13.武装戦姫<2>
【7/8】サブタイトル変更
星のない夜空の下、モノの輪郭は悉く闇に溶けた。
激しく降り注いでいた雨は、いつの間にやら小降りとなり、風はほとんど勢いをなくしていた。
神殿領クレテンダ島は平野部が極端に少ない。その小さな領地の大部分が森林や山地であり、唯一大規模な建造物である神殿は島の北部の埋立地上に存在しており、その他のごく僅かな平野で自給的な農牧業を営んでいた。
うっそうと茂った木々の間を注意深く歩く三人一組の男達がいた。彼らはガルザームによって雇われた傭兵だ。今は森林地帯において、コーデリア達の捜索を行っていた。
全員が剣と盾の武装であり、一人が土魔法の使い手であった。土魔法は風魔法ほどでないにせよ、感知‥‥地上を移動する物を感知することに長けている。革製の鎧という機敏さを重視した比較的軽装の二人に対し、魔力保有者の一人は森林地帯であるに関わらず、鉄製の鎧という重装備だ。しかし、歩む動作の滑らかさは軽装の二人と比べ大差はない。
ガリア式の魔法は、発露系と内在系の二種類に分類される。
発露系魔法は魔力を体外に放出し、操作することを指すが、内在系魔法は魔力を体内に留め、身体を強化することを指す。
この二つは相反する関係にあり、一方の魔法が他方を抑制するため、両立させることは不可能だ。また、多くの場合、一方を得意とする魔法使いは他方を不得意とする。
土魔法使いの男は、内在系を得意としており、現在は特に足腰の筋力を強化している(全身強化【超人化】魔法はミランダが得意とする魔法だが、制御が大変難しく、習得している者は限られている)。また、発露系では唯一硬化魔法が得意であった。絶好の盾役だ。
「‥‥止まれ」
そう仲間の傭兵達に告げ、土魔法使いの男は地面に手を突いた。何かの気配を感じ取ったのか。仲間の二人は周囲を警戒する。
「‥‥‥‥!!」
突然。手を突いていた男が、ガバッと頭を上げた。
木の上から飛び降りた男‥‥剣を振りかぶるアランの姿が彼の目に映った。
それを見て取るや否や、男は横に転がって回避した。アランの剣の切っ先が、この男の兜を僅かに削った。
キンっと言う音が打ち鳴らされた。
男は盾を掲げながら、飛び跳ねるかのように立ち上がる。
ドゴンと盾に衝撃。
アランの持つ剣は、鉄鞭に近い形状をしていた。彼は反撃を許さぬ速度で何度も相手の盾を打ちつける。なんとか盾に硬化魔法を掛けた男は、剣を抜くことも出来ずに防御に徹した。男は後退を続けたため、いつの間にか傭兵達は二分割されていた。
残された傭兵二人は、仲間の援護に向かおうとした。
その時、彼らの頭上から飛び降りたもう一つの影があった。司である。
司はアランから予備の剣を譲り受けていた。刃渡り50㎝ほどの両刃の片手剣だ。
音もなく傭兵達の背後に着地した司は、猫のような姿勢からスクッと起きあがると、まるでホバーリングするかのような独特の歩法によって、一足飛びに距離を詰め、傭兵の一人に剣を突き出した。
ドスッと、布団を棒で叩いたかのような音が、微かに響いた。背中から肝臓を一突きされた男は、悲鳴を上げることも出来ずに倒れた。
もう一人の男が襲撃に気がつき、背後を振り返った時には、既に剣では対処不可能な間合いに司は踏み込んでいた。
「‥‥っ!!」
男は後ろに飛びす去り、距離を空けようとした。
だが、その動きは司に読まれていた。
あっという間の出来事だ。
剣を持つ腕を捕らえられたと男が思った瞬間。
彼の身体は落下していた。
「ガッ‥‥」
受け身を取れないまま、強かに地面に叩きつけられた肺から空気が抜ける。
握っていた筈の剣は、いつの間にか司の手にあった。
男が衝撃から立ち直る前に、司はトドメは加えた。
☆
人が人を殺すのは案外難しい。
