第1話:潜入
いつかどこかに存在する、ある世界。
かつての世界大戦によって、陸地の多くが沈んでしまった。
その分海が広く、陸が2割、海が8割。
残った大地も島が多い。
それは復興した各国において、兵器の発達や運用にも変化をもたらした。
大量破壊兵器はコストと被害範囲の割に効果が薄く、過剰性能と見做され配備が滞っていった。
代わって、点在する陸地を確実に占拠するための揚陸戦力に注力された。
戦力の中核である歩兵部隊と、それを支援する航空戦力、さらに拠点となる揚陸艦。
形を変えても戦争は繰り返され、多くの兵士が戦い、斃れていった。
時が流れ、戦場に転機をもたらす兵器が登場した。
胴体に一対の腕と脚を備えた、空と地を駆ける人型の全領域起動装甲。
いつの頃からか、人々はその魔法のような存在を「ツァウバークライト」と呼んだ。
今日もどこかの戦場で、魔法のドレスは空を舞う――。
連合暦118年8月4日 14:15
アルストロメリア合衆国保護領 シジエム諸島近海 高度300m
泰平洋は日の光を受け青々と輝き、今日も穏やかだった。
母艦を発し、UG――政府連合の領海に侵入してから10分。
コクピット内にチープなアラームが鳴り、ブースタの燃料が残り少なくなったことを知らせた。
反応の悪い通信ボタンを親指で2度3度押し込み、後続の3機に伝える。
眼下に広がる海原の前では、全高5mの機体も豆粒に等しい。
旧ガルビア共和国陸軍第11山岳歩兵連隊、現ガルビア共和国軍残党。
政府連合側からは、もっぱら「笛吹き」と呼ばれ忌み嫌われている。
中でも彼ら「カシュトリャーチェ」は、数少ない実働部隊であり、激戦を潜り抜けてきた精鋭だった。
《Ц(ツェー)1より各機へ。短距離通信の封鎖を一時解除します。現在、ウェイポイントBを通過》
言いながらЦ1――マティカはコントロールスティックに備え付けられたキーボードを叩く。
表面の文字はすっかり剥げ落ち、さらにキートップが幾つか外れスプリングがむき出しになっている。
容姿だけをみれば10代前半といったところか。
少女にすら見える線の細い身体は、戦闘兵器のコクピットに収まるにはひどく不釣合いだった。
汗で額に張り付いたショートヘアのブロンドを、軽く撫でて直す。
発動機の出力が上がらないため、空調は切られていた。
ただでさえ熱のこもりやすいコクピット内は、まるでサウナのようだ。
古びた密着式パイロットスーツに応急処置で貼られたダクトテープがぎゅう、と音を立てた。
以前は目の醒めるような朱色だったスーツも、今は鳶色に色あせている。
通達があったのは、開始時刻のわずか1時間前。
目標はシジエム諸島本島、プルミエ島。
そこに位置する軍港、オウルハーバーの無力化という漠然過ぎる命令だけが一方的に伝えられた。
暴挙とも言える行いに、上官であるタスカー・スキタリツェ大尉も、元より無愛想な顔に苛立ちを浮かべていた。
厳しい戦いはいつものことだったが、もはや無謀を通り越して杜撰としか言えない。
後方の二線級であろうとも軍事施設には違いないのだ。
はたして、攻撃の目的は何だ。
20年以上前に起きた、ガルビア独立戦争の報復だろうか。
オウルハーバーは当時のガルビア領海、ルシャフィア湾に展開した連合軍艦隊の拠点の一つだった。
3年に渡る激戦の末に祖国は敗れ、アルストロメリアを始めとした連合軍に占領される結果となった。
国家主権を奪われた後、現地で暮らす人々の生活は未だ厳しい。
救援物資が届けられるもまるで数は足りず、困窮した一部の人間が暴徒と化し、輸送中の車列を襲うこともあった。
(いえ、ならばもっとマシな戦力を突っ込んでいたでしょう)
恨みはともかく、今の「笛吹き」にそんな余力は残っていない。
おそらくはもっと単純に、スポンサーの提示した報酬に上層部の目がくらんだのだろう。
声高に掲げていた"領土の奪還と真の独立"はどこへ行ったのか。
(それは…パイロットが考えることではありませんね)
マティカは小さくかぶりを振り、目の前の任務に意識を戻した。
4機のツァウバークライト、шал‐21《スヴェトリャク》が空を駆ける。
