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25 素敵な人

 私のいないところでメイとクレアが「今夜は3人で寝よう」と約束したらしい。

 それをクレアから聞いたのは、ノア様とご家族も揃った朝食の席だった。


 さらにクレアはどういう経緯でその約束が為されたかまで話してしまったため、昨夜、私がメイの部屋で寝たことまで知られてしまった。

 もちろん、同じベッドで眠っただけだと思ってくれたのは子どもたちだけだろう。


 今朝の騒ぎについては、どうやら気づかれたのはセアラ様だけだったようだ。

 ソフィアとエルマーはクレアが先に起き出して客間に戻ったことにも気づかず、起床時間まで眠っていたのだそう。


「ノアもこう見えて朝が弱いんだよ。毎朝、セアラとコリンが苦労してるんだ」


 私が気にしている半分の半分もメイは気にしていないようだった。


「父上ほどではないだろ」


「そこで競われてもね」


「ノアおじさまとセアラおばさまとコリンも3にんでねてるの?」


 クレアの問いに私はギョッとしたが、ノア様は目を細めて笑った。


「私とセアラのふたりだけだ。コリンにはアリスがいる」


「アリス?」


「メイの姉だから、クレアにとっては伯母様ね。ルーカスという子もいるの。もうすぐ会えるわよ」


 セアラ様も普段どおりの微笑みを浮かべていた。

 考えてみれば、ソフィアやエルマーにとってご両親が同じベッドで休むのは当然のことだろう。


「アリスおばさま。ルーカス。いまはいないの? コリンひとりでさみしい?」


「そう。ああ見えてコリンは寂しくて堪らないんだ」


 ノア様の言葉に、その後方でコリンが眉を顰めて主を睨んだ。




 そんなわけで、この日の夜も私は就寝準備を整えるとクレアを連れてメイの部屋に向かった。

 もはやお屋敷の中の誰もに知られているのだからこそこそしても仕方なく、開き直っていた。


 メイの部屋には朝にネリーが運んできてくれた私の身の回りのものがいくつか置かれたままになっていた。

 メイに「どうせ近いうちに隣に移ってくるんだからそのままでいいよ」と言われたからなのだが、それはつまりメイがクレアに「今夜は」と言いながら「今夜からずっと」と考えているということではないだろうか。

