21 家族との再会
翌日、クレアを連れてアンダーソンドレス工房に向かったメイさん……、メイと私は前日に突然休んだことを謝ってから、私が無事に離婚できたことと私たちが婚約することを報告した。
皆さんは「やっぱりね」という顔で祝福してくれた。
メイとの婚約を決めたとはいえ正式に結婚するまでは実家に帰ってそちらで暮らすべきだと私は考えたが、メイはこのままここにいればいいという意見だった。
確かにコーウェン家にすっかり馴染んだクレアのことを思うと、あまり短期間で生活の場を変えるのはどうなのかと悩むところだった。
何はともあれ、できるだけ早くお母様やダイアナの顔も見たいので、とにかくクレアを連れて1度実家に帰ることにした。
メイも挨拶したいからと一緒に行くことになった。
土曜日、夕食の後しばらく客間で一緒に過ごしてから自室に戻ったメイが、クレアが眠ってから再びやって来た。
「明日はこれを着て」
メイが持ってきたのは私が初めて見るドレスだった。色は明るいけれど落ち着いた杏色。
受け取ってすぐに、今までのドレスとの違いに気がついた。
「このドレス、新しいものですか?」
「うん。パティのために作ったものだよ」
にっこり笑って告げられた言葉に私は息を飲んでドレスを見つめようとしたけれど、すぐに目頭が熱くなってよく見えなくなってしまった。
「ありがとうございます」
メイが苦笑しながら私の目尻を指で拭った。
「このくらいで泣かないでよ。これからパティのために何十着も作るつもりなんだから」
「だって、嬉しくて。本当はクレアが少し羨ましかったんです。メイの作ったドレスを着られて」
「でもあれは、もともとソフィアのために作ったものだよ。今までだってパティにも僕のドレスを着てもらうことはできたけど、どうせならパティのために作ったものを着てほしかったんだ」
「もしかして、お屋敷でしていたお仕事がこれだったんですか?」
この色のドレスは、私が知る限り工房では作っていなかった。
「これだけじゃないけどね。それよりも、ちょっと着てみて。万が一サイズが合わなかったら急いで直すから」
「はい」
メイが部屋を出ていき、私はひとりでドレスを着替えた。
初めてメイが作ってくれたドレスを着るのだと思うと、試着でも心が浮き立つ。
少しして、扉がノックされた。
「パティ、どう?」
「ごめんなさい。鈕がまだ」
「……中に入って、僕が留めてもいい?」
躊躇いかけて、メイに初めて会った時のことを思い出した。
あの時は自分から頼んだのに、今は断るというのもおかしいだろう。
「お願いします」
ゆっくり扉が開いてメイが入ってきた。
私が背中を向けて髪を除けると、後ろに立ったメイが鈕を下から順番に留めていってくれた。
名前も知らない人に外してもらうのも緊張したけれど、今度も同じくらいドキドキした。
「はい、できた」
そう声が聞こえて振り向くと、メイの表情もいくぶん固く見え、でもすぐにいつもの笑顔が浮かんだ。
「どこかきついところはない?」
「大丈夫です」
「良かった。とてもよく似合ってるよ」
私も鏡の前に立って自分の姿を確認した。
サイズだけでなくデザインも、今まで着てきたどのドレスより私にぴったりだという気がした。
「気に入った?」
私の横から鏡を覗いたメイに問われ、私は大きく頷いた。
「もちろん。本当にありがとうございます」
「じゃあ、また鈕外すね」
「お願いします」
再びドレス越しにメイの指を感じた。その感触は少しずつ下へと降りていき、最後の鈕がある腰の上あたりまで順調に辿り着いた。
再びメイを振り返ろうしたけれど、それを止めるようにメイの両手が私の肩に置かれ、次には頸に何かが触れた。
離れる瞬間に吐息を感じて、メイの唇だとわかった。
「おやすみ」
「……おやすみなさい」
扉が閉まるまで、メイのほうを見られなかった。
翌日、メイとクレアと箱馬車に乗り込んだ。
本当に久しぶりに実家に帰るのだと思っても現実感が薄くて、地に足がついていないようなふわふわした感覚だった。
そんな私の様子を察して、馬車の中ではずっとメイがクレアの相手をしてくれていた。
「今日はどこに行くんだっけ?」
「おかあさまのうまれたおうち」
「誰に会うの?」
「おじいさまとおばあさまとスコットおじさまとダイアナおばさま」
「お、すごい。ちゃんと覚えてたね。皆、お母様の大切な人たちなんだよ」
