3.とあるメイドの憂鬱partB
【7/22】本文修正
寝起きの穏やかな一時とは一変し、アリエルとミランダに衣装支度のメイド達も交え、コーデリアの身の清めと着替えを慌ただしく済ませた。現在、コーデリアはアリエルの手によって髪を結って貰っていた。
一本の絹糸を熟練の職人が幾度も切り裂き、よりいっそう細くしたかような髪は白色の美麗な光沢を持つ。その奇跡のような髪色は本来的に青。
魔力は保持者の外面的な容姿にしか影響を及ぼさないにも関わらず、コーデリアの髪はそれ自体が不可思議な力を放つかように魔力的な輝きを持つ。例えるならば、陽光に満たされた大洋の、透明感の高い青の海。神々の祝福を得た喜びの海だ。
コーデリアの腰下まで届く長髪に櫛を通しながら、アリエルはその美しさに思わず感嘆し吐息を漏らす。
毎朝のことながら未だ持って慣れることのない緊張感。櫛で梳く自らの指先が僅かでも間違いを犯した瞬間に、この幻惑的な魔法が一瞬で消え去ってしまうのではないかという幻想にとらわれた(勿論、そのような事はコーデリアの持つ魔力が絶対に許さないが)
アリエルは手にもった櫛を置くと鏡に映るコーデリアの顔色を確認する。可愛らしい小さな頭越しに見える彼女の顔は健康的で隈一つない。昨夜は遅くまで起きていたと全く感じさせない瑞々しい肌。
アリエルは取り敢えず安心した。コーデリアが甚大な魔力を秘める王族の一員であると重々承知しているが、その慎ましやかで儚げな雰囲気に自然と飲み込まれてしまうのだ。
魔力保持者は魔力を持たぬ(正確には体内に保つことが出来ない)者達とは、根本的に体の作りが異なっている。
容姿の面を抜きにすれば、特に際立った違いは、その身体能力と自然治癒力にある。魔力特性や魔力量により個人差は大きくあるが、魔法に依らずに馬より速く走る者、城壁を身一つで登る者、太刀で岩を断ち切る者、腕の腱を斬られても数秒で再起し反撃する者、心臓に剣を突き立てられながらも動き回る者など。ましてや、王族ともなれば、立派な怪物である。
攻撃を除けば治癒術に特色のある水魔法と高い感知能力に特色のある風魔法の両者を得意とするアリエルは、コーデリアの体内に渦巻く膨大な量の魔力を直感的に感じ取ることが出来る。アリエルもかなり豊富な魔力を持つが、コーデリアのものと比べれば半分にもならない。規格外の一言だ。
魔力保持者は生物的に優れている。より優れた種族が他の劣った種族を支配するのは当然であるという認識を、アリエルのような教養のある常識人なら誰もが持っていた。しかし、だからこそアリエルはコーデリアに魅了される。力の強い魔力保持者ほど、自分よりも強力な魔力保持者に本能的に惹かれるのは魔力を身に宿す者の宿命である。
また宮殿内でも無類の可愛いもの好きを自負するアリエルにとってみれば、コーデリアに仕えることはまさに天恵。初めてコーデリアに出会った時、頭から爪先まで電力が走ったかのような衝撃を受けた。
その運命的な出会いから十年が過ぎた今も、コーデリアの可愛さに身悶えるのを必死に堪えるアリエルであった(彼女の名誉の為に言うが、感知能力に秀でた者は総じて魔力に魅了され易い。それが彼女の嗜好と何やかんやで繋がってしまっただけである。変態淑女ではない)
そして鏡の中のもう一人の少女、ミランダ。アリエルの同僚。
品の良さげな清潔感のある丸襟の白い半袖シャツ。胸当てがつき動き易そうにゆったりとしたスカートとエプロンが一体となった、所謂エプロンドレス。
『カワイイ!!』
アリエルは現在の職場環境を神々に感謝した。天職である。
宮殿にいれば美しい人々など腐るほど見かける。いくら美しくても長年見ていれば飽きが来る。そう、実は魔力保有者の中でも、可愛らしい者は希少種である。自然と人々の関心を集める。実際にミランダは数え切れないほどの貴族から求婚を受けていた(この国の貴族にロリコンが多いとか、そういう事ではない‥‥筈)
