第9話
委員会の仕事が終わって、帰ろうかという話になった時、ポツポツと曇天の空から雨が降り始める。朝は晴れていたせいで、傘なんか持ってきていない。
昨日の予報が今日になって当たったとしても、いまさら遅くて。
僕はどうしようか、と頭を悩ませる。濡れて帰るのはあれだしな。
でも、横の君は何も困ってなさそうな顔をして、普通に上履きを脱いでいた。嫌な予感がして、僕は呼び止める。
「待って、もしかしてまたそのまま帰ろうとしてる?」
「え、うん。雨ぐらい濡れて帰れば大丈夫だよ」
「前それで風邪引いたじゃん……あっ、そうだ。あれがあった! ちょっと待ってて!」
背中に当たる言葉を無視して、職員室へ向かう。
職員室の扉を叩いて、担任の先生を呼んでもらう。
「あの、置き忘れの傘って今ありますか?」
僕の学校ではこうした突然の雨に備えて、学校側が長期期間放置されている置き忘れの傘を生徒に貸し出している。
「一本だけならあるぞ」
「二本はないですか?」
「生憎だが」
「じゃあ、それ貸してもらえますか?」
本当は二本欲しかったけど無いなら仕方ない。元を辿れば、僕の物じゃないし。
先生から最後の一本の傘をもらって、靴箱で待つ君に傘を渡す。
「君の分は?」
「僕は濡れて帰るよ」
「ダメだよ、風邪引くよ」
「君がそれを言う?」
「ほら、帰ろ」
傘を開いて手招きする。
この一本の傘の直径は二人が入るには狭すぎて、相合傘という気はずかしい行為に僕は少し躊躇してしまう。
足踏みしながらも、傘の中に入ると薄らと赤くなった耳が。
それを見た僕はそっと、傘の柄を自分の掌で包む。
「僕が持つよ」
雨音が包む街を狭い傘を分け合って、僕らは歩く。傘に弾かれて、地面に落ちる雨が君にかからないように、傘はなるべく左に傾ける。僕の肩がじんわりと冷たくなっていく。
「肩濡れてるよ」
「ん、これぐらいなら大丈夫だよ」
「君に風邪引かれたら困る」
そう言うと、君はグイッと体を寄せて肩と肩が触れ合う。冷めていた体温が熱くなって、血がどぐどくと巡る。耳の奥でうるさくなる心臓が、君に聞こえていないか心配になるけど、肩の体温が心地よくてどうでよくなっていく。
静寂、鮮明なのは心臓と呼吸。いつもは騒がしく喋っている君もいじらしく黙っている。
雨粒に映る僕らはどんな姿なのだろうか。恋人、友達、兄弟、一体どれに当てはまるのかな。
次第に雨は弱くなって、傘は必要なくなる。
「雨、やんだね」
君との距離が離れて、鮮明だった呼吸音が一つだけになる。
「うん。やんだね」
ぺトリコールは僕らの間を縫って街を包み、薫風は吹く。雲間から漏れる陽光が濡れたアスファルトを輝かせる。
弱さをさらけ出した後の太陽はやけに眩しく見えて、瞳の奥が熱く、君の瞳に吸い寄せられていく。
「ん? どうした?」
「……いや、なんでもない」
渦巻いている感情、ぼんやりとした形は輪郭をもたない。ただ、君のことを見れば胸が跳ねて、頭がいっぱいになって思考が鈍る。嘘のように似合っているセーラー服が風に靡く度、薫る花の匂いが感情を加速させていく。
他愛の無い話を交わして、君がピタリと足を止めて町内掲示板を見つめる。
「何見てるの?」
「これ! 祭り!」
「祭り……? あぁ、白樺神社祭りのこと?」
この街では白樺神社というところで祭りが行われる。祭りと聞けば七月や八月の夏真っ盛りをイメージするだろうけど、六月にある祭りもそう珍しくはない。
白樺神社というのは恋の神様が居て、恋愛成就しやすいとの噂で、この祭りには多くの学生が集まる。その一つの理由として、花火があがる瞬間に告白すれば、その恋は一生涯続くという迷信めいたジンクスがあるかららしい。
僕は信憑性が薄いからあまり信じてはいないけど、祭りには毎年欠かすことなく行っている。祭りの空気にあてられて、賑やかさと活気のボルテージが最高潮にまで上がっているあの空気が好きだからだ。
だから、今年も行こうと思っていたところに君がチラシを見つけた。
「ねえ、一緒に行こうよ」
「いいよ」
僕はどうせ行こうと思っていた祭りだし、君となら楽しそうだからと二つ返事で了承する。
君は「やった」と薄く笑って、掲示板から目を離す。
祭りは今週の日曜日に行われる。空には大きな満開の花が咲いて、瞬間的な美しさはどこの国も負けない。幻想的に、初夏の始まりを彩る。街の人は、空咲く花を見て、これから迫る夏の背中と面影を感じて日々の生活に精を出す。
僕らは「じゃあね」と言って、日曜日を心待ちにする。
家に帰った僕を迎えた母さんは、顔を見てニコニコとしてなんだか薄気味悪くて「何?」と聞く。
「いやね、薫がそんな顔してるのが珍しくてね。何かいいことでもあった?」
「別に。特に何もないよ」
「そう? あ、ご飯ちょっとだけ待ってね」
「うん」
手を洗った僕は部屋に戻って、日記をつける。
『強くて、凛々しくて、何があっても乗り越えられると思っていた君も本当はそんなことなくて。全部、僕が勝手に作り上げた虚構の存在だった。だから、どこか僕は壁を作っていたのかもしれない。君は僕とは違う、みたいな。でも、僕と君は何も変わらない。自分と自分で揺れていた。人が仲良く出来ない理由はこんな決め付けのせいなんだろうな』
日記をつけ終わって、棚の奥の方に仕舞っていた一つのノートを手に取る。「小説ノート」と乱雑に書かれた表紙。随分と昔に作って、ずっと放置していた。少しだけ積もった埃を払い、紙を捲る。
拙い字で書かれた見るのも嫌になりそうな設定の数々。でも、そのどれもが楽しそうで。深くに閉ざしていたあの時の思い出が溢れてきて、ついポロリと言葉が漏れる。
「馬鹿だな……」
目も当てれないぐらい酷いはずなのに、僕はノートを机の上に広げて読み耽っていた。子供じみた物語は、幼稚さが残っていて。気付けば勉強そっちのけで、新しいノートを取り出して新しい小説のネタを考えていた。
母さんが僕を呼ぶまで、ペンを走らせて、勉強は夕ご飯を食べた後にちゃんとして眠る。
ではまた。




