚えてくださっていたことがただただ嬉しかった。
だけど、気づけば目の前で前公爵がジッとクレアを見下ろしており、クレアのほうも興味深げに前公爵を見つめていて、ドキドキしてしまう。
クレアに何か言って止めるべきかと悩みかけた時、メイが屈んでクレアの両肩に手を置いた。
「それから、こちらはクレアです」
「クレア?」
前公爵の視線が鋭くなったように見えた。
やはりご不快だっただろうかと私は身が竦んだが、メイはいつものように自慢げに付け加えた。
「パティは子どもの頃から母上を尊敬していて、この名前を付けたんだそうです」
「まあ、それは光栄ね。クレア、どうぞよろしく」
前公爵夫人もクレアと目線の高さを合わせて仰った。
私はクレアに「おふたりにご挨拶して」と囁いた。
「おじいさまとおばあさま、はじめまして」
「初めまして」
そう応えてくださった前公爵は、心なしか表情が優しくなったような。
「父上、僕の娘にもドレスを見立ててもらえますか?」
メイが尋ねると、前公爵の目が見開かれた。
「うん、いいよ」
前公爵は前に踏み出したかと思うと、その腕にクレアを抱き上げられた。
あまりに自然な動作はどう見ても幼な子を抱くことにメイよりも慣れていた。
当然だ。メイだってこの方にこんな風に抱かれていたはずなのだから。
「クレアは何色が好きなの?」
私はノア様の仰っていたとおりだと思った。
前公爵は先ほどの無表情とはまるで別人のような満面の笑みを浮かべてクレアを見つめていた。
その表情はクレアに初めて「お父様」と呼ばれた時のメイと瓜二つだった。
髪の毛に癖があってふわふわしているのが唯一の共通点という感じで、顔立ちはあまり似ていないのに不思議だ。
「ええとね、あお」
「青か。じゃあ青のドレスは絶対に買おうね」
そう仰りながら、前公爵は体の向きを変えてお屋敷とは逆のほうへと歩き出した。
「セディ、どこへ行くつもり?」
前公爵夫人が穏やかに尋ねられた。
「もちろんドレスを買いに」
「父上、長旅を終えたばかりでお疲れでしょう。ドレスは急ぎませんので、とりあえずゆっくり休んでください」
メイが言うと、前公爵夫人も頷かれた。
「そうよ。皆もいるのだし、お買い物はまた今度にしましょう」
「それもそうだね」
前公爵は再び体の向きを変え、玄関へと向かわれた。
「お祖父様、お買い物は私もご一緒していい?」
「僕も」
「僕も行きたい」
ソフィアとエルマー、それにルーカスがクレアを抱く前公爵を囲んだ。
前公爵のお顔は、もはや先ほどの無表情が嘘だったように緩みきっていた。
私の中にあった不安も溶けてなくなった。
「それなら皆で行こうね。そう言えば、メイ、ウェディングドレスのデザインはもう決めたの?」
待っていましたという顔でメイが前公爵の傍に寄っていった。
「今考えているところです。今度、案をお見せするので父上の意見も聞かせてもらえますか?」
「うん、見せて」
子どもたちとともに屋敷へと入っていくふたりを眺めなから、私は小さく息を吐いた。
だがふいに「パトリシア」と呼ばれて慌てて振り向けば、隣に前公爵夫人がいらっしゃった。
「私たちも中に入りましょう」
「は、はい」
並んで歩き出すと、前公爵夫人が静かに仰った。
「本当にいいの?」
「え?」
「親の贔屓目で言えば確かにメイは優しくてとても良い子なのだけど、あのとおりセディによく似ているから結婚すれば苦労もすると思うわよ」
今までにメイに困惑させられたことを思い返せば前公爵夫人が仰りたいことは何となく理解できた。だけど……。
「大変失礼ですが、お義母様がお義父様とのご結婚を後悔なさっているようにはまったく見えません」
この呼び方で大丈夫かと思いつつ口にしたが、前公爵夫人に気にする様子はなく、ただ「そうね」と頷かれた。
「確かに後悔したことはないわ」
「私も、メイとならおふたりのようにいられると信じています」
私がきっぱり言うと、前公爵夫人……、お義母様は微笑んだ。
「パトリシア、あなたを歓迎するわ。何かあったら、私かセアラに相談してちょうだい」
「はい、ありがとうございます」
喜びで涙が込み上げ視界が歪んだ私の背に、お義母様がそっと手を添えてくださった。
玄関ホールに入ったところで少し前にいらっしゃったお義父様が「あ、思い出した」と声をあげて振り向かれた。
「パトリシア、前に会った時、クレアに告白したよね」
「……え?」
「『昔から憧れていました』って。うん、そうだそうだ」
15歳の私はそんなことを言ってしまったのか。
「ああ、そう言えば、そんなこともあったかしら。セディ、よく覚えていたわね」
「だって、僕の恋敵かと思ったから。でも、メイのお嫁さんになるなら、メイのほうが好きってことだよね?」
考えるより先に「はい」と頷いていた。
お義父様の隣でメイが笑い出すのを堪えるような顔をしていた。
「よかった」
安心したように笑うお義父様を見下ろして、クレアが首を傾げていた。
「おじいさまはセディなの? セドリックじゃないの?」
「セドリックだけど、家族とか仲良しの人は『セディ』って呼ぶんだよ。クレアも『セディ』って呼んでいいよ」
「セディおじいさま?」
「うん」
お義父様とクレアはニコニコと笑い合った。
私の傍に来たメイが耳元で「ほらね」と囁いた。
その夜は、お義父様やお義母様方が無事に帰国されたことをお祝いする食事会が開かれたが、同時にメイと私の婚約も皆様から祝福していただいた。




