第一巻 《第一章 間宮コウの最期》
ある日曜日の午後。高校生の少年、間宮コウは休日を利用して、大きな本屋に向かうため駅のホームに立っていた。
コウは今日買う予定のラノベをスマホで確認しながら、列の先頭で電車の到着を待つ。
目的地の本屋までは快速電車を使って一時間ほど。最寄りの本屋はもっと近い。
なぜそこに向かうのかというと、いつも読んでいるシリーズ新刊のサイン本が発売されると知ったから。
彼は手に持つ目の前の液晶の画面を集中していて気がついていないが、ホームには沢山の人が行き交っている。
誰かと電話するサラリーマンや、学校に用でもあったのだろう制服を着た女子高生たちが賑やかに会話し、その声にびっくりしたのか、泣き出す赤ちゃんを母親があやしている。
けれどもコウはそんな事に耳も傾けずに、サイン本がどうか売り切れていませんようにと、そればかり考えていていた。
だから、後ろから彼のことをずっと見ている女性がいる事にも全く気がついていなかった。
「……見つけた。あの青年が《可能性のカケラ》を持つ者」
女性は古代ギリシャで着られていたキトンによく似た服を着ていて、炎のように鮮やかな髪を腰まで伸ばしている。まるで何処かの女神から抜け出してきたようだ。
彼女は髪と同じ赤く輝いた瞳で、メガネを掛けスマホに集中しているコウの背中を、穴が開くほど見つめていた。
見つめられている事に全く気がつかない彼はずっとスマホの画面を見ていたが、駅員のアナウンスで自分が乗る電車が来ることを知り、それをジーンズのポケットにしまう。
コウは、心の中で早く早くと急かしながら、電車が入ってくる方に目を遣る。
アナウンスから少し経って、快速電車が減速しながら駅のホームに入って来ようとしていた。コウの全神経は目の前で止まろうとする電車に傾く。
同時に彼を見つめていた赤い髪の女性も動き出す。彼女の前には十人ほどの男女がいたが、まるで幽霊のようにすり抜けていく。
そもそも、赤い髪に女神のような格好とかなり人目を惹くはずなのに、駅にいる人は誰も彼女の姿が目に入っていないようだった。
女性は他の人間をすり抜けて、コウのすぐ後ろで立ち止まり右手を伸ばす。だが背中に触れるか触れないかのところでその手が止まる。
今から自分が行う行為を躊躇っているのか、女性は手を伸ばしたまま動こうとせず、そのまま数秒が経った。
相変わらず周りにいる人は誰一人として女性の存在に気づいていない。もし見えていれば彼女の今から行おうとする行為を誰かが止めようとしただろう。
しかし電車を待つ人間はおろか、駅員でさえもその存在を目にすることはなかった。
動かない女性の耳にある音が聞こえてくる。それはホームに入ってきた電車の音だった。彼女は口を開き意を決して行動を起こす。
「ごめんなさい……許して……」
そう謝罪の言葉を述べると同時に、目の前のコウの背中を、トンと押した。
コウは後ろから誰かが謝るような声を聞いた気がした。しかしそれを確認する前に彼の身体は宙に浮いていた。
「えっ?」
何故か、ホームで電車を待っていた自分の身体が目の前の線路に引っ張られるかのように落ちていく。
その駅には転落防止用の柵はついておらず、落ちる少年を助けるものは何もなかった。
そしてコウが最期に見たものは、線路に落ちていく自分に向かってくる電車のヘッドライトだった。
ホームに電車の甲高いブレーキ音が悲鳴のように響き渡る。
こうして間宮コウは、間宮コウとしての人生を終えた。