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第37話《狩猟》

 縦穴の洞窟でのラトスーア達と暮らし始めてから、三回目の冬を迎えていた。


  十歳の少年の身体は成長し、一番違いが現れているのは身長である。この三年で三十センチも伸び、身体も逞しくなってきている。


コミロフから貰ったミスリルのチェインメイルも彼の身体に合わせて成長していた。


  フォティアがいるのは高さ数メートルのところにある手摺のない石橋の上だ。


  三年経ってやっとの事で、落ちたら死ぬかもしれないという恐怖にも慣れてきて、師匠コミロフを相手に実戦さながらの訓練を今日も行なっていた。


  フォティアが使っているのは左手にロングソード右手に盾を持つ。


  対するコミロフが持つのは、穂先に斧や鉤そしてスパイクが付いたポールアクスだ。


  二人の武器は元々実戦で使われていたものだが、今は刃を潰して練習用として生まれ変わっている。


  ただし、当たればとても痛いのは変わらない。下手をすれば骨が折れることもあった。


  二人はお互いの動きをよく見て半身で構える。先に動いたのはフォティアの方だ。


  盾を持った手を前に構えたまま、左足を素早く踏み込んで、相手を間合いに入れると同時に、コミロフに突きを入れる。


  狙うは人体の急所である首。そこを守る首鎧ごと貫くほどの勢いで突き込む。


  しかしそこに攻撃が来ることを読んでいたコミロフには通じなかった。持っているポールアクスを振り上げて、フォティアの突きを上に逸らす。


  そして無防備になった胸目掛けて鋭い突きを繰り出した。


  フォティアはスパイクの一撃を盾で防ぐが、かなりの衝撃で動きが止まってしまう。


  コミロフは追撃の為に、素早く柄を引いて付いている鉤を盾にひっかけてきた。


  盾を引っ掛けられた所為で、フォティアの防御の構えが崩れ、ガラ空きになった胸を先端のスパイクで突かれる。


  避けることも出来ずに、一瞬息が止まるほどの衝撃で後方に吹き飛んだ。


  仰向けに倒れたフォティアはすぐさま立ち上がるが、擦れた背中が火傷したようにヒリヒリする。


  その背中からの泣き言を無視して、雄叫びをあげながら走る。


  対するコミロフは構えたまま微動だにせずに、弟子の次の一手を待ち構える。


(余裕たっぷりだな。なら、これで吠え面かかせてやる!)


  フォティアは勢いを殺さずにコミロフの胸を狙って剣を突き出す。


  コミロフはそれを防ごうと手を動かすが、それはフォティアが狙った通りの動きだった。


(かかった!)


 フォティアはこちらの攻撃を防ごうと動くポールアクスに上から盾を叩きつける。


「初勝利もらった!」


  切っ先が首に近づくにつれて、フォティアは初めて師匠に勝ったと思った。それが油断につながり、目の前のフルプレートの動きに全く反応できなかった。


  躊躇うことなくポールアクスから手を離したコミロフは自分に迫る刀身を左手で掴んでいた。


  それに気づいた時にはフォティアの視界は自分の意思とは関係なく九十度上を向く。


  投げられた、と気づいた時には背中に鈍い痛みと冷たくて硬い感触が広がっていく。


  背中の痛みに顔をしかめると、目の前に自分の持っていた剣を突きつけられた。

 

「ま、まいりました」


「まだまだだな。もっと殺す気でかかってこんか。そんなに橋に背中をぶつけるのが好きなのか?」


  フォティアはコミロフに手を貸してもらいながら立ち上がる。


「好きじゃないよ。そう言ったって難しいよ。コミロフを殺そうと思ったことなんて一度もないし」


「今、目の前にいるワシが実は魔物だったらどうするのだ? お前の寝首をかくのを虎視眈々と狙っているかもしれないぞ」


  コミロフの冷酷な霜が纏わりついたかのような声音は、聞くものが聞けば本能が警鐘を鳴らしただろう。


  だがそれを聞いても目の前の少年は、霜を溶かすお日様のようにニッコリと笑っていた。


「それは絶対ないよ。だってコミロフはこの三年間。僕につきっきりで武術を教えてくれてるじゃん。魔物がそんな長く人を騙せるはずないよ」


  キッパリと断言するフォティアを見てコミロフはうーむと唸ってしまう。


(素直でいい子なのだが、人を疑う事を知らない。このままでは身体を鍛え上げても、心の弱さをつけ込まれてしまうだろう)


