第七話
ただ力任せに氷の剣身を掴んだつもりだった。
剣身を掴んだら手がどうなるのかなんて、まるで考えもしなかった。
勇者は、ヤナギテツロウは、そんな行動に出た俺をみて何を考えただろうか。
そして、目の前で起こった現象をどんな表情で見ていたのだろうか。
俺の握った剣は、ぱきんと音をひとつ立てて、みしみしと柄に向かって罅割れる。
剣身を形作っていた氷だけじゃない。
その亀裂は剣の根本である柄をも巻き込んだ。
白銀の集団が聖剣と呼び、漆黒の少女が魔剣と呼んだ武器が、亀裂を中心にガラスのように砕け散った。
勇者はどんな表情で、どんな心境でこの瞬間を迎えているのだろうか。
ただ、なんとなくだけど。
怒りの形相を浮かべているんだろうなと、そう想像した。
「……お前、子供だと思って少し手を抜いてやったってのに、いい気になるなよ――!」
そんなセリフ、今時噛ませ犬の悪役だって言わないだろ、なんて俺は思いつつ。
勇者ヤナギは俺を掴みあげたままもう一本、剣を抜いた。
今度は氷ではない。炎でもなく、剣身を形作るのは雷だった。
思わず「はは」と俺の口から笑いが漏れた。
なんだよこれ、勇者って本当になんでもアリじゃないか。
本当に、どうして、それだけの力を持っているのに。
ゆっくりと俺は、もう一度手を伸ばす。
本当にどうして、こんなにも物語とかけ離れた存在になり得るのだろうかと。
今度はさすがに剣を掴む暇はなく、突き出された剣と手が衝突した。
だけど結果は変わらない。
帯電と放電を繰り返す雷の剣は、罅など入るはずもない雷そのものに亀裂を走らせ、またしても柄を飲み込んで粉砕した。
「馬鹿な!? どういうことだこれは!?」
これで2本目。
2本目を壊して、俺はもう一度勇者だった男の顔を見た。
もうかけ離れすぎてしまった、一人の勇者の物語を思い浮かべて。
勇者、ヤナギテツロウの物語は、六本の聖剣からなる英雄譚だった。
異世界【ギェナー】を舞台にした自著が≪六聖剣の勇者≫である。
6つの国に存在する、誰も抜くことができなかった6本の剣。
火・水・雷・氷・風・土。
それぞれの特性を内包した聖剣が抜かれた時、それは勇者出現の象徴となる。
そんな言い伝えが、異世界の吟遊詩人たちによって長い年月、一度も廃れることなく、国から国へ、街から街へ、人から人へと歌い奏で続けられていた。
そして、世界に広がる勇者出現の報。
6つの国の王によって、勇者の出現がつまびらかにされた後、魔王を擁する残虐極まりない一族を排すべく、国々は勇者と共に一斉に立ち上がることになる。
勇者は各国の王と、民の期待を一身に受けて戦い、勝利を収めた。
そして6つの国と、周辺諸国、さらには魔の一族と呼ばれる者たちの土地を平定。過去の遺恨をすべて払い、平等なひとつの巨大国家を作り上げた。そんな物語だった。
なのに、男の表情からは、ヤナギテツロウの表情からは英雄譚が記す勇者の姿など、欠片も思い浮かべることができない。
「このガキが――!!」
更にもう一本、勇者ヤナギは短剣を取り出す。
反射的に刃の方へ手のひらを向けて、受け止める。
短剣は、つ、と手のひらの薄皮一枚を割いた。
物語に謳われる勇者の一撃は、ガキ一人の手のひらの薄皮一枚しか、割くことができなかったということで。
「ぐっ……!」
「……なんだ、ただの剣は壊れないのか、残念」
俺の皮肉に、勇者ヤナギは持ち上げていた首根っこを離して跳び退った。
その表情は困惑と苛立ちか。
そりゃそうだろう。
勇者出現の象徴である聖剣が2本も壊されたんだ。
自らの地位を約束する手形が、いともたやすく2つも失われたのだ。
「――うふふ、うふふふふふふ」
そして、この一連の光景をすべて瞳に収めた魔導元帥の、場にそぐわぬ上品な笑い声が続いた。
そこに先ほどまでのお通夜ムードは、もうない。
「素晴らしいですわ、想像以上ですわ! 魔剣の力を打ち消すだけでも驚きでしたのに、まさか破壊してしまうだなんて、誰が予想できましたでしょう? うふふ、それにアイナの力もちゃんと働いているようですし、言うことなしですわ!」
尻もちをついた状態の俺と、高笑いするマキューリアをみて白銀の集団も後ずさる。
彼らにしてみれば常識が一方的に覆され、信奉する勇者が退いた。
とりわけ聖剣が破壊されたことには、大きなショックを受けているようだった。
当たり前か。聖剣はなにも勇者の象徴という意味だけではない。
自分たちの正しさを語るための旗印でもあったのだ。
「ゆ、勇者よ! 我らはどのようにすれば――!?」
禿頭の男、ドレッドは指示を仰ぐべく勇者に目を向ける。
そして勇者ヤナギが口を開くよりも早く、マキューリアが言葉を続けた。
「勇者ヤナギテツロウ。今日は痛み分けですわ。全軍と一緒に撤退してくださいまし。さもなければその炎の魔剣もここで壊して差し上げますわよ」
うふふ、と声だけは妖艶なマキューリアに、勇者ヤナギは顔を顰めた。
いや、俺はまだ何も言ってないけどね。
勝手に俺が戦うみたいな流れにするのはやめてくれないかな。
ここまで想いと勢いだけで、上げて、下がって、なんとか最後に上がった俺も段々と冷静になってくるというものですよ?
「ドレッド、やむを得ません。撤退です」
「よろしいのですか!?」
「構いません。また近いうちに、今度こそ根絶やしにすればいいでしょう」
「はっ! 撤退! 撤退だ!」
ドレッドの言葉に白銀の集団は倒れた2人を引きずりながら撤退していく。
勇者ヤナギは最後の最後まで俺を睨み続けていたんだけど。
「助かった……のか……?」
全然楽勝じゃなかった異世界ライフの幕開けだった。
なんだか、とんでもないことに巻き込まれてしまったのは、間違いない。
これからどうなってしまうのだろう。
不安が少しずつ湧きあがってきて、ふと気付いた。
「あれ、痛くなくなってる?」
そういえば斬られた背中もほとんど痛まなくなっていた。
あれだけ血も流れたのに、痛みでどうにかなってしまいそうだったのに、嘘みたいに消えている。
「貴方」
そんな俺をふいに呼ぶ声が聞こえて、顔をあげた。
漆黒の鎧。ブロンドの綺麗な、あの女の子が目の前にいた。
まずはお礼でも言ってくれるのだろうか、なんて思っていたら。
「なんです――かぁっ!?」
ぐいっと身体が持ち上げられて、胸倉を掴まれていることに驚愕した。
それだけではない。漆黒の少女――アイナ――の顔がすぐ目の前にあった。 近い近い近いって!
「…………て」
なのに、声が小さくて聞き取れない。
「なんて言ったんで、すかぁぁあああ!?」
ぐぐっと再び力がこめられる。ぐえっ……首が締まる!
「……返して」
だから、何を!?
「私の力、返してよおおおおおおぉぉ!!」
少女の声が、広間に大きく木霊した。
一難去って、また一難?
そんな導入部分から、いよいよ物語は次のステージに向かいます。