Ex.隻腕の男
朝焼けの空の瑠璃色がクレテンダ島にまで伸びてきた。全壊した神殿。炭化した森林。血みどろの岩場。それらが朝日に照らし出される。
「実に素晴らしい朝だな‥‥素敵すぎて吐き気がする」
青の油絵の具を塗り潰したかのような髪色を持ち、癖のないストレートヘアを耳の下辺りでバッサリと切りそろえたガリア人女性、ミーシャがそう言った。ガリア人らしく白い顔、底冷えするような青い瞳。彼女の持つ冷徹な雰囲気は確かに彼女の称するところの素晴らしい朝にはそぐわないものだった。彼女は差し込む朝日に顔をしかめる。美しくスッキリとした鼻梁の上にシワを寄せた。心の底から嫌悪感を露わにする。
ミーシャがいるのは海岸部の岩場。司とコーデリアがガルザームや傭兵団と激戦を繰り広げた場所であった。その場に残された骸はただ一つ。ガルザームだけだ。
「‥‥正直想定外だ」
両断されたガルザームの死体を見て言う。
「召喚されたのは21世紀初頭の日本人だった筈だが‥‥」
ミーシャの顔が歪む。
「私には‥‥」
私には無理だった。こんなに上手くやれなかった。
羨望嫉妬、妬み恨み、幾つかの感情が溶け合う。同時に思い出したくなかった記憶が甦る。フラッシュバックする映像と音。ミーシャは固く目を閉じる。苦しげに息を荒げたまま暫く固まっていた。
やがてミーシャは地を這うような長く深い溜め息をついた。そして次々と沸き起こる忌まわしい記憶の断片に無理やり蓋をした。
苦痛に支配された顔をしていたミーシャは急に疲れきったかのような諦念に満ちた表情になる。目は焦点を結ばずどこか遠くを見ているようだった。
再び溜め息をついたミーシャは普段の無表情に戻ると作業を開始した。
☆
「‥‥あぁ‥‥孫の顔が見える。私に似てとても‥‥優しげな子だ‥‥」
ガルザームはそんな戯言と呟いて目を開いた。
「‥‥‥‥」
ガルザームが寝かされていた寝台の横にはミーシャがいた。
「‥‥冗談ですよ。そんなにどん引きしないで下さい」
深夜の闇の中でも彼女が胡散臭さそうにこちらを睨みつける様が朧気に見てとれた。
「あっ、そう言えば‥‥私はどうして生きているのでしょうか?」
ミーシャは今度こそハッキリと顰めっ面を曝した。片手で目頭を抑えて頭を振る。ついでに長い溜め息まで吐いた。
「おやおや、頭痛ですか? お若いのに大変で‥‥」
「黙れ。とりあえず黙れ。‥‥ウンブリエル様が仰っていた意味がようやく分かったよ。この際、話の主導権の取り合いは無しだ。お前が質問して私が答える。‥‥いいな?」
「ええ、勿論」
ガルザームは柔和な顔を貼り付けたまま頷いた。
「でわ‥‥」
どうしてガルザームが生きているのか?という質問にミーシャは簡略に答えた。
「人としてのお前はとっくに死んでいる」
そう言ってガルザームの手のひらを指差す。右手に小さな赤い石が埋め込まれていた。
「その石がお前を生かしている」
「【聖処女の血晶石】ではないですか!?」
ガルザームは驚いて目を見開いた。
【聖処女の血晶石】は再利用可能(魔力を保持するだけでなく取り込むことが可能)な魔石であり、また【賢者の石】に次ぐ魔力ブーストとして国宝級の価値を持つ。それが手のひらに埋め込まれていたのだからガルザームの驚きは当然だ。
「‥‥人ではないと言いましたね。ただの蘇生ではないのですか?」
「そうだ。お前はもう人としての生を捨て【魔族】として転生している」
「‥‥」
「驚かないのか?」
「魔力保有者は本から人とは言い難かったのですから」
ミーシャはその言葉を鼻で笑った。
「よく自覚しているじゃないか。まぁ【魔族】も【王族】も大して差はない。お前は神ではなく聖処女に気に入られた‥‥それだけの話だ」
「それはとても光栄ですな。聖処女様には宜しく言っておいて下さい」
「何も知らぬ癖によく言う」
「はは。それで結局ミーシャ殿は何者なのです?」
「私は聖処女に仕える巫女だ」
「それはサーダ帝国の信仰とは別のものですか?」
ミーシャは肯定し、「聖処女についてはまた何れ話す」と言った。ガルザームはさらにサーダ帝国との関係を尋ねた。
「サーダ帝国には忠誠を誓わされているが、私がお仕えするのはウンブリエル様ただ一人だ」
ガルザームは二人の関係に興味を覚えたが質問しても応えてはもらえないと思った。
ふぅと彼は少し疲れ気味な様子で息を吐いた。
「‥‥今日は疲れたので質問はこれ位にしておいて休みたいですな」
「良いだろう。貴様が生まれたばかりと言うことを忘れそうになる。話すべきことはまだあるからな」
「あぁ、そう言えばコーデリア王女は如何されました?」
「‥‥逃げられた。あれからまだ1日しか経っていないが、少なくとも死体は見つかっていない」
そうですか、とガルザームは気のない返事をする。
「‥‥何かあったら呼べ。私は一応衛生兵だからな、隣の部屋で控えておく」
ミーシャはそう言ってその場から立ち去ろうとした。ガルザームは何となくその姿を目で追っていたのだが、彼は隣のベッドに一人の男が寝ているのを知った。
上半身は裸で白い包帯に覆わている。こちらに向けた右肩から先に腕はない。ガルザームはその男の顔に見覚えがあった。
「おやおや、これは驚きました。護衛主任殿ではありませんか‥‥」
戸口に立って部屋から出ようとしていたミーシャは振り返らないまま言う。
「あぁ‥‥言い忘れていたがそいつも魔族だ。準王族級の魔法使いの死体だから良い苗床になると思って植え付けてみたら意外と上手くいった。それともう一つ言い忘れていたんだが‥‥血晶石との相性が悪いと魔族ではなく【魔獣】になる。‥‥聖処女はゲテモノ好きでな。歪んだ心を持った人間が大好きなんだよ」
ミーシャは部屋を後にした。
「‥‥そのタイミングで言いますか。彼女はとても良い性格をしておりますな。あまりお近づきになりたくない」
ガルザームは小さく独り言を呟いた。そしてしげしげとアランを眺める。
「心の歪みですか‥‥貴方のそれに大変興味が湧きますねぇ」
ガルザームは柔和な笑みをより一層深めて言った。