 そう疑いつつも私がメイに何も言わないのは、今までより長い時間をメイと過ごせることを密かに喜んでいるからだったりする。


 3人で並んでソファに座ればクレアが真ん中になるのがすでに自然な形だ。

 しかし、クレアにお願いされて絵本を読み聞かせているうちに、いつの間にかクレアはメイの膝の上にいて、メイと私の距離が詰まっていた。

 いつかメイに聞いた彼自身の子どもの頃の話を再現したような光景だ。


 絵本を読み終える頃には、クレアは船を漕ぎはじめた。

 メイが抱き上げてベッドまで運んでくれた。


「お休み、クレア。ぐっすり寝て良い夢を見るんだよ」


 いつも私がしているようにクレアの頭を撫でてから、メイは私の隣に戻ってきた。


 昨日の今日なので、ふたりきりになるとやはり気恥ずかしくて、メイのほうを見られなかった。

 同じ部屋にクレアがいるのだから昨夜のような流れにはならないとわかっているけれど、今までよりもメイの存在を強く意識してしまう。


 ふいに耳元で「パティ」と呼ばれて、胸の鼓動が跳ねた。


「口づけだけしてもいい?」


 私はメイを見ないまま、頷いた。

 メイの手が私の頬に添えられて、そっと顔の向きを変えられた。


 昨夜よりも穏やかに、味見の口づけをされた。

 それでも昨夜の記憶がある私の胸はバクバクして呼吸が乱れ、唇の隙間からメイの舌の侵入を許してしまう。

 けれど、メイは私の唇の裏側を舐めただけで離れていった。


「これ以上したら止まらなくなる」


 熱い吐息とともに漏れた言葉に思わず「はい」と同意してしまった。

 恥ずかしくて俯くと、メイの胸に抱き寄せられた。

 私の後頭部に添えられた手、服越しに感じる私より高い体温、それに少しだけ早い心音。すべてが心地良くて、そのままメイに身を預けた。


「まだ大人が寝るには早い時間だし、何か話でもしようか」


 メイは私の肩や背中をゆっくり撫でながら、話題を探しているようだった。

 私も何かないかと考えを巡らせた。


「そう言えば、メイに聞きそびれていたことがあったのですが」


「何?」


「メイのお祖母様も王宮の中庭で求婚なさったということでしたけど、お相手はもちろんお祖父様ですよね?」


「そうだよ」


「おふたりは王命による結婚ではなかったのですか?」


「ああ、違うよ。もともとお祖父様は先々代の陛下と親しくて、だからその妹であるお祖母様も幼い頃からお祖父様と顔見知りだったんだ。それでお祖母様はずっとお祖父様に片想いしていて、16歳の誕生日にあそこで求婚したんだって」


「一途で行動力のある方なのですね」


「うん。思えば、そこから我が家では結婚相手を自分で選んできたんだな」


「それでは、タズルナに嫁がれたシャーロット様も政略結婚ではなかったのですか?」


「あのふたりの場合は、どうしてもロッティと結婚したいメルに、ロッティが根負けした感じかな。ロッティ自身が決めたから父上も泣く泣く認めたけど、王命だったら絶対に頷かなかったと思う」


