蒼の騎士の懊悩 新婚編
『変わり者の従妹と婚約する事になりました』登場人物のクロイツとカーの小話です。
※男同士の会話が下世話です。苦手な方は回避するようよろしくお願い致します。
クロイツ=バルツァー少尉。
『蒼の騎士』と呼ばれる夜会の華にして、バルツァー侯爵家の嫡男である。
王立学院在学中は自治会長として生徒達の纏め役となり、優秀な成績で卒業。近衛騎士団では十九歳にして既に少尉の任を与えられる出世頭だ。
際立った長身に鍛錬を重ねた引き締まった体躯、少し癖のある黒髪を撫でつけた精悍で秀麗な面差しは、年頃の貴族令嬢の眼差しを惹き付けて止まない。
押し寄せる縁談を断り続けて来たそんな超優良物件が―――この度、アンガーマン侯爵家令嬢と婚姻を結ぶ事となった。ある者は涙を流し家に引き籠り、ある者は学院の同窓生同士の電撃結婚に胸をときめかせ―――ある者は嫉妬でその令嬢を口さがなく罵った。
件のアンガーマン侯爵令嬢はこれまで社交界に殆ど顔を出さず、王立学院を首席で卒業後そのまま教師を務めているそうだ。そしてそれ以外の時間日がな一日農園と執務室、そして図書室をウロウロしている変わり者だと―――そんな令嬢が家と家の結びつきを頼みに、夜会の憧れの象徴『蒼の騎士』を射止めたのだと―――妬み嫉む者は茶会や夜会の集まりで悪評を広め、恋愛結婚に夢を見ている年端もゆかない少女達は、学院で密かに育んだ恋を見事に成就させた理想の婚姻だと羨んだ。
クロイツとアンガーマン侯爵家令嬢、レオノーラの婚姻は実のところ―――政略結婚と恋愛結婚の『あいの子』のようなものだったが―――とにかく長い間拗らせていた初恋を実らせたクロイツの浮かれっぷりは、近衛騎士団の誰にでもハッキリ目に見えるほど甚だしいものだった。
沈着冷静を平素の常として決して職務中に冗談など言わなかったクロイツが、補佐官が差し出した書類にサインをする際冗談を言ったとか、執務室から鼻歌が聞こえ通りかかった騎士団の同僚が思わず耳を疑い扉に耳を張り付けてしまったとか―――とにかく可笑しな行動が随所に見られるようになったのだ。
完璧主義のバルツァー少尉を通過する書類は、それこそ微に入り細に入りチェックされ中々すんなりと通る事は難しい。部下達はここぞとばかり、普段なら認められない厳しい内容の上申書や過失に関わる報告書を持ち込んだ。
勿論クロイツとてそんな事で監視の目を緩めるほど、甘い人間では無い。
けれども平時であれば冷たい目で一瞥され肝を冷やす書類の誤記や、的確だが厳しい叱責を浴びる筈の過失報告書への指導の際―――仄かに柔らかい雰囲気でフォローの一言が添えられたりと―――確実に婚姻の話が表面化する前と後では対応が違っているのだから、少なくとも部下にとって受ける心労が格段に違う。
巷の夢見る少女が噂するような恋愛譚とまでは行かないまでも、バルツァー少尉自身はこの婚姻に大いに乗り気であり喜んでいるのだという事は、周囲の目には明らかだった。
そういえば婚約式でも披露宴でも立派な体格の蒼の騎士に寄り添う小柄な少女は、口数こそ少ないものの変わり者との噂を疑ってしまうほど愛らしく、何か問いかけると微笑んで頷く様子がまるで華が綻ぶようだった。案外噂もアテにならない―――とクロイツより年かさの騎士や、学院に在籍していた者たちの中でもレオノーラの授業を数えるほどしかとっていない彼女を良く知らない若い騎士たちは考えを改めたようだった。
そして彼女の従兄であるマクシミリアンや、レオノーラの本性を知るごくごく親しい者たちは口を噤み詳しいコメントを差し控えていたので、世間が受け取る彼女に対しての印象は、幾分向上する結果となった。
かくして新婚ほやほやの浮かれた男は、遠巻きに既婚者の騎士団員から生暖かい目で見守られ、未婚の若い騎士達からは羨望や嫉妬の視線を送られていたのだった。
しかし浮かれていたクロイツが頻繁に溜息を吐く場面が、近頃目撃されるようになった。
補佐官が何度もノックをしたにも関わらず返答が無いため、礼儀違反と認識しつつも扉を開けるとクロイツが虚空を見つめながらボーっとしていた、とか。目の下に大きな隈を作って人目の無い廊下でフラフラとよろけているのを部下が見咎めた、とか。
軍服に義務として毎日着ける記章を忘れて出仕し一日過ごし、とうとう気付かず帰宅する事もあったそうだ。
