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17.夜明け前〈下〉

【8/26】本文修正

 私が姫様のメイドになる切欠は何だったのか‥‥?


 クマのぬいぐるみ。


 そう、クマのぬいぐるみだ。


 姫様へのプレゼント。

 アリエルが姫様にプレゼントした。姫様はとても喜んで笑っていらした。酷く悔しかった。アリエルが羨ましかった。だから私も姫様に誕生日祝いを作ろうとしたのだ。


 我ながら無謀だったと今になって思う。基礎も何もないのに針と糸を手に布を縫っていった。出来上がったものはぬいぐるみからは程遠い布の塊。


 それから裁縫を必死に覚えた。騎士になるための訓練の傍ら、一年をかけて完成させた。その年の贈り物はぬいぐるみが二つ。やはりアリエルのものの方が上手く出来ていた。けれど姫様は二つのクマのぬいぐるみを持って嬉しそうにしていらした。こうして姫様を笑顔にして差し上げたい。アリエルがそうしているように‥‥そう思い始めた。


 アリエル。


 ウィリアム王の忠臣であった騎士の末娘。私と同じ境遇で彼女もコーデリア王女の遊び相手だった。彼女はメイドで私は騎士。彼女はとても優秀、何にでも器用で人当たりが良くて感受性が豊かで賢くて、そして誰よりも優しかった。


 姫様の遊び相手に相応しいのはアリエル。幼いながらも私は理解していた。私が姫様の側にいられるのは家の取り決めのおかげ。貴族同士のパワーバランスを保つため。私自身には姫様の隣りにいる資格など最初からなかった。


 三人で一緒にいるとき、私は何時も孤独を感じていた。姫様とアリエルは本当の姉妹のように楽しげに幸せそうにしていて、私は自分が邪魔者にしか思えなかった。私はアリエルよりも劣っているのだと、素直に認めていた。だが、それでも私の心には羨望以上に嫉妬があった。


 私も姫様の側にいたかった。アリエルに負けたくなかった。アリエルと並んでいられる自分でいたかった。

 アリエルが出来ることならばは私も出来るようになろう。姫様の側にいて当たり前のような存在になろう。

 私はアリエルに追いつくため必死に努力し続けた。


 ただ私は姫様の笑顔が見たかったのだ。出来ることならそれを自分の手で作り出したかった。でも私はどうしようもないほど不器用で‥‥ならばせめて守ろうと思った。姫様が笑っていられる世界を守る。きっとその世界に私の幸せがあったから。


 あの暖かで安らかな、優しい世界‥‥三人の世界。



 ミランダは寒さのあまり震えながら目を覚ました。 

 

『寒くて‥‥暗い』


 肩から腰を無残に引き裂かれ雨や泥で湿って汚れたエプロンドレスを手繰り寄せた。


 ここはどこなのか?


 ミランダは眠りから覚醒した自分に問う。答えを知らない彼女はただ金属で出来た小舟のようなものの縁から明け方に近づいた夜闇を睨むだけだった。


『‥‥取り敢えず安全な場所のようだけど』


 気を失う直前のことを記憶の中から見つけ出す。ガルザームだ。あの男に敗れた。そしてそれは‥‥


『‥‥姫様!?』


 今は明け方前である。順当に儀式が行われたのであればコーデリアの命は無い筈と聞かされていた。

 ミランダは過呼吸になったかのように喘ぎながら今にも木から飛び降りようとした。


「ぐっ‥‥」


『‥‥違う。落ち着け。短絡的になるな。先ずは状況だ』


 焦ることと迅速に動くことは違う。アランとアリエルならどうするのかは明白だった。

 ミランダは自分の体の状態を確認した。怪我はないが軽い魔力欠乏症になっているのか頭が重く感じた。口内に独特の苦味。魔法薬のものだ。


 ミランダは枕にされていた布の塊に魔法薬がうずめられているのを見つけた。まだ半分ほど液体が残っている。その瓶の蓋をしていた布切れにミランダは覚えがあった。エプロンドレスの生地に違いない。