「泣く泣く……?」


「あ、比喩じゃないよ」


 それからメイは「ロッティとメル」が結婚に至るまでのあれこれを話してくれた。

 途中、私はここまで聞いてしまっていいのかと心配になったけれど、メイは「パティももう家族なんだから構わない」と言って続けた。


 私はお母様から「クレアとセドリック」のお話を聞いていた子ども時代を思い出した。

 でも、今の私がいるのはお話の中ではなく、確かな温もりを持ったメイの腕の中だった。




 翌朝、私が目を覚ますと隣ではいつものようにクレアが眠っていた。

 だけど、クレアの向こうにいたはずのメイの姿がなかった。

 一瞬驚いたものの、身を起こして振り返ると窓を覆うカーテンが少しだけ開けられ、その傍でメイがあの花びらのドレスに向き合って床に座り込んでいた。


 工房でドレスを縫うメイは、真剣な目をしながらも私や周囲にいる皆さんと会話を交わし、たびたび笑顔も見せる。

 でも、今、窓から差し込む朝日の中で針を動かす彼は神々しくさえ見えた。

 私は息を潜めてしばしメイの姿に見入っていた。


 やがて手を止めたメイが顔をこちらに向けた。

 私に気づくとその表情はたちまち緩んだ。


「おはよう、パティ」


「おはようございます」


「起きてたなら声をかけてくれればよかったのに」


「邪魔をしては悪いので」


「パティを邪魔だなんて思わないよ」


「そちらに行ってもいいですか?」


「いいよ」


 私はベッドを降りてメイに近づいた。


「いつもこんな時間に作っていたんですね」


「朝のほうが集中できるんだ」


「私にお手伝いできることはありませんか?」


「このドレスはひとりで作るって決めてるんだ。次はクレアのドレスを作ろうと思ってるから、その時はお願いするよ」


「はい」


 メイはドレスに視線を戻し、作業を再開した。私は少し離れたところから彼の横顔と手元を交互に見つめた。


「やっぱり、ただ見られてるのはちょっと照れるね」


 メイが手を止めることなく呟いた。


「ごめんなさい。改めて素敵だなと思って、目を離せなくて」


「いや、謝らなくていいんだけど。そう思ってくれるのは嬉しいし。今週中には出来上がる予定だから、これを着て一緒に夜会に行こう」


「はい。……でも、あの、ドレスももちろんとても素敵なのですが、私が言ったのはメイのことです」


 メイが勘違いしたようなので訂正すると、今度は彼の手が止まり大きな溜息が吐かれた。

 どうしたのかと思っていると、立ち上がったメイが大股で距離を詰めてきて私を抱きしめ、短く口づけた。


「朝からそういうことを言うのは反則だよ、パティ」


 反論するより早く、また口を塞がれた。




 その週の半ばになって、アンダーソンさん経由で思わぬ方からの手紙を受け取った。シェリル様だ。


「読まずに捨てても構わない、と言っていたよ」


 アンダーソンさんはそう仰ったけれど、私はシェリル様に対してそれほどの感情を持っていなかった。

 言うなれば、シェリル様もローガン家の被害者だ。

 ただ、一時は元侯爵子息と想い合っていたらしい彼女と、理解し合えるかはわからない。


 手紙はそう長いものではなかった。

 書かれていたのは私に迷惑をかけて申し訳なかったという謝罪と、これからはガードナーさんの妻として恥ずかしくない人間になりたいという決意、そして私の婚約を祝福する言葉で締められていた。


「シェリルさんはガードナーのところに来た時には自分の名前くらいしか書けなかったらしいが、今ではこんな手紙まで書けるようになったんだな」


「そうだったのですか」


 改めて文面を見ると、私と同年代の女性の手にしては拙い文字だが、丁寧に書かれていることは窺えた。


「簡単な計算も覚えて、最近は商いの手伝いもしているそうだ」


 その点では、ローガン元侯爵の言ったとおりだったわけだ。


 本当の夫婦になることを望んでガードナーさんのもとに戻ったシェリル様が、ローガン元侯爵子息に対して現在どんな気持ちを抱いているのかはわからない。

 でも、彼女も過去に捉われることなく前を向いて進んでいってほしい。

 そんな希望を込めて返信を綴った。




 日曜日、メイとクレアと私は約束していたピクニックに出かけた。

 もう誰の目も気にする必要がなくなったということで、場所は都の中心にある大きな公園になった。


 メイの提案で実家の家族を誘ったところ、両親と弟妹だけでなく、もうすぐスコットの婚約者になる伯爵令嬢のイザベルまで来てくれた。

 私はイザベルとは初対面ではないが、最後に会ったのは彼女がまだ10歳を超えたかどうかという頃だった。


 昔はどちらかといえば活発な印象だったイザベルは、すっかり淑女らしくなってメイや私に挨拶してくれた。

 昔のままなのは、私を「パットお姉様」と呼ぶことくらいだろうか。

 そう思っていると、スコットが意味ありげに笑った。


「あのこと、私から姉上に話そうか?」


「駄目よ」


 一瞬だけスコットを睨んだ顔は子どもの頃を彷彿とさせた。


「パットお姉様」


 イザベルはやや畏まった表情で私を見つめた。


「はい」


 私は何を言われるのかと少し緊張して居住まいを正した。


「子どもの頃から大好きでした」


「……はい?」


「私の兄弟は男ばかりだからパットお姉様が私のお姉様だったらよかったのにってずっと思っていて、せめてお姉様みたいな素敵な淑女になろうと努力して、そうしたら本当にパットお姉様の妹になれました。今日は久しぶりに会えて感激です」


 気がつけば、涙目のイザベルに私の両手はがっしりと掴まれていた。


「私、社交界では悪女なんて言われているのに」


「あんな噂、鼻で笑ってやりましたわ。パットお姉様が悪女とは程遠い場所にいる方だって、お姉様を少しでも知っていれば誰でもわかるはずですもの」


 実際には私を知っていた学園の同級生も噂を信じていた。

 だから、イザベルがこんな風に言ってくれて胸が熱くなった。


「ありがとう、イザベル。これからもよろしくね」


「はい、こちらこそ末永くよろしくお願いします、お姉様」


 イザベルの気持ちは嬉しいけれど、あまりにキラキラした表情を向けられて少し戸惑いもあった。

 隣にいたメイが笑いを堪えるのが伝わってきた。


「母上の前に立ったパティもこんな感じ?」


 ああ、やっぱり同じことを考えていたのね。


 社交界デビューの時にメイのご両親の前で自分が何を口にしたのかは、緊張のあまりよく覚えていない。

 とにかく、目前に迫った次の機会は気をつけようと心に誓った。

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