威圧感の塊であるバルツァー少尉の不興を買うのが恐ろしい者は、陰でアレコレと推測して噂し合った。
曰く。
政略結婚の相手のアンガーマン侯爵令嬢が、結婚後変わり者という本性を現し真面目なクロイツが振り回されているのだ―――いやいや、バルツァー少尉の華やかな女性遍歴が判明し深窓のご令嬢が悋気を起こしたのでは―――若しくはバルツァー少尉を諦めきれない愛人が乗り込んできて一悶着起こし、新婚家庭は修羅場と化したのでは無いか。
年長の既婚者の中には、単純に夜の相性が良すぎて寝不足なのだと判断し「あまり最初から励み過ぎるなよ」と揶揄うつもりで肩を叩き、真っ青になったクロイツの顔色に怯んでそれ以降腫れものに障るような対応をする者もあった。
婚姻後一カ月が経過し、そろそろ正気に戻って欲しいと補佐官及び部下達が窮状を訴えたのは、同じく少尉でありクロイツとは幼馴染で学院でも近しくしていた公爵家のカー=アドラーだった。
『薔薇の騎士』として夜会のアイドル二双璧と言われる伊達男のカーは、女性関係に節操が無い事で有名だったが、意外にも一部の男性陣、特に若い騎士に慕われていた。
王家の血を組む高貴な血統でかつ貴族女性の視線を一心に集める存在は、妬みや嫉みを一身に受け易い。事実カーの人気はクロイツのそれとは違い女性側に偏った物である。
しかしカーは自らを『愛の伝道師』とフザケた二つ名で自称し、王立学院時代から女性との付き合い方や夜の作法とテクニックについて非公式に『課外授業』なるものを開き、密かに経験の少ない男性陣の尊敬を集めていたのだった。
幼い頃から男尊女卑思想を植えつけられた貴族子息の中には、見目や財力、地位にアドバンテージがあっても昨今の恋愛小説流行りの中、夢見る女性陣から敬遠される者も多かった。目当ての女性に近づきたくても上手く躱されて、悔しい思いをする者も少なくない。しかしカーの『課外授業』を受けた子息達が、目当ての女性を陥落する事に成功したり婚約の打診が多く舞い込むようになったりと成果を出し始めると、カーの(裏)評判は限定的な範囲ではあるが一部で鰻登りに上がり始めたたのだった。
と言う訳で。
今回、自称『愛の伝道師』カーに、白羽の矢が立ったのだ。
皆の縋るような視線を背に、カーはクロイツに事情を聴く事になった。
カーはクロイツを、街の飯屋に誘った。
平民が多く出入りし安い割に味が美味しいと評判の飯屋で、酒も飲めるので若い騎士達によく利用されている。適度に五月蠅く半個室が幾つかあって、声を低くすれば内緒話を聞き咎められる心配は無い。
通常近衛騎士団に所属する、しかも高位の貴族である者は近づかない店だ。しかしカーとクロイツは学院時代の悪友と平民、貴族に関わらず付き合いがあり、このような場所にも時折出入りする事があった。
勿論少し質の悪い衣服に着替えた上での事だが。近衛騎士団の軍服は、このような場所では悪目立ち過ぎる。
「新婚さんが暗い顔しているねぇ。何かあった?」
「……」
「レオノーラとなんかあったでしょう?」
ピクリとクロイツのジョッキを持つ手が震えた。
クロイツはカーから目を逸らして、話を避けるようにジョッキの安酒をゴクゴクと飲み下した。
「最近、寝不足だって聞いたけど―――あんまりシツコクしたら、小柄なレオノーラに酷じゃないかい?」
クロイツの入れ込みっぷりを知っているカーは、閨の問題だと決めつけて言った。
「そんな事は―――していない」
絞り出すように言うクロイツが、苦し気に眉根を寄せた。
カーは一口酒を含むと「ふむ」と顎を触って思案した。
「―――ああ、そっか」
ポン、と掌を拳で叩いてカーは朗らかに笑った。
「クロイツの愛人が乗り込んで来たんだ?それで修羅場なんだ?」
「……んなワケあるかっ」
射殺しそうな瞳でカーを睨みつけたものの、全く身に覚えが無いとは言えないクロイツはすぐに目を逸らした。
「じゃ、何なの。言ってみ?『愛の伝道師』カー=アドラー様が、『悩める子羊』クロイツ君の力になってやろうじゃないの」
歌うように楽し気なカ―を、クロイツはチラリと見上げた。
「かっわいーね。何その迷子みたいな目」
揶揄うように言われて常なら激昂する場面だが、クロイツはしゅんとしたまま黙念としている。カーは(あれ、結構マジだな)と驚くと共に、俯く幼馴染を好奇の目で眺めた。
