バーベナ
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その日はテストも明けて、ホッと一息ついていた頃だった。就職活動中でもあったが、同時に卒業研究も進めなければならず、こうして時々研究室を訪ねている。
そろそろ昼休憩に入ろうかと思っていた矢先。
「女装に興味ないか?」
怪しげな誘い文句で、研究室に現れたのは、友人の伊藤翔だ。
「女装って」
一体翔は何が言いたいのだろうか?
「いやなんていうかさ、ちょっとこの前滅茶苦茶大変なことあってさ。やべーよ、なになになんなの状態でよ。マジかよってくらい大変な事態に陥ってちゃってさ。なんつーか、俺もお人よしだよな。さすがは、俺って感じでさ、隆なんてどうせ一日中部屋にこもってたんだろ? 自宅警備員なんて給料も出ないのにご苦労なこった」
こいつは僕を馬鹿にしにわざわざ来たみたいだ。
「で、忙しいくせに、ここまで嘘吐きにくる余裕はあったの?」
皮肉まじりに蔑むような視線を、ぶつけてみるが、翔はまったく意に介さなかった。
「それより、俺のとんでもなく大変だったこと、聞きたいか?」
聞きたいか、と疑問系でありながらも翔の態度は、話すことが前提になっているようで、こちらが返事をする前に勝手に頷きだして語り始めた。
「それがさ、先週なんだけどな、ある筋の後輩から頼まれ事されちゃってさ。その後輩の親友が今度この大学に入学するらしいんだけどさ。どうにもその子がちょっと内気な性格と言うか、内向的? みたいな感じでさ、友達も少ないらしいしこっちに来る前に知り合いぐらい作っときたいらしいんだよね」
それと女装が関係あると言うのだろうか?
「だったら勝手にお前の知り合いでも何でも紹介しとけ」
それがよ、とどうにも歯切れの悪い様子で困った表情を浮かべる翔。
「その子、異性はまともに話せないくらい苦手らしくて、同性でも基本的に同じ趣味の人としか会話が弾まないってよ」
「趣味?」
「なんでもニコニコ動画とか、あとなんつってたけか、そうそうボカロって言ってた」
それってかなり狭き登竜門だよね。女子でその趣味を持つ人って。国立大学に来てるのか?
「翔、お前そんな趣味持ってる知り合いなんていたのか」
少しだけ感心してみせると、翔は何言っているんだコイツは、とでも言いたげな視線を浴びせかけてきた。
「アホか、そんなのいるわけねーじゃん。そもそも女の知り合いすらまともにいねーよ!」
なぜか理不尽なとばっちりを受けている気がする。
「でもそれなら当てがないからって断ればいいと思うけど?」
「馬鹿野郎! せっかくの後輩に頼られたら、良いとこ見せたいじゃん。さすが先輩とか言われたいじゃん。まあだから、内容大した聞いてすらいないのに二つ返事でまかしとけって頷いちゃった」
なんという不純な動機なんだ。翔らしいが、今回ばかりは自業自得だね。
「で、隆に女の友達を紹介してもらおうとして、そもそも友達すらいないから無理じゃんって思い直して、ならいっそのこと女装させようと考え付いたわけだ」
いちばん最初のはそういう意味だったのか。あまりに簡略させすぎだ。
「その考えは一生封印しておこうね。あと僕にだって友達くらいいるよ。……少ないけど」
「ひきこもりだもんな」
同情してますよと言わんばかりに肩に手を載せ、哀れんでくる翔。僕はその手を引っぺがしていってやる。
「今まで、それこそ入学してから数え切れないくらい言ってきたが、お前が理解できないようだから言ってやる。僕はひきこもりじゃない」
「そうだったか? ああ、元だったな」
納得したように頷くこいつの顔を、おもわずぶん殴りたくなった。殴っても許されると思うけど、多分非力なこの腕の筋肉では傷一つ与えることができないと思う。理系学生は運動不足と相場で決まっていて僕もレッテルを張られる側だ。ただし翔は例外で当てはならない。スポーツ馬鹿の筋肉馬鹿。マッスルが友達の残念な(多分)友人だ。
「いや元ってなんだよ。勝手に捏造するんじゃない」
その言葉を聞いた翔は、なにやらしたり顔で腕を組んだ。
「人は誰もが母親の腹ん中でひきこもってたんだよ!」
余りに自信たっぷりに言うから、妙に構えてしまったが、実際大したことを言えていない。多分翔としてはうまいこといったつもりだろうが、悲しいかな、まったくうまくない。付け加えるとすれば、それを真に受けるなら人類皆、元ひきこもりになるという事実を見逃していることだ。
僕がどう返したものか分からず、ひたすら沈黙を貫くことにした
「あれ、分かんなかった? いいか、つまりお前がひきこもっているのと、赤ん坊がはは」
「いや、いいから!」
まさか解説してくると思わず、あわてて中断させる。ついでに僕の沈黙も中断させられたが、それを狙っていたなら完璧な作戦だろう。
翔とは大学入学して以来、もうすぐ三年ほどの知り合いだというのに、いまだに理解出来ない事が多い。何を考えているのか分からないのだ。本当の所、何も考えて無いのではないかと疑ったこともあるが、真偽は本人にしか分からないだろう。
