現状把握から名案まで
とりあえず現在の状況。
僕はサタン二世。魔王の息子。強い。でも、以前の僕はサタン二世ではなかった。何も思い出せないけれど、少なくともサタン二世ではなかったという確信だけはある。
僕の元居た世界では魔王なんていなかったし…待てよ。『僕の元居た世界』?何も覚えていないのに、なぜ「この世界が元の世界ではない」と思っているんだ?
もしかしたらこれは、ヒントかもしれない。記憶を取り戻すヒント。「以前の僕は別の世界に居た」、これはきっと、真実だ。
ドアを開けると、ノスタルジアが立っていた。
「改めて、おはようございます。」と彼女は言う。「と言っても、もうすぐお昼ですけど…随分とお部屋に篭っていましたね。やはり具合が悪いのですか?」
なぜこんな事態になったのか不明だけれど、とりあえずサタン二世を演じなければならない。正体がバレたら、何をされるか分からない。
「お、おはようだぜ、ノスタルジア。なんとも無いんだぜ。なんたってサタン二世だぜ」
僕は演技が下手だ。セリフは棒読み、体はカクカク、お遊戯会では木の役を演じ切った稀代の大根役者。これでも真剣なんです。
「それは良かったです」と彼女は言う。どうやらバレなかったらしい。「ただ、私のことはいつも通りノアと呼んでください。調子が狂います」
「ああ、分かったぜ、ノア」
僕のセリフを聞き終えると、ノアはうんうんと何かに納得したように頷き、踵を返した。
「朝食を用意していたのですが、先程申し上げたようにお昼が近いです。ブランチとして新しく作らせますので、先に魔王様に会いに行きましょう。玉座に居られます」
そう言ってつかつかと歩き出した。そして転んだ。何も無いところで。唐突に。
「大丈夫ですか!?」僕は手を差し伸べたが、ノアはむっとして(彼女は普段は全くの無表情なようなので、そのむっとした顔は、わずかな変化ながらも今の僕にとってかなり恐かった)手を払い除け、自力で起き上がった。
「はい、大丈夫です。ご心配いただきありがとうございます」メイド服の、床に着いた部分を払いながらノアは言った。「では、行きましょう、玉座へ」
彼女は何事も無かったかのように歩き出した。玉座まで案内してくれるらしい。
僕は、なんだかキャラがよく分からない人だなぁと思いながら、彼女のあとについて行った。
「我が息子よ…聖騎士共の殲滅、ご苦労であった…」
偉大なる大魔王様からの労いの言葉である。
その並々ならぬ威圧感にびくびくしながら、僕はひざまずいて頭を下げている。
「有り難きお言葉…光栄でございます」とは、もちろん僕の言葉である。僕の正体が最も知られてはいけないのは、この人(魔王)だ。萎縮しつつもなんとか声を絞り出す。
「――しかし!」魔王は声を張り上げる。「その戦果が『聖騎士共の撤退』とはどういうことだ!我輩の息子ならば一人で全滅ぐらいはやってのけるものだろうッ!」言いながら、こちらに向かって足早に歩く。
「この…愚息がァッ!!」
僕は蹴り上げられて、天井に衝突した。嗚咽と共に血反吐が漏れる。天井には衝撃によってクレーターができた。
「ふん…雑魚め」
魔王は右手を掲げる。その手のひらにはドス黒い負のオーラが集まって巨大な球となっている。あれが魔力と言うやつだろうか。
魔王の右手から球が放たれた。天井に貼り付いたままの僕に向かって直進する。死を覚悟した。
「お待ちください、魔王様」
もう一つの、一回り小さい球が、魔王の放った球の横に当たる。二つの球は互いに干渉し合ったあと、霧消した。僕は天井から落ちて、地面に叩きつけられた。
「貴様は…バエルか」
「何も、殺すことは無いでしょう」バエルと呼ばれた男は微笑みを絶やさずに言う。「二世殿は優秀です。彼がいなかったら、我が軍の被害は相当なものになっていたはずです」
「バエル将軍の言うとおりですわ」と言ったのは、バエルさんの後ろから現れた金髪の貴婦人である。「彼が前線で相手の主力を殺戮しまくったおかげで、軍の士気も高まり、兵士や物資の消耗が抑えられたのです」
「対して向こうは体勢を立て直すのに時間がかかる。しばらくは攻めてこないはずです」
魔王は思案したあと、「天井を直しておけ」と言って去っていった。
「災難でしたね、頑張ったのに」とバエルさんが言う。「魔王様も、素直に褒めればいいのに」
「ツンデレなのですわ」と、ベリアルと名乗った金髪の貴婦人が言う。「魔王様なりの愛情表現なのです」
「あ、えっと、ありがとうだぜ。助けてくれて」と僕が言う。蹴られた腹が、まだ痛む。
「礼はもういいですよ。しかし、激怒した魔王様の蹴りを喰らって生きているなんて、さすが二世殿、タフですねぇ」
「いやあ、それほどでも…あはは」あれはかなり痛かった。
「それでは、私たちは用事があるので、失礼しますわ。ごきげんよう」とベリアルさんが言う。
二人は会釈して、玉座を後にした。
「これは、なに?」広いテーブルに置かれた数枚の皿。その上に盛られた奇奇怪怪な料理(?)の数々。そのうちの一つを指差して、ノアに訊く。
「これは、ギガドラゴンの生ステーキです」とノアは答える。
「ちなみにこちらはボウリョクウオの刺身、こちらはクルイウシの生ステーキ、こちらは蒸かしたチスイポテトです」
訊いていないものまで、律儀に説明していく。僕は今、ブランチを食べようとしていた。
「これはホネオリブタの生ステーキ、それは呪いのサラダ、あれはサツリクザルの生ステーキ」
「生ステーキ多くない!?」
「好物でしょう、生ステーキ。ああ、その左奥にあるのが昨日の聖騎士の生ステーキです」
「いらないよ!」
「そうですか。では、これは奴隷共に食わせるといたしましょう」
「やっぱり俺が食べるよ!」奴隷たちがかわいそうだ。
「おええ…うう……意外とおいしいかも…」
僕は結局完食した。
ノアに、僕は何をすればいいのかと尋ねると、今日は休日だから自由に過ごしていいと言われたので、またしても部屋に閉じこもっている。
僕はこれから、どうすればいいのだろう。
サタン二世として血と暴力の日々を過ごすべきか。それとも逃げ出して、遠くの地で平和に過ごすべきか。
もちろん平和な生活のほうが良い。僕は誰かを傷つけたりしたくない。でも、ここから逃げ出せるとも思えない。僕は頭を抱えた。
「聖騎士だかなんだか知らないけど、戦争なんてしたくないよ…」
弱音を吐いているところを見られたら、正体がバレるかもしれない。でも、それもいいかもしれない。案外殺されずに、外に追い出されるだけかもしれない。仮に殺されるとしても、戦場へ行ったら死んでしまうかもしれないし……ん?戦場?
これだ!と僕は思った。名案を思いついた、と。
戦場へ行って、戦うフリをしてこっそり逃げれば良いのだ。全速力で逃げれば、きっと追いつかれまい。僕がいなくなったことに誰かが気付いても、戦死して遺体は敵に持ち去られてしまったと考えるかもしれない。
これだ。これでいこう。
僕の腹は決まった。戦争が待ち遠しいのは、初めてだ。バエルさんは「聖騎士はしばらく攻めてこないはず」と言っていた。その時まで、待たなければならない。
作戦を決行する、その時まで。