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第8話《彼の行く先を導く激しい炎》

「白い扉……つまり僕は人間界に転生できるんですか」


  彼の不快の海に沈んでいた気持ちが、一気に喜びの浮力で浮かび上がっていく。


  そこで、コウはどんなにひどい扱いを受けても、自分は地獄にだけは行きたくないということに気がついた。

 

「はい。貴方は前世で重い罪を犯していないことが分かりました。そして最期はとても辛い目にあった事も考慮いたしました」


  選択する者はずっと白い扉を示したまま話し続ける。


「さあ、ここでのお話はもう終わりです。扉を開けて、新しい人生を始めなさい」


「はい。ありがとうございます」

 

  コウは椅子から立ち上がると、選択する者が指す白い扉の前に立ち、ドアノブに手をかけて止まる。


「本当にこっちでいいんですね?」


  選択する者は、もうコウに興味はない次の人が待っているのだからといった様子で背中を向けたまま頷く。


(こっちの扉を開けて中に入れば、僕は人間界で生まれ変わることができる)


  コウはゆっくりとドアノブを回し、ドアを開けようとする。


  その時、開くはずのない右側のドアが突然開いて、選択する者が慌てて振り向く。


「コウ。そっちではありません!」


「えっ?」


  突然の大声で、彼の動きはドアを開けようとした姿勢のまま固まる。


  右を見ると、墨のように真っ暗なドアを開けて一人の女性が部屋に入ってきた。


  腰まで届く長い炎のような髪と、太陽の様に輝く瞳を持ち、古代ギリシャ人が着ていたキトンに良く似た衣服を身に纏う。まるで女神のような女性だった。


「だ、誰ですか?」


「なっ! 一体、どうやって……どうやってここに入ってきたのです!」


  コウよりも驚いていたのは 《選択する者》だ。突然立ち上がり、椅子が倒れたのも構わずに激しい口調で問い詰める。


  炎の髪の女性はその雷雨の様な言葉を無視して、足早に扉の前で固まるコウの元に向かう。


「聞いているのですか! あなたは一体……」


「黙りなさい!」


「ひいっ!」


  炎の髪の女性の一喝で、選択する者は部屋の隅に追いやられ頭を抱えて縮こまってしまう。


  それを見て唖然とするコウに、炎の髪の女性が優しく話しかけてくる。

 


