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20 一緒の未来

 ローガン侯爵一家の姿が見えなくなると、ノア様がやれやれという風に息を吐かれた。


「誰ひとり反省の様子なしか。パットに謝罪するどころか何とか罪を被せようとするとは、大したものだな」


「謝罪されても今の私には受け入れられなかったと思います。離縁できただけで十分です。本当にありがとうございました」


 私はノア様に向かって深く頭を下げた。


「いや、礼には及ばない」


 その時、開いたままの扉を叩く音がした。振り返ればメイさんがそこにいて、私はようやく安堵を覚えながら立ち上がった。


「パトリシアさん、お疲れ様」


「メイさん、どうもありがとうございました」


 メイさんと並んで会議室に入っていらっしゃった方のことも気になったけれど、私が思わず目を瞠ったのは続いて姿を見せたのがずっと会いたかった人たちだったからだ。


「お父様、スコット」


「パット」


「姉上」


 お父様と弟と、互いに駆け寄り手を取り合った。


「元気そうでよかった」


「ふたりも。スコットはすっかり大きくなって」


「クレアはどうしている?」


「あの子も元気よ。私たち、今、コーウェン公爵邸でお世話になっていて……」


「ああ、さっきマクニール侯爵から聞いたよ。コーウェン公爵、この度は娘と孫が大変お世話になったようで、心から感謝いたします」


 お父様がノア様に向かって頭を下げ、スコットもそれに倣った。


「私はただ陛下に命じられた任務を果たすついでに弟の頼みを聞いてやっただけです。陛下への報告があるので先に失礼します」


「あ、ノア、私も一緒に行く。メイ、近いうちにまたジェニーのドレスを注文するからよろしくね。パトリシアのことも今度きちんと紹介して」


 そう早口に言い置いてノア様を追い会議室を出て行かれたのは、私たちと同年代の顔立ちも衣装もいかにも高貴そうな方だった。


「あの方は、もしかして……」


「幼馴染のアルです」


「やはり王太子殿下なのですね」


 アルフレッド王太子殿下。妃殿下はジェニファー様だ。

 王宮の夜会で遠くからお姿を拝見したことはあったけれど、こんなに近くでお会いしたのは初めてで、それなのに家族との再会に気を取られてご挨拶もしなかったなんて。

 私は落ち込みそうになるが、それに気づいたらしいメイさんが明るく言った。


「大丈夫ですよ。アルが今度でいいって言ってたでしょう」


「はい」


 でも、次の機会なんて本当に来るのだろうか。


「私たちもそろそろ戻らないと」


 お父様の残念そうな声にハッとした。


「お仕事中に来てくれてありがとう。近いうちにクレアを連れて帰るから」


「ああ、いつでも来なさい」


「僕も、改めてご挨拶に伺います」


 メイさんの言葉に首を傾げた。この場合、挨拶に伺うのはお父様のほうでは。

 だけど、お父様に気にする様子はなかった。


「ええ、お待ちしております。娘と孫をどうぞよろしくお願いします」


 お父様とスコットも去ると、メイさんが私の手を取った。


「屋敷に帰る前に、せっかく王宮に来たからパトリシアさんと行きたいところがあるんですけど、いいですか?」


「はい」


 私が頷くと、メイさんは私の手を引いて歩き出した。


「どちらに行くのですか?」


「中庭です」


「中庭?」


「最初は大広間のバルコニーにしようかと思ったけど、夜会の最中と昼間では雰囲気が全然違うだろうし、よく考えたら父上は母上に1度逃げられてるんですよね。だから、お祖母様が成功した中庭のほうが良いかなって」


