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14 ピクニック

 朝食の席で顔を合わせたメイさんは普段と変わらなかった。


「おはようございます。よく眠れましたか?」


「おはようございます。はい、おかげさまで」


 メイさんのせいでしばらく眠れなかったなんて正直には言えないし、1度寝入ってからは朝までぐっすりだったのも事実だ。


 食事中、気がつくとフォークを使うメイさんの手を見つめていた。

 あの大きな手が針を持って素敵なドレスを縫い、優しく私の頭を撫でたのだ。




 ピクニックには、ノア様と子どもたちも参加することになった。

 一緒に行きたいと言い出したのはエルマーだが、どうやらソフィアも同じ気持ちだったらしい。セアラ様が妊娠中で外出を控えていらっしゃる状況ではそれもそうだろう。

 ならば今回は私がふたりをお預かりしようと思ったのだけれど、セアラ様の鶴の一声でノア様の同行も決まった。もちろんメイドや侍従も伴う。




 朝食後、客間に戻ってから改めてピクニックに出かける支度をした。

 ネリーがクローゼットから出してくれたドレスはクリーム色で、袖と裾が紺色の外出用ドレスだった。初めて見るものなのにサイズは私の体にぴったりだ。

 きちんと化粧もされ、髪を結い上げられ、久しぶりに貴族婦人らしい姿になった。例の悪の女王ドレスは除いて、だが。


「わあ、おかあさま、すごくきれい」


 クレアがそう声をあげると、ネリーが満足そうに笑った。


 クレアには水色のドレスを着せたが、その腕の中にはうさぎの縫いぐるみがいた。


 支度を終えてクレアと手を繋いで玄関ホールに向かうと、すでにメイさんが待っていた。

 メイさんは私たちに気づくとやや目を細めて微笑んだ。


「メイ、おかあさまきれいでしょ?」


「うん、きれいだね」


 クレアの言葉をメイさんに躊躇わず肯定されて、私は面映い気持ちになった。


「似合ってよかった」


「このドレスもメイさんが選んでくださったのですか?」


「はい」


 メイさんは当然というように頷いた。


「ありがとうございます」


 メイさんもいつもの職人風ではなく、貴族らしい服を纏っていた。そういう格好をしているとやはり貴公子にしか見えなかった。


 やがてノア様方もいらっしゃり、セアラ様に見送られてお屋敷の外に出た。

 人数が多くなったので、箱馬車が2台用意されていた。


 私たちの乗る馬車はメイさん付き侍従のジョナスが御者だった。

 メイさん付きといっても、メイさんはドレス工房で働きはじめてから身支度は自分でするし、出かける時も自分で馬車を操ってひとりでどこにでも行くので、それらしい仕事は少なかったのだそう。


「でも最近はご帰宅が早くなったうえ、こうして休日に箱馬車を使うことも思い出してくださったなんて、パトリシア様のおかげです」


 そんな風に感謝されてこちらが戸惑ってしまったけれど、傍で聞かれていたノア様まで「まったくだな」と大きく頷いていらっしゃった。




 それぞれの馬車に分乗して出発した。


 現在、タズルナへの旅にも2台の馬車を送り出している中で、さらに2台馬車を出せるのだから、さすがコーウェン家。

 しかも、おそらく4番手の位置づけだろう馬車でさえ、私の実家やローガン家の馬車より立派なものだ。


 いつものようにクレアを真ん中にして3人で並び、向かいにはネリーともうひとりのメイドが座った。


「まあ、荷馬車より乗り心地が良いことは認めざるを得ないですね」


 メイさんもどこか口惜しそうにそう漏らした。


 馬車が走り出してすぐ、クレアが窓から景色を見たがったので私と席を交換した。

 メイさんとの距離が手を繋いで歩いた昨夜と同じくらいに縮まって、あの時感じた熱を思い出しそうになる。

 メイさんから意識を逸らすため、私もクレアの頭越しに窓の外を眺めた。


 数軒の貴族屋敷の前を通り過ぎ、さらに進むと王都と呼ばれる範囲の外に出る。

 そこからしばらく周囲には畑が広がり、小さな集落が点在していた。

 徐々に標高が高くなり、窓から吹き込む風が少し冷んやりしてきた頃、見えてきた湖畔の草原で馬車は停まった。


 先にクレアを抱いて馬車を降りたメイさんの手を借りて、私も外に出た。

 お天気が良く、気温も思ったほど低くはなかった。ピクニック日和だ。

 美しく光る湖面やその周囲に広がる森と、目の前に広がる景色も美しい。あちこちから鳥の囀りも聞こえた。


 クレアは目を丸くしていた。


「おっきなみずたまり」


「これは湖っていうんだよ」


 メイさんがクレアの頭を優しく撫でながら訂正した。


「みずうみ」


 私が都よりも清涼に感じられる空気を深く吸い込むと、クレアも真似をした。


「都の近くにこんな素敵な場所があったのですね。それなのに他には誰もいないなんて、コーウェン家の方だけが知る穴場なのでしょうか?」


「というよりも、皆、遠慮してるのだと思います。この湖の周辺はあの離宮の庭の位置づけなので」


 そう言いながらメイさんが指差した湖の向こうの森の中に建造物が見えた。全体像はわからないが、歴史のありそうな雰囲気の小さなお城のようだ。


「離宮? もしかして王家の夏の離宮ですか?」


 都で離宮といえば、王宮のほど近くにあり、国王陛下が位を退かれた後に住まわれる「緑の離宮」のことだ。この通称は、誰でも入ることのできる植物園が併設されていることによる。

