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16.夜明け前<上>

「ハァ‥‥ハァ‥‥」


 ガルザームの死体を中心に広がる血だまりの中で司は荒く呼吸していた。返り血を避けることが出来なかったため、全身血みどろである。


『うぅ‥‥気持ち悪い‥‥体がバラバラになりそうだ』


 司は顔を真っ青にして震えていた。頭が割れそうなほどガンガンと痛みを訴えかける上、腹の底から寒気がする。


『魔力欠乏症かしら?‥‥ちゃんとガルザームから魔力を吸収出来ているようだけれど‥‥大丈夫?』とコーデリア。


『‥‥魔力は一応回復しているようだ‥‥というか魔力の器が物凄く大きくなったように感じるよ。でも暫くは動けそうにないな。あぁ‥‥取り敢えず止血しないとヤバい』


 右肩からダラダラと血が流れている。右の手首は骨折しているし、脇腹にもズキズキとした痛みがある。


 司は腰のポーチから魔法薬を取り出して口に含んだ。これはアランから貰ったものだ。ジワッと焼けるような痛みとともに傷口が一瞬で塞がった。今はジクジクする痒みのような感覚しか残っていない。


『ごめん。コーデリア。君の体をたくさん傷つけてしまった』


『気にしないで、司。あなたのお陰で私は生きていられるのだから。ありがとう、本当に感謝しているわ』


『‥‥俺達は文字通り一心同体の運命共同体だからね。俺からもありがとう、コーデリア。何度も助けられた』


 少し体を休めた司が森の中へ足を踏み入れようとした時であった。


 ヒュ、という風切り音とトストスという何かが地面に突き刺さる音。


 気がついた時には司は夜空を仰ぎ見て倒れ臥していた。


「?‥‥ぁがはっ‥‥!?」


『司‥‥っ!?』


 気管支に血が‥‥


「がはっ‥‥ごぼっ‥‥!?」


 司の体に複数の矢が刺さっていた。


 一部は鎧に弾かれ、一部は鎧を掠め、一部は鎧を歪め、一部は司の体を貫く。


「戦場において兵士が最も集中を欠くのは勝利の瞬間だ。故に奇襲に適する。得難い教訓になったな、コーデリア王女」


 暗闇の中からバラバラと人影が現れる。扇状に司を正面から囲んでいた。短弓を構えている。まるで亡霊のように密やかな動きだった。


「‥‥時間外労働は性に合わないが、我が傭兵団には仲間のかたきを討ち取るという決まりがある。そうでなければ、見逃すところだが‥‥貴女は運がなかった。貴女が殺した我らが同朋と同じく」


 重厚感のあるフルアーマーに身に纏う男が言った。兜で顔は見えないが一際大きな体躯を持った男だった。鎧は司とアランが殺した土魔法使いの傭兵と同じ規格のものだった。


「彼らの魂の旅路に幸多からんことを‥‥」


 

 

 彼らの魂の旅路に幸多からんことを。


 森の奥から幾重もの声が重なった。


 巨漢の男が呟いた。


「鎮魂と贖罪のため‥‥死ね」




 アリエルは樹木の上で目覚めた。横に人肌の温度を感じた。ミランダが眠っていた。自分達は小舟のようなものの中に隠されていたらしいことを彼女は知った。地上からも結構な高度がある場所だった。


「‥‥」


 アリエルは周囲の状況を風の魔力を用いて把握しようとした。


「‥‥?」


 何の反応もないことに疑問を覚える。そこで彼女は首輪の存在を思い出した。沈鬱な表情になりながらも、アリエルはミランダの様態をみた。


 すぅ、と浅く呼吸を繰り返していた。目立った外傷もない。何故か首輪が付けられていなかった。


「あなたが助けてくれたのかしら‥‥?」


 ミランダの額にかかる髪を流しながらアリエルは問いかけた。


「‥‥姫様は‥‥?」


 アリエルはミランダを揺さぶった。彼女に尋ねるしかなかった。強く何度も揺さぶったが、ミランダは目覚めない。相当消耗しているようだ。もしかしたら魔力欠乏症に陥っているかも知れなかった。


 ふと気がついたのだが、枕のように頭に敷かれていた布の塊のところに魔法薬が二本置かれてあった。


 少し思案した後、アリエルは一本を懐に閉まった。もう一本をエプソンドレスの内側の比較的綺麗な布を引きちぎって丸めたものに染み込ませ、ミランダの唇に当てた。何度か繰り返して、魔法薬の半分ほどを消費した時、布でビンを塞いでからミランダの傍らに置いた。


