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第10話《傭兵ゼルト》

  突然聞こえた声の主を探したが何処にもいない。


  当たり前だ。荷台には自分以外の人間はいないのだから。


  確かに人間はいないが、それ以外の存在は彼のことを上から見ていることに気がつき、見上げる。


「お前が、俺に話しかけているのか」


『はい。そうです』


「お前が魔族なら容赦はしないぞ!」


  ゼルトは狭い荷台の中では邪魔になる長剣から手を離し、腰の短剣の柄を握って威嚇する。


『私は貴方に危害を加えるつもりはありません』


  光の球体は、ゼルトの脅しに、たじろぐこともなく彼に言い聞かせる。


『警告です。この先で危険が待っています。けれど貴方に加護を授けました。それで切り抜けるでしょう』


「危険。それは一体?」


  そう尋ねたゼルトの目の前で、球体の輪郭が崩れていく。


「おい! どうしたんだ」


『あの子の為……まだ死んでは……気をつけて、危険が……に』


  聞き取りづらい、途切れ途切れの言葉を残して、光の球体は握りつぶされるように消滅してしまった。


  それと同時に、灯りを失った荷台の中は暗闇に包まれた。


  馬車は球体が現れる前と変わらずに走り続けているようで、相変わらず下から振動が伝わってくる。


  どうやら二人の御者は今の出来事に気づいていないようだった。


「何だったんだ」


  ゼルトは座り込んで、頭を抱える。


(今のは夢だったのか?)


  考えてみると夢のような出来事だった。十年以上魔族と戦い続けてきたゼルトでも、人生初の経験だった。


  けど、球体の言葉はとても説得力があり、こちらを騙そうという雰囲気も感じられない。


(あの光は、この先で危険があると言っていたな)


  考えても答えは出ない。なのでゼルトは考えるのをやめて、現れるであろう危険に備えることにした。


  謎の球体から警告を受けて、数分もしていないだろうか。突然馬車が急停止した。


  外の御者からゼルトに声が掛けられる。


「旦那。旦、わっ!」


「どうした」


  何か起きるだろうと身構えていたゼルトは御者が言い終える前に荷台から出てきたので、声をかけた太っちょの兄は驚いていた。


「ビックリさせないでくださいよ」


「悪い。で、何でこんな道の真ん中で止まったんだ」


  兄は前方を指差した。指差した先にあるのは、緩い左カーブを描く街道しかない。後は夜の闇を纏った森ぐらいだ。


「何もないように見えるが」


  ゼルトが目を凝らしても以上らしきものは何もない。


  すると、弟がゼルトの方を向き、唾を飛ばすほどの勢いで喋り始めた。


「あんたにはこの泣き声が聞こえないのかよ!」


「声?」


  ゼルトはさり気なく飛沫を避けながら、耳を澄ます。すると風に乗って、誰かが啜り泣く声が彼の耳に届く。


  微かにしか聞こえないが、どうやら女性の声のようだった。


「確かに誰か泣いているようだが、人間じゃないだろう」


  今は月が真上から照らしている深夜である。こんな時間に女性がいるはずなんてない。それはゼルトは言わずもがな、御者の兄も承知している。


  しかしもう一人は違うようだ。


「おい。こんな悲しそうに泣いてる人がいるんだぞ。助けに行こうぜ!」


  弟は二人に大声で喚く。その姿は餌をお預けされた犬のようだった。


「落ち着けよ。魔族かもしれないだろうが」


 兄に窘められても、弟は聞く耳を持っていないようで、両目はずっと泣き声が聞こえるカーブの先を見据えている。


  三人が話している間も、遠くから泣き声が風に乗って漂ってくる。ずっと聞いていると、その正体を確かめたいという欲求が他の二人にも持ち上がってきた。


  ゼルトと御者の兄はそれを抑え込んでいるが、弟の方は限界のようだった。


「おい。どこ行くんだよ!」


 兄の制止を振り切って、弟は御者台から降りるとランタンを腰に下げる。


「オレが助けにいってくる」


「止めろ。危険だ」


「うるせえ!」


  止めようとしたゼルトに、太矢(ボルト)を番えたクロスボウを突きつける。


「オレの邪魔するとブッ殺すぞ!」


  弟は、兄とゼルトをクロスボウで脅しながら馬車から離れようとする。


「待て。お前がいっても何もならない。たぶん死ぬだけだぞ!」

 

「黙れ!」


  弟はゼルトに近づいてクロスボウを突きつけた。ゼルトは目前に迫った矢を見ても眉一つ動かさずにチャンスを待つ。


「邪魔するな!」


「興奮しすぎだ。そんなに震えてると矢も当たらないぞ」


「うるせえ!」


  ゼルトに矢を放とうと、引き金に力を込める。その時、遠くから泣き声が聞こえてきて、弟の意識が一瞬そちらに向いた。


  ゼルトはその隙を見逃さずに、クロスボウにセットされた矢を左手で掴み取る。


「あっ!」


  弟は慌てて引き金を引くが、弦は虚しく空を切るだけだった。


  ゼルトは右拳で、呆然とする弟の顔面を殴った。


そのまま仰向けに倒れて気を失う。


「すまんな。弟を殴っちまって」


  ゼルトは気絶している弟を拘束しながら、 兄に謝る。


「旦那のせいじゃないよ。むしろ止めてくれてありがとよ」


「礼を言われることはしてないさ」


「それにしても、まだ泣き声が聞こえるけど、このままじゃ通れないよ」


  御者の兄は、今だに泣き声が聞こえる街道の先を見つめる。


「分かってる。俺がなんとかしてみる。余った布はあるか?」


「こんなのでよければ、でもよ。何に使うんだ?」


  兄は何に使うか分からないといった顔で、首にかけていた手ぬぐいを渡す。


  ゼルトは受け取った手ぬぐいを、短剣で小さく引き裂いていく。


「こう使うんだ」

 