「メイはあったことあるの?」
「このまえ、お祖父様とスコット叔父様には会ったけど、クレアに早く会いたいって言ってた。きっとクレアにとっても大切な人たちになるし、メイにとってもそうなるよ」
馬車がオーティス家の屋敷に到着すると、その前で両親と弟妹、それに使用人たちまでが待っていた。
いつものようにクレアを抱いて先に馬車から降りたメイの手を借りて私も降りた。
その時点ですでにお母様は涙を溢し、すっかり淑女らしい見た目になったダイアナも目を潤ませていた。
私も視界がぼやけるのを感じながら家族のもとに歩み寄り、お母様としっかり抱き合った。
ただ互いに「パット」、「お母様」と呼び合うばかりで、他の言葉は出てこなかった。
横からダイアナもしがみついてきて、周囲で何人もが泣いているのも伝わってきた。
ふいにすぐ後ろから一際大きなクレアの泣き声が響いた。
おそらく状況はよく理解できないながら、目の前で母親を含めたくさんの大人たちが泣いていることに驚いてしまったのだろう。
「大丈夫。皆、クレアやお母様に会えて喜んでるんだよ」
そう言うメイの声が少し掠れていて、見れば彼も目を赤くしていた。
「コーウェン公爵弟もいらっしゃるというのに申し訳ありません。ようこそお越しくださいました」
お父様が目尻を拭いつつ慌ててメイに挨拶をし、お母様とスコット、ダイアナも続いた。
「メイナード・コーウェンです。本日は私の訪問もお許しいただきありがとうございます。これからどうぞよろしくお願いします」
メイはその腕にクレアを抱いたまま優雅に頭を下げた。
私は涙の止まったクレアの頭を撫でながら微笑んだ。
「吃驚させてごめんね。お祖父様とお祖母様、それからスコット叔父様とダイアナ叔母様よ。皆にご挨拶して」
クレアは私を見つめ、メイを見つめ、私の家族に顔を向けた。
「こんにちは。クレアです」
「こんにちは。お祖母様にも抱かせてくれる?」
お母様が尋ねると、クレアはコクリと頷いた。
お母様はメイの腕からそっとクレアを受け取った。その顔を見つめて、また涙ぐむ。
「クレア、本当に会いたかったわ。もうこんなに重たいのね」
「クレア、次はお祖父様のところにおいで」
お父様がクレアに向かって両手を伸ばすと、ダイアナも主張した。
「私も抱きたいわ」
「とにかく、まずは中に入ろう」
スコットの言葉に従い、私たちは玄関に向かった。
玄関ホールを入ったところであたりを見回したが、屋敷内の様子はあまり変化がないようだった。
ようやく帰ってこられた安堵を覚えていると、隣に立ったメイが肩を抱いて私の顔を覗き込んだ。
私は頷いて、また歩き出した。
応接間に入ると家族たちが順にクレアを抱いていった。
クレアは皆から「可愛い、可愛い」と称賛され、最後にもう定位置といえるメイと私の間に戻ってきた時にはすっかりご機嫌になっていた。
メイが王宮でお父様の許可を得たと言ったとおり、すでに家族はメイのことを私の新しい婚約者と認識しているようだった。
それでもメイは改めて私の家族に頭を下げた。
「義父上、先日はありがとうございました。パトリシア嬢には無事、求婚を承諾してもらえました。これからパトリシア嬢の夫として、それにクレアの父として、しっかりふたりを守っていきます」
「どうかパットとクレアを頼みます」
お父様が、それに他の家族も、感慨深そうな表情でメイに頭を下げた。
ノア様から渡された婚約届にお父様にもサインしてもらい、続けてメイと私もサインした。
これでいつでも宮廷に提出できるが、それはメイのご両親が帰国なさって私がおふたりにご挨拶し、結婚を認められてからと決めている。
私の家族たちは初めのうちは相手が公爵弟ということで固くなっていたが、メイが和やかでクレアも懐いているのに安心したようで、一緒に昼食をとる頃にはずいぶん打ち解け、両親は彼の求めるまま「メイ」と呼ぶようになっていた。
スコットやダイアナは「義兄上」、「お義兄様」と呼びはじめた。末っ子で、甥姪にまで愛称で呼ばれているメイは、くすぐったそうな顔をしていた。
昼食を終えてから、メイとクレア、それにお母様と屋敷の2階に行った。
結婚前に私が使っていた部屋がまだあると聞いたからだ。
懐かしい扉を開けて部屋の中に入ると、ローガン家に持っていったものやダイアナに譲ったものが抜けているほかは、ほぼ5年のままに見えた。