『内在系魔法‥‥感覚強化』


 ミランダの五感が研ぎ澄まされる。彼女は布の中に髪の毛を見つけ出した。摘み上げ明け方の空に翳す。長い緑の髪だった。


『アリエル‥‥?』


 ミランダは躊躇なく布の塊に鼻先を埋めた。今の彼女の嗅覚は分子数個でも嗅ぎつけられるほど鋭い。そして彼女は自分の隣りにアリエルがいたことを知った。


『‥‥姫‥‥様?』


 微かに残る証。だが確かな証だった。ミランダの瞳から涙が一筋流れた。幾つかの可能性が脳裏に過ぎるがこれ以上の考慮は必要ないと彼女は判断した。魔法薬を一気に飲み干し、木から飛び降りる。


 雨が止んだ後のぬかるんだ大地には足跡が残されている。その痕跡は間違いなくアリエルのものだった。


 彼女は内在系魔法を身体強化に当てると足跡を追って走り出した。



 森の中を海岸部に向かって飛ぶように駆けるミランダは最早猟犬のように痕跡を追ってはいなかった。何故ならば強化した嗅覚が風に流される血の臭いを捉えていたからだ。木々に突き刺さった短弓の矢を見つける頃には強化せずとも潮の臭いに血が混じるのを感じていた。


 遂にミランダは森を抜け岩場の縁にたどり着いた。


「‥‥ぁ」


 ミランダの口からそんな呆けた声が漏れ出した。


「‥‥ぁ‥‥ぇ‥‥?」


 ふらりと幽鬼のように一歩踏み出して、がくりと両膝を突いた。

 その膝にじわりと血が染み込む。岩場から流れてきた血だ。


 視界の端に男の死体。ガルザームの死体だろうか?


『そんなことどうでもいい』


 海に近づくにつれ傾斜を増す岩場は河のようにちらちらと血が流れた跡があった。これはいつのものなのか?


『そんなことどうでもいい』


 血の量に対して残されている死体の数は少なくないだろうか?


『そんなことどうでもいい』


 死体はたった二つだけ?


『そんなことどうでもいい』


 もう一つの死体は?


『そんなことどうでもいい!!』


 誰?


「そんなことぉ‥‥!!」


 ミランダは立ち上がると走り出した。


『違う。違う。違う。違う。違う』


 では何故彼女は泣いているのか?


『違う。違う。違う。違う。違う』


 では何故彼女は×××の名前を叫んでいるのか?


『違う。違う。違う。違う。違う』


 では何故走るのを止めた彼女の下で動かぬ×××を見つめて彼女は×××の光を映さぬ瞳の濁った緑に問いかける言葉は、どうして?


『どうして?』 

 

「‥‥ぅあ‥‥ぁ‥‥あぁあぁ‥‥あぁあぁ‥‥っ‥‥ぅぐ‥‥」


 涙と鼻水が喉を潰す。意味のない呻きさえも止め処なく流れる液体に邪魔された。咳き込んでうずくまって息が出来なくて必死に吸い込んだ空気も咳き込んで吐き出して、それでも息をして生きようとする身体の浅ましさをミランダは知った。


「‥‥アァアァアァアァアァアァアァアァアァアァアァ‥‥ッ‥‥っ‥‥ぅぐぅぅぅ‥‥」


 無理やり絶叫したら案の定息が続かなくなって獣のように低く唸ることしか出来なくなった。呻き続けながら彼女は、ズルズルと這いつくばってその死体にしがみついた。縋りつくようにして抱きついた身体はミランダまで凍えさせてしまうほど冷たかった。ミランダは寒さに震えた。


「なん‥‥でっ‥‥なんで‥‥アリ、エル‥‥?‥‥なんで‥‥?」 


 堰を切ったように口に出た言葉は問いかけ。誰も応えない。


「‥‥アリ、エル」

 

