第4話:発艦
シジエム諸島。
生い茂る緑に包まれた島々の輪郭は、ところどころコンパスで描いたかのように綺麗な円弧を描いていた。
かつての世界大戦において、文字通り雨霰と降り注いだ大量破壊兵器の直撃を受けたためだ。
旧世紀――政府連合が成立する遥か以前、殺戮と破壊に明け暮れ、覇権を争う混沌の時代があった。
その勢力は現代よりも遥かに高い技術力を持ちながらも、互いに言葉を交わす余地も失い、ただひたすら慈悲も際限も無い応酬を続けた。
果たして、今なお残る無数のクレーターは誰が誰に対して攻撃を行った跡なのか。
僅かな情報すら失われて久しい。
勝者も定かではないまま、真実は時の流れによって歴史の闇の底へと深く沈んでいった――。
◇ ◇ ◇
プルミエ島はシジエム諸島の中で最も大きく、連なった島々の南端に位置していた。
人工造成によって拡張された島は台形に近く、全周は32kmほどになる。
その全域が、アルストロメリア合衆国本土と環泰平洋地域とを結ぶ中継拠点として整備されていた。
島は軍の管理下にあり、同時に700人ほどの民間人が軍属、あるいは軍と契約した業者の従業員として暮らしている。
僻地ということもあって、代わりに好待遇で迎えられた彼らの生活水準は高く、故郷に家族を残してきた者にも十分な仕送りが出来た。
彼らは生まれも育ちも、民族や宗教、肌の色もバラバラだったが、さほど広くも無い島での暮らしは連帯感を高めることに繋がった。
心身の余裕は治安の良さにも表れ、近年では観光地や一般住宅地としての開発も進みつつあった。
厳めしい軍艦や兵士と、華やかなコテージやホテルが奇妙なコントラストを成していた。
この日までは――
◇ ◇ ◇
オウルハーバーに停泊中の政府連合海軍所属、強襲揚陸艦「ジョージア・オキーフ」。
その艦橋後方に位置する舷側エレベータが上がり切り、耳障りな警報が鳴り止む。
黄色の光を撒き散らしていた回転灯が停止すると、2機のツァウバークライトが上部甲板へ降り立った。
昼下がりの甲板に降り注ぐ日差しは未だ強いままだっただが、熱帯特有のカラリとした空気に加えて、時折海風が気まぐれに熱気を払ってくれるのでさほど不快感は無い。
彼方に見える海岸から飛んできたと思われる海鳥たちが、甲高い声で鳴き合っている。
隙を見て止まり木にしようと企んでいるのだろう。
『エレベータ停止位置確認、艦載機を発艦位置へ誘導する。後に続け』
オレンジ色に光る誘導棒を振りつつ、デッキクルーの一人が叫ぶ。
対外マイクでその声を拾った2機のパイロットが前進を始めると、甲板上に待機していた他のデッキクルー達もそれに続いた。
2機が歩みを進めるたびに脚部のバンドモータが伸縮し、8tを超える重量によって生み出された衝撃を、何事も無かったかのように吸収する。
MW-16N愛称<シーアイビス>。
エディスン・エレクトロニクス製の第2世代ツァウバークライト、MW-16をベースにした海軍向けの派生機だ。
艦上での運用を考慮し、機体各部に海水の侵入を防ぐ為のシーリングが施され、外装を中心に耐食性の高い素材へと変更されている。
また、格納スペースを抑えるために機体の端部を折り畳めるようになっており、加えてアビオニクスやドライブユニットも艦載機向けに手が加えられている。
そして脚部は原型機との違いが最も著しく、ブレード状の複合型エフェクトユニットが膝から脹脛をぶち抜く形で搭載されていた。
揚陸作戦において、ツァウバークライトの任務が空対空戦闘だけでは無く、味方地上部隊への近接航空支援も含まれる。
CAS担当機はその性質上、敵の対空攻撃に晒される恐れがあり、またそのリスクを下げるために攻撃後は直ちに離脱しなければならない。
重装甲と瞬間出力という本来ならば相反する能力を獲得するため、やはりここでもエフェクトが用いられていた。
誘導に従い、2機は甲板の左舷に設置されたランディングポイントに到着すると、周囲に集まるデッキクルーに誤って接触しないよう注意深く停止動作をとった。
《JO303より主管制指揮官、発艦位置に到着しました》
MW-16N、303番機のコクピットシートに収まったアヤナ・セトガワ特務軍曹が、肩まで伸びた黒い髪をサラリと揺らしながら告げた。
紺色のパイロットスーツは20作戦時間前に卸したばかりで、未だ光沢を保ちながら、着用者を保護する為にぴったりと密着していた。
そして浮かび上がるシルエットは、東洋人ということを差し引いてもなお、幼げな印象を残していた。
《JO304、同じく発艦位置に到着しました》
通信ウィンドゥに僚機である304番機、デセル・ジオーナ特務軍曹のおよそパイロットには似つかわしくない、小動物をイメージさせる純朴そうな顔が映し出される。
アヤナの同期であり、補充要員として共にこの艦に配属された彼は、アヤナの一つ歳下ということもあってか、しばしば今回のようにアヤナとシフトを組む事があった。
《了解。フライトマスターより両機へ、定位置停止を確認。作戦装備の搭載を始める》
