マーサとシルヴィオ
「私と結婚しよう!」
…私の耳はオカシクなったかしら。
全ては、キラキラの奴が悪い。
マーサとシルヴィオ
「いらっしゃい、シルヴィオさん。」
「あ、いらっしゃーい!」
「今日は当たりだ。」
今日の夜番はマーサとサラだ。
サラは昼から店に出ている。
娘たちに変な虫が付くといけない、最近オークも物騒になってきた。
ということで、娘たちの出勤が不定期になるようにしている。
今日のサラのように昼も夜も入ったり、昼だけだったり、夜だけだったり。
しかし雇っている娘は少なく、娘たちの連続勤務や休日のことを考慮すると割とワンパターンになってしまうので、“当たり”の日は多いようだ。
シルヴィオ。
チェガーニ=シルヴィオは、中流家庭で育った至極普通の教師だ。
ちなみに、教師という職業に就く者は皆変わり者であると私は思っている。
だから普通以上の教師はいない。
「シルヴィオ、当たりって?」
「ん?ああ、今日はお店に自分が一番可愛いと思う女の子がいるってことさ。」
「ふぅん。」
…とても素直な男であるのは認める。
いかんせん、素直過ぎて時々腹が立つこともあるが、シルヴィオにはそれさえも許される愛嬌があった。
「今日は正装ですね。講義ですか?シルヴィオさん。」
「ああ。子どもたちは熱心なんだが、最近私の話を聞かないんだ。」
「それは熱心と言うの…かしら?」
教師になるくらいだ…シルヴィオは賢い。
しかも中流貴族。飄々としていても、上流貴族にまみれて相当勉強したのだろう。
…努力家であることも認める。
「で、シルヴィオ!今日は何にする?」
「ワインを頂こう。グラスに少し、注いでおくれ。赤で軽いものなら何でもいい。」
「はーい!…ママ、一番軽いグラスはどれ?」
中流とは言え流石は貴族。
振る舞いは上品で花がある。
そして気取らない態度。
貴族としては非常に申し分ない人格者であることも認める。
「…軽いって言うのはグラスじゃないのよ。アンタはいつになったらそういうこと覚えるのかしら?」
「え?じゃあ何?」
「ワインには重さがあるのだよ、サラ。君はお酒は飲まないから、理解しにくいだろうね。
アンナさん、今日の所は私に免じて許してやってよ。」
「…。」
そう、この目…。
甘いマスク。
シルヴィオは容姿も良く、まさに完璧な人間。
…しかし残念なことに、私はシルヴィオのキラキラした目を見ると寒気がするのだ。
目がキラキラした男は嫌い。
ただそれだけで、この男が心底から苦手だった。
「ママ、どうしたの?渋い顔なんかして…。」
「いいえ、何でもないわ。
それよりマーサ、どうしたのソレ。」
「これ?シルヴィオさんにお借りしていた本よ。」
マーサが見せたハードカバーには金字で「愛の詩」とあった。
著者は“チェガーニ・シルヴィオ”。
自著とは…恐れ入る。
…シルヴィオ…どこまでも寒い男。
「シルヴィオさんは凄いわ。子どもたちにも慕われているみたい。」
「シルヴィオ自身が子どもだからよ!」
「はいはい、いいからアンタはさっさとワインを注ぐ!零さないよう慎重に。
…どんな注文だったかしら?」
「大盛り?」
「…少しよ。ったく…。」
…
「ママぁ、シルヴィオの“一番可愛いと思う子”って、誰かな?」
「私はシルヴィオじゃないからわからないわよ。」
「んー…。私よく「サラは可愛いな」って言われるわ。それで、頭撫でてくれるの。」
サラが客に可愛がられるのは、何もシルヴィオに始まったことではない。
近所の老人だろうが、肉屋の筋肉男だろうが、お役人の髭男爵だろうが、皆サラに夢中になるのだ。
その為サラを“当たり”とする客は随分と多い。
当てて上機嫌になり、店にいつもより多くお金を出し、サラをいい子いい子して帰る。
勿論この店は娘たちをウリにしている訳では決してない。