王立学院に入学して以来、厳格なクロイツがカーに自らの弱みを見せる事は無かった。観察眼の鋭いカーにとっては粋がって虚勢を張るクロイツも、レオノーラに対する恋情に気付かないクロイツも丸裸というかお見通しなのであったが―――少なくともクロイツ自身が弱みを晒したまま無防備に凹んでいる様子を見せるのは、学院入学前の幼い頃を除けば初めての事だった。
「……カーは、その……」
「うん」
かなりの間逡巡していたクロイツが、漸く口を開いた。
ジョッキは既に五杯目に達していた。酒豪のクロイツがこれぐらいで酔うのは珍しい。目元を朱くしている様子を見て、よほど堪えているのだろう……とカーは察した。
強気の人間は挫きたくなるが、弱気の人間は励ましたくなる。
天邪鬼な性質のカーは、滅多に無い事だが辛抱強くクロイツの言葉を待った。
「……処女を抱いた事はあるか……?」
「……えっ?……そんな……」
言い淀むカーに、クロイツは慌てて首を振った。
「いや、忘れてくれ。幾ら、遊び人で女好きと言われるお前でも、そこまで鬼畜な真似はしないよな。悪かった」
「あるよ」
「……は……」
クロイツは下げていた視線をガバっと上げてマジマジとカーの顔を見た。
「あるに決まってるじゃん」
「『決まってる』のか?―――まさか。相手の女性に悪いとか、思わないのか?」
悪魔を見るような軽蔑を込めた顔で、カーを見るクロイツ。
カーはそんなクロイツを鼻で笑った。
「べっつにー。かえって感謝される。『初めてがカー様で幸せでした』つってね」
クロイツは呆気に取られて、楽しそうに笑うカーを見ていた。
「結婚する訳じゃ無いのに処女を奪うなんて、騎士のやる事じゃないだろ……」
呻くように言うクロイツに、カーはジョッキをグッと煽ってからグッと顔を寄せた。
「みんなクロイツみたいに好きな相手と結婚できる訳じゃないの、分かっているでしょ?金や実家の事業の為に二十も離れた金持ちのおっさんに嫁ぐ貴族のご令嬢なんてザラだよ?きちんとした縁談だって、恋愛とは別物だしね。好きでも無い相手と契る前に、ちょっと夢見たいって気持ち、分からないかなぁ?」
「……初夜の時、相手にばれるだろう……」
「それは色々言い訳の仕方とか、手段があるのさ」
「……」
クロイツが何故か蒼くなった。
何を考えているのかピンと来たので、カーは低い声で一喝した。
「レオノーラがそんな小細工する訳ないだろ!あり得ないと思うけど、もし万が一処女じゃ無くっても、あの子が隠すと思う?……あの子の異常な馬鹿正直っぷり、身に染みて分かっているだろ」
そして呆れたように、はぁ……と溜息を吐いた。
クロイツも我に返って、頭を抱えた。寝不足が重なり、あまり悩み過ぎて思考がおかしくなっている自覚はある。そしてかなり酔いが回っていた。
「で、なんなの?もう、全部言っちゃいなよ」
「……すごく……たが……んだ……」
「え?聞こえない」
ガヤガヤとした喧噪に掻き消されて、クロイツの台詞が聞き取れず、カーは更にクロイツに顔を寄せた。
クロイツは神妙な表情で、今度はハッキリと言葉を繋げた。
「レオノーラが……すごく痛がるんだ」
カーの笑顔がビシッと固まった。
クロイツの手にはいつの間にか十杯目のジョッキが握られている。
「初夜に結局最後までできなくて―――その後何回か試してみたし、レオノーラも痛くても我慢するからって言ってくれたんだが―――あまりに可哀想で……壊してしまうそうで怖くなった。一旦休憩しようと俺から提案した。それ以来ずっと寝台で手を繋いで横に寝ているだけで、まだ何もしていない。体格差がある所為なのか―――そもそもレオノーラが受け入れられない体質なのか……」
「……」
「レオノーラが熟睡している横で―――眠りに就けるのは朝方だ。俺は眠れないが、彼女はまるで平気で―――『暫くこのままでも、楽しいですね!』なんて言われてしまって、カッコつけた手前、今更手を出すわけにも行かず―――」
「……」
クロイツは微笑んだまま固まっているカーに、自らの顔を更に近づけて言った。
「―――地獄だ―――」
絶望に顔を歪めるクロイツが、テーブルに拳を叩きつけて突っ伏した。
カーはその様子を白い眼で見降ろして、言い放った。
