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9.契約の刻〈下〉

『分かったわ‥‥あなたを信じます』


 一瞬の逡巡の後、コーデリアはそう言った。


 司は安堵して息を吐いた。


 説得の失敗は、自身の存在の消失を意味する。


 正直、自分の死生観を強引に押し付けた上で、無茶な要求を通そうとするのには気が引けた。しかし、生存の可能性をちらつかせ、彼女の『藁をも掴む思い』を利用しなければならなかったのだ。

 そして、彼女は見事に、文字通り命がけの博打を引き受けてくれた。


 司は、海神ソルの依り代であった女から、事情を聞いたときのことを思い出した。いや、正確には、必要な情報を無理矢理脳みそに流し込まれたと言うべきか? 司は、コーデリアの存在が夢でないことを理屈以前の所で当然視するようになっていた。勿論、女の実在も含めて確信していた。


 彼の隣にいる女の口元には相変わらず不動の微笑が湛えられているが、その表情に人間味というものは全く欠落している。


 時間も空間も存在しない場所を漂流し続けた人間の成れの果てだ。


 何を考えているのか一切不明。そう、司にとってしても、この女が言うことを信じることは間違えなく博打であった。藁をも掴む思いがあったのだ。


 彼女が説明した儀式の概要は‥‥


 まずコーデリアの魂を身体から取り除き、次に異郷の民、つまり司の魂を身体に閉じ込める。そこに、異教の神(南大陸人が信仰する戦神らしい)を現世に呼び出し、依り代に定着させる。最後に、祭司が神と契約し、祭壇の棺に封印して儀式の終了らしい。


 コーデリアの魂を取り除く際、必要になるのが破魔の剣だ。これを自分から突き刺すことで強制的に儀式を進行させる。つまり、司の魂をコーデリアの身体に入れるのだ。そして、異教の神が2人を依り代とするまでの僅かなタイムラグに、コーデリアと司が契約を結ぶ。この瞬間、女の神性と溶け合ったコーデリアの魂が異教の神の代わりとなる‥‥


 だが、同時にコーデリアは王族としての魔力のほぼ全て失う。それを取り戻す手段を女は持っていると言う。そして、コーデリアが王族並みの魔力を得た曉には、『時間操作魔法』の上位互換『時空間操作魔法』で司は異世界に帰還する。当然、時間も場所もきっちり指定してだ。


