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11 お話の続き

 お昼休みになると、縫製係の皆さんは一旦家に帰っていった。

 外出から戻ったアンダーソンさんやイーサンさんらアンダーソン家の方々は店番があるので交代で、裏のお屋敷で昼食をとるそうだ。


 私は昼食のことなど頭になかったので、どうしようかと考えた。

 一昨日は結局、乗合馬車に乗らなかったので懐にはラルフに渡されたお金が残っているけれど、これから何に必要になるかわからないのでできるだけ使いたくない。

 それに、今までの生活では昼食を食べられないことなど珍しくなかった。だから食事は取らなくてもいい。


 工房の中にいては気を使われるかもしれないと思い、とりあえず外に出て休める場所を探してみることにした。

 まだ足が少し痛むのであまり遠くまでは行けそうになかった。


 裏口を潜ると、ちょうどメイさんの馬車が角を曲がって戻ってくるのが見えた。

 馬車は今朝と同じ場所で停まり、メイさんが御者台から降りてきた。


「ただいま」


「お帰りなさいませ。クレアは大丈夫でしたか?」


「はい。さっそくエルマーと手を繋いで庭に駆けていきましたよ」


 私はホッとして頭を下げた。


「どうもありがとうございました」


「いえ。ところで、お昼まだですよね? 家で用意してくれてたんで一緒に食べましょう」


 そう言って、メイさんは荷台から出したバスケットを掲げた。


 メイさんと再び工房の中に戻り、ソファに座った。

 バスケットの中にはふたり分には多いくらいの量のサンドイッチとアップルパイ、さらに紅茶の入った水筒まであって、メイさんが手ずからテーブルの上に並べてくださった。

 食べなくていいと思っていたはずなのに、それらを目にした途端、空腹を感じた。


 メイさんがさっそく「いただきます」と言ってサンドウィッチを口に運んだので、私もそれを真似た。

 パンはもちろん挟まれたチーズやハムも美味しくて、じっくりと噛みしめるように食べる。

 ふと視線を上げると、嬉しそうな表情でこちらを見ていたメイさんと目が合って、急にドキドキしてしまった。


 落ち着こうと、サンドウィッチは一旦置いて紅茶を口に含む。紅茶は冷めていたけれど、それでも美味しいのはさすがだ。

 だけど、カップを置いてチラと視線を向けるとやっぱりメイさんに見られていた。


「あの、何か?」


「美味しそうに食べるな、と思って」


「コーウェン家でいただくものはどれも本当に美味しいですから」


「でも、屋敷での食事の時は無理して笑っているように見えましたよ」


 身に覚えがあったので言葉に詰まると、メイさんが声を潜めて言った。


「苦手なものがあるなら遠慮なく言ってくださいね。クレアの前だと言いにくいでしょうけど、今なら僕しかいませんから」


「いえ、好き嫌いはありません。あれは、そういうことではなくて……」


「なくて?」


 とても言い難いことだけれど、メイさんの顔に心配そうな色が浮かんでいるのに気づくと正直に告白するしかなかった。


「ずっと憧れていたものを目の当たりにした感動で、気を抜くと涙が出そうだったんです」


 メイさんが目を瞬いた。


「私が母から聞いていたのはあくまでお話ですが、きっと実際の前公爵夫妻も幸せに暮らしていらっしゃるのだろうと想像していたので、コーウェン家のお食事やお見送りのような日常が幸せそのものなのが本当に嬉しくて」