 ミランダの呼吸が安定したのを確認してから、アリエルは木から降りた。魔力保有者は魔法が使えなくとも、その身体能力は通常の人間を凌駕する。軽やかに地上に降り立った彼女は崖下に広がる森を見渡した。


 海岸部に近い辺りで森の気配が騒がしくなっている。集中すれば剣戟の音が微かに聞こえてくるような気がした。


 直感的にそこにコーデリアがいると確信したアリエルは、崖下へ向かって次々と突き出した岩を蹴りながら下っていった。そして迷うことなく森の奥へ走り出した。




 白刃の刃が月夜に煌めく。


 正面の敵に切りかかる司の横合いから、棒が突き出された。


 片手半剣で払う。


 後頭部に左から弓矢。

 コーデリアが大剣の腹で弾く。


 飛距離も威力もない短弓の矢。だが取り回し安さと連射性から短弓は森の中での戦闘に適する。


 再び木の闇から棒が突き出される。かわした司が反撃するより速く、木々の背後へ消えていった。一撃離脱だ。槍のような刃がない棒は攻撃力はないが、隠密性に優れていた。月明かりに刃が照らされないのだ。


「‥‥クソ」


 司の口から悪態が漏れる。


 森の中では短弓と棒が恐ろしい効果を発揮していた。それに加えて位置取りが完璧なのだ。言葉もなく次々と連携し、全体で動いて獲物を追いつめている。この傭兵団が集団での戦闘に特化していることは明らかだった。もはやここは彼らの狩り場だ。


 カンッと金属同士がぶつかる乾いた音が、司の背後でした。死角からの攻撃を凌いでいられるのはコーデリアのお陰だった。彼女の視点はまるでゲームプレイヤーのように、司を俯瞰するものなのだ。だがコーデリアの力の全ては防御に注がれていた。弓矢の攻撃力に一瞬も気が抜けないのである。


 司は決定打に欠いていた。まだ誰一人殺していないのだ。司とコーデリアが消耗する一方である。


 遂に司は崖の上まで押し戻されようとしていた。


『不味いな‥‥ここで森から出た瞬間に弓矢の嵐だ。正面から包囲網を食い破るか、崖から海に飛び込むか』


『アリエルとミランダは‥‥!?』


『置いて行けないな‥‥ならっ!!』


 司は正面に向かって走り出した。


 斜め前方の左右から複数の弓矢が連射される。まさしく弾幕であった。司は気合いと直感で回避しながら突っ込んだ。コーデリアの二本の大剣が司を守る。


 頭部を守るために翳したガントレッドに矢が突き刺さる。


 猛進する司の進路に敵が現れた。巨漢の男だ。


「どけぇ!!」


 司は例の歩法と抜刀術によって男の首を刈り取ろうとした。だが‥‥


 ギンッ


「‥‥くっ!?」


 男の鉄鞭が司の攻撃を弾き返した。コーデリアの追撃が届く前に、彼は身を引いた。


「それはもう見た」


 男がそう言って大地に脚を振り落とした。


 ぐらりと大地が揺れたように司は感じた。


 その隙に男は間合いを詰める。


 コーデリアが妨害しようと振り回す剣を右手の鉄鞭で容易く捌いて、左手の掌で司の胸部を突いた。


「‥‥っがひゅ‥‥!?」


 強烈な一撃で司は吹き飛ばされる。


「‥‥ハァ!!」


 気合いの叫び声とともに男が掌を大地に突いた。それと同時に巨大な岩が突起した。それは地面を転がる司に追い討ちをかける。


 寸前のところでコーデリアの大剣が司の体を守り、直撃は避けることが出来たが、大剣は二本ともコーデリアの支配を離れて弾き飛ばされていった。


 気がつけば司は崖の上の平らな岩場まで吹き飛ばされていた。


「‥‥ぁ‥‥ぁ‥‥‥っ」


 司の胸部の骨と内蔵はぐちゃぐちゃに破壊されていた。


 司はポーチから魔法薬を取り出して飲もうとした。


 ヒュンという音が重なる。


 ガツッと砕くような音とともに腕に矢が刺さった。魔法薬を持つ手からビンが落とされる。


『不味い不味い不味い‥‥っ!?』


 司は負傷した腕を抱きかかえて体を縮こまらせる。


 

 

