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12 勘違いされる距離

 翌朝も私がメイさんとお屋敷を出ようとするとクレアが泣き出してしまい、一緒に工房に連れて行った。

 そして昨日と同じように、メイさんが外に出る時にお屋敷に連れて帰ってくださり、お昼休み直前、メイさんはふたり分の昼食が入ったバスケットを手に工房に戻ってこられた。


「ご迷惑おかけして申し訳ありません」


 皆さんがいなくなった工房のソファに向き合って座ってから、私はメイさんに頭を下げた。


「今まではあんな風に泣いて我儘を言うことはなかったのですけど」


「子どもがお母様と一緒にいたいのは当たり前。我儘とは思いません」


 メイさんはサンドウィッチに伸ばしかけていた手を戻した。


「実はさっき、クレアに僕の家は好きかと訊いたんですけど、クレアは誰もお母様に意地悪しないし、クレアにも嫌なこと言わないから好きだと言っていました」


「クレアにも?」


「あなたがいつかクレアを置いて出て行く、というようなことを侯爵夫人に言われたみたいです」


「あの娘、そんなことは……」


 まったく言わなかったと口にしようとして、はたと気づいた。私が出かけなければならない時、侯爵夫人に手を取られて不安そうに私を見つめ、翌日には私から離れたがらなかったクレアの姿を。

 普段、侯爵夫人はクレアに見向きもしなかったけれど、同じ屋敷に住んでいたのだから私の不在中に限らずクレアに接する機会なんていくらでもあっただろう。


「クレアは幼いながらに自分が大声で泣いたりすればお母様が嫌な目に合うとわかっていて、我慢していたんじゃないでしょうか」


 メイさんに言われて、きっとそうだったのだと思った。

 クレアを身籠っていた頃にはお腹の子が守ってくれていると感じていたけれど、生まれてからは私が守っているつもりだった。でも本当は、やっぱり守られていたのは私だったのかもしれない。


「母親なのに情けない」


 思わず呟くと、メイさんが柔らかい声で仰った。


「そんなことないですよ。クレアはお母様が自分を置いていくはずないと信じていたし、実際、あなたはクレアを連れてここまで来た。だから、クレアも泣けるようになったんじゃないですか」