 あの場におふたりがいらっしゃらなくても、おふたりが築いたものの延長にあの光景があることは間違いない。

 結婚したら私も同じように築きたいと思っていて、でも、できなかった。だからこそ余計に。


 話しているうちにまた涙ぐんでしまったが、メイさんが眉を顰めたので急いで目尻を拭った。


「申し訳ありません。赤の他人からこんなこと言われたら気持ち悪いですよね」


「パトリシアさんはもう他人ではありません。気持ち悪いなんて思いませんから、胸の中に溜めておかないで何でも話してください」


 メイさんの優しい目が真っ直ぐに私を見つめていた。

 私が何より嬉しかったのは、尊敬するクレア夫人のご子息がこういう方だったことだ。


 声を出したら涙まで溢れてしまいそうでただ頷くと、メイさんも微笑んで頷いた。


「さあ、食べましょう」


 メイさんの食べっぷりは豪快かつ品があった。

 ちょっと多いのではと思っていたのに、メイさんが私の倍近い量を召し上がったため、サンドイッチもアップルパイも見事に姿を消した。


 それなのに、メイさんはさらに一昨日と同じクッキーを持ってきて食べはじめた。

 勧められて、私も1枚だけ口にする。


「そう言えば、このクッキーは前公爵夫人がお好きなものなのですよね」


「そうですよ。父はよくお菓子を買ってきてくれるんですけど、これが1番多いです」


「ご夫婦仲がよろしいのですね」


「というか、とにかく父上が母上を大好きなんです。僕がまだ小さい頃に母上と並んで座っていたら、父上は自分が母上と並びたいがために僕を膝に乗せましたから」


 夜会でお会いした前公爵のお顔からはとてもそんなことをするようには思えないけれど、メイさんが冗談を言っている感じでもなかった。


「前公爵もノア様のような方なのでしょうか?」


 思いきって尋ねると、メイさんは首を傾げた。


「ノアのよう、とは?」


「つまり、ご家族の前では優しいお顔をなさるのでしょうか?」


「ああ」


 メイさんがニッと笑った。


「父上は無表情で無口で冷たい人間に見えるらしいですね」


 まさにそのとおりだったので、咄嗟に「はい、すみません」と口にした。


「父上は冷たくなんかないですよ。実は僕、ドレスがどんな風に作られているのか確かめたくて、保管部屋にあったものを糸を解いてバラバラにしたことがあって」


「ええ、ドレスを?」


「その時、母上には叱られましたけど、父上には褒められました。『そんなことを考えるなんてメイは凄いね』って。僕の父上はそういう人です」


 前公爵も優しい方のようで良かった、と単純に考えられる範囲を超えていて、唖然としてしまった。

 でも、そういうお父様がいらっしゃったから今のメイさんがいるのかと、納得できる気がした。


「器の大きな方なのですね」


 メイさんがまた首を傾げた。


「それもちょっと違うかな。少し親しくなればわかってもらえると思います」


「親しく……」


 していただけるのだろうかと不安になったけれど、メイさんは疑っていない様子だった。




 お昼休みが終わると再び縫製係の皆さんが集まり、午前同様それぞれ割り振られた作業にあたった。


 そして夕方、アンダーソンさんやイーサンさんも含め皆さんが帰ってから、メイさんが工房の片付けや整理をする。私もまたお手伝いをした。


「ここでの仕事はどうでしたか? 1日中ひたすら縫うばかりで、嫌になってませんか?」


「いえ。確かに私の役割はただ縫い合わせるだけでしたが、あれが最終的には綺麗なドレスになるんだと思うとワクワクします。それに、今までと違って同じお仕事をする皆さんが周りにいて、お喋りしたりできるのも楽しいです。ローガン家でもラルフが話し相手になってくれましたが、外に出られない分の情報収集みたいな感じだったので」


「ラルフ?」


「侯爵が領地経営を任せていた家令です」


「ああ」


 最後に戸締まりをして、この日のお仕事がすべて終わった。


「手伝ってもらってありがとうございました。帰りましょう。クレアが待ってます」


「はい」


 馬車が大通りに出ると、やはり家路を急いでいるのであろう人々の姿があった。

 途中、乗合馬車ともすれ違う。


 しばらくして、メイさんが「そう言えば」と切り出した。


「パトリシアさんが聞いていたうちの母上の話、僕にも聞かせてくれませんか」


「メイさんに、ですか……」


「はい。クレアに話すような感じでお願いします」


 お昼休みに打ち明けたこと以上に話し難いけれど、断るわけにもいかない。

 仕方なく、隣にいるのはクレアだと自分に言い聞かせてから、「クレアとセドリック」のお話を語った。


「……ふたりはとても幸せに暮らしています」


 そう語り終えてもメイさんは黙ったままだったので気分を害してしまったかと思いかけたところで、メイさんが声をあげて笑い出した。


「その話って、パトリシアさんの母上が作ったんですか?」


 そう尋ねる声も震えていた。


「作ったというよりも、色々なところで聞いた話を纏めたのだと思います。やはり、真実とはまったく違いますか?」


「違うといえば違うんですけど、父上の願望が詰まっているような話だから、父上が作ったのかと」


「願望?」


「再会した時にはもう母上は最初の婚約を解消していたから、元婚約者から掻っ攫うようなことはできなかった。ダンスは苦手。久しぶりに会った母上の態度がよそよそしいのが哀しくて咄嗟に求婚してしまったので薔薇の花束なんて用意していなかったし、母上にすぐには結婚を了承してもらえなかった。……あ、でも、父上が作った話なら母上は『セドリック』ではなく『セディ』と呼ぶか」


