第40話《遭遇》
帰り道。先頭を歩いていたコミロフが突然足を止めた。
「どうしたの?」
「シッ! 静かに……身をかがめるんじゃ」
コミロフは小さくも鋭い声音で、フォティアに警告を飛ばす。
近くの草むらに身を隠したコミロフに習うようにフォティアもその場に潜んだ。
直後、前方の草の塊がガサガサと音を立て始めたのだ。
フォティアは緊張で喉がカラカラになりながら、こちらに向かってくる何かをコミロフの背中越しに待ち構える。
緑の中から最初に現れたのは熊の頭だった。
頭を出した熊は、その全身を露わにする。全長は二メートル、いや三メートルはあるだろうか。黒に近い茶色の毛並みに包まれた太い全身からは威圧感を放ち、隠れて見ているフォティアにもその波がぶつかってくる。
それよりも目を惹くのは、熊の全身に刻まれた夥しい傷だ。
それは傷跡ではなく、ついさっきに負った傷だろう。まだ赤々とした生々しい肉が覗き、そこから血が流れ歩くたびに地面を染めていた。
熊が鼻を大きく鳴らしながら、コミロフの方、正確にはフォティアの方を見た。
草むらで見えていないはずなのに、熊の血走った片目――片方は潰れている――と目があった。
「退がれフォティア!」
コミロフは近づかれる前に立ち上がると、腰のバスタードソードを抜き放つ。そしてフォティアを庇うように熊の視界から自分の身体を使って隠す。
「お前の相手はワシじゃ!」
「コミロフ」
「お主はそこにいて動くな。あいつはワシに任せろ」
コミロフは輝くルーンを放つ刀身を熊の方に向ける。
それに目を奪われたのか、手負いの熊は黒茶の毛皮を血で染めながら、目の前のフルプレートを睨みつけて吠え、二本足で立って威嚇してくる。
熊が体当たりして来た。その勢いは鉄球の如くで、例えフルプレートを着用していても防げず、ひしゃげた鉄塊と成り果てるだろう。
それを分かっているからコミロフは受け止めようとはせずに、素早く身体を動かしてその体当たりを避けると、すれ違い様に熊の左足目掛けて剣を振るった。
体当たりの勢いを利用して、刀身は鎧のような硬い剛毛を物ともせず、深く肉と骨を断ち切り、鋭い爪の生えた足を斬りとばす。
「うわぁっ!」
バランスを崩した熊は血を撒き散らしながら地面を滑り、慌てて避けたフォティアの目の前で止まった。
熊は全身を痙攣させるように震わせながら、ギリッと歯を噛み締めながら何度も失敗しながら立ち上がろうとする。
「そこを退いておれ」
コミロフは立ち上がろうとする熊に近づくと、剣を逆手に構えて、その首に狙いを定めて突き下ろした。
急所を貫かれた熊は死にたくないと言うように悲しげな鳴き声をあげて力尽きる。
「すまんのう」
コミロフは剣を引き抜き、熊の命の火が燃え尽きたのを確認した。
「死んだの?」
「うむ。フォティアは無事か?」
「うん。目の前に来たのはビックリしたけどね」
「それなら良かった。よいしょっと……雌の熊か」
コミロフは剣をしまうと、しゃがみこんで熊の亡骸を調べる。
「早く帰らない?」
「ちょっと待ってくれ。この傷剣で斬られた傷に、これは斧で切られたのか、そして目と体じゅうに無数の矢傷。どうやら走り回っているうちに、鏃を体内に残して矢柄が折れたのか」
「何か気になることがあるの?」
「うむ。この時期にいる熊。おかしな事はないかな?」
突然の質問にフォティアは頭をフル回転させて考える。
「この時期に森にいる熊でおかしな事……」
その時、風の神からヒントが送られてくる。
「寒っ! そうか今は冬、熊は普通冬眠してるはずだよね」
「その通りじゃ、しかしこの熊は巣から外に出て、フォティアに気づくと、まるで怒りに我を忘れたように襲いかかって来た。そしてこの傷が意味するのは……」
「この森に人間がいる……?」
「うむ。しかも複数で皆武装しているようだな。フォティア。ワシは近くの巣穴を見てくる。お主は――」
「僕も行くよ。だってこの森にはお世話になってるんだから」
「では一緒に行くか。ただ、何があるか分からんから気をつけるんじゃぞ」
フォティアがしっかりと頷いたのを確認してからコミロフは巣穴に向けて歩き始めた。