 森の中から棒ではなく剣を手にした男達が続々と姿を現した。先程までの遅攻はどこに行ったのか。もはや戸惑うことなく距離を詰め、司の首を狙った。


「‥‥ぅあ‥‥」


 司はふらつきながら立ち上がろうとした司は吐血して屈み込む。


 それでも何とか敵の魔の手から逃れるべく、二歩三歩と足を引いた。


 転移魔法陣は展開されない。


 コーデリアの叫び声がどこか遠くで響いたような気がした。


 こちらに迫り来る敵の姿が随分遅く感じた。


 ここで死ねば、あちらの世界での司は存在しなかったものになる。

 誰も悲しみはしない。誰も悲しませずにすむ。


『ぁあ‥‥ごめんなさい、××さん。貴方を‥‥俺は、私は‥‥、‥‥愛してあげられなかった。‥‥ぁあ‥‥結局、許されなかった。救われなかった』


 脳裏に甦った光景は真夏の日のこと。痛みを感じさせるほど眩い太陽。湖の畔。風。木陰。青空に翳した手の平。こちらを覗き込む少女。白いワンピース。流れる黒髪。


『‥‥夏樹さん』


 愛しい。慕わしい。恋しい。


 彼女を想う気持ちはどんな言葉も不十分だった。


『死にたくない』


『俺は、こんなところで、死ぬわけには、いかないんだよ‥‥っ!!』


「‥‥がぁあああああああああああああ‥‥っ!!!!」


 ズルズルと下がる一方だった足を止め、前に踏み出す。


 まず一人。目前の一人。


 こちらは素手だが、それでいい。もはや武器を持つ力もあるまい。


 一人が剣を突き出す。


 右半身。相手の呼吸と一体になる。気合いの息を腹で感じる。今‥‥


 攻撃の線上から逃れる。目の前を横切る剣。腕。相手の手首が司の手に導かれるようにして吸い込まれていく。


 司は手首を捕らたまま、相手の腹を切り、背を切るように流れる動作をとる。ただ相手から受け取った力を帰す。


 そう。受け入れるのだ。相手の存在の全てを受け入れれば、動揺はない。


ふわりともう一人の前に一人目の体が投げ出される。


 背後からの気配に回避。

 

 

 掠める剣。


 その勢いを持った手を奪う。奪うのは手ではなく、勢いそのものだ。力を受け取り、そのまま帰す。


 相手が崩れるとともに、一歩後ろに引いて構える。


 視野に次の敵。


 相手の突撃。


 突きの一撃。


 交差。


 相手の頭に手を添える。


 突撃の勢いはそこで帰される。


 転。


 ズルッと滑るかのように相手は倒れる。




 音が聞こえない。




 無音を意識した途端に集中が切れた。


「‥‥げほっ」


 血反吐。呼吸が荒い。呼吸法を維持できない。意識が薄まる。


 ななめに走る剣筋が見えた。


 回避。


 ビシャッ、と血が岩に線を描く。


 肩から胸にかけて切り裂かれた。


 体を滑らせるようにして逃げた先に別の剣。


 今度は背中を切り裂かれた。

 

 回避。回避。回避‥‥。


 ふらりふらりと襲い掛かって来る刃をかわす毎に司の体が血に汚れた。


 音だけでなく光さえも届かない世界に司はいた。


 ガクリと膝を突くのを感じた。もう立てないという事実を他人事のように思った。


 振り下ろされる一本の剣が見えたような気がした。


 ふと。その刃の先に一人の女性の後ろ姿が現れるのを夢想した。


『‥‥夏樹さん?』


 その時、司の呟きを押し潰すような勢いで叫び声が響いた。


『アリエル!!?』


 聞こえなくなっていた筈のコーデリアの悲鳴だった。


 柔らかな何かに包みこまれる感触。暖かい。口元に冷たいものを押しつけられた。されるがままに司は口内に注がれる液体を飲んだ。


 全てを飲み下した時、司を包み込んでいた女性がズルっと自分の腕の中に崩れていくのを彼は見た。その女性の背中は剣の刃で見るも無残に切り刻まれていた。


 司の周囲に転移魔法陣が展開されていた。コーデリアの絶叫が聞こえた。魔法陣から取り出した長大な槍で、敵を次々と串刺しにしていた。

 

 腕の中で女性が何やら呟いていた。耳を近づける。


「‥‥‥‥コーデリア‥‥‥‥私の可愛い妹‥‥‥‥」


 スッと頬を両手で挟み込まれた。そのまま唇にキスをされた。彼女は何故か司が羨ましくなるほど『してやったり』な満足げな顔で微笑んだ。そしてやはり満足げに息を吐くと、彼女の瞳から光が消えていった。頬を包み込んでいた手がだらりと力なく落ちた。血の気の失せた青白い顔には酷く似合わない満ち足りた顔のまま、彼女は死んだ。

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