第六話
「それじゃあ、どうすればいいのよ!?」
「そうですわねぇ、有象無象ならわたくしだけでもなんとかなりますけれど……」
しかしマキューリアの視線は問題の2点に注がれる。
「あの聖剣と……“あの人”だけはどうにもなりませんわねぇ」
「私の力が使えたら……!」
「う~ん、仮に使えたとしてもあっという間に返り討ちですわ」
「それなら力があってもなくても変わらないじゃない!」
「それだけ異世界からの召喚者の力は、規格外なのですわ」
じりじりと、退路のない二人の後ずさる姿が俺の目に映る。
でも何もできやしない。ただただ背中が焼けるように痛い。
脂汗が全身から噴き出して、呼吸もどんどんしづらくなる。
知らなかった。これまで大した怪我や病気もしてこなかったからこそ、痛みというものがこれほどまでに体力と精神力を磨り潰していくものだなんて。
もう、本当にダメなのかもしれない……。
「キュリア、私たちはもう仕方ありません。ここで朽ちるのも運命でしょう。でも、彼だけはなんとか脱出させることはできないのですか」
「難しいのですわ。わたくしたちだけでは力不足としか言いようがありませんわね」
「そんな……このままじゃ彼は……」
必死に、その2つの瞳は、ただただ俺のことを見ていた。
俺も霞む視界で見つめ返し、そして見た。
少女の瞳から雫が滴る、その瞬間を。
あれ、なんであの子は泣いているのだろう。
助けると言ったのに、助けられないから?
それとも、異世界に俺を召喚した罪悪感から?
巻き込んだことに対する同情心から?
それとも別の――――。
「勇者よ、ご安心ください。彼の者たちはここで討滅いたします。貴方から授かりしこの聖剣にて!」
…………ゆう、しゃ? 勇者、だって?
その言葉に、意識が少しだけ覚醒してくる。禿頭の男は今、勇者って言ったのか?
この場の、いったい誰に向かって?
「くれぐれもネズミに手を噛まれないよう気を付けてくださいよ、ドレッド」
「は――! 勇者より賜りし勅命、今ここで成し遂げてご覧にいれましょう」
俺のすぐ傍から。
返事が、あった。
倒れる時に見た光景が、その姿が脳裏を過ぎる。
まさか、まさか、まさか、まさか、まさか、まさか。
「見逃していただけは、しませんわよね。勇者・ヤナギテツロウ」
聞いた。聞こえた。マキューリアは今、確かに言った。
あんなにも、見覚えのあるスーツが、異世界においそれとあるはずもない。
間違いない。勇者は、俺を背中から斬りつけたあのスーツの小太りな男だ。
そして、
「(ヤナ、ギ、テツ……ロ、ウ)」
知ってる。
俺は、読んでる。間違いなく、読んで、ワクワクして、ひとしきり感動した。
その男は、物語の主人公だ。
魔王の一族を打ち払い、多くの民を救い、敵にさえその手を差し伸べ、何者にも平等な世界として安寧と平和をもたらした、異世界召喚者の存在を。
俺は、知っている。
異世界【ギェナー】を救済した勇者・ヤナギテツロウの物語を。
「女性や子供の使い道はいくらでもあるのですが、生憎とあなた方はいわく付きですし、魔王を打ち取らなくては今回の兵たちも納得はしないでしょう。いえ、もちろん僕がとりなすという手段もあるのですが、ここはひとつ担ぎ上げられたまま、死んでいただけませんかね」
聞きたくない。聞きたくない。聞きたくない。
勇者の口からそんな言葉、聞きたくなんてない。
「私たちはどうなっても構わない! ここで朽ちる覚悟もできている! だから彼だけは、そこにいる彼だけは……!」
アイナの悲痛な叫びに呼応してか、頭に急激な圧が掛かる。
踏まれた。踏まれているのだ。誰に? そんなの、決まっている。
決まっているじゃないか。
「たかだか一兵卒の命がそんなに大事ですか?」
圧が強まる。頭が割れそうだ。
ミシミシと、嫌な音が聞こえてくる。
痛い。痛い。痛い。
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。