ガルビア独立戦争でも使われた第1世代機で、幾人か乗り手を変え、かれこれ20年以上は飛んでいる。
古いが信頼性は高く、少しばかり乱暴に扱っても、"西側"の兵器のようにすぐにへそを曲げるようなこともない。
等間隔の斜め一列で飛行する双腕双脚のシルエットから白い噴煙が吐き出され、すぐに空へと溶け込んでいく。
度重なる修理と改造で変わり果てた姿は「蛍」の名とは程遠く、シャーロスチ設計局自慢の流麗なシルエットも、今は見る影も無い。
"ツァウバークライト"――魔法のドレスと呼ぶには余りにも奇異な様相だった。
コクピットモジュールを抱えた胴部は後付けの機材を詰め込んだために歪に膨れ、対照的に細く絞り込んだ手足とあわせて、古代の伝承にある悪魔の姿を連想させた。
予備部品が底をつき、繊細な動作を実現するマニュピレータも人間に近い5本指から、重機のように無骨な3本指へと変更されている。
さらに頭部には、無機質なモノアイ式の光学センサが光り、冷徹なマシーンとしての印象を強めていた。
海洋迷彩に塗りなおす間もなく、カフェオレのようなデザートカラーそのままなのがそれを一層際立たせる。
機体背面には急造されたフレームを介してプロペラントブースタが接続され、装甲に包まれたコクピット内にまで重々しい轟音を響かせる。
機体だけでも7t、ブースタ本体を併せれば25t近い質量を揚力に頼らず力づくで投げ飛ばし、その速度は音速の2倍にも達しようとしていた。
再びアラームが鳴り、もうすぐブースタの燃料タンクが空になることを知らせる。
《プロペラントブースタを切り離します。各機、準備は良いですか》
ウィンドウが開き、僚機のパイロットが顔を並べる。
《Ц2、了解だよ》
銀色のツインテールをふわ、と揺らしながら元気な末っ子、ルィージェが満面の笑みを浮かべると、口元に真っ白な義歯がキラリと光る。
《Ц3、了解》
オレンジ色のピクシーカットに褐色の肌が映え、リデァーカの普段から挑発的な目つきに、さらに力が入っていた。
《……Ц4、了解》
一拍の間を置いて眠たげな声で答えたコロッラが、気だるげにずり落ちた右目の眼帯を直す。
そのしぐさに合わせて紺色の三つ編みが揺れた。
それぞれに返す声を受け、マティカは一瞬、わずかにに口元を綻ばせるも表情を引き締め、同時にコントロールスティックを握りなおす。
狭いコクピットの正面と左右それぞれに設置された液晶モニタは、中古の民生品を無理矢理に接続しており、耐用年数をとうに過ぎて黄ばんでいる。
周囲には増設した機器がひしめきあい、蔦のように絡んだケーブルが縦横無尽に這い回っていた。
しかし、一同の操縦は臆することなく滑らかで、雑然と配置された無数の計器の針が示す変化を瞬時に把握し、僅かの隙も無く操作に反映する。
《ブースタを投棄した後、ドライブエフェクトに切り替え。ウェイポイントГ(ゲー)にアプローチ。5カウントからスタート》
《5……4……3……2……1……今!》
実行キーを叩くと同時に爆砕ボルトが点火し、プロペラントブースタが切り離され後方へと流れて行く。
僚機に衝突しないように時間差を置いた後、各部がネジに至るまで空中分解すると、役目を終えたブースタは紺碧の波間へと飲み込まれていった。
《続いて速度200まで減速、逆噴射用意》
先ほどと同じく、5カウントでスラストリバース(制動逆噴射)。
加速に伴って身体を包んでた前方へのGが和らぐ間も無く、フットペダルを踏み込むと同時にドライブユニットがごぅ、と唸りを上げて出力上昇。
金切り声に似た駆動音が耳をつんざくと、機体各部に配置されたエフェクトスラスタが一斉に作動する。
瞬間、今度は背中から猛烈なGが無慈悲にマティカの身体にのしかかる、
機体が一気に減速するとハーネスが肋骨に食い込み、モニタにノイズが走る。
機体のメインフレームがミシミシと軋む音が鳴った。
マティカはリバース(嘔吐感)に耐えながら、メインモニタをじっと見つめる。
操作には慣れても、未だにこの感覚だけは慣れない。
全身の血液が前面に集中し、視界が赤く染まる。