 現在も緑の離宮は先代陛下ご夫妻の居城となっている。ちなみに、先代陛下はコーウェン前公爵の従兄にあたられる。


 そして、次に思い浮かぶのが王族方が避暑に利用される「夏の離宮」だった。


「そうですよ」


 メイさんはサラッと肯定した。


「離宮のお庭でピクニックなんて、大丈夫なのですか?」


 私の疑問に、もう1台の馬車から子どもたちと降りてこられたノア様が答えてくださった。


「問題ない。どなたも滞在なさっていない時は好きに使って構わないと、陛下から許可を得ている」


 なるほど、許可をいただけば良いのかと納得しかけたが、そもそも陛下に対して「離宮のお庭でピクニックをしてもよろしいですか?」なんて申し上げることができるのはコーウェン公爵くらいに違いない。


 お仕事中は常に怒っているようなお顔をなさっているとお聞きしたノア様も、陛下にそんなお願いをなさる時にはソフィアやエルマーを想って柔らかい表情になったのだろうか。

 あのコーウェン邸の居間での対面まではちょっと怖そうな印象だったけれど、お屋敷に居候させていただいている今では家族をとても大切になさる方だと知っている。

 だから、ソフィアとエルマーがノア様の両手をそれぞれ引っ張って湖のほうへ向かう姿を見ても、微笑ましいばかりだ。


 私もクレアと手を繋いで3人に続いた。メイさんもクレアのすぐ傍を歩いている。

 ふいに、クレアがその右腕にしっかりと抱いていたうさぎを私に差し出してきた。


「おかあさま、うさぎさんもってて」


「落としたり汚したりしないよう、馬車でお留守番させておいたら?」


「だめ。うさぎさんもいっしょなの」


 きっぱり言うクレアに苦笑してうさぎを受け取ると、クレアは空いた右手でメイさんの左手を握った。

 私たちのやり取りを見ていたメイさんは、にっこり笑ってクレアの手を握り返してくださった。


「湖に近づく時はこうやって必ず大人と手を繋ぐんだよ。危ないからね」


「うん」


 波が靴に触れそうなところで足を止めると、大人も子どもも水面に手を伸ばした。


「つめたい」


「そうね。ドレスを濡らさないように気をつけて」


 歓声を上げながらジャブジャブと水中で手を動かしているクレアの耳に届いているのかどうか。


「クレア、魚がいるよ」


「さかな、どこ?」


「ほら、あそこ」


 エルマーが示したほうに目を向ければ確かに数匹の小さな魚が泳いでいて、クレアがまた歓声を上げた。

 私はクレアが水の中に足を踏み出さないよう、しっかりその手を握り直した。




 しばらく湖水と戯れてから、次には近くの森の中まで行ってみた。

 樹々に視界を阻まれて奥のほうは見通せないが、湖に近いこちらのあたりは明るかった。


「メイ、あの枝に手届く?」


 エルマーが頭上を指差した。メイさんに尋ねたのはノア様より拳1つ分くらい背が高いからだろう。

 メイさんが背伸びをして手を伸ばすと、わずかに枝が揺れた。


「ギリギリだな。肩車してあげるからエルマーがやってみたら」


「うん、やりたい」


 蹲み込んだメイさんの肩にエルマーが跨った。ふたりも、傍で見ているノア様も、慣れた様子だ。


「立つよ」


 メイさんがゆっくりと立ち上がった。エルマーが手を伸ばし、枝を掴む。


「届いた」


 嬉しそうに枝を揺らすエルマーを、クレアが羨ましげに見上げていた。

 もちろんメイさんがそれに気づかないはずがなく、エルマーを地面に下ろすとクレアを手招きした。


「クレアも肩車する?」


「する」


 クレアはメイさんのもとに飛んでいったものの、エルマーみたいにひとりでは肩に乗れず、私が手伝ってどうにか跨った。


「痛っ」


「クレア、メイさんの髪の毛を掴んだら駄目よ」


 私が慌てて言うと、クレアはメイさんの頭に両腕を回した。


「いいかい?」


 メイさんがエルマーの時よりもゆっくりと立ち上がった。

 でも、クレアはメイさんにしがみついたままだ。


「メイがクレアの脚をしっかり持ってるから大丈夫だよ」


 メイさんに言われて、クレアは恐る恐る手を伸ばした。


「ほら、もう少し」


 そう言いながら、メイさんもわずかに背伸びする。

 クレアの指先が枝に触れた。


「さわったよ」


「やったね」


 再び地上に戻ってきたクレアのキャッキャと笑う声が森に響いた。




 森を出ると、草原に敷物が広げられ、その上に昼食の用意が整っていた。

 ハムとチーズ、卵、チキンの3種類のサンドウィッチ。ミートパイ。果物。スコーンとそれに添えるジャム。紅茶にレモネード。