「何だか、メイさんのほうがクレアのことを理解していらっしゃるみたい」


 メイさんはおどけるように首を傾げた。


「僕がまだ子どもだからかな。とにかく、クレアの気が済むまで工房に連れて来ればいいですよ」


 メイさんは改めてサンドウィッチを手に取り、かぶりついた。


「それに、パトリシアさんだって我儘言ってもいいんですよ。僕にできることはしますから」


 まるで口説き文句のようだという考えは慌てて打ち消した。




 お昼休みが終わってしばらくするとまた男性方はそれぞれ外出され、残った女性方のお喋りが盛り上がった。

 その中でマリーさんがスッと私の隣に座った。先ほどまでメイさんがいた場所だ。


「パトリシアさんはメイの恋人なの?」


 咄嗟に何を訊かれているのか理解できず、「は?」と素っ頓狂な声をあげてしまった。


「そんなわけないではありませんか。私は既婚者ですよ」


「でも、離婚するんでしょ? メイと良い雰囲気じゃない。お昼もふたりで食べてたし」


「私にはクレアもいます」


「クレアはメイにすっかり懐いていて、親子みたいに見えるけど」


 今日もクレアはメイさんに抱っこをせがみ、メイさんはクレアを抱き上げて微笑んでいた。

 確かに何も知らない人が見れば親子だと勘違いする姿だ。でも、そんなことを言われたら、メイさんにはいい迷惑だろう。


「メイさんは親切心からクレアに優しくしてくださるだけです。私が未婚だったとしても、メイさんと私では釣り合いませんし」


 マリーさんは不思議そうな顔をした。


「パトリシアさんとメイは同じ身分なんじゃないの?」


 一概に貴族と言っても実際には細かい違いがあるのだと説明することはできるけれど、それではメイさんがはっきり仰っていないことを私が話してしまうことになる。


「そもそもメイは身分とか気にしないでしょ」


 別の方がそう口を挟むと、何人かの女性が頷いた。


「パトリシアさんは本当に違うの?」


「違います」


「なんだ。やっとまたメイにそういう相手ができたのかと思ったのにね」


「そうだね」


「ねえ、『また』ってどういうこと? メイに恋人がいたの?」


「ああ、もう何年も前だからマリーは知らないか」


 女性たちは何かを相談するように目を見交わしていたが、やがてひとりが口を開いた。


「いたよ。カフェで働いていた娘さんだった」


「メイはその娘を大事にしてたけど、向こうがメイの身分を知った途端に逃げてしまったんだ」


「でも、あの娘が怖気づいた気持ちもわからなくはないね」


 また数人が頷いた。


 それはきっと、伯爵令嬢だった私が公爵弟であるメイさんに対して抱くのとは似て非なるものだと思う。

 だからといって逃げてしまうなんて、メイさんは傷ついただろう。


「まあ、メイならとっくに私たちの知らないところで作っている可能性もあるよね」


 その言葉にハッとした。

 メイさんは独身だと仰っていたけれど、恋人はいるのかもしれない。むしろ、あのメイさんならそういうお相手がいるほうが自然な気がする。

 だとしたら、私とクレアがメイさんにすっかりお世話になっている今の状況は、とんでもなく迷惑なのではないだろうか。

 美しい令嬢がメイさんに寄り添う姿を思い描くと、胸がズキリと痛んだ。きっと、その方に申し訳ないからだ。


 しばらくして工房に戻ったメイさんが再び私の隣の席で作業をはじめても、私はそちらを見られなかった。




 夕方、メイさんとふたりで皆さんがいなくなった工房の片付けをしてから帰宅の途に着いた。


 メイさんに言わなければいけないことがあると思うのに、どんな風に言えばいいのかわからないままだった。

 そもそも、あの話は私が聞いてしまってよかったのだろうか。


 そんな私の気持ちなどつゆ知らず、馬車が大通りに出るとメイさんが「そうだ」と声をあげた。


「明後日、クレアと3人でピクニックに行きませんか?」


 明後日は日曜日で、工房も店舗もお休みだ。

 工房のほうは注文状況によっては土曜日もお休みになるそうだが、以前メイさんが仰ったように「幸せのドレス」の噂があって現在は忙しい。


「ピクニックですか?」


「今の時季は外に出るのにちょうど良い気候ですから、大きな公園とかでピクニックしている人は多いと思いますよ」


「それでは、どなたに見られるかわからないのではありませんか?」


 そう口にしてからこうして馬車の御者台に並んで座っているのに今さらかもしれないと思い、少し俯いた。


「確かにローガン家の関係者に会ってしまったら拙いですよね。ピクニックはまだ駄目か」


 メイさんの思い違いを私は敢えて訂正しなかった。

 クレアと私と3人でいたら見た人に家族だと勘違いされるかもなんて、メイさんは想像もしていないようだ。それは多分、メイさんにとって私がそんな対象になりえないから。

 なのに、わざわざ指摘するのは自意識過剰なようで恥ずかしかった。


「あ、だったら、郊外の景色の良い場所まで出るのはどうですか? 箱馬車で人のいないところまで行けば大丈夫でしょう」


「そうですね」


「気が進まないようですが、ピクニックは嫌いですか?」


「いえ、好きです」


 私は急いで適当な言葉を探した。


「あの、メイさんは箱馬車も御せるのですか?」


「ええ、御し方はどちらも同じですから」


「高位貴族のご子弟で馬車を御す方は珍しいですよね」


「本来はそうなんでしょうけど、僕の周りだとノアも義兄上もコリンもできるんで、あまり特別な感じはないんです。もちろん、ノアが御者台に乗ることなんて滅多にありませんが。さすがにメルは御せないだろうけど、コーウェン領まで馬に跨って来たことはあったな」


「メル、様?」


「ロッティの夫です」


「ああ、タズルナの王子殿下」


 確かメルヴィス殿下だ。


 そう、メイさんはタズルナの王子殿下も義兄に持つような方なのだ。さらに言えばメイさんのお祖母様が我が国の王族出身だったのだから、やはり私とは釣り合うはずもない。


「臣籍降下したんで、もう王子じゃないですけどね」


 そう言うメイさんの口調からは元王子殿下への親しみが感じられた。


「僕は工房に入ることが決まってすぐに習ったんです。仕事で必要だろうと思って。御者付きの馬車で工房まで送迎してもらうわけにはいかないけど、それは住み込めばいいことですから。でも、父上が屋敷から通えと言ってこれを買ってくれました」