変な気でもおこそうモンなら、叩き出して出入り禁止にするだろう。
しかしどうしても男というのは単純で、可愛い娘と“当たり”には弱いのだ。
「でもシルヴィオって、私がいてもいなくても、ずっとあんな調子でしょ?」
「そうね。」
カウンター席に腰掛けるサラの向こうに、奴が見えた。
テーブル席。
大抵の客は自分の席というものを勝手に作るが、シルヴィオに特定の位置はなく、声を掛ける娘が決まっている訳でもなかった。
しかしどこにいてもキラッキラで寒気がする。
「でもシルヴィオが「当たり」だなんて冗談で言うようにも思えないの。
“一番可愛いと思う子”ってやっぱりマーサかな?」
「…そう…」
「シルヴィオね、私やナディア、他の子には可愛いってたくさん言ってくれるんだけど、マーサには言わないの。」
「…は?」
「トクベツなのかなーと思って。私の勘!」
見ると奴の隣ではマーサが嬉しそうに本を広げていた。
広げているのは返した本ではないようだ。
また新しい本。
マーサは本が好きだ。
比べる対象のサラとナディアが全く読まないからではなく、あれば手にとって読んでいるから好きなのだと思う。
シルヴィオは教師。
本とは縁があるだろう。
…自分で書くくらいだし。
そんな二人に本の貸し借りをしている以上の仲は感じられない。
二人とも普段の通り、マーサは少し明るく、シルヴィオはキラキラしている。
可愛いと言うだの言わないだの…ちぐはぐなことを言っているとは思う。
しかしサラの勘は驚く程よく当たるのだ。
「縁起でもないこと…言わないでちょうだい。」
「なんで?シルヴィオはいい人よ。」
そんなことはわかっている。
シルヴィオは悪くない。
あの寒い目がいけない。
シルヴィオの目が悪い。
いえ…シルヴィオは悪くないのよ。
「ママ…どうしたの?苦い顔して。」
「いえ、なんでもないわ。とにかく縁起でもないの。」
「ええー。」
そうこうしている間にマーサが戻ってきた。
いくら店が空いていたとしても、特定の客の席に居座るようなことは許していない。
マーサは勿論、客も知っている。
キラキラもよく理解しているらしい。
「シルヴィオさんがもう行きなさいって。本に夢中になっちゃったわ。」
「好きだねマーサ。
それ何の本なの?」
「詩よ。」
「古ーい…表紙の文字消えちゃってるね。」
「タイトルは「愛しい人へ」。シルヴィオさんのお祖父さんのお父さんの弟さんが書いた本だそうよ。」
…また…キラッキラで寒いタイトルだわ。
チェガーニ一族は男子が寒さを受け継いでいるのだろうかと思ってしまう。
「所々抜けていて…ほら、ページも足りてないの。なんだか歴史を感じる一冊よね。こういうの好き!」
マーサは子どものように笑った。
この子は時々、様々なしがらみを忘れて心の奥から笑むことがある。
とてもいいことだ。
マーサもサラもいい大人だが、子どもらしさはいつまでもいい形で残しておいてほしいと思う。
「マーサ嬉しそう!」
「えへへ!…あ、そろそろお風呂に行こうかな。」
「お風呂、と言えばママ!」
「なあに?サラ。」
「今日お昼ね…ターシャが旅行の話してくれてね…」
「そう。ターシャ楽しかったって?」
「うん。それでね…大きいお風呂に入ったんだって!いいなー!」
…サラは少し幼すぎる。
もう少し大人になってもいいとは思う。
「大きいお風呂?」
「っ!」
私がこんなにも驚いたのは、奴が突然現れたからだ。
娘たちはゆっくり振り返ってシルヴィオを見上げる。
…今夜、私はきっと奴の夢を見るだろう。恐ろしい…。
「温泉のことかい?」
「そうそう、おんせんって言ってた!」
「大きいお風呂と温泉はたいぶ違うのだよ、サラ。」
この男…何しにきたのだろう。
まさか知識をひらかす為に来たのだろうか?
