第3話:排除
(来た……)
正面モニタに、3つの機影が映った。今のところ周囲に他の敵影は無い。
高度100から120、速度は50から60といったところか。
長機を先頭に、僚機が後方左右に追従するアローフォーメーションを取っている。
マティカはジャムエフェクトの効果時間を、当初よりやや短めの30秒と見積もった。
カウントダウンをセットしつつ確認したサブモニタには、予想通りMW-16の制式番号が表示された。
"東側"とは対照的に、"西側"の兵器に良く見られる直線主体のライン。
頭部前面のメインカメラを覆うV字型のバイザーに、人型をプレーンに拡大した姿はまるでアメコミ――アルストロメリア・コミックのようにヒーロー然としている。
機体は鮮やかなネイビーブルーに包まれ、肩と脛に通った白いラインが泰平洋管区所属であることを示していた。
シジエム島に駐屯している、政府連合陸軍の所属であろうと思われた。
右腕には細身のエフェクトカービンを構え、左腕には半身を覆う三角形のシールドユニットを保持している。
第2世代機の多くに共通する、一対のバインダーが腰の両側から後方へと伸び、ドライブエフェクトによる機動を担う。
шал‐21を始めとする第1世代機は開発当初、脚部による歩行機動を前提としていた。
そのため、背部に外付け式のエフェクトユニットを装着することで3次元機動能力を補っている。
外付けゆえに機体バランスが損なわれることは避けられず、真向からの空中戦では第2世代機には及ばない。
普通のパイロットならば、この時点で尻尾を巻いて逃げ出しているだろう。
機影が段々と近づいてくる。
光学センサが外見から機体情報を拾うと、順次テキスト化されたデータがサブモニタに示された。
特徴からすると、おそらくは改良型のC型以降であろうと判断できた。
哨戒飛行にはしてはやけに呑気な飛び方にも見え、さながら<教官>の左右に続く列機の動きも、巣立ったばかりの幼鳥のようにぎこちない。
(もしかしたら、本当に訓練飛行なのかもしれませんね)
わずかにそう思ったものの、この期に及んで攻撃を止める理由にはならない。
敵機は木々の合間に隠れているшал‐21の上を通り過ぎ、デコイが撒かれた方向へと飛んでいく。
年代物とはいえ、アクティブステルスは正常に稼働してくれているようだ。気付かれた気配も無い。
場違いな砂漠迷彩も、折り重なった木々の合間に隠れてくれいている。
敵機が、こちらが最後に撒いたデコイの付近で減速した。
ゆるやかにと時計回りに旋回を始める様は、あたかも獲物を捕らえる間近のハゲワシのようだ。
彼らの意識は、完全にデコイに向かっている。
(――今だ)
そう判断したマティカは直ちにトリガーを引き、エフェクトライフルからジャムエフェクトを射出した。
フットペダルを踏み込むと一瞬遅れてドライブユニットが吼え、機体は上空へと乱暴に押し出しされる。
その反動で身体がシートに押し付けられるも、急制動を掛けた時の衝撃に比べれば大したものではない。
一瞬のうちに上昇し、高度170に達したところで下方へ視界を移す。
まだ事態を飲み込めていないのか、敵機の動きは固まったままだった。
カウントダウンが始まると同時に、乾いた破裂音が響きジャムエフェクトが発動する。
砲声に木々がざわめき、驚いた鳥たちが空に羽ばたき逃げ惑った。
電子の目を覆う不可視の霧が周囲を包むとшал‐21のモニタにノイズが走り、計器表示が乱れレティクルが小刻みに揺れる。
ジャムエフェクトの発動を確認。機体制御のリソースを確保するために、消費電力の大きいアクティブステルスをカットする。
次いで<ビュリザーⅡ>エフェクトライフルの弾種を徹甲現象弾へと切り替える。
残り28秒。まずは向かって右手、他の2機に一瞬遅れてこちらに旋回しようとしているMW-16《アイビス》へと狙いを定める。
NW-16《アイビス》が右手に構えたエフェクトカービンの銃口は下を向いたままで、同じく左手のシールドユニットも未起動のままだった。
シールドエフェクトは発生されておらず、これならば<ビュリザーⅡ>の出力でも十分に撃ちぬける。
