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1 不幸な結婚生活

ヒロインは愛のない結婚をし、娘が生まれます。

読んで気分の悪くなるような場面や台詞が続きます。

ご注意ください。

 ある伯爵家にクレアという名の令嬢がいました。クレアはとても賢く明るい子でした。


 クレアには公爵家のセドリックという幼馴染がいました。

 クレアとセドリックはとても仲良しでしたが、ある時、セドリックは外国に行くことになりました。ふたりは必ずまた会おうと約束して別れました。


 それからしばらくして、クレアのお母様が亡くなってしまいました。

 クレアは悲しみを堪えてお母様の代わりにお父様を支え、弟と妹の面倒を見ました。


 やがてクレアには婚約者ができました。

 しかし婚約者はクレアの良いところは認めず、他の女性のことばかり褒めました。


 ある日、クレアは婚約者と一緒に夜会に出かけましたが、婚約者はクレアのことは放って他の女性とダンスをしていました。

 それを見ながらも背筋を伸ばして凛と立っていたクレアの前に、ひとりの美しい貴公子が現れました。


「クレア、僕と踊っていただけませんか?」


 そう言って手を差し出した貴公子を見上げて、クレアは驚きの声をあげました。


「セドリックなの?」


「長く待たせてごめんね。でも、これからはずっとクレアの傍にいるよ」


「だけど、私には婚約者が」


 その時、クレアの婚約者がやって来ました。


「俺の婚約者に何をしている」


 セドリックがクレアを守るように前に出て、きっぱりと言いました。


「クレアはもうあなたの婚約者ではありません」


「何だと?」


「クレアに対するあなたの態度がとても酷いことに耐えかねて、クレアの父上が先ほど婚約を解消なさったのです。ほら、これがその届。もちろん国王陛下のサインが入っています」


「ま、まさか」


 震え出した元婚約者をよそに、セドリックはまたクレアに手を差し出しました。


「さあ、クレア」


「ええ、セドリック」


 クレアも今度は迷わずセドリックの手を取り、ふたりはダンスをはじめました。

 セドリックの美しさとふたりの完璧なダンスに会場の誰もが見惚れました。


 ダンスが終わると、セドリックがクレアの前に跪き、大きな薔薇の花束を差し出しました。


「クレア、僕と結婚してくれますか?」


「はい、喜んで」


 会場では祝福の拍手が鳴り響きました。


 婚約したクレアとセドリックは穏やかな日々を過ごしていました。


 ところが、しばらくして元婚約者の結婚相手がクレアの前に現れ、ナイフで斬りつけてきました。

 そして、クレアを庇ったセドリックが大怪我をしてしまいました。

 しかし、クレアの献身的な看病のおかげでセドリックは回復し、ふたりは無事に結婚することができました。


 その後、公爵になったセドリックをクレアが持ち前の賢さと明るさで助け、5人の子どもたちにも恵まれて、ふたりはとても幸せに暮らしています。




 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 子どもの頃、母は私に様々なお話を聞かせてくれた。「昔々、あるところで」と始まる、お姫様が、あるいは貧しい女の子が、王子様や魔法使いの助けで幸せになるというようなものが定番だった。

 だけど、私が特に心惹かれたお話だけは、「ある伯爵家に」で始まって、現在進行形で終わっていた。

 主人公が私と同じ伯爵令嬢だったので身近に感じられたのと、他のお話と違ってふたりで助け合って幸せになるところが好きだった。


 その主人公が実在するクレア・コーウェン公爵夫人のことだと知ってからはコーウェン公爵夫人が私の憧れになり、私もコーウェン公爵夫人のようになりたいと何事も努力して身につけた。

 おかげで学園に入ると成績は上位に入れたし、社交界デビューすると礼儀作法を褒められた。

 デビューの年に機会を得て初めてお会いし、ご挨拶させていただいたコーウェン公爵夫人の前ではさすがに緊張したものの、尊敬する方から微笑みかけられて舞い上がった。


 私が学園の3年生の時、ローガン侯爵家から私の実家オーティス伯爵家に縁談が持ちかけられた。

 3歳上のご嫡男ブラッドリー様と面識はなかったが、ローガン家のひとり息子であることは知っていた。ローガン侯爵が王宮で法務官として、ブラッドリー様は書記官として働いていることも、同じく王宮の財務官である父から聞いた。