  その小さくなった布切れをゼルトは両耳の穴に詰め込んだ。


  準備を整えたゼルトは、一人緩やかに曲がる街道を抜けて、泣き声の主の正体を見極めようとしていた。


  馬車はその場に待たせて、一時間しても戻ってこなかったら街に戻れと言い残してある。


(さてと、俺の推測が間違っていなければ、この先にいるのは恐らく……)


  ゼルトは街道の先にうずくまる人間を見つけて足を止める。


  そこにいたのは道の真ん中に座り込む少女だ。肌も髪も真っ白で、華奢な身体をボロボロな服で包んでいる。


  その少女は、ゼルトに背中を向けて、顔を手で覆ってすすり泣いている。


  ゼルトはその少女に向かって歩みを再開する。近づくたびに彼女の泣く声がどんどん大きくなっているが、耳栓をしているおかげでなんとか正気を保っている。


  しかし、長時間聞けば御者の弟のように、彼女の泣き声から逃れられなくなるだろう。早めに終わらせる必要があった。


  ゼルトは少女に手が届く距離まで近づく。それでも真っ白な少女は背中を向けて気づいてないのか、ずっと泣き続けている。


「おい、大丈夫か?」


  ゼルトはしゃがみ込むと、蹲って泣いている少女のそばに片膝をつく。


  すると少女は泣くのをやめて、両手を下ろしてゆっくりとゼルトの方に振り向いた。


  その顔は肌が白く、ほっそりとしていて、暗い青の瞳が涙で潤んでいる。


「タ、ス、ケ、テ」


  少女はたどたどしい口調で、ゼルトに助けを求める。その姿や声は、見る者聞く者に庇護欲を掻き立てた。


  ゼルトは、目の前の少女を抱きしめたい衝動を必死に抑え込んで、何も言わずに相手の次の行動を待つ。


「タスケテ……ホシイヨ」


  少女が細くて小さい両手をゆっくりと伸ばして、ゼルトの髭を剃った頰を包み込み、まるでキスをするかのように顔を近づけてくる。


「アナタノ、ホシイ……チョウダイ」


  息もかかるような距離で囁かれると、耳に入れた布切れは、全く役に立たなくなっていた。


  ゼルトは必死に全神経に指令を出して、抵抗しているが、身体の動きはどんどん麻痺するかのように動かなくなっていく。


  少女は、お互いの唇が当たるほんの少し前で止まると、ニヤリと、欲望丸出しの笑みを浮かべた。


「チョウダイ……アナタノ……新鮮ナ生キ血ヲチョウダイ!」


  ゼルトの目の前で、少女は化け物になる。口を開くと同時に大きく下顎が左右に開き、赤い針のような物をゼルトに向かって飛ばしてきた。


  針が飛ばされる直前、ゼルトの身体の内側が暖かい光で満たされると同時に動かなかった全身が、自由になる。


  化け物の少女は勝利を確信していた。自分の泣き声を聞いて抗える者などいない。そう思って必殺の針を飛ばしたのに、目の前の獲物は予想外の行動に出た。


  ゼルトは左手で素早く少女の口から飛んできた針を掴む。


「お前。バンシーだな」


  バンシー。それは人間の少女によく似ていて、その泣き声を聞いたものは、彼女の元に集まり、全身の血を吸い尽くす魔物だ。


  哀れな獲物の血を吸うために用いるのが、今ゼルトが掴んでいる針だ。正体はこの魔族の赤い舌である。


  バンシーの舌の先端は鋭く尖っていて、これで皮膚を貫いて血管に突き刺さし、生き血を啜るのだ。


  ゼルトも一度だけバンシーに襲われ生死の境をさまよったことがあった。今も首にはその傷跡が残っている。


「グアア、ガアアッ」


  奇襲に失敗したバンシーは本性を現した。暗い青の瞳は血走り、顔中に無数の枝のように血管が浮き上がる。


  獲物に掴まれた唯一の武器である舌を戻そうとするが、ゼルトの力は強くビクともしない。


  元々バンシーの力は、人間の少女とあまり変わらない。傭兵として日頃から鍛えているゼルトには力比べで叶うはずがなかった。


 ゼルトは腰の鞘から右手で短剣を鞘から抜いて逆手で構えると、その針のような舌を切断する。


「キィアアアアアアアッ!」


  舌を切られたバンシーは奇怪な叫びをあげながら、両手で口を抑えて地面を転がり回る。


  ゼルトは左手でミミズのようにうごめく舌を放り捨てると、短剣をしまい、ロングソードを両手に構えた。


  剣を持ったまま近づくと、バンシーは少女の顔に戻り、暗い青の瞳に涙を一杯ためてゼルトを見ていた。


  もし御者の兄弟が見たら、殺すのを躊躇い逃しただろう。しかし目の前の傭兵には効かない。


  ゼルトは、涙を流し、弱々しく首を横に振って命乞いをする少女の姿をした魔族(バンシー)に、長剣を突き立てた。 

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