「あなた方の命には、何の価値もないというのに? 使って、使って、使い潰して、捨てることさえも面倒な命なんて、路肩のゴミ以上にたちが悪い。いっそシュレッダーにでもかけてしまえばいいんです。この世界では、選ばれた者だけが富を、名声を得られればそれでいいんです。それ以外の命なんて、知った事じゃあないです」
命を軽んじるなよ。あんたは救ったんじゃなかったのか。
多くの民を、多くの兵を、敵でさえも。その手で。
勇者として、異世界に平定をもたらしたんじゃ、なかったのかよ。
「おかげで僕の手もすっかり血で汚れてしまいまして。いくら潰しても殺しても、どんどんどんどん、湧いて出てくる。マキューリアが僕と袂を分かってしまったのは残念ですけど、それも仕方ありませんよね。この世界で僕に逆らうとどうなるか、身を持って証明するだけですから」
「……本当に、わたくしの唯一の心残りは、勇者の男の心をまるで見抜けなかった無様さにあるのですわ。その深い闇と強すぎる欲は、本当にとどまることを知らないのですわね」
「僕は最初からこういう人間ですよ。使われて、使われて、使い潰されてきた人生を、取り戻すんです。使う側として、ね」
なんだよそれ、どういうことだよ。
国を守り、民を守り、平和と平等を手にした男が、言う言葉かよ。
あの物語は、それじゃあいったいなんだったんだよ。
あんたは勇者じゃ、ないのかよ……!
「だから言っている! 我々はどうなっても構わない! せめて彼を、貴方と同郷の彼だけは助けてほしいと!」
「同郷、ですか……? おや、よく見たら学ランですね。高校生? なんでこんなところに? マキューリア、これはどういうことですか?」
「どうもこうもないですわ。異世界召喚者ですわよ、その殿方は」
「それはおかしいでしょう。だって勇者はここにいるんですよ? ありえない」
ヤナギテツロウは俺の頭から足をどかして、服ごと首根っこを持ち上げた。
凄まじい膂力。そして視線が、ぶつかる。
これが、勇者の眼だなんて……信じられない。
どす黒く、濁り、淀んだ瞳。温かさなど、どこにもない。
「マキューリア、余計なものを持ち込まないでくれませんか。僕が元の世界に持ち帰るわけにもいかないですよ、これ」
「同郷の人間を物扱いとは、随分なことですわね」
「そんなことはどうでもいいです。マスコミに取り上げられても面倒なだけですし、こちらで処分するしかないですね」
そう言って、ヤナギテツロウは、柄から先の無い剣を取り出した。
禿頭の男が持っていた剣と、同じもののようだった。
離れたところでは、アイナの「この外道!」と叫ぶ声が聞こえる。
勇者は勇者なんかじゃない。
あの胸躍る高揚感は、なにもかもがデタラメだった。
幻想は、空想は、すべて、夢物語でしかなかったのだ。
「勇者よ! その者は聖剣の力を打ち消します、ご用心ください!」
禿頭の男の言葉に、然したる表情の変化も見せぬまま、ヤナギが剣身が形作っていく。
炎ではない。凍てつくそれは、氷の剣身。
心躍る物語を紡いだ勇者は、かくして心躍らせたその読者へと剣の先端を突き付ける。
「こんなの……ない」
そのつぶやきは、執着だったのかもしれないし、そうじゃなかったのかもしれない。
ただ、元の世界に今すぐ帰りたいという気持ちは、もうなかった。
めちゃくちゃだ。もうなにもかも。
どれだけ夢を壊せば気が済む? どれだけ幻想を消し炭にすれば満足する?
異世界の冒険譚や英雄譚は、どれもこれも虚飾に塗れた無価値の産物なんだって、どうしてそんな簡単に証明させちまうんだよ。
「お前が……、お前らがそんなだから……そうなのなら……!」
突き付けられた剣身へ手を伸ばした。
勇者の、ヤナギテツロウの表情など一切見ずに。
その剣身をただ掴んで、俺はヤナギテツロウの魔剣を木端微塵に破壊してみせた。
そして物語は、新しい1ページを紡ぎ始める。
次話はいよいよ力の発現です。