 私は美人ではないし、女性としては背が高いほうで、あまり男性に好まれる容姿ではない。だから、これまでの努力を認めてもらえたのだと両親と一緒に単純に喜んだ。




 ローガン家で行われた初めての顔合わせの日、ブラッドリー様は強張ったような笑顔を浮かべていた。きっと私と同じで緊張されているのだろうと解釈した。

 ローガン侯爵は大して面白くもないという表情だったが、侯爵夫人は愛想良く私と両親を迎えてくださった。

 ブラッドリー様は婚約の記念だという首飾りをくださった。私の好み云々は置くとしても若い女性への贈り物としては首を傾げたくなるようなデザインだと思ってから、そんな失礼なことを考えた自分を恥じた。


 正式に婚約を結んでからローガン家に招かれてもお会いするのは侯爵夫人ばかりだった。

 ブラッドリー様から何度か夜会や観劇へ誘われたがいつも直前になって急用を理由に取り消され、そのうちお誘い自体がなくなって、いただいた首飾りをつける機会もないままだった。

 何かがおかしいとは思いながらも、次期侯爵ともなればお忙しくて当然だと自分を納得させた。


 結婚式に関しても、結婚後に関しても特に打ち合わせをすることも希望を訊かれることもなく、侯爵夫人から一方的にああするこうすると伝えられた。

 爵位が上のローガン家に我が家から物申すことはできなかった。


 私がオーティス家で過ごした最後の夜、お父様は少しだけ案じるような表情で言った。


「結婚すれば辛いこともあるだろう。それは相手が誰であっても同じだ。だが、パットならきっと乗り越えられる。ローガン次期侯爵夫人として、しっかり励みなさい」




 そうして、私はブラッドリー様と結婚した。


 採寸された以外、何の相談も確認もなかったウェディングドレスが自分に似合っているのかどうか、私は考えないようにした。

 踵の低い靴だったのは、ブラッドリー様と私の背の高さがあまり変わらないためだろう。


 結婚式でもブラッドリー様はやはり強張った表情をしていた。隣にいる私を見ることはなく、誓いの口づけは振りだけだった。


 表面上は式が滞りなく終わりブラッドリー様と並んで教会を出た時、参列客のひとりが昏い目で私を見つめていることに気づいた。

 私と同じ歳くらいの、そんな表情をしていなければきっと可愛らしいであろう令嬢だった。


 ローガン家のお屋敷に戻る馬車が動き出すと、ブラッドリー様は本性を現した。


「私は父上が決めたから仕方なくおまえみたいな性悪女と結婚したが、妻として扱う気はない。私に何も求めるな」


 なぜそんな言葉を吐かれ、蔑んだ目で睨みつけられるのかわからず、私は身を固くした。


「ブラッドリー様、私は……」


「誰が名前を呼ぶことを許した」


「も、申し訳ありません」


「2度と口にするな。汚らわしい」


 私はそれ以上何も言えなくなった。

 同じ馬車に乗っていたローガン家のメイドは黙って知らぬ顔をしていた。




 初夜を放棄するのではないかと思ったローガン次期侯爵は、その夜遅く私の寝室にやって来た。

 私が驚いているうちに、次期侯爵は私の上に馬乗りになった。


「何でこんな醜い女と」


 次期侯爵は義務だから仕方なく来たのだと言った。夫としての妻への義務ではない。嫡男としての父への義務だ。


「声を出すな。私に触れるな」


 それは結婚前に実家で聞いてぼんやり想像していたものとはまったく違っていた。

 事が済めば次期侯爵はさっさと寝室を出て行ったが、私は朝まで眠れなかった。




 ローガン次期侯爵は仕事だ社交だといつも帰りが遅く、休日もほとんど屋敷にいなかった。

 そのくせ私には「外に出るな」と言った。


「外でおまえなんかに私の妻のような顔をされるのも、この家のことをあれこれ話されるのも堪らない」


 そんなことをするつもりはないと言っても、次期侯爵は聞く耳を持たなかった。


 もちろん次期侯爵が社交に私を伴うこともなかった。

 実家にも帰れないので、時おり手紙を送った。次期侯爵か侯爵夫人に読まれるかもしれないと思うと本当のことは書けなくて、いつも「元気にやっているから安心して」と書いた。


