第19話《訪問者》
「……コウ。コウ!」
「ん?」
(コウって誰? 僕の事?)
突然フォティアはコウと呼ばれる。そちらを見ると知らない女性が自分のことを呼んでいた。
「まだ寝てるの? そんなとこに突っ立ってないで座りなさい」
「ああ、ごめん母さん ちょっとボーとしてた」
フォティアの口が、自然と目の前の女性の事を母さんと呼んだ。しかしそれに違和感を感じない。
自分の母とは違う人なのに目の前のフワフワの天然パーマの女性は確かに母であった。
フォティアが椅子に座ると、目の前のテーブルの上には、沢山の見たことはないが、とてもいい匂いのする食べ物が置かれている。
黒い器に盛られた茶色いスープ。白いお皿に盛られた卵料理のようなものに赤い身の魚。更にもうひとつの水色の器には白くて小さいものが山盛りになっている。
(このスープは味噌汁。お皿には卵焼きに焼き鮭。そして白いご飯……なんで名前知ってるんだろう?)
そんな疑問を抱いていると、新たに聞こえてきた慌ただしい足音で散り散りの雲のようにかき消されてしまう。
「ママ! やっとパパ起きたよ。また小説書いたまま寝てたみたい!」
「いや〜すまんすまん。みんなおはよう」
そう言いながら入ってきたのは眼鏡をかけて優しそうな笑みを浮かべる男性と、自分より小柄な、元気一杯の少女だ。
「おはよう父さん。凛」
初対面の二人を見た途端、頭に彼らが自分の知っている人物として認識する。
「おはようコウ。母さん、ちょっと量多いよ」
父さんはそうボヤきながら席に着く。
「何言ってるんですか。締め切りは今日までなんでしょう。だったら沢山食べて体力つけてください」
「ちょっとコウ兄。コウ兄!」
「イテテ。何すんだよ」
「何ボーとしてるのよ。心ここに在らずって顔してるわよ。ホラちょっとずれて、私の場所が狭いでしょ!」
「えっ、そう?」
気づくと、三人がこっちを心配そうに見ていた。
「コウ。具合悪いの?」
「僕と同じで徹夜したのかい?」
母と父もフォティアに声をかけてくる。その声音から二人が本当に心配していることがわかった。
「どうせ、エッチなゲームでもしてたんでしょ!」
「してないよ! 大丈夫だよ、何でもない。いただきまーす」
フォティアは半ば誤魔化すように目の前の食べ物に手を伸ばそうとしたその時、目の前が真っ暗になり意識が途切れた。
★★★★★★★
夜のカーテンが開けられて、太陽という瞳が下界を見つめる頃。外から聞こえる騒がしい声で眠っていたフォティアの意識が覚醒する。
「う〜ん。うるさいなぁ……あれ? ここは僕の家……だよね? 」
閉じた鎧窓の隙間からは弱々しい光が差すだけで、部屋の中は薄暗ぐ、外で何してるかは分からない。
それよりも、何かとんでもない夢を見ていたような気がしたのだが思い出せなかった。
思い出そうと必死になっていると、お腹が抗議の音をあげる。
「……おなかすいた」
昨晩、たくさん食べたが、成長期の彼の胃袋は一晩で消費してしまっていた。背中とくっつきそうなお腹を手でなだめると、 薄暗い部屋を転ばないように気をつけながら、母の姿を探す。
もう夢のことはすっかりと忘れていた。
「母さ〜ん。おなかすいた……あれ? いない。父さんも母さんもまだ寝てるのかな?」
フォティアの部屋は家族が食事する居間につながっていて、居間には父と母が眠る部屋への扉と、もうひとつ外に通じる扉がある。
しかしそこには誰もおらず、テーブルにはバスケットがあるだけ。隣の台所にも誰の姿もなく大量の食器が山積みになっていた。
フォティアは二人がまだ寝ていると思い、寝室の扉を開ける。しかしそこは暗くベッドの上にも人の姿もない。
「ん〜。どこいったんだろう?」
目覚めたばかりの頭で、両親がいない理由を考えていると、外から何かを動かすような大きな音が聞こえてきた。
そこで目が覚めた時、外から声が聞こえてきたことを思い出す。