「工房の馬車だと思っていました」


「実は私物なんです。馬もコーウェン家の所有で、ノアから借りている形です。本当、僕は恵まれてますよね」


 メイさんは自嘲するように仰ったけれど、公爵弟という立場にいるからこそ諦めなければならなかったことだってあるのではないだろうか。

 例えば、平民の恋人と一緒にいることとか。




 その日、マクニール侯爵とノア様を経由してお父様からの手紙が届いた。

 お仕事の合間に急いで書いたらしい走り書きの短いものだが、久しぶりに見るお父様の字だった。

 手紙は今まで何もしてやれなくてすまなかったという謝罪ではじまり、私を責めるような文句は一切なかった。

 皆待っているからクレアと一緒にいつでも帰ってこいという言葉を読んで、大きな安堵を覚えた。


「クレア、もうすぐお祖父様とお祖母様、それから伯父様と伯母様にも会えるわよ」


 ソファで私の隣にいたクレアを抱き寄せてそう言うと、クレアは口を尖らせた。


「おばあさま、あうのやだ」


 昼にメイさんから聞いたことを思い出し、私は急いで首を振った。


「違うわ。あのお祖母様じゃなくて、クレアがまだ会ったことのないもうひとりのお祖母様がいるの」


「もうひとり?」


「そうよ。きっと皆、クレアのことをたくさん可愛いがってくれるわ」


「クレア、かわいい?」


「とっても可愛い」


 夕食をいただいてから、私も返事を綴った。

 ノア様の意向でお父様に私たちの居場所は知らせていないそうなので、コーウェン家やアンダーソンドレス工房のことには触れられないが、クレアと一緒に安全な場所にいる、落ち着いたらクレアを連れて帰ると書いた。


 工房と違って宮廷は土日とお休みなので、お父様にこの手紙が届くのは3日後になる。

 それでも本当のことを書けるし、間違いなく届くと信じられるのだから、ローガン家にいた時とは段違いに実家との距離が近くなったような気がした。


 ふと横を見れば、クレアが真剣な顔で紙に絵を描いていた。お絵描きもコーウェン家に来てからクレアが新しく覚えたことだ。


「できた」


「何を描いたの?」


「クレアとおかあさまとメイ」


 言われてみれば、真ん中に小さな子ども、その両脇に女性と男性という3人が描かれているらしかった。まるで親子のようだ。


「お手紙と一緒にお祖父様に差し上げたいから、もう1枚何か描いてくれる?」


「これはだめなの?」


 クレアにそう訊かれても、男性が誰かをまだ説明できなくて実家の家族に次期侯爵だと勘違いされたくないからとは言えない。


「これはお母様がほしいな」


「じゃあ、おかあさまにあげる」


 クレアは新しい紙に絵を描きはじめた。




 この夜も、クレアが眠った後でメイさんが客間を訪れた。

 戸惑う気持ちはあるが、入っていいかと訊かれると断れない。


 メイさんはベッドの傍まで行くと、クレアの寝顔を覗いて微笑んだ。


「起きている時ももちろん可愛いけど、寝顔も可愛いですよね」


「はい」


 私にとってクレアは可愛い娘だけれど、メイさんにも可愛いと言ってもらえるのは素直に嬉しかった。

 だから、どうしようかと迷っていたことを思いきって口にした。


「メイさんにお願いがあるのですが」


「何ですか?」

 

 パッと振り返ったメイさんは、私にも笑顔を向けてくださった。  


「この絵、よかったらもらっていただけませんか?」


 私が差し出したのは、クレアが2枚目に描いた絵だった。メイさんはそれを受け取って、ジッと見つめた。


「これ、もしかして僕ですか? こっちはドレスかな?」


「はい、そのようです」


 メイさんとドレスという絵はやはり家族に説明しづらくて、ついクレアに「これはメイさんにあげようか」などと言ってしまい、クレアは「そうする」と頷いて、お父様に送る絵はまた明日ということになったのだった。


「喜んでいただきます」


 メイさんの表情は、本当に喜んでくださっているように見えた。


「ありがとうございます」


「もらうのは僕なんだから、お礼を言うのも僕だと思いますけど……。そっちの絵は?」


 メイさんはテーブルの上に置いてあった1枚目の絵のほうに目を向けた。


「すみません。メイさんとクレアと私だそうです」


「何で謝るんですか? 上手に描けているのに」


 首を傾げたメイさんに、私はまた「すみません」と応えてしまった。

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