 婚約中は優しかった侯爵夫人も手のひらを返した。


 侯爵夫人はまず、私が実家から持ってきた荷物の中からアクセサリーや社交用ドレスなどの高価な品を抜いていった。私はローガン家の人間になったのだから、これらは共同管理すべきというのが侯爵夫人の言い分だった。

 その中には婚約の記念だったはずの首飾りもあった。どうやら侯爵夫人が自分の趣味で選んだものだったようだ。

 その後、首飾りは侯爵夫人がつけているのを何度も見たが、他のものがどうなったのかはわからないままだ。


 私は次期侯爵夫人としての仕事を侯爵夫人について学ぼうとしたが、向こうには私に教える気などまったくなかった。

 何を訊いても曖昧な返事しかもらえず、私が見様見真似でしたことはすべて否定された。


「どうして旦那様はこんな鈍臭いのを選んだのかしら」


 そう言って私を見る侯爵夫人の目は子息のそれとよく似ていた。


 お屋敷にお客様がいらっしゃっても私は「出てくるな」と挨拶もさせてもらえなかった。


 次期侯爵と侯爵夫人との3人でとることの多い食事は、明らかに私の分だけ粗食だった。昼食は侯爵夫人の分しか用意されていないことも珍しくなかった。


 ローガン侯爵は子息以上に不在がちだったが、私にあることを命じた。


「領地経営に関する仕事をしろ」


「私がですか?」


「そのために少しは使えそうなおまえをブラッドリーの嫁にしたんだ。やり方はラルフに聞け」


 こうして私は家令のラルフから領地経営について学びはじめた。

 次の女主人としての仕事をさせてもらえないので、別にやるべきことがあるのは有難くはあった。

 ラルフは侯爵から領地経営のほとんどを任されているだけあってかなり頭が切れ、特に計算は恐ろしく早かった。




 ローガン次期侯爵が私と仕方なく結婚した理由はすぐに知れた。

 次期侯爵には幼馴染のシェリル・エメット男爵令嬢という恋人がいたのだが、侯爵に彼女との結婚を認められなかったのだ。

 おそらく結婚式で見かけたあの令嬢だろう。


 私がシェリル様のことを知ったのは他でもない侯爵夫人の口からだった。


「シェリルは素直で良い娘だったのに」


 私に向かって繰り返しそんなことを言うくらいなら、子息が恋人と結婚できるよう侯爵を説得してさしあげれば良かっただろうに、侯爵夫人はそうしなかったそうだ。

 ローガン家において侯爵の意見は絶対で、夫人も子息も黙って従うのみだった。


 このあたりはラルフから聞いたことだ。

 ローガン家の使用人たちは侯爵夫人の意を汲んで私に余所余所しかったが、ラルフはどちらかと言えば夫人と距離があるように見えた。

 それでもラルフがローガン家で働き続けられるのは、やはり侯爵の意向なのだろう。

 実家からメイドを連れて行くことも許されなかった私にとって、ラルフだけがまともに会話できる相手だった。


 ラルフによれば、次期侯爵と侯爵夫人は数字が苦手なため領地経営の仕事には向いておらず、だから侯爵はラルフや私のような人間を必要としたそうだ。

 私は確かに侯爵から認められていたようだが、私が思っていたのとは違う形だったのだ。

 だが、そもそもこういうことは侯爵の仕事のはずだ。もちろん王宮の仕事も大事なものだが、そのために領地経営を疎かにしていいはずがない。


 そう思っていたら、侯爵があまり屋敷にいないのは王宮の仕事が忙しいからではなく、愛人を囲っていてそちらで暮らしているためだからだったらしい。

 侯爵夫妻もかなり冷えきった関係のようだ。

 侯爵は夫人を夜会やパーティーに伴っても入場時のエスコート以外は完全に放ったらかしで、そのため侯爵夫人はパートナーを必要としない女性だけのお茶会などにしか顔を出さないのだという。