「もちろん片付けるつもりだったのだけど、何となく残しておいたほうがいいような気がして」
お母様が複雑そうな表情でそう言った。私がいつかここに戻って来るかもしれないと予感していたということだろう。
当然だ。この家があの人を迎えることはとうとうなかったのだから。今となってはそれで良かったと思うけれど。
「かわいい。ソフィアのおへやみたい」
クレアが部屋の中をキョロキョロと見ながら言うと、手を繋いでいたメイが応じた。
「そうだね」
「おかあさま、いいなあ」
「ああ、そういえば、今度メイのお家にお母様のお部屋とクレアのお部屋ができるよ」
「クレアのおへや?」
歓声をあげるクレアを見つめて、お母様も微笑んだ。
「良かったわね、クレア。このお部屋にあるものは何でも持って帰っていいわよ。今度はきちんと片付けてしまうつもりだから」
何でもスコットの婚約が纏まりかけているらしく、来年にはこの屋敷にも新しい家族が増えることになるようだ。
相手は昔から付き合いのあった伯爵家の令嬢で、社交界で私のあんな噂が広まっていたのに破談にされなかったと知り私はホッとしていた。
「クレア、これほしい」
クレアが指差したのは、花柄の彫刻が施されたチェストだった。私もお気に入りだったものだけど、そんな大きなものを選んだことに驚いた。
メイもクレアの隣に蹲み込んで、チェストをじっくりと眺めた。
「うん、可愛いね。家具も貰っていいんですか?」
「古道具屋に引き取ってもらうつもりだから構わないけれど、そちらのほうで迷惑にならないかしら?」
「迷惑なんてとんでもない。それなら、お言葉に甘えていただきます」
メイがにっこり笑って言うと、お母様も嬉しそうな表情になった。
私の部屋を見終わると、メイは一足先にコーウェン邸へと帰っていった。
家族水入らずで話したいこともあるだろうと、気を使ってくれたのだ。
クレアは不満そうだったけれど、メイに「夜には迎えに来る」と言われてとりあえず納得したようだった。
メイを見送ってから家族で居間に落ち着くと、ダイアナが深々と溜息を吐いた。
「本物だった」
「え?」
「コーウェン公爵弟といったら私の周りにも結婚したいって人がいるくらいなのよ。そんな方がお姉様と結婚するなんてお父様に聞いても信じられなかったけれど、本物のコーウェン公爵弟だったし、お姉様とクレアのことをとても大切にしてくれてる感じで、安心したわ」
私の膝でうたた寝をはじめたクレアの頭を撫でながら、お母様も言った。
「パットは昔からコーウェン前公爵夫人が好きだったけれど、まさかそのご子息とこんなご縁があるなんてね」
「前公爵夫妻とはまだお会いできていないから、何とも言えないのだけど」
「私はあのコーウェン公爵が許してくださったっていうだけで驚いたよ」
宮廷でのノア様しか知らないのであろうスコットの言葉に、私は笑ってしまった。
「ご家族の前では優しい方なのよ」
「メイは信頼できるわよね?」
お母様が口に出さなくても、誰と比較しているのかは明らかだった。
「ええ、間違いなく」
「ようやく会えたのにまたすぐ嫁いでしまうなんて寂しいけれど、これからはいつでも会えるわよね」
「もう手紙のやり取りは必要なくなるわ」
「パットの手紙は信用できないからね」
お母様がそう呟くのに、私は首を傾げた。
「どうして?」
「クレアのことは色々細かく書いてあるのに自分のことはいつも『元気でやっているから安心して』だけで、逆に心配になったわ」
言われてみればそのとおりで、申し訳なくなった。
「ごめんなさい」
それまでは黙って私たちの話を聞いていたお父様が口を開いた。
「いや、謝るのは私のほうだ。心配はしても相手が侯爵家だからと、結局何もできなかった。そもそも婚約中から違和感はあったのに、次期侯爵夫人になることがパットの幸せなんだと自分に言い聞かせていた。だが、結婚式の前日におまえに言った言葉をずっと後悔していたよ。おまえは多少無理をしても頑張る娘だとわかっていたのだから、ただ『何かあったらいつでも帰ってこい』と言ってやれば良かったと」
お父様は様々な想いの滲んだ表情をしていた。
「パット、本当にすまなかった。おまえ自身の選んだ相手と今度こそ幸せになってくれ」
「はい。ありがとうございます、お父様」
クレアと私は家族と一緒に夕食をとってから、迎えに来てくれたメイとともにコーウェン家のお屋敷に帰った。