「……ミロフ? コミロフ?」


  顎を抑えて置物よろしく固まる全身鎧(フルプレート)。その兜に空いた細長いスリットをフォティアは覗き込む。


  至近距離で見ても、影のせいか、それとも鎧の中が闇で満たされているのか、瞳どころか顔も見えない。


「おーい。聞こえてる? それとも立ったまま寝てるとか?」


「顔が近い」


「うわっ!」


  不意に注意されたことで、フォティアはびっくりして足を踏み外すが、片足で体重を支えて難なく持ち直した。


「ととっ……ふう、危ないな。驚かさないでよ。動かなくなると、生きてるのか死んでるのか分からないんだから」


「ハッハッハ。すまんすまん。少し考えた事をしていたわい。それよりもワシは生きてるか死んでるかそんなに分かりにくいかの?」


「だって、いつも鎧着てるし、その鎧も冷たいから触っても分からないんだよ」


「それはすまんな。今度からは気をつけるとしよう。それでだ。今日の訓練はここで終わりにして、昼からは森に出るとしよう。狩りの準備をしておけ」


「狩り! うん、分かった」


フォティアは森に出ると聞いて、嬉しさを表現するように首を大きく動かした。


「ちゃんと弓の弦を調整しておくんじゃぞ。緩んでいたら使い物にならないからな」


「分かってるよー」


  フォティアはコミロフに手を振りながら下で待つラトスーアの元へ向かうのだった。


★★★★★★★


「いってきまーす!」


  フォティアはラトスーアに手を振りながら駆け上がるように地上に続く階段を登っていく。


「いってらっしゃい。怪我しないようにね」


「分かってる。心配しすぎだよラトスーアは」


「ワシも付いておりますゆえ大丈夫です。いってまいります」


「くれぐれも気をつけてください」


 ラトスーアに会釈して、コミロフも階段をゆっくり登っていく。


「コミロフ。遅いよー。早く早く!」


「年寄りには階段はきついんじゃよ」


「じゃあ先に外で待ってるよ」


  そんな冗談か本気かわからないこと言いながら登ってくるコミロフを待ちきれずに、フォティアは洞穴の天井に開いた穴から外へと出た。


「さっぶっ!」


  久々に外に出て最初の一言がこれだった。


  午後の日差しは暖かく降り注ぐが、冬の息吹はそれを上回る冷たさだ。


  「ほら、ワシを置いていくから風の神が注意したのじゃぞ」


「こう言ったのかな? 『年寄りは労りましょう』って」


  フォティアは自分の想像した神の声真似をする。


「…………」


自分の声真似を聞いてコミロフは黙りこくってしまう。


「あれ? そんな驚くほど似てた?」


「うんや。全く似ても似つかんな」


ほれ行くぞ、と言ってフォティアより先に歩き出すコミロフ。


「ちょっと待ってよ。そんなバッサリ言わなくてもいいじゃん」


急いで追いついて、両手を頭の後ろで組みながら師匠の横に並ぶ。


「似てないものは似てない……」


それで話しは終わりとばかりにコミロフは何も言わなくなってしまう。


「ふーん。そっか……」


フォティアは、おそらく話したくない理由があるのだろうと思い、その話を切り上げることにした。


「すまんな。つい昔のことを思い出してしまった。歳はとりたくないのう」


「気にしてないよ」


「そうか。さて気分を切り替えて。装備の点検は大丈夫なのか?」


「うん。もちろん」


フォティアが今日の為に持ってきたのは背中に背負った短弓(ショートボウ)と腰に提げた矢筒だ。


どちらも出かける前に点検してあるので、不備はどこにもない。筈だった。


短弓以外にも、腰のベルトには、獲物を解体するためのナイフと、一応使う予定はないがロングソードが提げてある。


「ならよろしい。じゃあどちらが大きな獲物が狩れるか勝負するかの?」


そう言ってコミロフが背中から下ろしたのは、全長二メートルはある長弓(ロングボウ)だった。


腰の矢筒に入ってる矢もフォティアのよりも長くなっている。


「いいよ。戦闘訓練では負け続けてるけど、狩りでは負けないからな!」


「よしよし。ならば二手に分かれるとしよう。今、太陽が 《兄の木》の上におるから、 《弟の木》の上に移動したら合流とするかの」


コミロフが指差したのは森の中でもひときわ高く目立つ二本の木の事だ。東にあるのが 《兄の木》、西にあるのが 《弟の木》と名付けていた。


「分かった。 《弟の木》の上に太陽が来たら集合だね。場所はその木の下ていいの?」


「うむ。じゃあまた後でな」


「絶対負けないからね!」

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