 ろくに呂律が回らないまま名前を呼んでアリエルの顔を覗き込んだ。


「‥‥‥‥ぇ?」


 ミランダは間の抜けた声をこぼした。


 そこにあった顔は悲惨なこの場に全く似つかわしくない死に顔。


 アリエルは実に満足げに微笑んでいた。思わずミランダは嫉妬してしまうほど満足げで『してやったり』な顔であった。


「‥‥ぁ‥‥ぁ、あは‥‥あはは‥‥な、なんで、なんで貴女‥‥どや顔‥‥」


 ミランダは泣きながら笑ってアリエルの頭を優しく抱きかかえた。



「夜が明けるわよ、アリエル」


 ミランダは腕に抱えたアリエルに言った。


 ミランダはひとしきり泣いた。アリエルの死に逃避ではなく受容をすることが出来た。追悼の涙だった。


「思えば不思議なものね。姫様のために戦って殺されるのは私の願望だったのに‥‥」


 英雄気取りのちょっとした誇大妄想。コーデリアを殺しにきた敵を倒すが、手傷を受けて死ぬ。コーデリアとアリエルに悔やまれながら死ぬ。そんな光景を空想していた時期もあった。それがミランダの理想的な死に方だった。もしかしたら騎士ならば誰もが思い描いたことがあるかもしれない死に方。


「きっと運命を交換してしまったんだわ」


 騎士だったミランダはアリエルを模倣してメイドになった。そしてメイドであったアリエルはミランダが理想とした騎士の死を迎えた。どこかで運命を交換したのだ。ミランダがアリエルの存在に近づこうとしたように、アリエルもミランダに近づこうとしていたのかも知れない。ミランダの願望はアリエルに引き受けられてしまったのだ。それがまるで確信的に明らかであるかのようにミランダには感じられた。


「きっと私は貴女の運命を引き受けなければならないのね」


 アリエルの運命とは何であるのか、ミランダには分からない。だがそれを引き受けるという責務はミランダが生きるため理由には十分だった。


 夜明けの海から目を背けミランダは背後を振り返った。血に塗れた岩場。アリエルが倒れていたのは血の川の源泉にあたる場所だった。そこから海側は比較的血に汚れていない。だが足跡状の血痕がよく見られた。そのうちの一つ。一際小さな足跡があった。


「‥‥姫様」


 コーデリアは海に飛び込んだのだ。


 ミランダは飛び込む寸前の最後の一歩を見る。その足跡だけ向きが逆だった。それはコーデリアが飛び込む寸前に振り返ったことを意味する。何故そうしたのか。アリエルを見るためか、敵の姿を焼き付けるためか、それは分かりかねる。だが強く踏み込まれたその一歩にミランダは生きる意志を感じた。


『姫様は生きようとしていらっしゃる。ならば絶対に生きていらっしゃるに違いない』


 ミランダは盲目的にそう信じた。


 彼女はゆっくりと息を吸い込んだ。相変わらず血の臭いは酷いが、朝の海の匂いも嗅ぎ取れた。


「アリエル。私は貴女の運命を生きるわ」


 ゆっくりと朝日が海から顔を覗かせる。


「さようなら、アリエル」


 ミランダはアリエルの身体を手放した。崖から海に向かって落ちていく彼女は超自然の火に包まれる。ミランダの発火魔法だ。海の上に落ちるより早くアリエルの身体は燃え尽きた。きらきらと彼女の灰が風に流されていく。


 その光景はアリエルの魂が昇天していくかのように思えた。ミランダは最後に彼女の魂の冥福を祈る。また一筋涙が流れた。随分と久しぶりに感じた穏やかな時間だった。


 再び目を開いたミランダの顔には決意の意志があった。


 すっと一息吸い込むと彼女は海に向かって飛び込んだ。

第一章完です。


お気軽な気分で書き出したのにどうしてこうなった。重いですね。読みにくいですね。心底申し訳ないです。‥‥そしてこの話は『なろう』のトレンドから離れていくのです。ランキングに上がることなく埋没確定です。


『後書きは言い訳&愚痴欄ではない』


ということで‥‥司&コーデリアはメイン主人公ですが、ミランダはサブ主人公です。主人公にメインもサブもない気もしますが、基本的にこの三人(?)で回していきます。


次話予告


『隻腕の男』番外編の後日談的な話です。ミーシャ&アラン&ガルザームが登場します。えっ、死人がいる? まぁバラ撒いた伏線回収しまくりますから‥‥


次次話予告


『夏の日』番外編の過去話です。長谷川家の人々がメインで夏樹さん視点です。伏線回収します。


次次次話予告


『海王』番外編の過去話です。リア王家の人々の日常。物語初期の穏やかな感じを再現したい(汗

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