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第43話《十六歳》

  冬の冷え込む寒空の下、凍えて弱々しい太陽の日差しを浴びて、青年となったフォティアが上半身裸で森の中にある池の淵にいた。


  身長は百七十センチを超えた彼の身体は、鍛え上げ磨かれた名剣のように、無駄な贅肉は少しもなく、しなやかな筋肉をその身に纏っていた。


  左手に持った剣のようなものを頭上に持ち上げ振り下ろす。そしてまた上げて下ろす。それを何度も繰り返していた。


  一体どれだけ続けているのだろう。池に薄く氷が張るほどの冷え冷えとした空気の中で、青年の鍛え上げられた肉体には大粒の汗の珠が流れている。


  彼の振るっているのは、自分の身長と同じくらいの長さの両手剣だ。


  刀身には重りの鉄の輪が何個もつけられている。そのお陰で元々五キロもあった重量が三十キロ程になっている。


  その剣をフォティアは片手で持ち上げている。


  十回左手で振ったら、今度は右手に持ち替えて十回。それを一時間もの間休まず続けていた。


「ふうっ……」


  両手剣の訓練を終えて、それを草の生えた地面に置くと、少し離れたところに目を遣る。


  フォティアに握られるのを待っているかのように、多数の武器が切っ先を地面に突き刺し柄を晒している。


「さてと、次はこれっと」


  フォティアはまずポールアクスの柄を握り引き抜く。


  それを両手に構えて集中。頭の中で、敵を出現させて模擬戦を行う訓練を始める。


  敵の姿は人の形をしたの影のようだ。その影が同じようにポールアクスを構えた。


  フォティアが動く。槌を振り抜き、素早く引き戻して先端のスパイクで突き刺す。引き抜いたら槌の反対側のフックを足にひっかけて影を引き倒し、スパイクで地面に縫い付けた。


  次に使うのはフレイルだ。この武器は握りの先端に鎖につながれた鉄球が三つ付いている。


  フォティアはそれを振り回し、遠心力を利用して、頭蓋骨を砕こうと上段から振り下ろす。


  それは盾で塞がれてしまったが、相手は強い衝撃で動きが鈍る。


  フォティアは、今度は左からフレイルを振るう。


  影は咄嗟に盾を構えたが、盾の縁に鎖が引っかかり勢いのついた鉄球が横から相手の腕の骨を砕く。


  盾を取り降ろした影の頭にフレイルを叩き込む。頭蓋骨が砕ける感触が手に伝わってくるような一撃だった。


  他の武器でも、影で模擬戦を行ってから、最後に腰の鞘からロングソードを引き抜く。


  もう一度頭の中で影を呼び出す。現れたのは四体。全員がロングソードで武装している。


  フォティアは前方一番近い相手に刺突を繰り出して倒し、二人目の攻撃を避けて、突き刺したままの剣を引き抜きざまに振るって首を落とす。


  後の二人が間合いを詰めてきたので、フォティアは自ら三人目の至近距離まで迫る。


  普通に持っていたら剣は触れないので、右手を柄から離して、刀身の中ほど――ハーフソードと呼ばれる――を掴む。


  その持ち方で相手の権を動きを封じてから、無防備な首に切っ先を滑らせた。


  四人目が斬りかかってきたので、フォティアはハーフソードのまま、右手と左手の間の刃でその攻撃を防ぎ反撃する。


  相手も同じく剣で防御してきたので、フォティアは両手で刀身を掴み、十字形の鍔をハンマーのように――殺撃という――思いっきり振り下ろした。


  四人目の剣は真っ二つに砕け散り、そのまま勢いよく鍔が頭部に深く突き刺さる。


「ふうっ。こんなものかな」


  池に近づくと、フォティアの訓練の熱気を受けてか、全面を覆っていた氷が溶けていることに気づいた。

   

  水面に映るのは、黒髪を短く刈りそろえ、黒い瞳を持つ精悍な青年の顔だった。


  フォティアはその顔と目を合わせたまま、水を両手で掬いとり、勢いよくぶつけるように顔を洗う。

 

  次に持っていた手ぬぐいに水を浸して、身体を拭う。


 冷たい水が、訓練で火照った筋肉を冷やしていく感覚がとても心地よい。身体を綺麗にして最後に渇いた喉を潤してから立ち上がる。


  そして、周りに散らばる武器をひとまとめにして持ち上げようとした時、カサカサと葉が擦れ合う音を耳にした。


  その方向に視線を向けると、一頭の鹿が池に向かって歩いていた。


  凍っていない水辺に鼻をつけて水を舐めるように飲んでいる。よっぽど喉が渇いているのか、反対側にいる人間(フォティア)の事は目に入っていないようだ。


  フォティアは持っていた武器を音を立てないように下ろすと、持ってきていた弓を持ち矢を番えると首を狙って矢を射つ。


  いま頭を狙えば池の水が血で汚れる可能性が高い。何年もお世話になっているここを汚したくはなかった。


  フォティアが放った矢は、狙い通り首に命中し、池のほとりに鹿は崩れ落ちた。


  鹿の亡骸に近づき、心の中で感謝の言葉を述べてから担ぎ上げる。


「寒っ、帰ろう」


  今頃になって上半身裸のツケが回ってきた。


  腰には剣、左肩には訓練で使った武器たち。右肩には仕留めた鹿を担いで、脱ぎ捨てた服を着て、六年間使い続けているミスリルのチェインメイルを着けたフォティアは、冷たい風に押されるように家に帰るのであった。