艦橋の後部、飛行甲板を見下ろせる位置にある主管制指揮所に座ったフライトマスター、アレクサンドル大尉がこれに答え、そのままデッキクルーに作業開始を指示した。
直後に先ほど昇ってきた物とは別のルート、武装搬送用エレベータから運ばれて来た電動トラクタが2機の前に停まった。
平たく押しつぶした形のトラクタの荷台には、それぞれのエフェクトカービンとシールドユニットが載せられていた。
《前みたいに落っことすなよ、アヤナ》
《わかってますよ大尉。始末書も謹慎も懲り懲りです》
アレクサンドルの言葉にアヤナは苦笑いを返しつつ、自機の右腕マニュピレータでエフェクトカービンを、続いて左腕マニュピレータでシールドユニットを握る。
機体の火器管制システムがそれを認識し、アヤナの右手元に据えられたタッチスクリーン式のサブモニタに、機体と武装が接続されたことが示された。
《JO303よりフライトマスター、武装の接続を確認しました》
デセルも同様の報告を行い、それに頷いたアレクサンドルは顎の無精ひげを軽く撫でた。
《フライトマスターより各機、こちらでも武装の搭載と接続を確認した。これより最終確認作業に入る》
2機の周囲に集まったデッキクルー達は、手に手に点検用具を持ち、確認作業を施していく。
併せて機体に搭載された自己診断装置も作動させているが、今のところ異常は見られない。
作業完了までの暇を持て余したのか、アレクサンドルはわざとらしい溜息を一つ吐いた。
それは特に、目下の者に対して"ありがたいお言葉"を与える時の癖だった。
サイズの合わない座席に座っている、このフォールランド系移民の血を引くヒゲ親父は面倒見は良いものの、エスニックジョークに謳われる通り、酒とゴシップに目が無いのが難点だった。
《ところでデセルよぉ……》
そして先ほどよりもやや低い、プライベートの声色で言葉を続ける。
名指しされたデセルの顔には、既に不安が浮かんでいた。
《一体いつになったら例の件は片付くんだ? 儂はかなりの額を賭けてるんだがな》
《な、何言ってるんですか大尉!こんな時に!》
デセルはアレクサンドルの言葉に押し被せるように叫んだ。
そのまま勢いでシートから腰を上げようとするも、逆にハーネスの巻取り機構によって抑えつけられてしまい、ぐえ、と間の抜けた声を上げる。
《何それ?デセルってギャンブルしてるの?そういうのやりそうにないのに》
意外かも、とアヤナが呟くと、デセルはまたしても焦った様子を見せた。
《ち、違うよアヤナ。僕はギャンブルなんて好きじゃないよ。でもいつの間にか巻き込まれたというか…煽られたというか…》
目を逸らしつつ、デセルが口篭もると、アヤナは頭上にクエスチョンマークを浮かべるしかなかった。
するとそこへ、最初に持ち分の作業を終えたデッキクルーの一人が割って入った。
『どうしても嫌だってんなら、今この場でチャラにしてもいいんだぜ。但し、俺が賭けた4口分を払ってくれたらな』
《うっ……リウ曹長・・・・・・》
さらに、作業の終わった面々も加わって茶々を入れる。
『俺だって5口も掛けたんだぜ、そいつも払ってくれよな』
『あたしの6口もね。払い戻しを期待して、もうバッグを買っちゃったんだから』
『俺はダメだった方に2口だから、このままでもいいぞ。但し、お前の男としてのプライドも一緒にチャラだけどな』
《エニス軍曹、ネンノン軍曹、ダリヤ伍長まで・・・・・・》
あんたらが勝手に始めたんじゃないか――というデセルが零した蚊の鳴くような愚痴は、幸いにも周囲の耳には届かずに済んだ。
デッキクルー達には騒ぎに加わらない者も少なからず居たものの、やはりその視線には好奇の色を浮かべている。
《ま、ハッキリしないのが一番ダメだってこった。いい機会じゃないか、一丁ここらで男を見せてこい》
助け船、というよりは一区切りを付ける形でアレクサンドル大尉が言うと、面々はまだ何か言いたげな雰囲気があったものの、生暖かい視線を保ちつつ一応は大人しく引き下がっていった。
『全項目、確認完了。両機とも異常無し。発艦準備完了』
ニヤリと笑いながら、言いつつ退避していくリウ・ホーク曹長以下デッキクルーの面々を尻目に、アヤナはアレクサンドルに尋ねた。
《あの、大尉。デセルに一体何があったんですか?》
《ん?悪いがアヤナ、お前さんには関係無い。というかむしろ関係あり過ぎて儂から言うわけにもいかん》
しかし、対するアレクサンドルの態度は奥歯に物が挟まった様子だった。
デッキクルーの中には笑いを堪えている者も居たが、幸いにもアヤナが気付く事は無かった。
《は、はぁ・・・・・・》
《よし、そろそろ時間だ。フライトマスターより両機へ、発艦を許可する》
続くアレクサンドルの声はフライトマスターのそれへと戻っており、既に私語を挟める雰囲気では無くなっていた。
《それと、先方にはくれぐれも失礼の無いようにな》
アヤナは釈然としないまま、そしてデセルは逆に安堵した様子でそれぞれ《了解》と答え、フットペダルに掛けた足に力を込めた。