『なかなか懐かない所が猫っぽくて、良いのよねぇ‥‥』
アリエルはミランダが自分に対抗意識を持っている事を知っていた。彼女は魔力に頼らずとも高い洞察力を持つのだ。と言っても、直接そのような感情を向けられて気がつかない人間など滅多にいないだろうが‥‥少なくとも、アリエル本人以外には悟らせない程度の分別をミランダが持ち合わせてくれていたのは幸いだった。
悔しそうにしながらも美味しそうにクッキーを頬張るミランダの姿を思い浮かべる。
クッキーの作り置きはミランダの為に沢山ある。特に見た目と味(味見しなくても感知可能)の出来が素晴らしいものだけコーデリアが口にすることになるが、他のものも十分美味しいとアリエルは自負している。
そしてこの努力家の同僚がアリエルのお菓子を参考にしながら、空いた時間に隠れて練習していたことも勿論知っていた。
十年間、そうした事の繰り返しだった。
5年前までミランダはコーデリア姫の身辺警護を担当するための女性騎士であったのだ。しかし急に彼女はメイドになりたいと言い出した。
当時のメイド長や警護主任による話し合いの結果、不測事態に対して有効であると言うこと、さらにミランダがメイドとして働く能力を十分持ち合わせていたことから彼女は晴れてコーデリア付きのメイドになれたのだ。
『最初は裁縫だったわ』
アリエルとミランダは2人ともメイドと騎士の見習いである時から、コーデリアの遊び相手として一緒にいることが多かった。
コーデリアの7歳の誕生日にアリエルは手作りの人形を贈ったのだ。コーデリアは大変喜んだのだが、一方、ミランダの悔しがる様と言ったら‥‥
ふふっ。と微かに笑い声を上げしまったところでアリエルはハッとして固まった。
鏡の中には批判的な眼差しを向けて来るミランダと何故か心地良さげな様子のコーデリア。自分が無意識の内にコーデリアの髪を素手で梳いていたことにアリエルは気がついた。咄嗟に謝罪の言葉を口にしようとしたアリエルより先に、コーデリアが口を開く。
「こうしていると、昔のことを思い出すわ。3人で何時も一緒だった」
アリエルはコーデリアを妹のように可愛がっていた。4歳差の可愛い妹。幼い時は王族であることも気にせずよく髪を撫でていた。
「私達は姫様の御傍から離れることはありません。これからも、御前の望む限りは」
コーデリアの呟きにミランダが真摯な顔つきで応える。
ええ、と目を伏せて応えたコーデリアに元気はない。
決して表情には出さないが、ミランダがその様子に酷く同情するのをアリエルは魔力を通じて理解した。
そしてコーデリアの不安も‥‥
またそれ以上に、アリエルは自分自身の精神状態が普通ではないことを感知していた。昔のことを懐かしみ、主人の目の前で注意を怠るなど平生では有り得ないことだ。
これは虫の知らせなのか? アリエルは強烈な胸騒ぎ覚えた。
『このタイミングでの結婚‥‥結婚先は北大陸側の島々を領地に持つコンフォールド家‥‥南大陸での動乱‥‥異教徒‥‥南大陸のサーダ帝国と北大陸の神聖ガリア帝国‥‥戦乱‥‥』
幾つかの言葉が浮かんでは消えた。何か確信めいた思いが心中に宿るが、アリエルは敢えてそれらを無視する。
スッと彼女は一瞬コーデリアに微笑みかけると、手元に意識を戻して髪結いを再開した。
南から曇天を予期させる重たく黒い雲が青空を這い進む。天候が変化しやすい春先の季節ではあるが、このような急激な変化はリア海域では珍しい。
海が荒れる。嵐が来るかもしれない。リア王国の気象台が俄かに騒ぎ出した。そのような事情を少女達は知る由もなく‥‥いや、知ったとしても、魔法を使う彼女達にとっては、どうということはない些事であろう(或いは、アリエルは何かを勘づくかもしれないが)
コーデリアは今日、王宮から海を隔て離れた国内の神殿に移動する予定だ。そこで3日かけて祭事を執り行う。3日目はコーデリアが生まれて14年を迎える日だ。
動乱の機は近い。