 いまいち話が見えずにいるうちに、回廊に囲まれた中庭に出た。


 様々な花が咲き小さな噴水もあって、ちょっとした散歩をするのにぴったりな感じだけど、散歩のために来たわけではないだろう。


 メイさんは木陰で立ち止まると私のほうに体ごと振り向いた。

 私は中庭に来た目的を尋ねようとしたけれど、できなかった。

 それより早く、メイさんに口を塞がれたから。


 ローガン家の問題が片付いたらとは言われていたけれど、まさか王宮の中でなんて。

 でも、最初の時に逃げてメイさんを傷つけてしまったのでまた同じことをするわけにはいかず、メイさんが離れるまで目を閉じて大人しくしていることにした。


 ところが、口づけはなかなか終わらなかった。

 離れたかと思ってもまた角度を変えて触れてくる。その繰り返し。

 上手く呼吸ができなくて段々と苦しくなってきてしまい、繋がれていないほうの手でメイさんの腕を軽く叩いた。 

 メイさんはそれに気づいてわずかに離れ、私を見下ろした。


「長い、です」


「すみません。今度は逃げられなかったから嬉しくて、つい」


 メイさんは悪びれずに笑った。彼への想いを自覚した今、そんな表情にさえ胸がキュッとする。


「ここは王宮で、誰かに見られるかもしれないのに」


「そうですね、次は誰にも見られない場所でしましょう。パトリシアさんのこんな可愛い顔、他の人には見せたくないし」


 メイさんがおそらく真っ赤になっているであろう私の頬を指で突いた。


「か、可愛いなんて、クレアと間違えていませんか?」


「クレアも可愛いけど、パトリシアさんはそれ以上です」


 そんなことを言われ慣れない私は恥ずかしくて堪らず、視線をメイさんの顔から噴水へと逸らし、話題を変えようと言葉を紡いだ。


「あの、それで、メイさんのお祖母様はここで何を成功されたのですか?」


「求婚です」


「え?」


 再び視線を戻すとメイさんはその場に跪き、ドレスを縫っている時よりも真剣な表情で私を見上げていた。


「パトリシア・オーティス嬢、僕と結婚してください」


 一瞬頭の中が真っ白になり、それから戸惑いがやって来た。


「私は、離縁できたとはいえ1度結婚していて、とてもメイさんには……」


 そう言いながら1歩引いて距離を取ろうとしたが、メイさんが私の手を強く引きながら立ち上がり、その両腕の中に私を捕えてしまった。


「パトリシアさん、そんなこと改めて言われなくてももう知ってます。そのうえで、僕はパトリシアさんがいいんです。パトリシアさんと一緒に幸せになりたいんです。だから、僕に相応しくないとか哀しいことは絶対に言わないでくださいね」


「でも、私にはクレアもいますし」


「クレアのことも僕が責任を持ちます。パトリシアさんの幸せにクレアは不可欠だって、ちゃんとわかってますから」


「メイさんはそう言ってくださっても、ご両親やノア様は反対なさるでしょう」


「両親には結婚したい女性がいると手紙で知らせました。返事はまだだけど、母上を尊敬していて娘にクレアと名付けたパトリシアさんなら、父上だって受け入れてくれるはずです。それから、ノアは……」


 そこでメイさんは少し考える素振りを見せた。


「パトリシアさん、どうしてノアが離縁の日をわざわざ3か月前にしたと思いますか?」


「それは、私をローガン家の事件とは無関係なことにしてくださるためでは?」


 少なくともあれはローガン侯爵子息のためでなく私のためだろうとは理解していた。


「違いますよ。僕にさっさと結婚させるためです。いつか話しましたよね、ノアはコーウェン家の利にならないことはしないって。ノアがパトリシアさんに求める見返りは、落ち着かない愚弟の伴侶になることです」


「まさか」


「まさかではありません。ノアは、僕が下心を持ってパトリシアさんを屋敷に連れ帰ったとわかっていたんですから」


 メイさんの口から下心などという言葉が出てきたこともだが、屋敷に連れ帰ったなんてそんな最初の頃からなのかと驚いた。

 私の心中を読んだように、メイさんがゆっくりと語り出した。


「ウォルフォード家の夜会の時、あなたはきっと既婚者だろうと思ったから名前も聞かずに別れました。だけど、それからずっと忘れられなくて、ノアにも気づかれて、仕方なく打ち明けたら酷い状況にいるんじゃないかって言われて、あなたを引き留めなかったことを後悔しました」