「そういえば、最近やってるのか?」
こちらの空気を察してか、露骨な話題変更をしてきたが、何の話かまったく分からなかった。だが最近といえば。
「小説のことか?」
「いや、違うけどよ。まさかこんな忙しい時期にまだ書いてたのかよ」
翔は呆れ気味だった。
「いや息抜き程度にだよ」
僕は昔から、小説を読んでいたが、それよりも書く方が好きだった。高校では授業中に隠れてよく書いていたものだ。
「書いてる小説の主人公は女装する男だな?」
「違うわ」
「すると二次元の嫁に会うことでもないと?」
「当たり前だ。そもそも二次元ってなんだよ?」
どうも翔には、ひきこもり⇒自室でパソコン⇒パソコンはオタク⇒オタクは二次元の図式が成立しているようだ。相当な偏見と歪曲した思念が入り混じったその過度な論理に、僕は辟易しそうだ。いや既にしている。あと『すると』の意味がまったく分からない。なぜそこにたどり着いたのだろう。
「で、結局何なわけ?」
答えがないと言うのが、僕の予想。
「現実で、つまり三次元で」
「言いなおさなくてもいいよ」
三次元と言っても、平面でさえ再現できるんだから現実と同等ではない気もするけれど。
「女装してるのか」
……また女装か。翔は何とかして、僕に首を縦に振らせたいのかもしれない。それだけ後輩のおねがいとやらが重要なのだろう。
「するわけないだろう」
「え、一回も?」
「普通は1回たりともしないと思うんだけど」
「だが、悠が教えてくれたんだがな」
あのペテン師か。面白半分で変なこと吹き込まないでほしいよ。
悠、本名西野悠樹で研究室は違うが、僕らの友人の一人のはず。
「あいつは嘘しか吐かないだろう」
呼吸するように嘘を吐き、何の理由もなく世界を騙す、というのが悠の持論というのか、生き様らしいのだが、やっている規模は非常に狭い。つまり翔もしくは僕が相手である。
「えっ! じゃあまさかこの前悠が教えてくれた、うちの大学にビックフットが出たってのもまさか嘘なんて言わないよな?」
「馬鹿発見しました。症状はすでに手遅れ」
よりにもよってビックフットか。北アメリカでもあるまいし、そんな簡単にUMAがこんな大学にいるはずもないのに。
ビックフットを心から信じていたのか、とんでもない落胆ぶりである。
「くそ、俺の足とどっちが大きいか勝負したかったのによ」
翔が勝ったら、もはやビックフットの名を改名しなければなるまい。
「馬鹿って言えばさ」
「翔が馬鹿な理由が聞きたいのか」
「ちげーよ! なんで馬と鹿で馬鹿っていうようになったんだ?」
誰もが思うかもしれない疑問の一つである。
「それは、秦で趙高っていう宦官がいてさ、皇帝の前に鹿を差し出し馬だと偽って、それに異を唱えたものに報復をしたっていう故事があってんだよね。……聞いてるか?」
「おおぅ。勿論。今日も筋肉は最高だ」
まったく聞いてねーだろ。それでバカという言葉に「馬鹿」という漢字を当てて使ったから、この故事が「馬鹿」の由来になったようだ。でもバカという言葉は本来サンスクリット語にバカ・モーハというバカをあらわす言葉があり、これが本当の由来のようだ。
つまりたまたま、当て字にされた馬と鹿は、運が悪かったということだろうか。当て馬にされ鹿たがないということか。……あんまりうまくないか。
「つまり、翔は馬鹿だ」
「なんだと。こんな完成された筋肉に向かってとんでもない奴だ」
「はいはい立派な上腕二頭筋だな」
「とうぜんだ。どこかわかんねーけど」
伊藤翔以上の筋肉馬鹿を僕は見た事がない。それはきっと彼がもっとも筋肉馬鹿だからであろう。これいちおうカテゴリはほめ言葉に分類されると思う。
「もうボディービルダーごっこはいいから、そろそろ研究しようよ」
いちおう卒業研究をしに学校まで来ているのに、結構な時間を無駄に過ごしてしまった。
「そんなことしなくてもなんとかなるだろう」
「なんとかならないからいってるんだよ」
「大丈夫。きっと後で誰かが何とかするし」
「それ僕だから。共同研究だから翔がしないなら僕しかいないから」
脱力しそうになる体を、硬いソファーが軋み声を上げながら支えてくれた。
「休憩にするか。冷蔵庫に飲み物買ってきたんだ」
研究室の隅に、鎮座する小型冷蔵庫まで向かいながら、翔をみて、思わず停止した。
「……それ、僕の、か?」
「おおうまいな」
いつの間に冷蔵庫から取り出したのか、僕が買ってきた炭酸飲料と、来客用を含めた菓子類を食べる翔の姿がそこにあった。
「なにしてんの!」
「食うか?」
「いらんわ馬鹿」
食べかけをこちらに渡そうとするが、僕は誰かと分けて食べるという行為が好きじゃない。苦痛さえ覚える。
飲み物はいいとしても、菓子類はどうするべきか。
「なんとかなるよ。先生が食べたとでも言い張ればいいじゃん」
僕はその見通しの甘さに気が滅入りそうになった。
「先生は虫歯で甘いのが食べれないんだよ」
すこしして、そうだったー! という大声が研究棟全体に広がった。
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