第31話《森の中》
『早く森の中へ!』
突然現れた蛍のような光の玉が魔物達の目を短時間眩ませた間に、フォティアは指示に従って夜の闇に包まれた森の中に飛び込んだ。
「はっ、はっ……」
何とか立ち上がり森の中を進むが、足を動かすたびに右腕に激痛が走り、どれだけ息を吸っても肺に穴が空いているのか、吸っても吸っても息が苦しい。
「はっはっ……わっ!」
足を木の根にとられて転ぶ。受け身も取れずに思いっきり顔から地面にダイブしてしまう。
『起きなさい。早く立って逃げるのです』
頭の中で叱咤されても、フォティアは起き上がれない。
先程から、身体の中の激痛がどんどん酷くなっていたからだ。
フォティアには知る由もないが、右腕の炎の力が彼の体内で、あることをしていた。
炎は細胞、骨、そして臓器を燃やし、フォティアの身体を一から新しく作り変えて行く。
それが行われるたびに、いちいち身体を焼かれる痛みが走り、もう意識を手放してしまいたい気持ちになる。
しかし、フォティアの作り変えられた鋭敏な聴覚が、走って近づいてくる足跡をはっきりと捉える。
「何か近づいてくる。足音……八つ、二頭の犬……?」
『それは犬ではありません。先程あなたを襲おうとした魔物です』
「魔物……まっすぐこっちに向かってくる。何で居場所がバレてるの!」
「マドッグは鼻が効きます。恐らくあなたの血の匂いを嗅ぎつけたのでしょう。さあ早く立ち上がりなさい!」
フォティアは苦しげに息を吐きながら立ち上がるが、とても逃げれるとは思えなかった。
「さっきみたいな力で、魔物を倒せないんですか?」
『無理です。私の力はそう多くはありません。使い過ぎれば消滅してしまう。まだ消滅するわけにはいかないのです』
「そんな……」
悲観するフォティアに、声は先ほどより優しい声音で安心させるように語りかけてくる。
『今は逃げるのです。大丈夫。もう少し進めば、心強い味方が待っています。さあ早く足を動かすのです』
フォティアはその言葉を信じて、痛みに耐えながら足を前に出す。
太い幹を避け、鋭い枝先に頰が切れて葉っぱに視界を塞がれて何度も転びながらも、フォティアは足を止める事なく走り続けた。
それでも、確実に犬の魔物達は距離を詰めていた。
「ワン。ワン」
逃げるフォティアの耳に、獲物を見つけたと言わんばかりの大きい吠え声が飛び込んで来る。
「追いつかれた……? 早く逃げないと!」
走る彼の背中に冷たい刃が押し当てられたような視線を感じて、ぶわっと全身から汗が噴き出す。
振り向けば、目の前に大きく口を開いた魔物が迫って来そうな気がして振り向かずに前だけ見て逃げる。
「本当にこっちで合ってるの?」
フォティアが尋ねても返事は返ってこない。
「ねえ。本当にこっちで合ってるの。ねえってばっ!」
声は帰って来ず、先に聞こえて来たのはマドッグの吠え声だった。
「ひっ……!」
フォティアは思わず振り向いてしまい、動きを止めてしまう。
そこには自分よりも大きな黒い魔物と目が合ってしまったからだ。
自分を食べようとしている。そう思っただけで恐怖に足を縫い付けられて動けなくなってしまう。
マドッグは、その黄色い目をぎょろぎょろと動かして目の前の獲物を睨みつける。
「グルルルル」
二頭の魔物は喉を鳴らして、動こうとしないフォティアの包囲の輪をゆっくりと縮めて行く。
「来るな……来るな!」
「ワン!」
フォティアの大声に反応したのか一頭のマドッグが体当たりするようにぶつかって来た。
「うわっ!」
押し倒されるように仰向けで倒され、人間の手そっくりの前足で両肩を押さえつけられる。
フォティアは左手とボロボロの右手を使って、何とか引き剥がそうとするが、のしかかったマドッグを退けることは出来ない。