 その時の気持ちを思い出してか、メイさんは辛そうな表情になった。


「だから、工房の前であなたと再会した時、決めたんです。これからは僕がこの人を支えようって」


 メイさんは、私が想像していたよりずっと強く私のことを想ってくれていたのだと知って喜びが体中を駆け巡り、涙が溢れそうになった。

 だけど、本当にこのままメイさんの傍にいてもいいのだろうかと迷う。

 言葉を返せずにいると、メイさんが私の顔を覗き込むようにして言った。


「パトリシアさん、あなたは何とも思っていない相手に強引に初めての口づけをされて嬉しいなんて言う人ではないですよね?」


 これは遠回しに「僕に好意がありますよね」と確認されているのだろう。

 そのとおりだけど、今の状況では単純に頷けない。


 メイさんがさらに言う。


「僕はパトリシアさんと一緒にいる将来が容易に思い浮かぶんですけど、パトリシアさんはそんなことないですか?」


「メイさんと一緒にいる将来……」


「はい。ちょっと目を閉じて、想像してみてください」


 メイさんに促されるまま、私は目を閉じて考えた。


 きっとメイさんはこれからもドレスを作り続ける。

 私もその隣でドレスを縫う。ドレープを作ったり、レースやリボンを縫い付ける工程も任されるようになりたい。

 いつかメイさんが自分の工房を構えたら、帳簿付けや接客も私がやらないと。


 時にはメイさんは公爵弟としてノア様の補佐をして、私は私でセアラ様のお手伝いをするのかもしれない。

 そして休日には、成長したクレアを連れてピクニックに出かける。そこにクレアの弟や妹もいるといい。

 共にいる時間が長くなれば喧嘩をしたり行き違ったりすることもあるだろうけれど、メイさんとならきっとすぐに仲直りしてまた笑い合える。


 つい最近まで、私は手に入れられなかったのだと諦めていたはずの幸せな光景が、メイさんの腕の中にいる今鮮やかに思い描けてしまった。

 特別なことはなくても、ただメイさんと一緒に日常を過ごせていけたなら。この半月あまりそうしてきたように。


 そっと目を開くと、メイさんの柔らかい視線が私に注がれていた。


「見えました?」


「はい」


 私は微笑もうとしたが、涙も溢れてしまった。

 メイさんがそれを指で拭ってくれる。


「あの光景を現実のものにしたいです。メイさんと一緒に」


 途端、メイさんにギュッと抱き寄せられた。

 少し苦しいくらいだけれど今はこのままでいてほしくて、私もメイさんの背中に両手を回した。


「パトリシア」


 耳に直接吹き込まれるように名を呼ばれて、背中がゾクリとした。

 それに気づかれたのか、次にはフッと漏れた笑いが吐息となって私の耳朶をくすぐった。


「パット」


 実は、何度か考えたことがあった。

 どうしてメイさんはノア様やセアラ様のように私を愛称で呼んでくれないのかと。

 だから、喜びを噛み締めるように「はい」と応えた。


 メイさんは「あ、そうだ」と呟きながら少し腕の力を弱め、また私を見下ろした。


「オーティス伯爵にはきちんと許可を得たから」


 だから挨拶に行くのがメイさんのほうだったのかと納得した。


「こんなに早くなんて、父も驚いたでしょうね」


「うん。自分では今日までよく我慢したなと思ってたんだけど。あ、昨日までか。ノアにも慎重すぎるって笑われたし」


 理由があったとはいえ、セアラ様と出会ったその日に婚約を結んだノア様からしたら、そうなるのだろう。

 そう言えば、先ほどの前公爵が大広間のバルコニーで云々というのも求婚のことなのだとしたら、それはおふたりの数年ぶりの再会直後の出来事のはずで、前公爵夫人が逃げてしまったのも頷けた。


「それはともかく、これからは『パティ』って呼んでもいい?」


「パティ?」


「『パット』はノアにも先を越されたし、どうせなら僕だけの呼び方がいいな」


 言葉が砕けたこともあってメイさんがいつもより子どもっぽく見えて、思わず笑ってしまった。


「どうぞメイさんのお好きなように呼んでください」


「そこはパティにも『メイ』って呼んでほしかったんだけど」


「……どうぞメイのお好きなように」


「ありがとう」


 メイさんはにっこり笑って私に短く口づけると私の体を解放し、また手を握った。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか。クレアが待ってる」


「はい。ああ、でも、クレアにはどんな風に説明すればいいのかしら」


 これからもメイさんと一緒に暮らせることは、クレアも喜んでくれると思うけど。


「それも大丈夫。前に『クレアのお父様になって』って言ってくれたから」


「ええ? いつの間に……」


「ピクニックの次の日だったかな」


 首を捻りつつ、メイさんはゆっくりと歩き出した。


「クレアのためにもなるべく早く結婚したいけど、さすがに父上たちが帰国してすぐは無理だな。きっと父上に叱られる」


「やはり前公爵を説得するには時間がかかるのですね」


 私が不安を覚えてメイさんを見上げると、メイさんは目を瞬いた。


「ああ、違う違う。結婚式までにパティのための完璧なウェディングドレスを作らないと叱られるって意味だよ」


「ウェディングドレス?」


「うん。長期休暇中の注文が入る前に何とかなるかな。それとも、並行して秋まで時間をかけるほうがいいかな」


 メイさんは悩ましげにブツブツと呟いた。


「あの、それほど急がなくても」


「でも、秋には新婚旅行に行くわけだし」


「は? 新婚旅行?」


「ピクニックの時、ノアが僕に領地に行けって言ってたでしょ。あれ、パティとクレアを連れてってことだよ」


「そうなのですか?」


「とにかく、デザインだけでも早く決めないと。でも、父上の意見も聞きたいな。パティはどんなのがいい?」


 突然そんなことを訊かれても、何も浮かばなかった。展開が早すぎる。

 だけど、メイさんはきっと間違いなく私に似合うウェディングドレスを作ってくれるということは信じられた。




 その後、コーウェン家のお屋敷に帰ってクレアに「メイさんがお父様になる」と報告すると、クレアは大喜びでメイさんに飛びついた。


 セアラ様、それにネリーやジョナスたち使用人にもまったく驚く様子はなかった。

 私はコーウェン家でとっくにそういう存在として受け入れられていたようだ。


 夜、ノア様に当然のお顔ですでにノア様のサインが入った婚約届の書類を渡され、メイさんの言っていたことが本当だったのだと実感した。

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