 あの後も、ローガン次期侯爵は月に1度か2度は私の寝室にやって来て、私を貶める言葉を口にしながら同じことをした。


 それがまだ片手で足る回数のうちに私は身籠った。


「本当に私の子なのか?」


 相変わらずの蔑んだ目でそう言い捨てたのを最後に、次期侯爵が寝室を訪れることはなくなった。

 お腹の子が私を救ってくれたような気がした。




 妊娠したからと私の周囲の何が変わることもなかった。

 次期侯爵が私などいないように振る舞うのも、もはや気にならなかった。


 しかし私のお腹がだいぶ大きくなったある日、次期侯爵は怖ろしい勢いで私に罵声を浴びせてきた。「おまえのせいだ」、「おまえなんか消えろ」などと。

 私は身を縮めて次期侯爵の気が済むまでひたすら耐えた。

 同じようなことは、その後もたびたびあった。


 ラルフによると、シェリル様が結婚なさったらしい。

 お相手は裕福な商人ジェフ・ガードナー氏。シェリル様とは父娘ほど歳の差があり、シェリル様より歳上のご子息もふたりいらっしゃるそうだ。

 エメット家には多額の借金があり、ガードナー氏にそれを肩代わりしてもらったのだという。




 私は無事に出産した。生まれたのは愛らしい女の子だった。


 男の子を期待していた侯爵夫人はあからさまにがっかりして見せた。


「本当に駄目な嫁ね」


 もし生まれたのが男の子だったとしても私の待遇はきっと変わらず、それどころか侯爵夫人に子どもを奪われていたかもしれない。


 侯爵はただ一言、「女か」と言った。

 次期侯爵は子どもにもまるで興味がないようだった。


 誰にも娘の名前を考えている様子がなかったので、私は尊敬するコーウェン公爵夫人のお名前をいただいて「クレア」と名付けた。


 クレアは私の心の拠り所であり、何を置いても守るべき存在だった。

 領地経営の仕事をしている時も寝る時も、常にクレアを目の届くところに置いた。


 産着こそ用意されていたものの、女の子とわかってからは何も与えられなかったので、私はクレアのための服や下着を作った。

 材料は嫁いだ時に実家から持ってきたオーティス領の特産品である綿布や糸を使った。貴族が好む絹などの高級品ではなかったので、侯爵夫人に見向きもされなかったのが役に立ったのだ。

 私自身も結婚してから新しいドレスなど買ってもらえず、やはり実家から持参したドレスがだいぶ草臥れてきていたため、自分用にも作りはじめた。ドレスというよりは平民の着るワンピースに近いかもしれない。

 ドレスの材料がなくなってしまうと、ラルフが用立ててくれた。

 綿ドレスを着た私たちを侯爵夫人はやはり蔑んだ目で見た。


「みっともないこと。でもおまえにはお似合いだわ」


 クレアが赤ん坊のうちはせっせと乳を飲ませた。乳離れしてからは、侯爵夫人もクレアの食事を抜くことはしなかったが、足りないようなら私の分を食べさせた。


 子どもの頃に実家の母がそうしてくれたように、私もクレアにお話を聞かせた。お姫様や貧しい女の子が幸せになる話を。そして私の尊敬するクレア夫人の話も。


 私は侯爵に命じられた仕事をこなしながらクレアを育てることに必死だった。

 次期侯爵は時おり癇癪を起こしたように私を罵った。私はそのたびにクレアを抱きしめて庇いながらその耳を塞いだ。


 そんな生活に突然の変化が起きたのは、結婚から4年半、クレアが3歳の時だった。

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