★★★★★★★


「ただいま」


「お帰りなさい」


  縦穴の洞窟に帰ったフォティアをラトスーアが母のごとく優しい笑顔で出迎える。洞窟の中は一年中春のような暖かな温度に保たれていて、まるで彼女の優しさが溢れ出ているようだった。


「外は寒かった?」


「ああ、でも訓練してたる間は集中しすぎて寒さなんて忘れてたよ。ちょっと武器しまってくる」


「はい。火の用意しておくわね」


「頼む。コミロフは?」


「今は武器庫にいるわ」


「今日は調子いいの?」


「ええ。今日は動いても大丈夫みたい」


「そうか。じゃあコレしまうついでに様子見てくるよ」


「お願いね」


  フォティアは鹿を下ろして、足早に武器をしまいに暗い横穴に入っていく。


  最初入った時は、松明の灯りがなければ、真っ暗で右も左も分からなかったが、六年間も同じ道を歩むうちに足が自然と覚えてしまった。


  側を流れる川の流れと、自分の足音だけが聞こえる横穴の中を進んで、灯りの漏れる入り口が飛び込んでくる。


  危なげなくそこまで到達したフォティアは持っている武器をぶつけないように注意しながら中に入る。


  中には、フルプレートの先客がいて、こちらに背中を向けている。


「フォティアか? 訓練は終わったのか」


「ああ、今終わって武器を片付けにきたところ。今日は動いて大丈夫なのか? コミロフ」


  フォティアにとって武術全般を教えてくれる全身甲冑の師匠がこちらを振り向く。


「うむ。今日は調子がいいのじゃ」

 

  今年の初めに森で倒れてから、コミロフはこの洞窟から出られなくなった。


  ラトスーアによると、炎の女神の加護が年々弱まっていて、森まで及んでいたそれが、洞窟の中にしか効果がなくなってしまったらしい。


  さらにコミロフの見事なフルプレートにも異変が襲う。


「フォティア。武器の手入れをサボっていたろう。この剣、刃こぼれしてるぞ」


  立ち上がったコミロフは以前はつけていなかった赤いサーコートを羽織っている。


  本人はその事について何も言わなかったが、フォティアは理由を知っている。


  元々、胸鎧には冥王によって付けられた大きな傷が胸から腹部にかけて走っていたのだが、その裂け目がまるで内側から広がるように、細かなヒビが無数に走っていた。


「ごめん。朝ごはん食べたらちゃんとやっておく」


「その言葉を忘れるなよ」


  コミロフは剣を立てかけると、フォティアの横をすれ違う。彼が歩くたびに地面に銀色の小さな砂つぶが落ちていく。鎧はこの瞬間も少しずつ蝕まれているのだ。


  それはまるでコミロフの命が流れ落ちているようにフォティアには見えていた。


「コミロフ!」


  フォティアはコミロフの背中に意を決して呼び止める。


「何じゃ?」


「後で、二人に話したいことがあるんだ」


「分かった。じゃが、まずは武器を手入れして朝飯を食べてから、話しはそれからじゃ」


「了解……じゃあ、さっさと終わらせますか」


  フォティアは腕まくりすると、訓練で使った武器を労っていくのだった。


★★★★★★★


  手入れを終え、獲ってきた鹿を残さず平らげたフォティアは、ラトスーアとコミロフを呼び寄せていた。


  フォティアは小さく爆ぜる焚き火を間に挟んで、二人を真っ直ぐ見つめる。


「それで、お話って何なの?」


  最初にラトスーアが口を開く。


「うん。今日で俺も十六になった。これも二人がここまで育ててくれたおかげだと思ってる。ありがとう。ラトスーア、コミロフ」


「そんな、お礼なんていいのよ」


  ラトスーアは恥ずかしそうに手を振る。


  対象的にコミロフは座ったまま何も言わない。まるで、フォティアがそれだけを言う為に二人を集めたのではないと知っているかのように、ジッとフォティアの事を見ている。


「それと、俺……ここを出て行こうと思う。もう十六歳、つまり成人を迎えたんだ。ここはとても居心地いいけど、ずっとここにいるわけにはいかない。俺には両親の仇を討つという大事な目的があるんだ」


  そこまで言い切ってから、二人の反応を伺うとコミロフはずっと無言のままで、ラトスーアの表情からも笑顔が消えて、真剣な表情で聞き入っていた。


「コミロフ。俺はまだまだ弱いのは分かっている。けれど行かせてほしい」


「いや。お前は充分強くなっておる。それこそワシに勝てるくらいにな」


「いいのか?」


「ずっとここにいても、憎き仇は今も地上を闊歩しておる。止められるのはお主しかおらんのじゃから」


「認めてくれてありがとう。ラトスーアも賛成してくれる?」


「ええ、もちろん。貴方がここから出て行ってしまうのは寂しいけど、貴方にはとても大切な使命があるのだから」


「ありがとう……ラトスーア」


  本当はラトスーアには「行かないで」と行かれるかもしれないと、そんな子供のような期待を抱いていたが、予想と違ったので少し寂しさを感じるフォティアであった。


「さてと、では準備をするとするかのう」


  コミロフは重い腰を上げて立ち上がる。


「準備? 一体何の事ラトスー……ア?」


  フォティアは彼女を見て驚いた。いつもは温かな太陽な優しさを放っていたのに、今は月のように凍えるほどの冷たい光を放っていた。


「フォティア。貴方には最後の試練を受けてもらいます」


  目の前のラトスーアは一瞬にして別人のような口調で話し始める。フォティアはその雰囲気に飲まれて何も言えない。


「貴方には、彼と戦ってもらいます」


  ラトスーアが上を指差した方向を目で追う。そこにはこちらを見下ろすフルプレートの姿があった。 

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