第一次世界大戦中の発砲率は全体の20%ほどであり、更にその中でも人に向けて発砲した者は僅か2%ほどであった。そして、その2%は多くが元から社会不適合者であった。
このデータが意味することは、人道主義者にとっては歓迎すべきことだろう。
だが、殺人に対する忌避感は兵士には不要なものだ。軍隊、そして国家がそれを許さない。
この問題を解決するため考案された、画期的な手段は二つある。
一つは射撃訓練の的を人型にすること。これは実戦において標的である人を訓練時の的に思わせることで、忌避感を薄めることが目的だ。
一つは訓練時において兵士の人格を無視すること。刷り込みや条件付けで、文字通り殺人機械〈キリング・マシン〉へと仕立て上げる。
『人が人を殺す』
その大前提の一方、或いは両方を崩す。つまり、『非人間が人を殺す』或いは『人間が非人間を殺す』ように仕向けることで、この問題は解決出来た。
かつて、それを最も忠実に、かつ実践的に実行した結果が『ベトナム戦争』であった。
戦場は人間性を消失させる。
殺人とはそう言うものだ。
☆
五条司は静かに息を吐き出した。
『やはり俺は2%の側の人間だったか』
諦念に近い感情が沸き起こった。
殺人に対する罪悪感は覚えようと思えば、感じることは出来る。それは義務的なものであり、教育的なものだ。だが、本心では無かった。
誰にでも公平で平等。
かつての世界で司はそのような評価を受けていた。殆どの人には好意的に受け止められていたが、悪くいえば八方美人だった。
誰にでも平等とは、逆説的には、誰に対しても冷遇していると言うことだ。
中学の時までは姉と母以外の人間など無価値だった。彼女らさえ幸せであるならば、他はどうでも良かった。その時期は父親を殺す機会を虎視眈々と窺っていた(チャンスがあれば間違いなく殺していた)
自分と同じような目をした奴は各学年に2、3人はいた。本能的に同族は分かるものだし、お互いに関わらないようにしていた。彼らは司と同じように潜伏しているか、或いは常習的に犯罪行為を繰り返す危険人物(問題児とか言うレベルではない)であった。
長谷川家の人々と関わるようになってから、司は確かに変わることが出来た。
だが、心は積み上げて行くもの。変わったのは司の心ではなく意識だ。結局、今でも司は『人が人を殺す』という大前提を心的に崩すことが可能だった。殺人機械に罪悪感は無い。
『一昔前だったら、自己嫌悪でヤバかったかも知れない』
今は違う。
自分の本性と折り合いを付けて行く術を知っている。
勿論、殺人を肯定する訳ではないが、それは全てが終わってから考えるべきだ。
茂みの方からごそりと物音がした。
現れたのはアランだ。
「アランさん。怪我はありませんか?」
「いや、ない。むしろ君こそ大丈夫か?」
人殺しは初めてだと、司は事前に言っていた。
「大丈夫です。‥‥気をつけないといけませんね。今は回復魔法を使える者が居ませんから」
アランは少し顔を曇らせた。
『おや? 偉く深刻そうだな。アランって意外と心配性なのかな?』
『‥‥ツカサ。多分あなたが余りにも平然としているからよ』とコーデリア。
司は一瞬コーデリアが何を言っているのか分からなかった。
『‥‥あぁ。なるほど、そう言うことか‥‥この世界でも殺人に対する忌避感は普通にあるんだね?』
『私達は蛮人ではないのよ?』
今の言い方はまずかった。司は反省した。
『ごめん』
『うん』
司はアランに微笑みかけた。
「私は平気ですよ。アランさん。自分で思っていたより、苦になりませんでした。今後の行動に支障がないことを確認出来て良かったです」
アランがたじろぐのを司は感じだ。司はまた『おや?』と思い、コーデリアは『ちょっ』と慌てた声を上げた。
納得がいかないまま、司は言葉を続けた。
「‥‥準備を急ぎましょう。時間がありません」
そう言いながら、司は地面に横たわる傭兵に手を添えた。