やはり新兵だったのだろうか、とマティカが考えたのはすでにトリガーを引いた後だった。
<ビュリザーⅡ>エフェクトライフルから放たれた2発のAPEは吸い込まれるようにMW-16《アイビス》の胴部へと命中し、パイロットごと撃ちぬかれた敵機は力を失うと、森の中へと落ちていった。
ややあって、対外マイクがずしりと鈍い衝撃音を拾った。
地面に激突したものだろう。
残り22秒。1機を撃破するも、まだ数の不利は覆っていない。
視界のやや奥側に見える<教官>がエフェクトカービンを斉射してくる。
機体を旋回させ、回避機動を取ると、狙いが逸れたバレットエフェクトの束が空を切った。
警告無しの実弾発砲だが、この状況では当然と言えた。
弾種は拡散性の低いAPEのようだが、まさに弾幕といった高い連射性はそれを補うに十分だった。
<教官>の放つAPEの斉射には見越し角と機動予測が含まれ、彼の技量はそれなりに高いと判断できた。
脅威ではあったが、マティカは数の差を埋める方を選んだ。
<教官>よりも、その向かって左側を飛ぶMW-16へと狙いを定める。
MW-16《アイビス》はとっさにシールドを構えカービンで応戦するも、もはや照準はまともに定まってはいなかった。
さらに慌てているためか、その弾種は対人用のクラスⅡバレットエフェクトだった。
この機体もまた、新兵が乗っているのだろうか。
残り17秒。数発がшал‐21の装甲表面を叩くも致命傷までには至らず。
音量設定を誤ったか、コクピット内でエコーする被弾警報を無視して、戦闘機動を続行する。
<教官>の射撃を回避しつつ、MW-16《アイビス》の死角を取るべく、その左側面へと回り込む。
敵機がこちらへと機首を向けつあるところで、マティカは<ビュリザーⅡ>からAPEを続けざまに3発放つ。
初弾は誘いであり、APEを避けた敵機は思惑通り、こちらの正面へと動いてくれた。
次発は敵機の構えるシールドユニットに弾かれるが、これも織り込み済みだった。
防御に専念したMW-16《アイビス》は束の間生き延びることができたものの、続く3発目の思惑を図るまでには至らなかったようだ。
敵機の左脚、先端部にAPEが命中し、バレットエフェクトの擦過によって熱せられた装甲が空中に撒き散らされた。
南方の島々に咲く鮮やかな花のように、破片が宙を舞った。
敵パイロットはコクピット内に響くアラートに驚いているのだろうか、メインカメラをグルグルと無意味に巡らせ、牽制の射撃すら放棄している様は哀れなほどに滑稽だった。
無防備となったMW-16《アイビス》の胴部に止めのAPEを撃ち込む。
動力を絶たれたメインカメラが明滅し、この機体ももまた力を失うと、森の中へと飲み込まれていった後、2度目の衝撃音が空気を震わせた。
(さて……)
マティカは唇を湿らせた。いよいよ<教官>を相手にする番だ。
<教官>が放ってくる弾雨に対して、マティカは自機を右へ、左へと間断無く滑らせる。
さらに加減速をランダムに織り交ぜ、急性機動で回避を行う。
化学ロケットならば、数秒で燃料が無くなるほどの推進力を連続して展開できるのは、ドライブエフェクトの利点の一つだった。
マティカは距離を取ってAPEを放つも、<教官>は巧みに躱しつつ、カービンを斉射しながら距離を詰めてくる。
まるでオーケストラの指揮者の振るタクトの如く、緩急を織りなす回避機動は第2世代機ならではと言えた。
対するшал‐21の機動は直線的で単純だった。
無理に相手の機動に付き合ったところで性能差は埋まらず、たちまち消耗してしまうのが関の山だ。
最低限の動きで<教官>に対抗できているのは、ひとえにパイロットの力量だった。
残り11秒。APEを撃ちだそうとした矢先、唐突にサブモニタに警告が表示された。
わずかに視線を向けると、<ビュリザーⅡ>の基部に不具合が発生していた。
待機領域ならともかく、中枢部分となるとこの場での対処は不可能だった。
放棄するしかないだろう。
今までの無理を考えれば、むしろよく持っていてくれた。
勘か経験か、<教官>もそれを察知したようだった。
これをチャンスとばかりに、いよいよ接近してくる。
