黒い雨はまやかしになりにけり
無機質な街影に舞う霧雨。
恋人たちは歩く。
歩く。歩く。
並んでまた歩く。
歩く。歩く。
彼らはどこへ向かっているのか。歩く意味を探し求める。
探す。探す。
いつのまにか、目的と手段が入れ替わっている。
なぜだろう、不思議な感覚だ。悪い気はしない。
この怠惰で満ちた世の中に、私がどっぷり使ってしまっているからなのか。
遠い先にいる長い髪をした女性は、そのチャームポイントを少し濡らしながら、人々を結ぶ絆の箱を見ながら立ち止まっている。
笑っている。驚いている。
彼女はどんな男と連絡を取っているのだろうか。
意味もなく、ただ突然に、そんなことを考えた。
私は衝動に駆られていた。私は衝動に駆られていた。
我に返ると、遠くにいたはずの彼女はもうそこにいて、ただやはり、取り憑かれたかのようにそれを見ている。
近くから横目で覗き見る。あとすこし。あとすこし。
「あ、あの、なにか、用ですか」
どうやら無意識に前かがみになっていたようで、彼女のほうから声をかけてきた。
私はとっさに、なんでもない、とだけ伝えてその場を去った。
あぁ。くだらない。実にくだらない。
いまにもあの絆の箱がバカバカしくなるだろう。
狂ったように叩き壊して、へし折って、海に投げ捨てる。そしてまた、海へ投げ捨てたものを、懲りずに探しに行くんだ。
何度でも、何度でも。
つまらない。どうして。つまらない。
この世の不条理や不都合など、まるごとこの霧雨で消してしまえばいいのだ。
イタリア産などと謳いながら中国産を使うトマト缶も、存在価値のない害悪な虫けらも、そこにいるだけで溢れ出る醜い老廃物も、全部この霧雨が攫っていってくれればいいのだ。
だが、疲れ果てた霧雨も、やがてまた晴れ上がる。
私の望むことは何ひとつしてくれないままに、誰かのためという大義名分のもと、私や同志を嘲笑っていく。嘲笑っていく。嘲笑っていく。
その声はどんどんと遠ざかり、またいつか、何食わぬ顔をして戻ってくるのだ。
まるで、自分には汚点の存在などありえず、清廉潔白だと主張する政治家の天下りのようだ。
誰かに求められて立ち寄った街で、別な声の主のほうへと走っていったのを見届けおえると、今度は腹の虫が私を呼ぶ。
近くにあった壁一面がガラス張りのハンバーガーショップに入る。
アルバイトを意味する青い帽子の女が放つ、量産化された丁寧風の口調とお辞儀の角度に、さらに嫌気が増す。
私はぶっきらぼうに注文を伝え、すぐに3番テーブルについた。
待つ。待つ。待つ。
あとに来た7番テーブルのDQNにポテトが置かれた。
その次に来た2番テーブルの小太りの男性にも、ビッグサイズのハンバーガーセットが置かれた。
私は少し、頭をひねって考えてみた。
もしかして、注文が聞き取れなかったのか。
もしかして、お金を払っていなかったか。
もしかして、態度が悪かったから注文を受け付けてくれなかったのか。
普段はあまり考えないような落ち度まで考えはじめたあたりで、さきほどの青い帽子の女性に直接聞きに行くことにした。
「すみません」
そう言いかけたとき、ふと、重大なことに気づいた。気づいてしまった。思い出した。
誰も、私と目を合わせようとしてくれない。
誰も、私の方を見る気配がない。
そうだ。ここは私の知らない場所だ。
どうやってここまで来たのだろう。
そもそもここはどこなのだろう。
私はいままでどう過ごしてきたのだろう。
簡易な催眠術の図が頭に浮かぶ。
まさにあのグルグルが、脳内で発生している。
軌跡を辿り、糸を探し出し、知恵の輪を外すように。
あるとき、雷が落ちたような衝撃に襲われた。
これまでの人生が、フラッシュバックしてきたのだ。
そうだ、私は以前、日々つまらない作業に追われていた。
そうだ、私は以前、大手の外資系企業に勤めていた。
そうだ、私は以前、ポークソテーが大好きだった。
そうだ、私は以前、彼女を事故で失くしたのだった。
そうだ、私は以前、どこかの病院で入院していた。
そうだ。私は。私は。私は……。
そうだ。私は、2年前に、もう…………。
「この世界は実にくだらないな」