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第11話《不安な一時間》

  満月に見守られた馬車の御者台で、御者の兄は落ち着かない様子で、傍に置いてある砂時計と荷台に寝かされている弟を、交互に見ながら傭兵ゼルトの帰りを待っていた。


  今、自分以外に頼りになるものは誰もおらず、弟のクロスボウを持って、辺りをキョロキョロと落ち着きなく見回す。


  もし、ここで魔族に襲われたら自分一人で凌げる自信はこれぽっちもない。だから目を閉じ両手を組む。


(女神アストラ様。旦那が無事に帰ってきてこれますように。それと私を魔族からお護りくださいよ)


  兄は、木々がこすれる乾いた音でビクビクしながらも、この王国で信奉されている《炎の女神アストラ》に祈りを捧げていた。


  祈る事に夢中になって、近づいてくる者がいる事に気がつくのが遅れる。


  気がついたのは、自分たちの方に向かって何かが街道の砂や石を踏みしめる音だった。


  兄は祈るのをやめて、慌ててクロスボウを構えようとして、太矢を番えていない事に気がつき、半ばパニックになりながら、矢を番えた。


  その間も、ゼルトが消えた方からこちらに向かってくる足音が聞こえてくる。


  月明かりがあるとはいえ、すべての闇が晴れるわけではない。兄は震えながらクロスボウを正体不明の何かに向けて待ち構える。


「近づいてくるのは誰だよ! それ以上来ると、クロスボウを射つだよ!」


  兄は、持てる勇気を振り絞り大声で叫んで威嚇する。


「落ち着け。俺だよ」


  兄の言葉に答えが返ってくる。それは人間の、しかも聞き覚えのある声だった。


「もしかして、旦那かよ?」


  馬車に取り付けられているランタンの灯りに照らし出されたのは、見覚えのあるブレストプレートと腰に下げたロングソードを持つ銀色の髪の傭兵ゼルトだった。


「そうだよ。だから、それを下ろしてくれないか」


  ゼルトは「せっかく生還したのに、こんなとこで死にたくないんだが」と呟きながら馬車の方に近寄る。


「旦那! 無事で良かったよ。灯りはどうしたんだよ?」


「ん? ランタンの油が途中で切れてな。馬車のランタンにここまで導いてもらった」


  ゼルトは、燃料が尽きて光を失ったランタンを顔の前で揺らす。


「そうかよ。とっても驚いたけど、無事で良かったよ。それで、やっぱり魔族だったかよ?」


  兄の質問にゼルトは面倒くさそうに頷く。


「ああ、バンシーだった」


「バンシー! よく無事だったよ!」

 

  御者の兄が驚くのも無理はない。


  フラスト王国の騎士団が、バンシーを討伐しようとして、全員返り討ちにあったという噂を酒場で聞いたことがあったからだ。


  その時はただの笑い話だと思っていたのに、まさか自分がそんな魔族に遭遇するとは夢にも思っていなかった。


  とんでもない化け物を倒す人間が目の前にいる。そう思うと恐怖はいつの間にか鳴りを潜める。


「ど、どうやって、倒したんだよ?」


  バンシーを倒した人物を目の前にし、恐怖を忘れて興奮する兄を、ゼルトは肩に手を置いて落ち着かせる。


「話しは後だ。彼を解放してさっさと村に向かいたいんだが」


  ゼルトは荷台に寝ている弟を指差す。


「おう、そうだったよ。おい、早く起きろだよ」


  兄はゼルトに指摘されるまで、エキサイトして忘れていたのか、慌てて弟の肩を揺らして起こす。


  御者の弟は目を覚ますと、いい夢でも見ていたのかニヤニヤとしていたが、二人の呆れ顔と目があって、何をしでかしたか思い出したらしく、地面に頭をつけるほど低く下げて謝る。


「すまなかった! オレ、あんたにとんでもない事を。許してくれ! このとおりだ」


  ゼルトは、謝罪する弟を立たせて膝についた砂を払ってやる。


「俺は別に怒ってないから、頭を上げてくれ。バンシーの声を聞いて正気を保つのは難しいものだ。ほら立て。謝るなら、早く俺を村に連れてってくれ。すぐにでも妻の元に帰りたいんだ」


「分かった。せめてもの罪滅ぼしに、できる限り早く到着してみせるぜ!」


  兄弟は素早く準備を終えて、二頭の馬を走らせる。そしてバンジーがいた道を何事もなく通り過ぎた。


  それを確認したゼルトは荷台に座り込む。 安堵して、あの光の球体に感謝しながら目を閉じる。


  けれど寝ることはできなかった。御者の二人に様々な質問責めにあったからだ。それは月が眠り、太陽が目を覚ます直前まで続くのだった。

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