マティカは慌てることなく、不意を突くために<ビュリザーⅡ>を<教官>へと投げつけた。
緩い放物線を描いて、600㎏近いエフェクトライフルが<教官>に迫る。
しかし<教官>は驚いた様子も無く、左腕のシールドユニットを斜めに構えてあっけなくこれを防いだ。
この間、僅か2秒ほどだったが、時間稼ぎとしては充分だった。
近接戦闘に転じるべく、失ったエフェクトライフルに代わって<クリチャーチ>アンチマテリアルブレードに切り替える。
左肩背面。刃先を下に向け、垂直に懸架された<クリチャーチ>を、マウントラックが刀身を左右から挟み込む形で保持している。
手元の兵装切り替えスイッチをスライドさせると、マウントラックが跳ね上がって水平になり、<クリチャーチ>のグリップがшал‐21の肩口上方へと移動する。
マニュピレータがグリップを握り込むと同時に、マウントラックが解放されて左右に開く。
マティカはコントロールスティックを倒し、マニュピレータが保持する<クリチャーチ>を機体の前方へと振るった。
「起動」
小さく呟くと同時に、縦二列に連なった無数の刃が、カウンタートルクを相殺する為に互い違いに回転を始める。
回転数が上昇し、コクピットの装甲越しに凶暴な金切り音と振動が伝わってくる。
本来は5本指のマニュピレータで使用する兵装のため、ふらつきを抑えきれない。
それでも構わず、шал‐21は相対距離300を切った正面の<教官>へと突撃する。
<教官>は驚いた様子も無く、シールドを構えたままだ。
政府連合軍の運用規定において、空戦仕様の機体は近接戦専用の武装を搭載していない。
地形や遮蔽物に影響を受ける陸戦機体に比べて、突発的な近接戦闘に陥る可能性が低いためだ。
多目的ナイフは装備されているものの、これはその名の通り作業用に使うもので、戦闘用には強度もサイズも不足している。
もっとも規定はあくまでも規定であって、敵に距離を詰められたからといって無策というわけでは無かった。
反射的に相手が取るであろう、次の行動を感じ取ったマティカはフットペダルに掛けた足の位置をわずかに横にずらした。
(……!!)
<クリチャーチ>の刃先が眼前に迫った瞬間、<教官>の構えるシールドが勢いよく振り払われる。
シールドエフェクトが発生したユニットの端部は鋭利な刃と同じく、また不可視のエネルギーフィールドには刃毀れも起こらない。
シールドによる防御姿勢を取れず、装甲強度に頼るしかないこちらが直撃を受ければ、形勢逆転どころか一撃で撃破されていただろう。
だが、薙ぎ払われた空間にшал‐21はすでに存在していなかった。
<教官>の頭部光学センサが見失った敵を探し出そうとするも、その姿を捉えた時には、既に勝敗は決していた。
マティカはシールドが振り払われる間際、自機のドライブエフェクトを前面へと切り替え急停止させると、機体質量を運動エネルギーに替えてほぼ真下へと落下し、<教官>の足元へと滑り込んだのだ。
真横から見れば、√記号にも似た機動だった。
再び背面に最大出力のドライブエフェクトを展開したшал‐21は、失った位置エネルギーを取り戻し、そのまま<クリチャーチ>の刃先を<教官>の腰部へと突き立てた。
装甲とフレームが瞬時に切り裂かれ、刃はコクピットを収めた胴部へと至るとさらに上方、背中へと突き抜ける。
<教官>の胴部と<クリチャーチ>の鍔が接触する。この時点で、<教官>は胴体上面だけが繋がった状態だった。
<教官>の頭部バイザ奥の一対のカメラアイが、モニタ越しにマティカを睨んだように見えた。
テロリストへの憎悪か、列機を失った怒りか。
あるいは、もう二度と家族と会えなくなる、という一人の人間として当然の悲しみかもしれない。
戦場では敵味方を問わず、幾たびも彼へと向けられた視線だ。
しかしマティカは些かの動揺も見せず、ただ細く息を吐きながら、普段通りの仏頂面で兵士としての行動を続けるのみだった。
残り4秒。マティカがコントロールスティックを倒すと同時に、左右真っ二つになった<教官>の残骸が、無数の破片と共に空中に飛び散った。
刃の回転を止めた<クリチャーチ>の刃先に、ドロリとした赤黒い液体がまとわりついていた。