「コウ。貴方の行く先は其方(そちら)ではありません」


  炎の髪の女性はコウの手を掴み、簡単にドアノブから手を引き離してしまう。


  コウは抵抗しようとしたが、何故かそれはできなかった。掴まれた瞬間、この女性(ひと)に抗ってはいけない様な気がしたのだ。


「貴女は一体? それにこっちじゃないって、どういう事ですか?」


「貴方には、こちらで、とても大切な使命があるのです。」


  コウの手を掴んだ炎の髪の女性は、今は閉じているが、先ほど自分で開けた墨色の扉に導く。


「嫌です! だってそっちは地獄じゃないですか!」


  コウは幼い子供が駄々をこねるように声を上げるが、炎の髪の女性は意に介さず、彼を地獄の入り口の前に立たせた。


「離して、離してください!」


  コウは自分の腕を掴む女性の手を力づくで振り払おうとするが上手くいかない。身体が抗うことを放棄しているようだった。


 自分を助けてくれるであろう。唯一の存在である 《選択する者》に助けを求める。


「助けてください! 僕は地獄になんて行きたくない!」


  蹲っていたローブの塊は、何とか立ち直ったて立ち上がると、炎の髪の女性の背に非難の言葉を浴びせる。


「彼を離しなさい。一体何故その少年を地獄に連れて行こうというのですか!」


  激しい口調に、今まで無視していた炎の髪の女性が、喚きながら動く夜闇のローブを視界に捉える。


「黙りなさい魔物。この少年は私が連れて行きます。邪魔をすれば容赦はしません」


「なっ、貴様。私の決定はあの御方の決定と同じ。それを覆そうというのか!」


  《選択する者》は先程とは打って変わって、激しい感情を昂らせ、大股で近づく。


「そもそも一体貴様は何者なのです。どうやってここに……」


  怒りに任せて、勢いよく炎の髪の女性の肩を掴んだ時、選択する者は何かを察したようだった。


  ローブを纏った全身がガタガタとまるで風邪をひいたかのように震える。


「ま、まさか……。そんなはずはない。貴様たちはあの御方によって全員……」


  その言葉を遮るように、炎の髪の女性は空いている左手を、選択する者のローブに包まれた胸のあたりに押し当てる。


「邪魔をしないでと言ったはずです」


  炎の髪の女性がそう一言つぶやいたと同時に、選択する者の全身が一瞬にして炎に包まれた。


「ギャアアアアアアア」


  およそ人間が発しているとは思えない叫び声をあげながら《選択する者》は部屋中を転がり回る。


  身体にまとわりつく炎は、選択する者から離れようとせず、転がって当たった壁や床さえも飲み込んで行く。


  選択する者は力尽きたのか、部屋の中央にあるテーブルの上に倒れた。それでも炎は容赦なくローブに包まれた身体を焼き尽くした。


火に包まれる寸前、ローブの下の正体を覗いて、コウは絶句する。それは巨大な蜘蛛の姿をしていたから。


  たった数十秒の間にコウの目の前で、選択する者が焼け死に、部屋全体が炎に包まれていた。


  不意に何かの肉が焼ける嫌な匂いが鼻につく。コウはそれが何の匂いなのか考えないようにしていた。


  部屋を灼熱地獄にした張本人がこちらに振り返る。


  コウは一瞬、自分も焼き殺されるのかと身構えたが、女性の太陽のような瞳からは殺意のようなものは感じない。母親が息子を慈しむような眼差しで彼を見ていた。


「邪魔者はいなくなりました。さあ行きますよ」


「行くってどこにですか?」


  炎の髪の女性は口ではなく行動で答える。右手で地獄の扉のドアノブを回す。


「待ってください! 何でそっちなんですか。僕は人間界に転生したいんです!」


「詳しいことは後で話します。早くしないと、魂が炎に焼き尽くされてしまいます」


  コウの背後に炎がジリジリと近づいてくる。直接触れていないのに、肌が焼けるような熱さが彼の頰を撫でる。


  炎は部屋全体を舐めるように広がり、二人を包み込もうとしていた。


「さあ、子供のように駄々をこねていないで、私の後をついて来てください」


  ドアが開かれる。そこにあったのは、部屋の炎の光をも吸収する深く濃い闇が大きな口を開いて二人を待ち構えていた。


(こんな所に入る?)


  思わずコウは唾を飲み込んでしまった。足が凍りついたように動かない。


「嫌なのは分かりますが、無理やりでも此方に来てもらいます」


  炎の髪の女性は動こうとしない彼を引っ張って真っ暗な口の中に足を踏みいれようとする。


「待ってください。せめて理由を話してくださいよ」


「理由を話すのは後。さあ行きますよ」


「まっ、待って」


  コウの言葉は最後まで続かずに、炎の髪の女性は彼の手を引っ張って、闇の中に足を踏み入れた。


  コウは逃げることもできずに、その中に引きずり込まれた。


  中は行けども行けども真っ暗闇で、足場がない為に自分の身体が浮遊しているような感覚で、まるで深海の中にいるようだ。


  闇はドロリと泥のように身体にまとわりつき思うように動かない。


  何もないこの空間でひとりぼっち。このまま永遠にこの場所を漂うかと思うと、コウの心は絶望という鎖で縛られていく。


「コウ。大丈夫。こっちを見なさい」


  自分が失明したのかと錯覚するほどの闇の中、突如明るい灯火がコウの前方に現れた。


  そして自分の左手に暖かな感触が伝わって来る。


  見ると、目の前を炎の髪の女性がいて、彼女が自分の手を引いていた。


  二人は海の中を泳ぐように進んでいく。炎の髪の女性は、この暗闇の中でも迷うことなく真っ直ぐ進む。


「あれを見なさい」


 コウは、炎の髪の女性が指を指した方向を見る。そこにあったのは闇の中にポッカリと浮かぶ。一つの大陸だった。


  上から見ると、大陸は五芒星の形をしていて、その周りの黒い海の中に右から左に暖かい光を放つ太陽が沈んでいき、どこか冷たく輝く月がゆっくりと太陽が沈んだところの波間から姿を現していた。


「ここが貴方が生まれ変わる場所です」


  炎の髪の女性は、コウから手を離すと、彼の頬を両手で包み込む。


「わっ」


  美しい女性の顔が、吐息がかかるほどの近さまで迫ってきてコウは思わず声を出してしまう。生きている時には彼女の一人もいなかった彼には刺激が強すぎる体験だった。


「コウ。貴方にはこれからとてもとても辛い思いをするでしょう」


「一体僕に何をさせようとしているんですか」


  炎の髪の女性は首を横に振った。


「時間がありません。もう今の状態を維持することができないのです」


  光が炎の髪の女性の全身を包み込み、彼女の全身が細かい粒子となって消えていく。


「再び会えるまで、無事でいて。私はいつも見守っています」


  炎の髪の女性は、軽くコウの額に口づけすると、頰から手を離した。


  支えを失った彼の身体が、重力に引かれるように大陸に向かって落下していく。


「待ってください! 一体貴女は……」


「ごめんなさい。許して」


  そう言い残して、目の前で彼女の姿は消えてしまう。


  コウは消えゆくその姿をつかもうと手を伸ばすが、ただ空を掴むだけだった。


(さっきの言葉。何処かで聞いたような……)


  やがてコウの意識も靄がかかったように真っ白に染まり、そのまま眠るように瞼を閉じる。


  月光に照らされたコウの魂は、止まることなく重力に引かれ、五芒星の大陸で生きる。ある女性の胎内に宿るのであった。 



  【第二章に続く】

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