砂漠の国の女神
どこまでも続く砂漠に、乾いた風が渡っていく。
日差しは視界を白く染める程強く、暑さが厳しくなってきた。空は朝焼けから、抜けるような青空に変わっている。
そんな中、ラクダ30頭からなるキャラバンはゆっくりと進む。
先頭を行くのは3頭のラクダで、真ん中のラクダに乗っているのは、このキャラバンのリーダーであるジルベールだ。その両脇は大柄な護衛達。そのすぐ後ろが、彼の妻である私、リリアンと、その息子のラルフリードだ。幼いラルフリードは私の腕の中で、ウトウトしている。ここまで砂漠を渡って20日。小さい体に疲労が蓄積しているに違いない。
「そろそろ休む場所を探そう」
ジルベールが振り向いて、私が頷くのを見て手を上げる。
それを見て、私の後ろを進んでいた3人の護衛がサッと離れていく。休憩場所を探しに行ったのだ。
残った私達は、砂漠に突き出した崩れた住居跡が作る日陰に分かれて入った。
ピーーー!
遠くから笛の音が聞こえる。
先程の護衛が、休憩場所を見つけた合図だ。
私達が視線を巡らせると、遠くの丘陵の上で手を振る人影が揺らめいて見えた。
皆、立ち上がり、人影に向かって進むのだった。
この砂漠は、ロンドラーグ王国の南端に位置する。端から端までラクダで3ヶ月はかかると言われているが、実際に踏破した者は居ない。何故なら、ろくなオアシスもない上に曰く付きの、人が住めない死の砂漠だからだ。
万が一砂漠を踏破出来たとしても、砂漠を抜けた先は断崖絶壁で、その先は海だ。
昔、海から見上げた断崖の上にうっすらと見える小さな森に、興味を掻き立てられた数人の男達が崖登りに挑戦したそうだが、あまりにも高く、反り返るような崖に登るのを断念したと聞いている。
そんな絶望的な砂漠を私達が旅する事になったのには、それなりの理由があった。
今から1月ほど前、ロンドラーグ王国では、国葬が執り行われていた。ジルベールの母である、王妃陛下が崩御されたのだ。
もともと体が弱く、王妃陛下はジルベールしか産む事が出来なかった。その事もあって国王陛下は側妃を娶り、姫を2人授かっている。だが、王子には恵まれなかった。更に側妃を、との話が出始めた頃、ジルベールと私が婚姻し、男児に恵まれた。言葉は悪いが、国王陛下や王太子であるジルベールに万が一があっても、跡を継ぐ男児が生まれた為、これ以上の予備は必要無くなった。
そんな折でもあったのだ、王妃殿下が崩御されたのは。
国葬はしめやかに執り行われて、一息ついた所で、国王陛下がとんでもない事を言い出した。
「ジルベール、リリアンを我が妻に。ラルフリードを我が息子として差し出すように」
ジルベールや私はもちろん拒否をした。
一部の者達も、国王陛下を諌めてくれた。
結果、私達家族と反対してくれた者達は、共に砂漠の領地を与えられ、ジルベールは新領主として就任、悪く言えば追放される事となったのだ。
あれから10日、砂漠を旅してからちょうど1ヶ月。私達は、大きなオアシスに辿り着いた。
今は教訓物語となりつつある、この砂漠が王国だった頃の城下町跡と思われる廃墟を抜けた先に、大きな湖と、それを囲む広大な森があったのだ。
「おかあさま、おとうさま、お城はなかったですね?」
小首を傾げて聞いてきたのは息子のラルフリードだ。
「お城は神との約束を破ったから、なくなってしまったと言われている」
「神さまとの約束を?」
「そう。ラルフリードのお祖父様とおなじだ」
私達は湖の辺りで休憩を取るためにラクダから降り、倒れた木の幹に腰掛けた。
木々が木陰を作り、風が湖を渡って、ヒンヤリと気持ち良い。
そうやって落ち着くと、ジルベールは幼いラルフリードに分かりやすく、今は遺跡となった王国の、教訓物語を話し始めた。
エルドネ国は雨が減り、川が干上がり、城の近くの湖も水嵩が減り、作物も育たなくなってきていた。
国民だけでなく、王侯貴族も神に祈りを捧げた。幼い王太子も、庭に咲く貴重となった花を毎朝摘んで、神に祈っていた。
王太子が祈り始めて100日目、神殿の天井から光が差し、女神が降臨した。
共に祈っていた国王や妃、城の重鎮達も呆然と見守る中、幼い王太子はその美しい女神に可愛らしく求婚をした。
「僕と結婚して下さい」
煌めく金糸の豊かな髪と、深い青い瞳の美しい女神に、淡い恋心を抱いてしまったのだ。
慌てる大人を他所に、女神は幼い王太子に問いかける。
「私が其方と結婚をしたら、其方は私に何を捧げてくれるのだろうか?」
「一生、あなただけを愛します!あなただけを大切にします!」
「では契約をしよう」
止めようとした大人達は、不思議な力でその場から動く事が出来ず、言葉を発する事も出来なかった。
「其方は其方の命が終わるその日まで、私だけに愛を捧げよ。その代わり、私は其方が契約に違反しない限り、この国の水と実りを約束しよう。これは其方と神である私との契約だ。これは人で言う婚約にあたる。其方は今日より、私の婚約者だ」
「はい!」
王太子が返事をすると、女神の姿はみるみる小さくなり、王太子と似合の年齢に見える美しい子供になった。
そして女神は大人達を振り返り、
