第5話:撃墜
ドライブエフェクトによる垂直上昇を行い、2機のMW-16Nは高度1500に到達した。
先ほどまで目まぐるしい勢いで回転していた高度計も、今は落ち着きを取り戻している。
アヤナの前面にある曲面モニタは、正面に青い海と緑の島々を、そして足元には先ほど飛び立った母艦、「LPK-115 ジョージア・オキーフ」を映していた。
240mに達する全長とほぼ等しい飛行甲板の中央右側には、箱型の艦橋がそびえ立つ。
艦内の格納庫には1個中隊――12機のツァウバークライトが抱えられており、これは原隊であるアルストロメリア海軍のみならず、政府連合海軍が擁する艦艇の中でも最大規模の搭載機数に当たる。
さらには歩兵や装甲車などの早期展開戦力も積み込んだこの艦は、まさに海上基地であった。
そして、その周囲に展開する僚艦の姿もアヤナの視界に入ってくる。
駆逐艦「DD-974 ロイス・レンスキー」、同「DD-886 ヒュー・ロフティング」の2隻が両脇に展開し、艦橋上部に設置された対空レーダーを始め、その高い索敵能力によって艦隊に対する脅威に目を光らせている。
ついで補給艦「AOEー99 ハランド・デイビット」が後方に続く。
「ジョージア・オキーフ」に匹敵する大きさを持ち、艦内の搭載スペースには艦隊が使用する武器弾薬、艦の動力源であるサーマルリアクタの補修部品、さらには総勢1600名余りの乗組員達の日用生活品に至るまで、あらゆる補給物資を満載していた。
この艦の存在によって、艦隊は最大3か月にも及ぶ無補給活動を可能にしていた。
(はぁ・・・・・・やっぱり、アルストロメリアの軍事力って凄いなぁ……)
などと小学生並の感想を抱きつつ、曲面モニタの光沢に映り込んだ自身の顔に、アヤナ自身もまた、その一端を担っていることを改めて実感する。
視線を前方に戻すとコントロールスティックを右に向けて軽く力を掛けた。
フォースコントロール式のコントロールスティックがそれに反応し、JO303が緩やかに旋回すると視界の右端に同じ機動を取る、デセルの乗ったJO304の姿が映った。
相変わらず太陽は照り付けてくるもののコクピット内は空調が効いており、汗をかくことも無い。
アヤナはフィルターによって清浄化された、僅かなイオン臭のする冷えた空気を肺に送り込むと、サブモニタをタッチし、JO304とのデータリンクが正常であることを確認して通信回線を開いた。
《JO303よりJO304、通信状況は良好。どう?そっちは問題無い?》
《JO304、問題無し。いきなりの訓練で参っちゃうよね》
メインモニタに10㎝四方の通信ウィンドゥが開き、苦笑を浮かべながら答えたデセルに、アヤナもまた同じような表情を返した。
《そうね。まったく、フライトスケジュールっていったい何なのかしら》
《ほんとだよ。バスティン中尉もお酒が入ってたからって、無茶しすぎだよ》
通常ならば有り得ないことだが、この日の訓練飛行は本来の日程に含まれるものではなかった。
スケジュール管理を担当する航空科のバスティン中尉と言えば、アレクサンドル大尉と並び艦内で1、2を争う酒好きで知られていた。
わざわざ海軍に志願したのも、遠征先でアルコールで胃袋を膨らませるのが理由なのだろうともっぱらの噂だった。
そして先日。久しぶりの上陸となって駆け込んだバーで、偶然相席になった現地警備部隊のパイロットと意気投合してしまい、その勢いで訓練計画を取り付けてしまったというのが直接の原因だった。
《誰か止める人って居なかったのかしら》
《居なかったからこうなっちゃったんだろうね》
やれやれ、と肩をすくめながらも、実際2人はそこまで落胆しているわけでもない。
後に「最後の国家間戦争」とも呼ばれた対ガルビア戦争において、政府連合軍が受けた被害は少ないものではなかった。