 全く気の遠くなる話だが、司に拒否権は無かった。それに‥‥


『俺は助けたいと思った。それで良い‥‥それで十分だ』


『そうでなければ、全て嘘になってしまう。そうでなければ、俺は夏樹さんに会わせる顔がない』


『あれこれ難儀に考えることはない。思いのままに、だ‥‥』





 今だ。


 コーデリアの頭の中で司の声が響いた。 覚悟を決めて、抗わなければならない。唯一の可能性を切り開くのだ。


 仰向けになっていた彼女は、歯を喰い縛りながらも素早く反転‥‥顔を上げた先にはガルザーム。己を奮い立たせるため叫び声を上げ、彼に突進した。


「‥‥舐められたものですね」


 体当たりをかまそうとしたコーデリアを苦もなく回避したガルザームは、彼女を抑えつけて言った。


 コーデリアは全力で暴れもがきながら叫んだ。


「アラン‥‥!! アラン‥‥!!」


 その様子にガルザームは若干眉を顰めた。


「何と醜くいお姿だ。この機になっても未だに‥‥ 恥をお知りにならないのか‥‥」


『違う。君がしているのは生物として最も尊厳ある行為だ』


 司の落ち着いた声がコーデリアには心強かった。


 口を塞ぐため伸ばされたガルザームの手に、彼女は思いっきり噛みついた。


「‥‥ぐっ!! この‥‥!!」


「アラン‥‥!! 助けて、アラン‥‥!!」


「おい、ガルザームのおっさん。何やってんだよ。暴れんなら、殴って黙らせろよ」と、呆れ顔のウンブリエルが言う。


 彼は背中から棍を引き抜きながら、コーデリアに近づく。


「おら、サッサとこっちに連れて‥‥あぁ?」


 ヒュッと、風切り音がした。


 同時にゴトリとウンブリエルの棍が、彼の右腕ごと落ちた。


「おいおいおいおいおい‥‥!!」


 直感的に倒れ込むかのように、背後に跳躍した彼の首に剣先が掠めた。


 ビシュッと首から血が噴き出したが致命傷ではない。


 残った左腕で傷口を押さえながら、ウンブリエルは驚愕に目を見開き怒声を上げた。


「『変身魔法』だと‥‥!! 俺の部下に化けてやがったなァ、この糞鼠がァァァーーー‥‥!!」


 サーダ帝国兵らしき男がガリア式の型で剣を構えていた。


 その光景を見るや否や、ガルザームもその場から退避しようとした。しかし、コーデリアが彼の腰に取り縋く。


「‥‥くっ!?」


 ガルザームは彼女を振り解く。


 タタラを踏んで尻もちをついたコーデリアの手には破魔の剣。



『良し!! 君は賭けに勝った。さぁ、コーデリア。覚悟を決めて‥‥』


 しかし、司の声が妙に遠退いて聞こえた。


 コーデリアは自分の吐く息が妙に生々しく大きな音で頭に響いた。


 正面に立つガルザームがたじろぐのを感じる。


 背後から響く激しい剣戟の音。


 祭壇を取り囲む兵士達は動かない。


 先にアランを殺してからコーデリアを捕らえるつもりか。


 青白く光る剣の表面に自分の青ざめた顔が映る。


 ガクガクと震える指先にギュッと力を込めて、剣の柄を握り締めた。


 腹の底から、どうしようもなく湧き上がって来る恐怖を振り払うかのように、コーデリアはギュッと目をつむり、頭を振った。そして、バッと一息に剣を回し、剣先を自分の心臓の上にあてがった。しかし、それ以上の行為を彼女は躊躇した。手だけではない、全身が震え、異様に冷たく感じる嫌な汗がドッと湧き出した。


『コーデリア‥‥!!』


 司が焦りを含んだ声色で彼女の名を呼んだ。



「誰かソイツを止めろォ!!」


 コーデリアの行動の意図を読んだウンブリエルが声を張り上げる。


 皮肉にも、それが最後の一押しになった。


 コーデリアの目には、彼女に向かって駆け出す兵士達の動きが酷くゆっくりとした時間の流れで見えた。


 一種のパニックで白熱した頭は恐怖を締め出した。


 そして、無意識のうちに歯を噛み締め、呻き声とも悲鳴ともつかぬ叫び声を上げながら、コーデリアは己の心臓へ剣を突き立てたのだ。





 刹那。世界が静止した。


 だが、時は唐突に動き出す。


 コーデリアの胸から暴力的なまで膨大な魔力の奔流が溢れ出したのだ。


 轟々と耳をつんざく爆音を響かせて、魔力は天井に向かって駆け抜けて行く。


 遂に天井のガラスを突き破り、それでもなお、勢いを弱めることなく天を喰い破る龍の如く伸びて行く。


 島に一本の塔が立った。


 煌めく魔力の中心、塔の根元にコーデリアがいるのだ。


 否。 コーデリアだった者と言うべきか?


 彼女は身に宿していた魔力の全てを失った。


 彼女の髪は漂白されたかのように真っ白に変色していた。けれど、奇跡のような極細の髪はキラキラと美麗な光沢を放ち、白銀に輝いていた。


 瞳も乳白色になり、白眼が妖しげな光を湛える。


 全身を露わにする彼女の信じらんないほど白く艶やかな肌の上で、蒼い魔力の輝きが波打つ。


 コーデリアは、人類から超絶した何か別の存在を思わせる異様な雰囲気を醸し出していた。


 彼女は魔力と共に魂を失ったかのように、虚ろな表情をしていた。


 変化はまたも唐突に‥‥


 コーデリアがスッと目を閉じた瞬間だった。


 魔力で出来た塔が、巨大な球体に変形した。それは、その巨大さからは想像も出来ないほど一瞬の変化だ。


 その場にいた者の全てが呆気に取られて、その異常な光景に見入っていた。


 だからこそ、気がつかなかった。


 祈るように跪く彼女の髪が、根元から毛先まで黒真珠のように輝く漆黒に染まっていたことに‥‥


 開かれた目の瞳が、深海のような暗い青紫色に変わっていたことに‥‥


 スッと立ち上がる彼女の仕草が、余りにも雄々しく威風堂々としていたことに‥‥


 天を見上げる彼女の首もとには、あった筈の首輪が消えていたことに‥‥


 闇夜の月よりなお力強く神々しく輝く、魔力の青い光りに照らされて、漆黒の少女は天に手を掲げた。



 契約の刻は来たり。

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