「マーサさん。」
「え?」
…そんなつもりはないらしい。
奴は微笑してマーサに声をかけた。
マーサは不意の出来事に目を丸めて奴を見る。
「これは、君が?」
「あ、はい。育てていた孔雀草がとてもキレイに咲いたので、押し花にしてあったんです。」
「美しいね。…はい、お返しするよ。貸していた本に挟まったままだった。」
「いいえ。それは…差し上げるつもりで読み終えた後挟んだものなのです。」
「え…私にかい?」
「はい。大したものでもないですが、いつものお礼です。…気づかれなくてもいいと思いましたが、見つけて下さったんですね。」
マーサはにっこり微笑んだ。
この笑顔に感謝以上の感情はない。
奴は孔雀草の栞を片手ににっこりと微笑み、上品に首を傾げた。
好感を持っただろうが、他意はなさそうだ。
シルヴィオのいつもの笑顔。
私は寒気がしていて、サラの頭上には大きなお風呂が浮かんでいて、こちらはそれどころでもないのだが、非常にのんびりとした空気が流れている。
「私と結婚しよう!」
しかし奴は全てをぶち壊した。
あの笑顔のまま、首を傾げたまま、大きな声ではっきりと言った。
確かに、
「プロポーズ?」
だった。
私は自分の耳を何度も疑って、言葉に苦しんだ。
やっと出てきた言葉は、
「…は?」
「え?」
マーサも同じだったようだ。
目を点にして同時に口を開いた。
「プロポーズよ、マーサ!」
「あ?え?」
「前々から君に好感を持っていたよ。振る舞いは美しくて、上品だ。」
これから始まる奴の長い話の全ては体が受け付けなかったが、要はこういうことだ。
始まりは一目惚れ。
…確かに奴の言う通り、マーサは上品だ。
清楚で健気。
そんな第一印象だけにとどまらない。
日を重ねると、マーサの気遣い、優しさが心地よくて癖になったそうだ。
そして今度は子どもらしさにも惹かれるようになる。
本を手にした時、輝く瞳がどうとか言っていた。
それだけでも張り裂けんばかりに膨らんだ奴の心は、孔雀草の栞によって打ち抜かれ、爆発したという寸法だ。
「控えめで…それだけでも十分素晴らしいのだが、伺える可愛らしさがまたいい。
…私と結婚してくれないか。」
言いたいことはわかった。
それにしても、誰があの空気でプロポーズしてくると思ったかしら。
あのサラまでが若干引き下がっているから驚きだ。
「…。」
「…。」
私たちは目を合わせ、先にサラが逸らした。
マーサはすっかり困惑しきって目を点にしている。
「…シルヴィオ…」
「はい、アンナさん何でしょう。」
「…みんな困っているのだけれど。」
「そのようですね、ハッハッ。」
「本気かしら?」
普段と変わらない、キラキラした目。
何食わぬ顔で真っ直ぐ私に向けてきた。
「私はいつも本気です。」
そんなことは知っている。
…質問を間違えた。
しかし奴に何を問いたいのかわからない。
いい加減掴めない男だ…。
「マーサ…どうするの。」
サラが小声で問いかけながらマーサに肘を当てた。
本人が動かなければ、こちらは居たたまれない。
マーサは我に返ったように肩を強ばらせ、瞼を伏せて開いた後。
ゆっくり口を開く。
…全員がマーサを見た。
「私、まだ結婚しません。」
「ウム!それなら今度はまた来年プロポーズしよう!」
「そうして下さい。」
再び流れ出す、のんびりした空気。
とき放たれたように私はカウンターに額をぶつけて顔を伏せた。
「ママ!?」
「あ…っけないわね…!」
「うん…だって、プロポーズ二回目だし。」
「二回…ッ!?」
「ええ゛――!!聞いてないよマーサ!」
「うん…ごめんサラ。」
信じられない…。
マーサが…この二人が、こんな関係だったなんて!
一度目はいつだったのかしら…全く気づかなかった。
内気なマーサが、プロポーズされてもよく変わらぬ態度でいられたものだわ…。
「ハッハッハッ!一度目の時も、同じように断られた。冗談だと思っていた様子だったね、マーサさん。」
シルヴィオは片目を閉じた。
タフな男…。
今回のことでよくわかった。
シルヴィオに匹敵する男は、早々現れない。
彼も、自覚しているでしょう。
尋ねれば自信満々に答える彼が安易に頭に浮かんでくる。
この揺るぎない精神力はどこからくるのか。
彼の前では神様もたじたじだろう。
なんせシルヴィオは、もう未来を決めてしまっているのだから。
…私はサラではないけれど、時々働く勘は鋭いはず。
「さて…アンナさん、私は帰ります。お代…」
「結構よ!」
「え?」
「あれ…?」
「ぅえ゛え゛―――!!ママぁ!?珍しい…!」
「…。」
…しかし重大なことをシルヴィオは忘れている。
「お代は結構。
その代わりに今後一切、お店に入らないで頂戴。」
ここは私の店。
シルヴィオはお客。
…そしてマーサは私の娘だということを。
…
「マーサー…どうするの?」
「ん?」
「シルヴィオ、もう来れないってー…ママの意地悪…。」
「ふふ…。」
「…?何?どうしたの?」
「ううん、なんでもない。
…シルヴィオさんなら大丈夫よ。」
「どうして?」
「…あの人は、また来るわ。」
「来ても入れないでしょ…あ!マーサ、どこ行くの?」
「お風呂!
お休みサラ。後はよろしくね。」
「そっか、もう上がりかっ!
お疲れ様!おやすみ!」
20080810