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第23話《悪魔のささやき》

ゼルトは来訪者アディヒラスに持ちかけられた口に出すのも躊躇われる提案を、自分を信じて手をずっと握ってくれる妻に話し始めた。


★★★★★★★


「提案だと……?」


「ええ。私の探し人は、滅多に見つかるものではありません。けれど歩き詰めで少し疲れました。なので何日かここに滞在しようと思います」


「お前をもてなせるものなど、この村には何もない……出てってくれ」


アディヒラスは指を一本立てる。


「そこでひとつ提案なのです。確かにこの貧しい村には大したものはありません。ただ一つだけ私を満足させることが出来るとても魅力的なものがあります」


「それは、なんだ……?」


ゼルトの考えていた以上の最悪な答えが魔物の口から語られる。


「この村に住む人々ですよ」


「……!」


ゼルトは目を見開く。そして身体の中で殺気が渦を巻き、すぐに霧散する。


「村の人を、どうする気だ?」


ゼルトは頼むからこれ以上最悪な事にはならないでくれ、と祈りながら尋ねた。


「決まっているでしょう。我々の食糧になるのです」


「やめてくれ」


今にも泣きそうな不安な面持ちでアディヒラスに懇願する。


「ふふふ。いいですねその顔。絶望に支配されていますねゼルトさん。絶望に染まりきった人間の肉ほど美味なものはありませんからね」


「村の人には手を出さないでくれ。俺は、食べられてもいい」


アディヒラスは指を立てながら返答する。


「うーん。そうですね。じゃあ、あなたのご家族を私に差し出してださい。それで手を打ちましょう」


「それは駄目だ!」


ゼルトの大声が教会内に轟く。


「じゃあ、どちらか選んでください」


アディヒラスは左手の人差し指を立てる。


「村人すべての命か」


次に右手の人差し指を立てた。


「それともあなたの家族の命どちらを私に差し出しますか?」


ゼルトにはどちらも選ぶことができない。彼の心の中ではもう答えは出ているが、それを選ぶ事は人として出来るはずなかった。


「彼女に縋っても無駄ですよ」


ゼルトは無意識に炎の女神像に目を向けている事に言われてから気づいた。


今まで生きてきて、神の存在など信じていないゼルトは初めて神に助けを求めていた。


「もう神という存在は我らが王によって滅ぼされているのですから、最初から祈っても誰も聞いてなどいないんですよ!」


ゼルトのわずかな望みはその一言で打ち砕かれた。両膝が力を失い崩れ落ちる。


「ゼルトさん。絶望に打ちひしがれているのは結構ですが、私の質問の答えに答えていませんよ。さあ、どちらを私に差し出すのですか?早く答えてくださいよぉ!」


アディヒラスは避けるほど大きく口を開いて微笑む。


「俺が選ぶのは……」


ゼルトは、二つの最悪の選択肢のうち、最初から心に決めておいた方を口に出した。


★★★★★★★


ホルルにはゼルトが話している間、どんどんやせ細っていくように見えた。


それも誇張ではなく、本当に頰がこけていた。


「許してくれ。妻よ。俺はお前とフォティアを守る為に、守る為に! 村人を生贄に捧げてしまった。許してくれ許してくれ……」


ゼルトは子供のように泣きじゃくりながら、妻の手を握り返して平謝りし続ける。


ホルルはそんな夫を責める事はしなかった。夫の震える手を安心させるように強く握りしめる。


「大丈夫です。あなたの罪は私も一緒に引き受けます」


「ホルル?」


妻の言ったことにゼルトは理解できないという顔をする。


「私も、もしあなたと同じ立場に立って、そういう選択を迫られたとしたら、同じ答えを選びます。だからあなた一人で抱え込まないでください。あなたの背負う重荷を私にも分けてください」


ゼルトは泣いた。三十を過ぎ、何年も命を削るような戦いを続けてきた男が母親に縋るようにホルルの胸の中で泣いた。泣きじゃくった。


ホルルは子供のように涙を流し続ける夫強く強く抱きしめていた。


妻の胸にうずくまりながら、ゼルトは聞こえるか聞こえないかの声量で呟いた。


「一週間耐えてくれ。一週間だけでいい」


二人の夫婦はこの時同じ事を考えていた。


最愛の息子だけは何が何でも護ろう、と。

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