「契約は成った。神との契約は厳格なもの。契約を反故にした場合、厳しい天罰が下るだろう。肝に命じよ」
青ざめた大人達が女神に膝をつき、頭を垂れると雨が降り始めた。その雨は3日3晩続き、4日目の朝外を見渡すと、湖はまんまんと水をたたえ、大地は芽吹き、緑に覆われていた。女神は約束を守ったのだ。
それから13年が経ち、王太子は18歳の成人を迎えた。
国は女神の力で潤い、建国以来、1番豊かであった。
そして、人々は豊かな事が当たり前と思い込み、女神への感謝を忘れかけていた。
幼かった王太子は言うまでもなく、大人達から幾度となく話して聞かされる神との約束の話も、全く真剣に聞く事はなくなっていた。
城の庭園で、一組の男女が抱き合い、口付けを交わし合っていた。
人払いもされていない、誰が来るともわからない公共の場だ。その姿は複数の人の目についた。
「…王太子殿下が、不貞を…」
「契約の婚約者と、今年婚姻の予定では…」
噂はあっという間に城内へ広がった。
そして今だに睦み合っている2人の元へ、国王を筆頭に13年前の顔ぶれが駆けつけてきた。
「何をしている!」
国王が厳しい声で叱責すると、ハッとした2人は固く抱き合った。
王太子は国王の後ろに立つ婚約者に向かって
「何の面白みもないお前との婚約は破棄する!私が愛するのは、彼女だけだ!」
集まった面々は青ざめたが、婚約破棄を告げられた女神だけは顔色を変えなかった。
「私との婚約は神聖な契約。この契約によって、この王国は多大な利益を享受してきました。これを破棄するとなると、国が滅ぶ事になりますが、よろしいですか?」
「お前との婚約など、何の利益も生んでないではないか!そもそも、お前は誰なんだ⁉︎何の後ろ盾もないくせに、どうやって私の婚約者に収まったのだ!」
国王は王太子の口を塞ぎ、他の大人達も浮気相手を引き離し、膝を着かせたがもう遅い。
飛び出した言葉は口には戻らないのだ。
「契約は破棄されました」
「待ってくれ、女神よ!」
「言いましたよね、神との契約は厳格なものだと。やり直しは効きません」
ふわりと女神の体が宙に浮き、その存在が人から神に移り変わっていくと、王太子の記憶が呼び起こされた。
あれは、幼い時の、初恋の…!
気付いた時には遅かった。自分は既に浮気し、婚約破棄宣言をした後だったのだから。今から浮気は過ちだった、やり直そうと言おうとしたが、女神のこちらを見る目はとても冷たく、威圧されて口も開けなかった。
かくして王国は5日で滅んだと言われている。
その王国跡が、この広大な砂漠になったのだ。
「おじいさまの国も滅びるの?」
「さあ、どうだろうな」
ジルベールは少し思案げに呟く。
出来る事ならば、罪のない民が苦しまなければ良いと思う。
「滅びはしないわ。神と誓ったのはラルフリードのお父様で、お父様は誓いを守る為に追放を受け入れたのだもの」
リリアンとの婚姻の誓いは破られておらず、夫婦手に手を取り合って、ここまでやってきた。ここから、この湖畔の森に、新しい領都を1から作り上げて行くのだ。
「大丈夫、貴方達には、女神の加護があるのだから」
優しくその手を撫でられて、ラルフリードは小首を傾げる。
「おかあさまはカゴないの?」
リリアンはにっこりと笑った。
その笑顔は神々しく、とても美しかった。
「お母様にはお父様と貴方が居るから、加護が無くても大丈夫なのよ」
数年もすると、砂漠の領都はとても豊かになった。水も作物も溢れんばかり、気候も穏やかで、見渡す限り、砂漠の面影は見当たらない。
領都から出てラクダで10日も行くと、砂漠が見え始めるそうだ。砂漠には不思議な事に一筋の川が流れていて、川沿いには木々が生い茂り、果物も豊富なのだとか。やがて王都まで3日程の距離に小さな沼があり、川はそこで途絶えているらしい。そこから王都までは砂嵐の壁が立ちはだかり、通れる人を選んでいると噂されている。
実際、王国の貴族や騎士には通り抜けられる者は少なく、善良な市民が通るには問題ないそうだ。
女神の守り
そう呼ばれているらしい。
そうして領都に辿り着いた人々が運んで来た話によると、王国は衰退の一途を辿っているようだ。
国王陛下はあれから惻妃を5人召し上げたが、誰も懐妊出来ていないようだ。
婚姻の為に降嫁した王女の子供も女児しか居らず、王弟の息子が王家に養子として入り、王冠を継ぐ話もでているが、国王陛下は拒否しているらしい。
そんな話を聞いても、ジルベールは王都に帰ろうとは言わなかった。
「ここで其方達と暮らすのが幸せなのだ。私はこの命尽きるまで、其方を愛し、其方との子供達の行末を見守ると決めているからね」
「私も。貴方の命が尽きるまで、貴方達とこの領都を守るわ」
ジルベールは重く頷いた。
彼は決して、自分が死んだ後も、ここを守って欲しいとは願わなかった。
「其方が私の妻で良かった」
彼の優しい指が私の髪を撫で下ろす。
私は彼が願わなくても、彼の子孫が生きている限り、ささやかな加護はこの地に残そう、そう思った。
拙い文章ですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。