「もしかして……魔物!」
フォティアはいても経ってもいられなくなり、外に通じる扉に駆け寄る。
扉を開けて外に出ようとしたその時、外側から扉が開いて慌てて立ち止まった。
「うわっ!」
「あら、おはよう。起こしに行こうと思ってたんだけど一人で起きれたのね。えらいわ……どうしたのそんな驚いた顔して? 」
フォティアを起こしに来たホルルは、目を見開いたまま固まる息子を見て少し驚いた。
「そんなに目を真っ赤にしちゃって。怖い夢でも見たの?」
ホルルはフォティアと目線を合わせると、親指で涙を拭う。
そこで初めて自分が泣いていたとこに気づいた。
「何があったの? お母さんに聞かせて。ね?」
「うん……あのね……」
フォティアは少し恥ずかしがりながらも、何があったかホルルに話した。
「お母さん達がいなくなっちゃたと思ったのね。大丈夫。私もお父さんも、あなたを置いてどこにもいかないわ」
「そうだよね。みんなが僕を置いてどっか行っちゃうわけないもんね」
ホルルに髪を撫でられて、やっとフォティアの表情に笑顔が戻る。
「うん。良い笑顔ね。あなたには悲しい顔なんて似合わないんだから。さあ朝ごはんにしましょうか。今日はみんなで外で食べましょう」
母に手を引かれて、フォティアは家の外へ。そこにはたくさんの村人と、父の姿があった。
「おお、おはようフォティア」
フォティアの視界には父と村の人達が、昨日の誕生会で使われていたテーブルや飾りなどを片付けているところだった。
朝、外で聞こえている声や音の正体はこれだったのだ。
「あなた。フォティアも起きたので、そろそろ朝ごはんにしようと思うのだけれど」
「おっ、そうだな。みんな少し休憩しよう」
ゼルトの声に村人達も口々に返事をしその場に腰を下ろし、持参した朝ごはんを食べ始める。
フォティアも父と共に近くの椅子に座ると、ホルルが家からバスケットを持ってきた。それは居間のテーブルに置いてあったものだ。
「三人で食うのは久しぶりだな。今日の朝飯は何だ?」
「今日の朝ごはんはこれですよ」
開いた椅子に座り、二人に見つめられる中、ホルルは膝に置いたバスケットの蓋を開けた。
「「おおっ」」
父子二人の声が重なり、まじまじとそれを見つめる先には、香ばしい香りのバゲット。そして瓶詰めされているのは日の光で黄金色に輝くハチミツだ。
「どちらも俺が街で買って来たやつだな」
「はい。そうですよ」
バゲットとハチミツも、ゼルトが王国から買って来たものである。
「母さん。おなかすいたよ。もう食べてもいい?」
バゲットから漂う香ばしい香りで、更にフォティアの胃袋が赤ん坊のように鳴き出す。
「はいはい。召し上がれ」
「「いただきまーす」」
ゼルトとフォティアは二人揃って、バスケットからバゲットを取り出す。
フォティアはカットされたバゲットをひとつ手に取ると、まず何もつけずに頬張る。
外はサクサクとした食感で、少し固めのパンは噛むとほんのりと塩味が付いていてすぐに一切れを食べきってしまう。
このままでも、いつも食べているパンより何倍も美味しい。美味しいのだが、ほんの少し物足りない。
そのためにわたしがいるのよ。そう言いたげに黄金色の瓶が光を反射した。
「美味しい?」
「うん! 母さん。それ、ハチミツもらっていい?」
「はい。いっぱいつけて召し上がれ」
小さなスプーンをもらって、蓋を開けた瓶の中に差し込む。トロッとした柔らかな黄金の液体をすくい、新しく持ったバゲットにかける。
バゲットにかけたハチミツが染み込んでいくまで少し待つ。それを見て、唾を飲み込んだフォティアは我慢できずにかぶりついた。
固めのバゲットがハチミツを吸い込んで、程よい柔らかさになったそれを口いっぱい頬張る。
「ん〜〜〜!」
優しくて幸せな甘さが口いっぱい広がって、思わず唸り声をあげてしまった。