 もちろんクレアは「ほんとにおいしいね」とニコニコしながらたくさん食べた。


 お腹いっぱいになると、休む間もなく子どもたちは草原で追いかけっこをはじめた。

 ノア様が「湖に近づくなよ」と声をかける。


「ピクニック久しぶりだったんですけど、やっぱりいいですね」


 メイさんが子どもたちを見つめながら仰ると、ノア様が顔を顰めた。


「おまえは父上が誘っても断ってばかりだからな。仕事を理由にすれば父上が何も言えないと思って」


「父上だって可愛い孫たちが何人もいるんだから十分でしょ」


「なんだ、ソフィアたちに嫉妬してたのか」


「可愛い甥や姪に嫉妬なんかしないよ。やりたいことは色々あるのに宮廷より休みが少ないの」


「まあ、それは理解しているが、工房で働きはじめてから領地にも戻ってないよな」


「工房には長期休暇がないからね」


「暑い都に残ってひたすらドレスを作るなんて、尊敬するよ」


「そうなのですか?」


 長期休暇が貴族と一部の平民だけの概念だということは私も知っている。

 でも、アンダーソンドレス工房のお客様はまさに長期休暇を取れる層の方々だろうから、その期間は暇になるのかと思っていた。


「長期休暇の前に次のシーズンのための注文がドッと入るんです。だから長期休暇中が1番忙しくなります。逆に店舗のほうは閉めきりになりますけど」


 言われてみれば、納得だった。私の実家も長期休暇前にドレスを注文していた。


「パットも、このまま働くつもりなら覚悟しておくんだな。何なら、別の働き口を紹介するが」


「いえ、覚悟をしておきます」


 私がそう答えると、メイさんがちょっと嬉しそうな笑顔になった。


「私も、ピクニックは結婚前の長期休暇に実家の領地でして以来です。それに、都の外に出るのも。領地経営に関わっていたのにローガン領には1度も行ったことがなくて、知っているのは報告書と帳簿上の数字、あとは家令から聞いた話だけなんです」


 せっかくのピクニックを暗い雰囲気にしたくなくて、敢えて明るい声で世間話のように口にした。


「また、どこかで聞いたような話だな」


 ノア様が不快そうに呟いた。セアラ様のことかもしれない。


「家令は行ってたんですか? 確か、侯爵夫人とは不仲だったんですよね?」


「毎年、領地に行くのは侯爵だけで、夫人と子息は都に残っていました。でも、家令によると侯爵は愛人の女性を伴っていたそうです。夫人もおそらくそれを知っていて、長期休暇中は普段以上に機嫌が悪かったです」


 おかげで、私は大好きだった季節を嫌いになってしまった。


 つい面白くもない話をしてしまい、申し訳ない気持ちになった。

 が、空気が暗くなる前にノア様が口を開かれた。


「メイ、今年は私の代わりにおまえが領地に行け。秋になれば纏った休みも取れるんだろ?」


「ノアの代わりって領主代理の仕事をしなきゃならないってことだよね。ノアがひとりで行く選択肢は……」


「ない」


 メイさんが言い終わる前にノア様が断言なさった。

 セアラ様の出産予定日が長期休暇中なのだ。


「メイも少しくらい行かないと、領民に忘れられるぞ。せめてメルと張り合え」


「わかった。今度、師匠に確認しておく」


 メイさんは仕方なさそうに言った。


 そのうち、やって来た子どもたちに手を引かれ、私たちも追いかけっこに加わった。




 帰りの馬車の中から、クレアは名残惜しそうに湖のほうを見つめていた。


「クレア、ピクニック楽しかったわね」


「うん」


 寂しそうに頷いたクレアに、メイさんが笑いかけた。


「また、皆でしようね」


「またピクニックするの?」


「もちろん」


 メイさんの明快な答えにクレアも笑顔になった。


 遊び疲れたのか、クレアはしばらくすると私の膝を枕にして眠ってしまった。


「今日はありがとうございました。クレアがずっと楽しそうで、連れて来ていただいて本当に良かったです」


「パトリシアさんは楽しめましたか?」


「はい、とても」


「僕も楽しかったです」


 それからふたりでボソボソと今日のことを話していたのに、いつの間にか私までうとうとしてしまったらしく、目を覚ますとメイさんの肩に寄りかかっていた。

 急いで姿勢を戻そうとしたが、何だか頭が重い。どうやら、メイさんも私に寄りかかって眠っていらっしゃるようだった。これでは動くわけにいかない。

 そっと向かいを窺うと、ネリーともうひとりのメイドがにっこり笑って頷いた。

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