周りからどんなに言われても俺はお前を好きだと言える
俺が本を読むのは、埋もれている名作を見つけるためだ。売れ行きの本など微塵も興味はない。
俺が女の子と付き合うのは、埋もれている少女を見つけるためだ。人気のある女の子など微塵も興味はない。
「お前、あんな奴のどこがいいんだよ」
クラスメイトにそう言われても、お前にはわからないんだな、としか言えない。
「顔だってブサイクじゃん」
君の方がブサイクだよ、とは言えない。
最近、見てくれや周りの意見に流される奴らが多くてびっくりする。見てくれが良ければそれでいいのか?みんながいいって言うからいいのか? 俺には理解出来ない。すでに良さが知れている子と付き合ってどうするの? すでにベストセラーになっている本を買ってどうするの? 印税に協力するの? 新しく発見できることが何かあるの? 俺は理解に苦しむ。
俺は「埋もれているもの」を見つけたいんだ。人知れずひっそりと輝いているものを見つけたいんだ。別に可哀想だから見つけてるんじゃない。俺はそっちを好むというだけだ。
「お前の趣味、変わってるな」
今まで何度も言われてきた言葉だ。でも、俺からしてみれば、お前らの方が変わってる。
というか、変わっていちゃダメなのか? みんなと同じじゃなきゃダメなの? いつからそんな社会になったの? みんな違ってみんないいんじゃないの?
俺は周りの目なんて気にしない。
俺は俺の読みたい本を読む。
俺は俺の好きな女の子と付き合う。
俺は俺の通りでありたいし、見てくれなんかに騙されない。
その本のいいところを見つけたとき。
その子の輝く部分を見つけたとき。
これほど嬉しいことはない。
ここにもまだ埋れてた。
そう思えるから。
「この本は駄作だ」
「こんなに酷い小説はない」
たとえそう言われていても、俺はその作品の良さを見つけることが出来るし、好きだと言える。
「あんな地味な子」
「ブサイク」
たとえ周りからそう言われても、俺はひっそりと輝くお前の素晴らしさを知ってる。
周りの目なんてどうでもいい。
どんなに言われようと、俺はお前を好きだと言えるよ。
こんな男の子がいたら素敵だな、と思ったので書いてみました。