「阿保」
「……」
否定できずに、押し黙るクロイツ。
カーに『阿保』と面と向かって言われたのは、初めてかもしれない。しかし返す言葉は無かった。
「はぁ……クロイツも学院時代に俺の『課外授業』聴講しておけば、こんなに苦しむ事無かったのになぁー。レオノーラの前で格好付けて興味ない振りしてるから、こうなるんだ。そもそも、俺に相談しておけば、もっと早く恋仲になれたのに」
「……」
クロイツは酔っていたが、流石にその意見には首肯できなかった。
カーに相談したものなら、面白がってワザと拗らせるに決まっている―――と、心の中で野次を飛ばした。
しかしカーは解決策を持っていると、自信を見せる。ここは恥を忍んでも、聞き出さねばならない。藁にもすがる思いでクロイツはカーの言葉を待った。
カーはニンマリと口を弧の字に吊り上げる。
クロイツはその禍禍しい笑顔を見て、嫌な予感が湧き上がるのを禁じ得ない。
「しっかし、結構遊んでいた癖にねえ……ああ『遊ばれていた』のかな?慣れたご婦人ばっかり相手にしているから、肝心なトコで躓くんだよ。基本、クロイツって不器用だよね~~」
クロイツの顔は忽ち怒りで赤く染まった。
それを面白そうに眺めるカー。
いつもならここで、外に飛び出し拳闘が始まる流れだ。
ゴンっ!
クロイツがテーブルに額を打ち付けた。
そしてゆっくり顔を上げて、血走った双眸を見開いた。
「頼む」
ぶるっ。
これにはカーも流石に身震いして、真顔で頷いたのだった。
** ** **
その後ほどなく。
クロイツは新婚当初のご機嫌状態に戻った。
黒々と目の下に陣取っていた隈も消え、肌艶も良く心無しか始終ウキウキしていて気味が悪いほどだ。
クロイツはこれまでカーに借りを作る位なら死んだ方がマシだと考えていた。
しかし今回の件を通して、学んだ。
己の矜持など、大義の前に守るべき程の価値は無いという事を―――。
** ** **
そして、その裏で。
実しやかに囁かれる―――ある噂があった。
結婚以来バルツァー少尉の憂いの帯びた顔が見られるようになった。
それから暫くして、アドラー少尉とバルツァー少尉が人目を忍ぶように場末の居酒屋で逢瀬を重ね、仲睦ましげに顔を寄せ合っている処が目撃されるようになったと。
結婚を機に、蒼の騎士は本当の愛に目覚めた。
薔薇の騎士はそれを受け止めたのだ……。
そもそもアドラー少尉は幼馴染のバルツァー少尉に恋をしていたが、いずれ貴族の義務を果たさなければならないため、この恋は叶わないものと自棄になって浮名を流すようになったのだ。バルツァー少尉は結婚を経験し初めて、自分が真に愛する相手は気の置けない幼馴染だと気付いたのだった―――と。
** ** **
『蒼の薔薇』
姉に頼まれて取り寄せた最近流行中の御伽噺の新刊が届いて、そう題された冊子を手に取り、見るとも無しにパラパラとめくっていた。
その時マクシミリアンは文章中に見覚えのある人物と一字違いの名前を見つけて、何気なくその御伽噺を読み始めた。
そこに描かれたのは、男同士の悲恋物語―――と言うには、卑猥すぎる表現が満載の妄想話だった。
「ちょっと!私より先に読まないでよ」
ひょいっと手に持っている冊子を奪われる。
三番目の姉が剣呑な視線でマクシミリアンを睨みつけていた。
あまりの事にショックで固まっていると、鬼姉はニンマリと意地悪く嗤って言った。
「あら、マックスも衆道に興味あるのぉ?なら他にもお勧めあるから、貸してあげるわよ~」
「い……いらん!誰がいるかぁっ……!」
マクシミリアンはそれだけ言うのが精一杯だった。
そして目を白黒させて、その場を逃げ出した。
その背中を眺めながら、三番目の姉は呟いたのだった。
「ふふっ……ホントにすっぐ真に受けるんだから」
暫くこのネタで揶揄ってあげよう。
ニンマリと嗤うその顔を見れば、マクシミリアンが目にしていたら『魔女……』と呻いて震え上がった事だろう。
このように一部の貴族女性の間で―――静かに蒼の騎士と薔薇の騎士の噂が水面下に拡がっていくのだった。当人たちの与り知らない処で図らずもレオノーラを同情的に見る目が増えたのは、クロイツのケガの功名である。
ヒーローの中身が残念過ぎてスイマセン。
お読みいただき、ありがとうございました!