7.エピローグ
「おばあちゃん、こっちこっち」
ソプラノ声を響かせて、少女は手招きをする。杖をつく老婆はにこやかな笑みを浮かべている。
「ここでしょ。おばあちゃんが言ってた桜の木」
少女の指先には桜の木があった。正しくは切り倒され、切り株となってしまった無残な姿で。
「ほんとうは切られちゃう前に連れてきたかったんだけど、ごめんね」
「いいのよ」
老婆は少女の頭をひとなですると、向かいのベンチを指差した。
「わたしもね、覚えてるよ。うすぼんやりとだけど、小さいころにあの桜の木の前で写真を撮ったのを」
老婆はベンチに腰かけて、少女の話にじっくりと耳を傾けていた。
「……私もこの桜さんとはお友達なのよ」
少女がひとしきり話すと、今度は老婆が語りだした。
「昔ね、おばあちゃんがまだ若いころ、病気にかかったことがあってね。そのとき病院から近かったこの空き地に、よく遊びに来てたのよ」
少女は「知らなかったー」と目を丸くしている。
「当時のおばちゃんは病気のことでものすごく落ち込んでいてね。あの桜の木に向かって、色々とお話をしていたのよ」
もはや切り株だけの姿にもかかわらず、老婆の目には今もその面影が映し出されているようだった。
「そうしたら、不思議と気分が晴れてね。手術を受ける決心がついたの。あの桜さんのおかげかな」
「そっかー。じゃあおばあちゃんと桜さんはお友達なんだね」
少女はベンチから下りると、切り株の元へと歩み寄る。
「さくらも、その木が気に入ってたのね」
「うん。だってわたしと同じ名前だもん」
少女ははにかむように笑った。
少女と老婆はその空地を後にした。
敷地を出る際、車いすの女性と、それを後ろから押す男性の二人と出くわした。
「こんにちは」
少女の透き通った声のあいさつにつられて、二人も笑顔を浮かべて「こんにちは」と返した。老婆も静かに頭を下げて、両者はすれ違う。
「おばあちゃん、また遊びに来てね」
「そうだね。次の冬休みにでも遊びに行くよ」
「うん。でも寒いのは嫌だな」
「ふふふ。けど次の冬は雪が見れるかもしれないよ。そろそろ十年経つからね。見たことないだろう?」
「え、ほんとうに? じゃあ楽しみ!」
少女と老婆は並んで帰り道を歩く。
彼ら・彼女らはすれ違うことはあっても、その人生が交わることはない。
そしてその物語を見守る者も、もうここにはいない。
それでも、彼らの物語は続いていく。
だがそれは、ここにいる者に限った話ではない。
人間の数だけ生があり、それだけの物語がある。
これを読んでいるあなたも、きっと見届けるはずだ。
誰かの物語を、そして自分の物語を。
その物語を語るとき、人はそれを知るだろう。
出会いと別れに彩られた、唯一無二の軌跡。
そう、
あるものの生き様を。
「あるものの生き様」
原作: 伊更木音哉/伊古元亜美
執筆: 伊更木音哉/伊古元亜美