特に、早期展開戦力の筆頭であるツァウバークライトは対テロ・低強度紛争への有用性が高いことから、損耗分の補充が賄われた後も、連合各国からパイロットを募るようになった。
その結果、従来の階級制度とは別に、即製訓練による「特務軍曹」が新設され、書類上の員数を充当していった。
彼らは搭乗訓練の殆どをVRシミュレータで賄い、実機搭乗時間は10作戦時間にも満たない。
今回の実機訓練にしても、予期せぬ実戦で僅かでも生存確率が上がれば、という計らいなのであろうことは2人にも想像できた。
もっとも、それは無辜の若者が前線に送られることに対して、後ろめたさを感じた大人たちの、自らへの慰めが少なからず含まれていた。
しかし、当の若者たちがそれに気づくのは、まだ少し先の事だった
◇ ◇ ◇
教導精神あふれる有難い教官殿と合流すべく、投影された進路を示す青色のラインに従って2機は進路を東に取った。
眼下の艦隊が、それに被せる形で表示された友軍を表す緑色の四角いマーカーと共に、ゆっくりと後方に流れていった。
隔壁越しに響くドライブユニットの低い唸り声に重ねて、アヤナが口を開く。
《それで今日の訓練相手だけど、どんな人かデセルは知ってる?》
《うーん、詳しくは知らないけど……確か、ガルビア戦争にも参加したベテランだって》
それを聞いたアヤナはゲンナリした様子で呻いた。
《あー……それは。どうりで明日が振替で代休になるわけね》
その分、日が暮れるまで、あるいは日が暮れた後も徹底的にしごかれるのだろうという予想はついた。
今夜はいい夢が見れそうだ。
《でさ、アヤナは何か予定とかあるの?》
《うーん、特に決めてないから多分いつも通りよ。図書室で本を借りて、トレーニングルームに寄って、あとは購買でお菓子買って部屋で読書・・・・・・になると思うわ》
ハハ、とデセルが笑う。
《相変わらず地味だね》
言われて、アヤナはむぅ、と軽く頬を膨らませた。
《悪かったわね。でも私、あまり騒がしいの好きじゃないし》
《それに実家に仕送りもしなきゃいけないから、余り無駄遣いはできないわよ》
デセルの顔から笑みが薄らいだ。
《それは・・・・・・そうだね》
アヤナは母子家庭で、さらに年の離れた弟と妹を抱えており、あまり経済的な余裕がある方では無かった。
デセルも似たようなもので、実家は農場を営んでいるものの、経営は芳しくない。彼を含めた8人兄弟の内、下の4人は口減らし同然に軍に入り仕送りで家計を支えていた。、
デセルは頷きつつ、続く言葉を口にするタイミングを計る。
《でも、せっかくの休みなんだし、艦に籠るよりどこか外に行った方が良いよ。 バスティン中尉に頼めば上陸許可も降りそうだし》
(そう言われてもね…)
乗り気の無さそうな顔をしつつ、控えめな胸元に垂れた髪を指で弄ぶ。
事の大小を問わず、何かを決断しかねている時に無意識に行ってしまう彼女の癖だった。
《大体、今からじゃ上陸できても行先はせいぜいプルミエ島じゃない。見慣れた軍施設なんて見ても面白くもくもないし》
デセルは何か考え込た様子で短く沈黙し、短く息を吸った。
頬がやや赤らんでいたが、アヤナは気付いていない。
《そ、それなんだけどさ》
その声は上ずっていた。そして間髪入れず、アヤナの手元に画像データが転送される。
《ちょっとデセル、任務前よ》
そう嗜めるつつも、横目でちらりと画像を見ると、南国情緒のある木造平屋建てが映っていた。
クリーム色の壁に緑色の窓枠。看板の代わりに店名が大きな窓に描かれており、本屋であることが見て取れた。
店の前にはメタルラックやワゴンが置かれ、その中にはくたびれた無数の本が無造作に積まれていた。
おそらくは処分品同然の投げ売りなのだろう。
《島の民間居住区にあるお店なんだけど、アヤナが前に「外国の本屋に行ってみたい」って言ってたから、探してみたんだ》
《もしよかったらさ、一緒に・・・・・・どう、かな?》
