挿話1
ウォルフォード侯爵の屋敷で開かれる夜会に今年も出ることにした。
夜会やパーティーは身支度が面倒で、行くまでは本当に気が重い。
でも、一歩会場に足を踏み入れてしまえばその華やかな雰囲気は決して嫌いではなく、いつもそれなりに楽しめた。
何と言っても、ドレスが実際の会場でどんな風に見えるのかを確かめられるし、1度にたくさんのドレスを見られるのも嬉しい。
でも、ドレスばかり見ているわけではなくて、久しぶりに会う親戚や友人知人に挨拶したり、女性とダンスをしたりもする。
僕は父上のように綺麗な顔はしていないし、ノアのように優秀でもないけれど、女性には意外と人気がある。
もちろん跡取りではなくてもあの家の人間だからと打算で近づく人もいると思う。
性格的にも職業的にもノアみたいに無愛想にはできないから、あちらも僕には気軽に声をかけられるのだろう。
当日は仕事が押して職場を出るのが予定より遅くなり、急いで実家の屋敷に戻って着替え、自分で馬車を駆ってウォルフォード家に向かった。
普通なら、荷馬車では夜会が行われている屋敷の門の中には入れてもらえないだろう。
でもウォルフォード家では使用人たちも僕がどこの誰かを知っているから、門番はすんなり通してくれた。
会場の大広間に入った時にはすでに侯爵による開会の挨拶が終わるところだった。
乾杯になってもそのまま入口近くに立っていると、ひとりの女性がこちらに歩いて来た。
最初に気になったのは、やっぱり彼女の着ていたドレスだった。
ドレープが重い赤と黒のドレスはまるで毒花のようで、彼女にまったく似合っていなかった。せめて化粧や髪型を工夫すればいいのに、努力した跡さえない。
さらに距離が近づいて、僕はようやく女性の様子がおかしいことに気づいた。足元がふらついて、顔色も悪い。
よくよく見れば、どうやら毒花ドレスに体を締めつけられているようだ。
彼女に付き添う人間は見当たらず、しかも原因がドレスなので知らない振りはできなかった。
大広間を出たところで崩れそうになった女性の体を、咄嗟に手を伸ばし支えた。
女性は僕と目が合うと慌てて離れようとして、だけど失敗して逆に僕のほうに倒れ込んできた。
時々わざとよろけて僕に抱きつき気を引こうとする女性もいる。でも、この女性はそういう人たちとは違う。
支えがなければ簡単に倒れてしまいそうなのに、誰の手も借りずに立たなければいけないと思っている。そんな風に見えた。
僕は強引に彼女を抱き上げて休憩室に向かった。ずいぶん軽いような気がした。
彼女は恥ずかしそうに体を縮めていた。
休憩室の前にいたメイドが僕を見て驚いた顔をした。こんな早い時間から何をしてるんだって思われているのだろうか。
僕はそんなことしないよ。使用人にまで顔が割れている屋敷でなんて。
そう思っていたのに、休憩室で女性とふたりきりになると妙に胸のあたりがザワザワした。それを彼女に気取られないよう、紳士っぽい顔をして紳士っぽい言葉を口にする。
彼女のドレスの鈕を僕が外すことになり背中を向けられると、ザワザワはさらに大きくなった。
ドレスの鈕より、彼女の無防備な白い頸に視線が吸い寄せられて、触れてみたくなる。
いやいや、この女性はそういうことをして良い相手ではないだろ。
彼女は僕と同年代。もう結婚しているはずだ。
僕は急いで鈕を外して部屋を出ると、さっきのメイドに念のため口止めをした。
おかしな噂が立っては彼女に申し訳ない。
それから屋敷の外に出て、馬車まで戻った。
運良く馬車には黒い布製品を積んでいた。アリスに頼まれて集めていたものだ。
その中から、使えそうなストールとリボンを取り出した。
さらに裁縫箱も手にして、また休憩室に向かった。
僕の言ったとおり、女性はシーツに包まって僕を待っていた。
それをなるべく視界に入れないため、すぐに毒花ドレスを手に取った。
ドレスは新しいものではなさそうだった。
まだデビューしたばかりの頃に着ていたドレスを引っ張り出したなら、今の体型に合わせて直すことができたはず。急遽、古着屋で求めたものかもしれない。
だとすると、このドレスを選んだのは彼女自身ではないのだろう。やはり夫だろうか。
ドレスの好みなんて着る人も着せる人もそれぞれだから否定するつもりはないけれど、彼女の夫はもう少し着る人のことを考えたほうがいいと思う。
僕がドレスを直しはじめると、彼女が呆気にとられた表情になったのは面白かった。
とはいえ、この場ですぐに出来たのは直しというより誤魔化しというほうが正しい。
彼女も毒花ドレスを気に入ってはいないようで、何となく安堵した。
彼女の顔色は少し良くなったけれど、毒花ドレスが彼女にはまったく似合っていない事実に変わりはない。
それでも彼女の立ち姿は美しかった。
女性としては背が高くて、細身。腕はしなやかに伸びている。腰の位置と、丈の短いドレスの裾から覗く足首から推測するに、きっと脚も同じような感じだろう。
もう少し彼女と話をしたいと思う自分もいたけれど、夫がいるであろう女性とこれ以上ふたりきりでいるべきではなかった。
敢えて彼女に名前を尋ねず、僕も名乗らないままで分かれた。
大広間に戻ってからは、いつもの夜会と同じように過ごした。
途中、ノアに捕まって「何をやってたんだ」と叱言をもらった。
セアラが一緒に来られなかったから不機嫌なようだ。
何度か遠くにあの女性を見つけた。
あんなドレスを着せた男の顔を見てやりたかったけれど、彼女はずっとひとりで、そのうち帰宅したのか姿が見えなくなった。
胸の中のザワザワはモヤモヤになって残った。