そんな嬉しそうに朝ごはんを食べる息子を、ゼルトとホルルは微笑みながら温かく見守っていた。
「母さん。もうひとつちょうだい!」
この日用意した二本分のバゲットの内、半分はフォティアの腹に収まっていた。
食後の牛乳を飲んでいた時、ゼルトが声をかけて来た。
「フォティア。片付けが終わったらどうだ。ヒィトと俺の三人で剣の訓練しないか?」
「うん! 僕も一緒に訓練する」
飲みかけのカップから口を話して、快諾するフォティア。そしてまたゴクゴクと牛乳を飲んでいく。
「ははは。そうかそうか。じゃあ今日はたくさん教えてやるからな……そうだホルル。今度、俺の仲間達が村に来る予定になっているんだ」
「えっ! ゴホゴホッ!」
ゼルトの一言を聞いて、フォティアは思わず勢いよく飲んでしまいむせてしまった。
「ほら、慌てて飲まないの。大丈夫? あなた。皆さんはいつ来られるんですか?」
ホルルはフォティアの背中をさすりながらゼルトに尋ねる。
「ああ、すまんな。言うの遅れたんだが、後一週間ぐらいでここに到着するはずだ」
「分かりました。あとで皆さんの好みなど教えてくださいね。できる限り用意しておきますから」
「ああ、頼む」
「父さん父さん! 父さんの仲間の人たちが本当に来るの!」
父に訪ねるフォティアの目は夜空に浮かぶ星のように輝かせていた。
父の話の中でいつも出て来る共に戦う頼もしき仲間達。いつか実際に会ってみたかったフォティアにとって、興奮は抑えられそうもなかった。
「ああ。お前の十歳の誕生日を祝いにこっちに向かっている。みんなお前に会いたがっていたぞ。うん? 嬉しいか?」
「僕に会いに来てくれるの! うん。すっごい嬉しい! 早く会いたいなー」
フォティアはまだ見ぬ父の仲間達の事に想いを馳せるのだった。
「ゼルトさん!」
三人の団欒に水を差したのは、一人の村人だ。
「何だ……」
ゼルトは一瞬不快な表情をして、多少のイラつきを含めた声音を出すが、相手を見てすぐにそれを隠す。なぜなら彼を呼びに来た村人は村の入り口を守る自警団の一人だったからだ。
服装こそいつもの普段着だが、手には自衛のための短槍を持って息を切らして駆け寄って来る。
「すまんな。どうした?」
「は、はい! この村を訪ねて来た人が入り口にいるのですが……」
「この村に? 旅人か? 」
「どうやら人を探して一人旅をしていて、その途中に、この村を見つけて寄ったそうです」
「そいつは、たった一人で旅をしているのか」
ゼルトは顎に手を当てて考え込む。別段旅人が怪しいわけではない。
だが普通は傭兵ギルドで護衛を雇ったり、お金がなければ何人かで集まって旅をするものだ。死にたくなければ。
過去にやってきたその旅人が獣や魔物が蔓延る危険な地をたった一人で旅をしている事に少し違和感を感じていた。
「……どうしましょう。追い返しますか?」
考え込むゼルトを見て、自衛団の男性は少し躊躇うように質問した。
「ふーむ。いや、俺が行って話を聞いてみよう」
ゼルトが椅子から立ち上がると同時にホルルは家の中へ。
「そうですか! 助かります」
少し訪問者の対応に困っていたのであろう男性の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「フォティア、ちょっと行って来るぞ。母さんと家で待っててくれ」
ゼルトはポンポンと頭に手を置く。
「うん。戻ったらヒィト兄ちゃんと訓練だからね」
頷いたゼルトは、準備をするために家に入ろうとすると、先ほど家に入ったホルルが出て来る。その手には鞘に収まったロングソードが握られていた。
「あなた。これ必要でしょう」
「ありがとうホルル。まあ使うことはないとは思うが、一応な」
ゼルトは腰のベルトに長剣を提げると、もう一度フォティアの頭を撫でて、自衛団の男性と共に村の入り口に向かうのだった。