マウントラックから取り出した時と同じように、一度大きく刃を振るう。
伝導液以外も混じっているだろうその液体は、一瞬で霧散した。
カウントダウン、残り3――2――1――0――ジャムエフェクトの効果が終了する。
リソース配分を戦闘前と同様に戻し、アクティブステルスを再展開したのは、ちょうどこれと同じタイミングだった。
<クリチャーチ>をマウントラックへと格納しようとしたとき、ここで初めてマティカは機体の重心バランスが変わっていることに気付いた。
(そういえば、<ビュリザーⅡ>は投棄したんでした……)
今の自機に、アンチマテリアルブレード以外の兵装は残っていない。
止むを得なかったとはいえ、射撃兵装を失ったのは痛い。
先ほど落とした3機のいずれかから、エフェクトカービンを捕獲しておくのだった。
(いえ、もう済んだことです)
僅かな後悔が脳裏をよぎるも、マティカは被りを振った。
この戦闘に限らず、マティカにとって、これまでの人生は既に過ぎたことだった。
饐えた臭いで満ちた汚く薄暗い地下の街並みも、息を荒げながら身体を舐めまわす悪趣味な客達も、とうに記憶から薄れつつある。
あるのはその身と操縦技術だけだ。しかしそれすらも、マティカにとってはさほど重要では無い。
生きる限り仲間と共に戦い続け、あの倦んだ場所から解き放ってくれた、スキタリツェ大尉に恩を返す。
それがマティカの行動原理であり、パイロットとして"造られた"彼にとって、生きる意味であった。
(さて、そろそろ港への攻撃が始まっている頃ですね)
自分が抜けた穴を、上手く埋めてくれているといいのだが。
容易くやられることは無いだろうが、作戦が作戦だ。
マティカはフットペダルを踏み込むと、仲間達と合流するべくオウルハーバーへ向けてшал‐21を加速させた。
◇ ◇ ◇
交戦地点から10kmほど離れた地点。
周囲の木々よりも一際高い大木の先端に、一人の人影があった。
「ふぅん、あれがDO計画の候補とはね」
人影がポツリとつぶやく。
黒地に白のラインが入ったパーカーを被り、デニムのホットパンツにスポーツシューズという出で立ちは、およそこの場には不釣り合いな恰好だった。
パーカーのフードに覆われ、顔つきは窺い知れないが、ホットパンツから伸びた細い脚と釘を打ち付けたような高い声から、10代半ばに届かない少女のように見えた。
望遠用具の類は持っていないようにも関わらず、少女は今しがたの戦いを確かに捉えていた。
少女がフードの上から耳元を抑えると、耳に掛けたインカムのシルエットが僅かに浮かび上がった。
「ローシ1よりスターフカへ。戦闘終了、虫が鳥を3羽落としたわ」
スターフカと呼ばれた通信相手が何事かを返し、少女は間を置いてさらに言葉を返した。
「――そうね、ツァウバークライトを少しばかり上手く扱える程度の『旧型』にしてはやるんじゃない?」
少女の口調には、侮蔑と嘲笑が混じっていた。
少女はしばし会話をつづけた。
「――ええ。――そう、分かってるわ。それじゃあ、手はず通りに。私も「|狐≪リシッツァ》」に戻って待機するわ。じゃ、通信終了」
少女はインカムのスイッチを切ると背筋を伸ばし踵を揃え、ゆっくりと両手を横に広げ、手のひらを下に向けた。
その姿は宗教画にある慈愛や豊穣を司る女神のような美しさすら感じさせたが、一瞬、フードの縁から覗いた口元には、この世の全てを見下しているかのような、酷薄な笑みが浮かべられていた。
「さぁてと……これやると疲れるのよねぇ」
愚痴をこぼした後に少女が軽く息を吐くと、彼女の足元から半径1mほどに円形の文様が広がった。
「転送座標――確認」
どこからか束ねた鈴を鳴らしたような音が響く。
「転送質量――確認」
淡く白く光るその文様は美しくも無機的で、どこか冷徹さを感じさせた。
「転送準備――完了」
少女はさらに吐く息を絞ると、文様が光を増した。
「起動」
少女が呟き、さらに増した光が周囲を眩しさで包むも、一瞬の出来事だった。
光が消えた時、同時に少女の姿もまたどこかへと消え去っていた。
周囲の木々は何事も無かったかのように、ただ揺れているだけだった。