躊躇いがちに言うデセルに、アヤナはここでようやく、彼が自分をデートに誘おうとしているのだと気付いた。
(あー、発艦前のやり取りはこれの事だったのね)
昔からこの手の分野には無縁だったが、あまりに鈍すぎる。
アヤナは胸の内の自虐と自嘲を隠しつつ、《いいわよ》と答えた。
果たし、てアレクサンドル大尉の懐には何ドルが入るのか。
《本当!?》
デセルの両目から送られる視線が、不安から歓喜へと塗り替えられた。
正直なところ、その言葉はむしろアヤナの方が言いたかったのだが。
趣味も地味で、スタイルが良いわけでもないし、特に優しいわけでもない。
むしろ周囲からは笑顔が足りないと言われることの方が多かった。
・・・・・・いや、そうやって卑屈になるのは止そう。
と、アヤナはネガティブな考えを隅に置いて、努めて冷静を保った声色で答える。
《ええ、でもデセル。あなた朝に弱いんだから、目覚ましでもセットしてちゃんと起きてよね。》
《分かった。絶対起きるよ》
(やった!)という声が僅かに聞こえ、JO304が増速してJO303を追い越す。
そのままクルクルと勢いよく機体をらせん状に回転して飛ぶさまは、アクロバティック飛行というよりは、むしろ餌を与えられた子犬のようだった。
(もう、デセルったら・・・)
アヤナは苦笑い――しかし満更でもない――を浮かべる。
フットペダルを踏み込み、JO304に追いつくべく増速を掛けようとした、まさにその瞬間。
前方を飛ぶJO304に、高速で下方から飛来した"何か"がぶつかり、一瞬の後に機体は無数の破片と化した。
その速さにシールドユニットの自動展開も追いつかない。
そしてもちろん、警告音が鳴る暇も無い。
(デセル!)
声に出す間もなく、通信ウィンドゥがはノイズ一色の砂嵐へと変わった。
追って数百、数千となった破片が追走するJO303に降り注ぎ、回避行動を取る間も無く、衝突した破片がJO303の表面装甲を叩く。
(クッ!)
ほんの一瞬、轟音に包まれるもすぐに止む。
サブモニタに表示された自機の状態を確認。幸いにも損害は軽微で、最も被害が大きい部位でも頭部メインカメラのバイザーに亀裂が入った程度だった。
正面モニタの一部表示にノイズが生じたが、それは直ちに補正ソフトウェアによって修復された。
しかし、今はそれどころでは無い。
「デセル!」
ようやく口が動いた時には既にデータリンクも途絶し、通信ウィンドゥには「LOST」の表示が明滅するのみで、僚機からの応答は一切無かった。
(どうして・・・・・・)
と思ったのも束の間、目の前で塵と消えたデセルに対する悲しみが湧くより前に、アヤナは刷り込みにも等しい反射行動で右に急旋回を取り、”敵”の追撃を避ける。
3機のドライブユニットが戦闘出力に達すると同時に細い身体を遠心力が容赦無く襲い、アヤナの全身がミシミシと軋みを上げる。
さらにシートベルトが無機的に身体を圧迫してくる中で、鉛のグローブでも嵌めたかのように重くなった左薬指でチャフを放出させ、電波誘導を阻害。
さらに左小指でフレアを射出すると、機体後方にオレンジ色のヒトダマのような炎が放射状飛び出し、熱源探知を阻害。
重ねて発煙弾を自機の未来位置に打ち込み、直ちに綿あめのように広がった白い煙の中に突っ込み、非発見率と被弾率をコンマ1パーセントでも下げようと試みる。
その際、ちらりと"何か"が飛んできた方向を見やるもそれらしい影は見当たらず、当然センサにも反応は無かった。
(そんな、どうやって!?)
しかしその問いに答えが返ってくることは無く、アヤナは友の死を、友のままで終わってしまった命を糧として、まずは自分の命を繋げなければならなかった。
急性機動を続けながら、ここまでの動作をつつがなくとれたことにアヤナ自身も驚いていた。
しかしそれは、誰かに今後の生存を保証されたわけでは無い。
(すぐに艦隊に連絡しないと!)
アヤナは母艦に向けて通信回線を開いた。