随分と前に半分を摘出した胃袋が、口から飛び出そうな感覚を堪える。
生身であればとうに骨が砕け、眼球が潰れていただろう。
一秒が何倍にも引き伸ばされる感覚の中で、視界の端に映る速度計の針が勢いよく動く。
数秒の間に速度500まで減速。さらに減速、400・・・300・・・200・・・減速終了。
予定速度に達し、ペダルを踏んでいた足の力を抜くと、全身にかかっていた押しつぶさんばかりの圧力が徐々に和らいでいく。
関節のロックを解除すると、帯状の人工筋肉であるバンドモーターに電力が通い、縮んでいた関節部がギリギリと鳴りながらゆっくりと伸びてゆく。
《Ц1より各機へ》
言葉を続けようとしたが酸素が足りず、一度大きめに息を吸い込んだ。
《ただちに機体コンディションを確認してください》
言うと自身もキーボードを打ち、愛機の状態を確認する。
ややあって、サブモニタに一覧が表示された
エフェクトライフル《ビュリザーⅡ》、チェック。良好。
アンチマテリアルブレード《クリチャーチ》、チェック。良好。
ワイヤーアンカー射出ユニット。チェック、良好。
パワーパック。チェック、良好。
アクティブステルス。チェック、良好。偽装レーダー反射断面積、許容範囲内。
生命維持装置。チェック、機能停止。
脱出装置。チェック、機能停止。
その他、緒項目・・・確認省略。
マティカはよし、と小さくつぶやき再び通信スイッチを押すと、幸い今度は一度で反応してくれた。
今度の作戦にあたって、マティカを除いた3機には特殊装備が搭載されていた。
時折ジョイント部分に走るスパークが、およそ正規品とは程遠いものであることを暗に示している。
機体の両腕に仮設ジョイントを介して取り付けられ、空気抵抗に配慮し急造品のカウルで覆われたそれは型式番号すら無く、便宜上「暴風」という名で扱われていた。
独立戦争の末期。
ガルビア軍が彼我の物量差を埋めるべく、起死回生の打開策として開発した代物で、ゲリラ戦に幾度か投入されて一定の戦果を挙げるに至った。
しかし、ただでさえ貴重なツァウバークライトのパイロットから人員を引き抜くことは、現場からの反発も招いた。
さらには外科手術によるインプラントによって機材を操るという極めてデリケートな措置が必要とされた。
適性値も個人差が大きく、また適性があっても訓練に割ける時間は乏しく、その運用には大きな制約が掛かる結果となった。
一騎当千と喧伝された精鋭部隊も圧倒的な戦力差には力及ばず、ガルビアはあえなく降伏。
その後、紆余曲折を経て「カシュトリャーチェ」共々「笛吹き」で運用されている。
《Ц1、問題無し。各機はどうですか》
《Ц2、確認終わり。ツィクロン1、再使用型対装甲衝角<クルィーク>も大丈夫だよ》
最初に応答したのは、またしてもルィージェだった。
先ほどと同じく無邪気な表情を湛えているが、その紅い瞳を獲物を狙う猟犬の如く、爛々と輝やかせていた。
《……Ц4、チェック……完了。……ツィクロン3、長距離投射砲<ルィチャーニェ>準備……完了》
コロッラが続く。翠色の眼は前髪の下に半ば隠れ感情は読み取れなかったが、言葉に僅かに力がこもっており、秘めた決意が微かに感じ取れた。
彼は本作戦において、その目の良さを生かして、アウトレンジからの狙撃を担当する。
《Ц3、チェック完了。ツィクロン2、全領域電子戦統括装備<イーヴァ>も待機状態に入った》
最後になったリデァーカの声には、落ち着きと自信が見て取れた。
他の2機と異なり、彼は攻撃ではなく索敵と電子戦を主として、部隊の耳を司るのが彼の役目だ
支援に専念するため戦闘能力は皆無に等しく、コロッラと共に後方支援に当たる手はずになっている。
僚機の報告に、マティカは僅かに頷き《了解》と返した。
(どうにかここまでは来れましたが……)
今のところ作戦の進行は概ね順調で、むしろ上手く行き過ぎているような雰囲気すらあった。
こういう時こそ何かが起こる。
マティカは経験から、おぼろげながらその気配を感じ取っていた。
2015/5/2:モチベ維持という手前勝手な理由により、リテイクしたものに差し替え