挿話4
夕食後、義兄上とノアと僕にコリンを強引に加えて、食堂近くの談話室でワインを飲んだ。
しばらくすると義兄上は帰宅し、コリンも仕事が残っているとか言って抜けた。
残ったふたりでノアの部屋に移動すると、不満が口から溢れた。
「どうしてパトリシアさんの前で毒花のこと話すんだよ」
「話したのは義兄上だ」
「義兄上に話したのはノアでしょ。さっき、面白がってたし」
「パットも笑ってたんだから、もういいだろ」
「あ、それも。何で愛称呼びなの?」
「セアラがそう呼んでいるからだ。逆に、おまえはいつまで『パトリシアさん』なんて他人行儀に呼ぶんだ?」
「暴走しないよう自分に枷を嵌めてるんだよ。離縁できていないうちから押したら、思いっきり引かれそうだから」
「無駄な努力だな。少しくらいは匂わせておかないと、いざとなった時に逃げられるんじゃないか?」
「匂わせてはいるつもりだけど」
パトリシアさんは気づいたとしても、気のせいにしそう。
僕と同じ歳だというパトリシアさんが、もう色々なことを諦めてしまっているらしいのが哀しい。
彼女からそんな雰囲気を感じるたび、ギュッと抱きしめて「僕が全部あげるから」って言いたくなるけど、今はまだ戸惑わせるだけに決まってるから言えない。
せめて、出会ったのがウォルフォード家の夜会でなく、もっと前なら違っていたのだろうか。
「学園、行けばよかったかな」
ノアが何でもない顔で答えた。
「勉強がしたくなったなら今からでも行けばいい。何なら、センティア校への留学費用だって出してやる」
「勉強したいんじゃなくて、パトリシアさんと教室で机を並べてみたかっただけだって、わかって言ってるよね」
ノアは鼻で笑った。
「おまえもメルみたいなことを考えるんだな」
「ちょっと考えただけよ。メルと一緒にしないで」
メルはタズルナの第三王子だったくせにロッティと同じ学園に通いたいからと留学しようとして、ロッティに止められた。
結果、タズルナのセンティア校への入学が1年遅くなり、その分、結婚も遅れることになった。
もっとも、メルのあまりに突飛な行動にロッティも観念し、メルとの婚約を決意したのだっけ。
僕もメルのあの行動力は嫌いじゃない。真似はしないけど。
「一応教えておくが、学園は共学だが婚約者でもなければ異性とは距離を置いて過ごすものだ。家名で呼び合い、挨拶以上の会話はほとんど交わさない」
まるで見てきたように話してるけど、ノアが卒業したのも男子校のセンティアだ。
「そのくらいわかってるけどさ」
ただの昔話のつもりでセアラが初恋の相手だったと話したら、パトリシアさんに今でも好きなのだと誤解されそうになったので、否定する流れで彼女の初恋についても聞くことになってしまった。
パトリシアさんの初恋相手は学園のクラスメイトだった。さらに僕がふたりと同じ教室にいた可能性もあったのだと知って、つい考えてしまったのだ。
僕が入学していれば、パトリシアさんが気にしたのは試験の順位を競う平民の生徒ではなく、「クレア夫人の息子」だったんじゃないかって。
「ノアももっと早くセアラと出会いたかったって思ったことくらいあるでしょ?」
「ないとは言わないが、留学したことを後悔したことはない。あの経験があったから、セアラを守れる今の私がいるんだ」
ノアなら留学なんかしなくても十分セアラを守れたと思うけど、隣国の名門校で首席を取るような人間は妥協しないんだね。
「僕だって師匠に弟子入りしたことを後悔なんてしないよ。ドレス職人は僕の天職だから」
「どちらにしても過去には戻れないんだから、悩むなら先のことにするんだな」
「うん。それもわかってる」
顔も知らない相手に嫉妬したところで、今さらどうしようもない。
それにきっと、パトリシアさんは過去に戻ってやり直したいなんて考えもしないだろう。
パトリシアさんにとってローガン次期侯爵との結婚がどんなに辛いものだったとしても、彼女がクレアのいない人生を望むはずがない。
だいたい、パトリシアさんには話さなかったけど、彼女が学園で平民のクラスメイトを意識していたのと同じ頃、僕には恋人がいたのだから、我ながら本当に勝手だと思う。
13歳でアンダーソンドレス工房に弟子入りした僕は、ひたすら師匠のもとでドレスを仕立てる技術を学んでいった。
ドレス職人になると決心した時点で学園には入学しないことも決めていた。たいていの貴族の子女が社交界にデビューする15歳の年も修行に明け暮れて終わった。
師匠に弟子入りして以来、「なぜ貴族の息子がドレスなんか作るんだ」、「どうせ飽きるまでのお遊びだろう」などとあちこちで言われた。
僕のことだけならまだしも、師匠のことまで「公爵の贔屓を得るためにその息子を弟子にしたんだ」なんて言う人もいた。
むしろ逆で、父上に贔屓にされていたからこんな面倒な弟子を持つことになってしまったのに。
僕が入った頃、アンダーソンドレス工房にはイーサンさんの他にふたり兄弟子がいたけれど、そのうちのひとりも僕がいると自分が正当に評価されないからと辞めてしまった。
「あいつはドレス職人になる根性がなくて、辞めるのに自分が納得できる理由がほしかっただけだ。メイがたくさんのドレスを見られる環境で育ったことは確かにあいつより有利かもしれないが、それを活かして職人として大成できるかどうかは結局、今後の努力次第だからな」
イーサンさんにはそう励まされた。
師匠やイーサンさんは僕を貴族でも平民でもなくただのドレス職人見習いとして扱い、育ててくれた。僕はそれに応えたくて、必死だった。
ちなみに、もう1人の兄弟子は一昨年独立して自分の工房を構えた。
僕に恋人ができたのは、16歳になってすぐのことだ。
相手は工房からそう遠くない場所にあるカフェで働く2つ歳上の女性だった。
多分、彼女と初めて会ったのは僕が工房に入って間もなくだったと思うけど、正直よく覚えていない。
ドレス以外のことにも目を向ける余裕ができてやっと彼女の存在に気づいたって感じで、それから話をするようになって好意を持った。
彼女からも同じものを感じたので、僕から告白してお付き合いをはじめた。
だけど、1年ほどたって突然、彼女の態度が変わってしまった。僕が貴族の息子だと知ったことが原因だった。
僕の気持ちは本物ではなく、彼女を玩んで楽しんでいたのだと決めつけられた。僕が何を言っても彼女は聞く耳を持たず、そのうちに会いに行っても避けられるようになった。
しばらくして彼女はカフェを辞め、僕の前から姿を消した。
故郷に帰って親の決めた相手と結婚するというのが、退職の理由だと聞いた。
今振り返れば大事なことを黙っていた僕が悪いんだけど、当時はかなり落ち込んだし、彼女に対して腹も立った。
彼女も僕が平民か貴族かで見る目を変える人間だったんだなって。
失恋して、嫌なことも思い出したけど、立ち直るのにあまり時間はかからなかった。
風の噂で彼女が夫と幸せに暮らしていると聞いた時には、それを素直に祝福する気持ちにもなれた。