マドッグは口を大きく開けて思いっきり獲物の首元に食らいついた。口の中の鋭い牙が首の皮膚を裂き、肉に深く食い込む。
「うあああああああっ!」
フォティアは長く絶叫し身体をめちゃくちゃに動かして抵抗するが、マドッグの顎はとても強くて離れず、更に首に深く牙が食い込んで来る。
「うあああっ! があああっ!」
フォティアは渾身の力を左手に込めて、自分の首に噛み付くマドッグを殴った。
「ギャン!」
殴られたマドッグは吹き飛ぶが、一緒にフォティアの首の肉がごっそりと抉り取れ、肉片が魔物の口から零れ落ちた。
『フォティア。後ろを見なさい。急いで!』
フォティアは痛みとそれ以上に自分の身体の一部が食い千切られたショックを何とか抑えて、頭の中の声に従って肩の傷口を手で押さえながら立ち上がる。
振り返ると、森の木々の間にポツンと光る光の球を発見し、持てる力の全てを両足に集中させて、そこに向かって一目散に走った。
マドッグ達も、獲物を逃すまいと、吠えて威嚇しながら追いかけて来る。
フォティアは無意識に聴覚をシャットダウンして、目の前の光の球だけに意識を向けた。
全速力で走っていると、突然木々がなくなり視界が開けた場所に出る。
そこだけ何故か円形に木々と草が生えておらず、土がむき出しになっている。上を見ると遮るものがないために、満天の星空と月に出迎えられているようだった。
よく見ると中央に人が一人は通れるだけの穴が空いていることに気づく。すると、フォティアのことを待っていたかのようにそこから白い金属の塊が現れた。
「だ、誰……?」
そう尋ねるフォティアの前に現れたのは、背中に鮮やかな赤いマントを着け、月光を反射して輝く純白の全身甲冑だった。
「…………」
フルプレートは何も言わず、腰の剣の柄に右手を伸ばして一歩一歩フォティアとの距離を詰めて来る。
前後を謎の甲冑と二頭の魔物に挟まれ、フォティアはその場で尻餅をついて動けなくなってしまう。
動かなくなった獲物の背中に牙をつきたてようと、マドッグの一頭が口を開けて迫る。
(助けて!)
フォティアの心の叫びに応えたのは、予想外の人物だった。
純白のフルプレートはいきなり走り出すと、腰の剣を抜刀しながら横に振るって一匹の首を斬り飛ばした。
「ギャァン!」
「えっ……?」
斬り飛ばされたのは、フォティアの首ではなく彼に迫るマドッグの首だった。
フルプレートの持つ剣は、魔物の太い首を骨ごと切断しても、刃こぼれ一つしていない。
残ったもう一頭がフォティアではなく、新たに現れた敵に向かって威嚇しながら喉笛めがけて飛び上がる。
フルプレートは両手で剣を持ち頭上に構えると、自分を狙うマドッグにその刀身を振り下ろした。
刃は抵抗なく吸い込まれるように、頭から尻尾まで斬り裂く。
着地すると同時にマドッグの体は縦に二つに分かれ、切断面から黒い血が地面いっぱいに広がった。
二頭を斬ったフルプレートは剣を振って刀身に付着した返り血を払う。
その刀身には、よく見るとフォティアの見たことのない文字が彫られていて、自ら青い光を放っているとても美しい剣だった。
フルプレートは剣を鞘に収めると、フォティアに近づいてしゃがみ込むと、何も言わずに手を伸ばす。
「ぼくを助けてくれたんですか?」
純白のフルプレートは何も言わずに首を縦に降る。
「あ、ありがとうございま……」
それを見て安心したのかフォティアは突然意識を失って頭がぐらりと傾く。
あわや頭が地面と激突する直前、フルプレートは素早くも優しく彼の頭を受け止めて抱きかかえると、追っ手がいないことを確認し、そのまま地面にポッカリと空いた穴に降りていくのだった。