「セディ?」


「無表情で無口ではない父上を知る人は、皆そう呼びます」


 何だか、コーウェン前公爵の印象がどんどん崩れていって、ここまで私が聞いてしまって良かったのかと心配にもなった。


 お屋敷に帰り着いてメイさんと玄関を入ると、奥からクレアが駆けてきた。


「おかあさま」


 そのまま私に飛びついたクレアを、私もしっかりと抱きしめた。


「ただいま、クレア」

 

 工房でのお仕事は楽しかったけれど、こうしてクレアの顔を見て抱きしめると心底ホッとした。




 その日のお夕食には、私たちより少し後に帰宅されたノア様が宮廷から伴ったお客様が同席された。ノア様とメイさんのお義兄様であるルパート・マクニール侯爵だ。


「ローガン家のことを教えていただこうと思って招いたんだ。同じ侯爵位だから私より知っているだろうと。姉上がいればローガン侯爵夫人のことも聞きたかったが」


 マクニール侯爵夫人のアメリア様も前公爵夫妻と一緒にタズルナに行かれたそうだ。


「久しぶりだね、パトリシア嬢」


「私のこと覚えていてくださったのですか?」


 マクニール侯爵には夜会で何度かご挨拶したことがあるが、5年は前なのに。


「残念ながら私もローガン侯爵とはあまり付き合いがないんだが、オーティス伯爵とは交流があるからね」


「父と親しかったのですか?」


 確かに、社交界デビューの時に私をマクニール侯爵夫妻に引き合わせてくれたのは父だったけれど、他にもたくさんの方にご挨拶している中だったし、どの程度の関係なのかは知らなかった。


「もともと君の父上は学園の1年先輩だったんだけど、宮廷に入ってから顔を合わせる機会が増えて、さらに今はうちのヴィンスとダイアナ嬢がクラスメイトだ」


「そうだったのですか。父は変わりないでしょうか?」


 家族の近況を人に尋ねなければならないことに情けなさを感じた。


「表面上は変わりなかったけれど、きっと君のことは心配していただろうね。メイが見つけてくれて良かったよ。それにしても、まさかパトリシア嬢が毒花だったとは」


「どうして義兄上がそれ知ってるの?」


 メイさんが慌てた様子で声をあげた。

 知らないうちに社交界で私の渾名が増えたのかと思ったけれど、違うようだ。


「私が話した」


 メイさんとは異なり、ノア様が落ち着き払って仰った。


「義兄上もウォルフォード家の夜会には来ていたから、一応訊いてみたんだ」


「だとしても、毒花まで言う必要ないよね。他にも誰かに言ったの?」


「いや、義兄上くらいかな」


 メイさんが深く溜息を吐いてから、私を見つめた。


「すみません。毒花というのはパトリシアさんのことではなくて、あなたが着ていたあのドレスのことです」


「毒花みたいなドレスを着せられていたがパットは清廉な印象だった、だろ?」


「だから、もう何も言わないでってば」


 メイさんが顔を赤くして睨んでも、ノア様は楽しそうに笑っただけだった。

 私も頬に熱を感じた。


「本当にすみません」


 同じ言葉を繰り返したメイさんに、私は首を振った。


「いえ。私とクレアはあのドレスを悪の女王ドレスと呼んでいましたから」


 ノア様が吹き出した。


「どっちもどっちだな」


 私も他の方たちも笑い出し、メイさんもどこか申し訳なさそうな笑顔になった。


「ノア、オーティス伯爵にパトリシア嬢のことを話しても構わないか?」


「ええ。無事を伝えてあげてください。だが、ローガン家にまだパットの居場所を知られたくないから、ご家族に会うのはもう少し我慢してくれ」


 ローガン家が私とクレアを探しているなら、最初に疑うのは実家のオーティス家だ。


「はい。マクニール侯爵、どうかよろしくお願いします」


 私が頭を下げると、マクニール侯爵はしっかりと頷いてくださった。


「義兄上、ローガン侯爵と親しい人間はわかりますか?」


 ノア様の問いにマクニール侯爵が唸った。


「思いつかないな。あまり誰かと連む人ではないから。仕事はできるみたいだけど」


「宮廷ではそのとおりですが、領地経営は家令とパットに任せきりだったそうです」


「だったら、屋敷にほとんど帰らないというのは本当なんだな。社交場にはひとりで行くか愛人を伴うかだから、ご婦人方にはよく思われていないみたいだ」


 どうやらローガン侯爵に愛人がいることは公然の秘密だったらしい。

 結婚前、社交界に出られていた時によく耳を澄ませていれば、ローガン家についてもっと知ったうえで嫁げたのかもしれない。

 どちらにせよ、結果は同じだっただろうけれど。


 夕食後、私はセアラ様や子どもたちと居間に移り、それから客間に戻った。

 男性方はしばらく別のお部屋でお酒を楽しまれていたようだ。

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