すると、甲高い音と共にの下に直径1㎝ほどの青く輝く円が現れた。男の身体も光ったかと思うと、彼が身につけていた装備品、そして腹に突き立てられた剣までもが灰が風に吹かれるように、サラリと消えた。
『おぉ‥‥』と、生まれて初めての魔法のようなものを使った司は、感嘆し息をのんだ。
消えた装備品一式と剣は、コーデリアの居る側の世界に出現していた。
剣は大地の一面を覆う水溜まりの底に突き刺さり、鎧などの装備品はその大地から縦横無尽に伸びる鎖に絡まされていた。
これが【武装せし姫神】の能力の一つ、【限定的空間転移】。魔力を注ぎ込んだ対象(装備可能な武具や武器に限る)を、時空間を超えて異空間〈あちら側〉に移すというものだ。
同じ手順で、アランが仕留めた男も含めて武装を転移させた。
『さて‥‥』
司はマント一枚を身体に巻いて、腰の部分を無理やり括り付けただけの自らの装いを見下ろした。
マントに隠された、胸の青い石を指でなぞった。ツルツルとした感触が返ってきた。
この石には殺した対象にあった魔力が宿っている。魔力保持者に限らず、全ての存在物は魔力を持っている。魔力は世界を循環する流れそのものだ。むしろ、それを大量に保持する魔力保有者が異端者なのだ。
今の司は、胸に宿る魔力を確かに感じることが出来た。
これもまた【武装せし姫神】の能力一つ、【魔力吸収】。【吸収系】魔法の亜種と言える。単に相手の魔力を供給源にするのではなく、倒した対象から魔力を奪うことで自身の魔力容量まで上げてしまうのだ。ごく僅かな容量の拡大だが、まさに塵も積もれば山になるである。いずれ司が故郷に帰る鍵となる【時空間転移】を使用可能な程度まで、コーデリアの魔力を高める必要があった。
『コーデリア。準備は良いか?』
『ええ』
司は自身が身につけていたマントを転移させた。
コーデリアはスッと屈み込んで、水底に手を触れた。
すると、幾つかの装備品を絡めた鎖がズブズブと大地に引きずり込まれていった。
【神の座】創造主の思い通りになる空間だ。
コーデリアの世界で、カッと水面が白光した。同時に司の足元に魔法陣が現れた、青い光が身体を包み込む。
その光の粒子が散り去った時、司の姿は一変していた。
ベルトのような太い紐にシッカリと縛られ、補強された革のブーツは膝下まで脚を覆っていた。
脚部の可動を一切遮らないよう、股下までの革製のパンツに短冊状の革が細かく縫い合わされたスカートのようなもの。
元はマントであったと思われる薄いフード付きの長いローブを着て、その下に、やはり肩や腰の可動を損なわないよう工夫された革の鎧あった。それは胸部などの要所を小さな鉄のプレートを重ねて連ねたもので固められていた。また、腕部には胴体と同じく革と鉄のプレートを組み合わせたガントレット、腰には分厚い革のベルト、頭には金属製のカチューシャのようなもの。
革は黒く染められ、上半身は頭から手首までスッポリと紺色のローブで包まれていたため、司の姿は闇夜に溶けた。
これが【武装せし姫神】の能力の一つ【武装創造】だ。
隠密行動用に金属類は全てローブの下に隠され、黒塗りの革が主だった装備であった。
「おぉ、なかなか凄いな。このような複雑な構造‥‥」
アランはガウンのように前開きになったローブ下の鎧を見て驚いていた。
「魔力を使い切ってしまいました。これくらいが今の所限界ですね」
【武装せし姫神】の力は魔力とは異なる。だが、転移時には魔法陣が必要になるため魔力消費がわずかにあるのだ。と言っても、かなり燃費が良いことは確かだ。
司はローブの前をサッ交叉させて合わせ、シッカリ紐で結んだ。帯は無いが合気道の胴着を着たような感覚がした。
司は一つ満足気に頷く。
「では、先を急ぎましょう」
アランは再び司の腰に腕を回して飛び立った。