第7話:起動b
次に目覚めたとき、声の主が行っていた通り、彼には「サクラ・グローブス」という名前と、IDを始めとした生活に必要な書類一式、それに十分な額が納められた銀行口座が与えられていた。
書類の束の中には学校のパンフレットと編入届も含まれていた――病室の窓からわずかに見えた、あの建物だ。
果たして上手くやっていけるのか、と不安はあった。
しかし、元より外部からの移住者が多い土地柄だったためか、幸いにも無闇に詮索する者はいなかった。
そう時間も掛からないうちに、少年は少しづつ島での生活に溶け込んでいった。
しかし運命は、彼に平穏な暮らしを認めはしなかった――
◇ ◇ ◇
サクラがロイ・ツァオといつ頃からつるむようになったのか、はっきりとは覚えていない。
おそらく何かの授業で同じ班になったとか、学食で席が隣あったとか、他愛のないものだろう。
ロイは泰平洋を挟んで向かい側にある大国、シンファ系の血を引いており、切れ長の目と細ばった顔つき、やや黄色掛かった肌がそれを表していた。
もっとも、彼の先祖がアルストロメリアに渡って来たのは100年近く前のことになる。
多民族が入り乱れる島の中では、その外見も個性の一つに過ぎない。
また、そのメンタリティもアルストロメリア人のギーグそのものだった。
自慢の父親が島の警備部隊でツァウバークライトに乗っているためか、彼自身も武器や兵器に詳しく、将来は連合軍の整備部門を志望していた。
だが、その強すぎる情熱はやや空回りの傾向があり、学校内ではやや浮いた存在でもあった。
事あるごとにサクラの隣に陣取り、連合軍の動向や装備の数々を得意げに話すロイの横を、学友たちが生
暖かい視線を向けながら通り過ぎる、というのが恒例になったのはいつの頃からか。
お気の毒さま、というところなのだろうが、身寄りのない自分に遠慮なく話しかけてきてくれるのは、サクラにとってはむしろ有難かった。
思えば、サクラがアルバイトを始めるきっかけも彼にあった。
3か月ほど前の学校の帰り、ふと近道をすることになった。理由はやはりよく覚えていない。
コミックの発売日か何かだったのだろう。
普段の道を外れ、基地との境にある4mほどのフェンスに沿って歩いていた。
サクラがふとフェンスの向こう側を見ると、立ち並んだ白い倉庫の向こう側に、黒く長い一対の腕のようなものが見えた。
「ねえロイ、アレ何だろう?」
サクラが指した先を見て、ロイがふと足を止めた。
「ん?あー、ありゃぁ多分親分のトコの新型だな」
「親分?」
サクラが尋ねる。
「ああ、ウォルドフ親方。港の民間区で荷揚げの下請けやってるんだ」
言いつつ、ロイはいかにも悪童と言った形で口元を釣り上げた。
「なぁサクラ、ちょっと寄ってこうぜ」
ロイは答えつつ、肩に掛けていたスクールバッグをアンダースローでフェンスの向こうに投げ入れた。
サクラの答えを聴くまでも無く、ロイは既にフェンスに手を掛け、実に慣れた手つきでよじ登り始めていた。
「あ、ダメだよロイ。ほら、そこにも関係者以外立ち入り禁止って書いてあるし」
慌てるサクラに、フェンスを昇り切り、天辺を跨ぎつつあったロイは振り返り、再びにやりと笑った。
「前にも言ったろ?俺の親父はパイロットなんだ。だから俺も関係者。お前も関係者の関係者で関係者。無問題さ」
そんな無茶苦茶な・・・・・・、と思いつつも、サクラもロイほどでは無いにしろ、武器や兵器、あるいは重機といったものに魅力を感じる部分があった。
「よっ・・・・・・と」
ロイがフェンスを降りる途中から、一気に飛び降りて着地する。そのまま数歩下がると、
「ほれサクラ、お前も来るならバッグ投げろよ。受け取ってやるから」
サクラは頷き、やはりアンダースローでバッグをフェンスの中に投げ入れる。
小気味良い音を立て、バッグはロイの両手に収まった。
サクラはフェンスに手を掛け、よじ登っていく。
視線が次第に高くなっていくが、思ったほど怖さは無い。
フェンスを降り、いくつもの案内表示が描かれたアスファルトに足を付けると、「軍事施設」に足を踏み入れたのだと実感する。
気のせいもしれないが、僅かに空気が硬くなり、湿度が下がったように思えた。
「ん?どうしたサクラ」
「ううん、何でもないよ」
「よっしゃ、急ごうぜ。あっちだ」
「うん」
サクラは頷きながらロイが投げてよこしたバッグを受け取ると、2人して声のした方へと駆けだした。